Monthly Archives: 6月 2014

1.まず申し上げたいのは、石橋を叩いて渡るのか、見る前に跳ぶのかは、時と場合に応じて、その都度その都度適切な方を選ぶべきで、常に石橋を叩いて渡るというのは臆病が過ぎるし、常に見る前に跳ぶというのは無謀が過ぎるということである。

2.見る前に跳ぶことを良しとしている人が、実に偉そうに、石橋を叩いて渡る人相手に説教している姿をよく見掛けるが、その自信は一体どこから来るのか。またその時、石橋を叩いて渡る人が、見る前に跳ぶことを良しとしている人に対して、感じる必要のない引け目を感じているように見受けられるが、その自信の無さは一体どこから来るのか。

3.この度私が、見る前に跳ぶことを良しとしている方々に尋ねたいのは、これまでの人生、その思想、姿勢で、本当に一度たりとも失敗したことはないのか?ということである。もし、「ない!」と断言できるのなら、お願いです。私をあなた方の弟子にしてください。でも、もし一度でも失敗した記憶があるのなら、それはきっと自覚の問題(プライドの問題)で、あなた方はただ自らの失敗について鈍感なだけで、実際には山ほど失敗をしてこられたのでしょうから、即刻その偉そうな、威圧的な態度をやめてもらえませんか?ということでなのである。

4.とは言え、当記事は、石橋を叩いて渡る人を擁護したいが為のものではない。ただ、見る前に跳ぶことを狂信的に良しとしており、それを他人に強要したがる方々に、一本の釘を打ち込んでおきたかっただけの話である。


人生の後輩たちへ

自分の考え方に絶対的な自信を持っている人が吐く、あからさまに勇ましく聞こえる言葉ほど怪しいものはない、危険なものはない、流されちゃいけない、騙されちゃいけない。

「俺は俺、私は私」をいかに貫くか。

あからさまに勇ましく聞こえる言葉の大半は「知性」からではなく「稚性」から生まれるもの。そんなものは、小学生でも吐こうと思えば吐ける。大人がわざわざやることではない。

「俺は俺、私は私」をいかに貫くか。

自分の考え方に絶対的な自信を持っている人が吐く、あからさまに勇ましく聞こえる言葉ほど怪しいものはない、危険なものはない、流されちゃいけない、騙されちゃいけない。
特に、その言葉が威圧的だったり排他的だったりする場合には、上っ面は上っ面、一応社会人なんだから大人の対応、「なるほど!」と嘯いて、内心では完全に馬鹿にしてニヤニヤ笑って受け流してやればいい。

「俺は俺。私は私」をいかに貫くか。


人生、劇場。

公的にも私的にも、私という人間の最大の短所は「心を鬼にして」ということができないことだと思う。つまり、必要に応じて「演じる」ということができないという重大な欠陥が私の中にある。

ムカつくほどに常に素。仕事でもプライベートでも、心を鬼にしないと、演じることができないと、どうにもならないシチュエーションというのが多々あって、私はそれを痛いほどにわかっていながら、人との衝突を、人の「怒」や「哀」に触れることを過剰に恐れていて、なかなか「突き抜ける」ことができずにいる。
愛読者の皆さんには、私の言う「突き抜ける」の意味を理解して頂けるだろうか。

なかなか突き抜けることができなくて、どうにもならない。

でも、「どうにもならない」ではどうにもならない現実がある。だいたい私自身がしんどい。必要に応じて、誰かの為に、ひいては自分自身の為に、心を鬼にしなけりゃならないし、演じ切らなきゃいけない。

「演じ続けてナンボ。それが人生やぞ、お前」

「嘘をつけるようになってこそ大人やぞ」でお馴染みの、我が親父の言葉を思い出す。


私だけ…?

ローソンの唐揚げと言えば「からあげクン」だが、からあげクンよりも、おむすび弁当などの片隅に申し訳程度に入っているあからさまに貧相な唐揚げの方がずっと美味いと感じるのは私だけだろうか。