禁じられた怒り

誰も語ろうとしない。あまりに語ろうとしない。不自然だ。おかしい…と思うのは、実際には、老人という生き物がいかに凶暴な生き物なのかということであり、つまりは、老人の介護職員に対する暴言・暴力についてである。
世間一般でいう「お年寄り」と、介護職員が施設の中で接する「利用者」とでは、檻の外から眺めるパンダと、飼育係が檻の中で接するパンダくらい違う。パンダは、檻の外から眺める分には「パンダ」だが、檻の中で面倒を見る分にはただの「熊」である。

職員の利用者に対する暴言・暴力は許されることではない。だから、断じて日常茶飯事ではないが、利用者の職員に対する暴言・暴力は何故か許されており、日常茶飯事である。私自身の体験についていえば、ある婆さんの入浴後の着衣を手伝っていたところ、「ありがとう。あんたが私の息子だったら良かったのに」と満面の笑みを浮かべて言ったと思った次の瞬間、突然真顔になり、強烈な平手打ちが飛んできて吹っ飛んだこともあるし、頑なに入浴を拒む爺さんにグーで腹をど突かれたこともあるし、服薬介助をしようとした時に指を全力で噛まれたこともあるし、極悪な顔をした爺さんに目を突かれたこともある。同僚の女性職員が入浴後の爺さんに靴下を履かせようとして蹴られて吹っ飛んで泣いたこともあるし、かつての上司は、車の運転中に靴で顔面を思いっきり叩かれたことがあるとも言っていた。私が初めて仕事を教えた女性職員が、金持ちのエロジジイにあからさまなセクハラを受けて、私に報告してくれたこともある。他にも、杖を振り回して職員に殴りかかってくる婆さんや、職員を困らせたいがためだけにナースコールを押し続ける左とん平似の汚いババアなんかがいたりなんかもした。

どいつもこいつもとっとと死ねばいいのに…というのが本音。でも、介護職員は決して怒ってはいけないことになっている。介護職員は高齢者を「人生の先輩」として、あくまで敬うべきだとされている。でも、敬えるかどうか、尊敬できるかどうかは、「人としてどうか」にかかっていることであり、ただ歳をとっているというだけのことで敬意を抱けと言われても到底無理な話だ。また、介護職は接客業だとも言われているが、たいして金を払わないくせに横柄で注文の多い客が多いことも事実だ。

女に手を上げる男は最低だが、絶対に手を上げてこないことをいいことに、男に対して言葉の暴力を振るい続ける女もまた最低だーという私の持論によく似たものを感じる。

「倫理」を名乗る綺麗事が絶えず邪魔をして、人と人の対等な関わりなんて、望むべくもない。


告白

最近、介護施設での事故・事件が相次いでいる。
施設で働いてきた者として、大きな声では言えないが自信を持って言えるのは、あれは氷山の一角でしかないということ。転落死なんて極端な例は別としても、暴力や暴言といった事例は、探せば途切れなく、数限りなく出てくる。実際、私は、現場で利用者に暴言を吐いている職員を何度か見たことがあるし、それを止めなかったし、瞬間的に怒りが爆発して、意識がとんで、キレて、利用者に対して手を上げてしまったことが、私自身、ある。我に戻ったら、利用者の顎の感触を残した右手が震えていた。で、その時、心から「終わった」と思った。

大阪の施設で夜勤をしている時には、ナースの指示で複数の利用者にある薬を眠前薬として服用させていた。服用させる必要性を感じない人にも服用させていた。その薬を飲ませると身体がグニャグニャになって、ろれつの回らない状態になるのは明らかなことなのだが、これを飲んでもらわないことには、20人を越える利用者(確か、平均介護度3.8の施設だった)を一人の職員で見るのは不可能なことだった。
薬でグニャグニャになった老人があちらこちらで転倒し、そちらの対応に追われていると、誰もいないフロアではある女性の利用者が「メェー!」と叫びながらティッシュ・ペーパーを食べていた。

「死ねばいいのに」と思った。

夜勤明けには、毎回5枚くらい事故報告書を書き、事務所に提出しなければならなかった。だから、2時間のサービス残業は当たり前だったが、事故報告書が現場のやり方に反映されるとは到底思えなかった。

夜勤明けには、家に帰る途中にある自販機の前で、天候を問わず、毎回、軽く意識がとぶまで、とばすために、4、5本のビールを飲んでいた。2時間の仮眠時間が与えられていたとはいえ、寝不足極まる夜勤明けだから、4、5本で十分とばせた。酒でとばしたいのは、罪悪感ではなかった。罪悪感なんて、悲しい哉、これっぽっちも感じたことがなかった。ただひたすらに「俺、何やってるんやろ…」という虚無感だった。

年末、施設で行われた忘年会の後、職場では鬼のように厳しい女性の先輩が、ダラダラと涙を流して「頼むから抱き締めてや」と言ってきたので、力いっぱい抱き締めたこともあった。めちゃくちゃ辛いんだろうなと思った。

「やり甲斐」のみが取り柄であり、生命線とも言える世界を、虚無感が覆っている。国は、この状況を改善しようとするどころか、無駄に制度を複雑化するなどして、さらに悪化させている。

求人誌の介護職の欄を見ると相変わらず、「「ありがとう」が嬉しい仕事」なんて文章が踊っている。利用者はおろか、家人にさえ、「ありがとう」なんて、ほとんど言ってもらえないのに。


一憩、71歳男性にシバかれる

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数ヶ月前から指折り楽しみに待ち侘びて、発売日にCD屋に駆け込むなんて、何年振りのことだろう…。

キース・リチャーズ、71歳。24年振りのソロ・アルバム発表!

ロックンロールをやろうが、ブルースをやろうが、ソウルをやろうが、レゲエをやろうが、キース・リチャーズはキース・リチャーズだ!ーというアルバムだ。世界屈指のミュージシャンで周りを固めても、微塵も埋もれない個性がキースにはある。逆に言えば、それしかない(笑)

こんな風に歌えたらなあ…。
こんな風にギター弾けたらなあ…。
凄いなあ…。
カッコいいなあ…。

「随分とまったりしたアルバムだな」なんて思ってると、14曲目でどつかれるよ。


巨泉

<これからのこと全般について>
次の一手をどう打てば良いのかが、今だに、さっぱりわからない。
「わからない」の前に「さっぱり」がぶら下がっている間は、無理に動く必要はないのかもしれないーと思っている。どうせいずれは、いずれかの方向に動きださねばならん時がくるんだから。

<音楽活動について>
はっきり言って、結婚式のあの緊張の中で歌えたら、どこでも、どんなシチュエーションでも、歌えると思う。神戸や大阪のライブハウスなんて怖くもなんともない。結婚式の会場で自分の音楽に耳を傾けてくれる人たちに比べたら、ライブハウスの客なんてただの間抜けな烏合の衆。私には何の責任もない。プレッシャーなく歌える。

最近、塚口にライブのできる居酒屋を一軒見つけた。それから、伊丹のど真ん中に、ライブバーを二軒見つけた。以前から「地元で演ってみたい」とは思っていた。友人たちを含めて、地元の人たちにのんびり、酒を飲みながら、私の音楽を聴いて欲しい。「刺激的なBGM」といった感じで、気軽に、呑みながら、楽しんでもらえたら嬉しい。伊丹の巨星が、わざわざ神戸や大阪まで出てって、ライブハウスに大きな顔をされることの意味がさっぱりわからない。

え?いや、誰が巨泉やねん。


貧民の躍動

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最近、「ブログ用に」と、奥さんがじゃんじゃん写真を撮ってくれる。

私は全く料理ができない。インスタント・ラーメンしか作れない。逆に、奥さんは、インスタント・ラーメン以外は大概なんでも作れるが、インスタント・ラーメンとは無縁に生きてきた人。インスタント・ラーメンを作ったことがない。インスタント・ラーメンの深さを知らない。だから、インスタント・ラーメンを作るのは私の役目。だからと言って、こんなに躍動する必要はないと、我ながら思うし、なんぼほど「インスタント・ラーメン」って言うねんと思う。

貧乏人丸出しで、ちょっと恥ずかしい。


結婚式での歌唱を終えて

昨日、友人の結婚式で歌った。事前にビールをたらふく補給させてもらって、感情を爆発させて、なんとか納得のいく形で歌い切れた。

歌っている最中、色んな事を考えた。それこそ「走馬灯のように」ありとあらゆる事が頭の中を駆け巡った。

トップギアの声を出すためにも、感情を込めて歌わねばならんのは確かだが、とは言っても、友人に対する気持ちでいっぱいいっぱいになってしまうと涙が出てグズグズになるのは目に見えてるから、歌いながら、友人とその奥さんに対する気持ちだけではなく、頑張って、別の事も考えることにした。

「ご歓談中の人たちを黙らせてやる!」と思って歌った。「無視できん声を出してやる!」と思って歌った。

式後、友人が、「神がかってた」なんてことを言ってくれたから、本当に嬉しかったし、私が、私らしく、人にしてあげられることの最たるものはやはり音楽で、歌うことなんだということを実感した。

一夜明けて、今はただ、安堵の気持ちでいっぱいで、脱力感がひゃんぱない。ああ、なんとか歌えた。そして、無口になるほど緊張し続けていた割には、美味しい料理をちゃんと美味しく食べられた。生まれて初めてキャビアを食べた。

遂に彼が、戦友が結婚した。脱力感以上に感慨深さがひゃんぱない。感慨深さがひゃんぱなさ過ぎてキャビアの味を忘れてしまった。

本当におめでとう!そして、ありがとう!


真面目なスパロウ

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↑私の奥さんは、音楽をやってる時の私を「キャプテン・イッケイ・スパロウ」と呼んでくれる。キース・リチャーズが親父で、ジャック・スパロウが兄貴ーという、自分では口が裂けても言えない、恐ろしく恐れ多い設定となっている。バンダナ取ったら丸坊主なんだけど…。

最終調整終了。トップギア以外の声は確実に出せるようになった。トップギアはやはり、酒を飲まんと出ん。

前回同様、式で歌う曲以外に2曲ほどオリジナルを歌ってみた。歌ってみたのは以下の2曲。

・ザ・ラヴリミナル
・未来へ(旧タイトル「サクラ」)

「未来へ」は、私の曲にしては珍しくコード展開が素直で、軽快なノリが初期のビートルズみたいで気に入っている。リプライズ時代に何度かライブで演ったことがある。「ザ・ラヴリミナル」もライブで何度か演ったことがある。アルファベッツ時代にも、解散間際に一度か二度、演った覚えがある。ジョン・レノンが私に語りかけているという設定の歌詞で、タイトルはティーンエイジ・ファンクラブの「ザ・コンセプト」の引用。個人的には、「青空」「モナリザ」「ストーカー」に並ぶ奇跡の一曲だと思っている。でも、何が一番奇跡かって、奥さんが撮ってくれた「キャプテン・イッケイ・スパロウ」の写真だと思っている。

ささやかな自惚れ。たまには許してくれ。


鳥葬

「歌う」と「喋る」は似ても似つかない。全くの別物で、同じ言葉でも、歌う分には、何を言ったって私の自由。他人に文句を言われる筋合いはない。

私の中には、「喋る」わけにはいかない腹立たしいことや哀しいことが吐いて棄てるほどある。だから、読んで字の如く吐いて棄てなきゃいけない。精神衛生上の問題として、吐いて棄てなきゃいけない。まさに「吐いて棄てる」という表現が相応しいんだけれども、それは、私の中から外に出て、空気に触れる段階に至って、カッコ良かったり、綺麗だったりしないといけない。吐いて棄てるからといって、ただの汚物では意味がない。

ただ吐いて棄ててたんじゃもったいないと思うものを形にするーこれが私にとって音楽をやる事の意味。そうして生まれた作品が魅力的なものであれば、嗅ぎ付けた人が鳥のように寄ってきて、ついばんでは飛んでって、かくしてこれは鳥葬。私の怒りや哀しみが消化されるーという流れを、地味で構わないから絶えず生み出して、繰り返しながら、精神的に健康に生きていきたい。


20年振りの生還

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恐ろしく懐かしい匂い。

高校の時、毎日のように通っていたスタジオに20年振りに生還。歌った。

友人の結婚式が数日後に迫っているにも関わらず、全く声が出なくて焦ったが、歌っている内に自分の中ではじけるものがあって、トップギアの声以外は出せるようになった。トップギアの声は、軽く酒を飲んで、感情を爆発させないと出ないから、当日はたぶん大丈夫だと思う。

結婚式で歌う「青空」以外にも、色んな曲を歌ってみた。一曲を除いて、全て私のオリジナル。コードも歌詞も、思いのほか覚えていて、我ながら驚いた。「青空」以外にスタジオで久しぶりに演ってみたのは以下の11曲。

・クリスティン
・M&M
・FLOWER
・ハングリーマン
・赤い糸〜魚眼レンズの星の住人〜
・赤い糸〜女救世主ニーズ〜
・ノエル
・孤高
・スノーフレーク(未発表曲)
・MOLLY’S LIPS(ヴァセリンズのカバー)
・バンドマンロック〜夢の等身大〜

久しぶりに腹から声を出したら、ビックリするくらい疲れた。でも、「これこれ!この感じ!」と思って、嬉しかった。

生きた心地がした。