『MUSIC IS DEAD』歌詞

バンド時代の曲に「ビッグバン・ブルース」というのがあったのだが、歌詞を書き換えて「ロックンロール・スター」として復活させた。それをまた今回、「俺はロックスタア」の誕生を受けて歌詞を書き換えて『MUSIC IS DEAD』として復活させた。書き換えるたびに辛辣になっていく。



『MUSIC IS DEAD』

音楽は死んだ

誰が殺した?

誰も気付いちゃいないし

知ったこっちゃない


音楽が死んで困るのは

お前であって俺ではない


自分の言葉で歌う者にとって

お前はアウト・オブ・眼中

目の上のコブで鬱陶しい


誰かの為に歌う

お前の為じゃない

ここで言う「お前」がお前という保証さえない

笑える


音楽は死んだ

誰が殺した?

誰も気付いちゃいないし

知ったこっちゃない


歌えるから

踊れるから

音楽などなくたって


プライドのない輩には

聞こえないロックンロール

素直に笑い泣く目には

最高のロックンロール


感じたことを感じたまま

派手にやろう

ためらうな


MUSIC IS DEAD

お前のせい


BOOM BOOM

バンド時代からそうだった。他のメンバーはライブハウスのスタッフや他のバンドと仲良くして、上手くやっていた。俺にはそれが出来なかった。演技すら出来なかった。事実上のリーダーとして、いつも申し訳なく思っていた。俺、普段はぽよよ〜んとしている。虫に例えればそれこそ蝶々やカナブンみたいなもんなんだけど、音楽をやるとなると途端にスズメバチみたいになってしまう。

「誰かと仲良くなりたいがために音楽やってるわけじゃない」という頭があるのは確か。でも、それ以上に、俺の中にあるのは昔も今も、もし俺の人生に、運命を劇的に変えてくれる人との出会いがあるとすれば、その人には人を見抜く力があって、俺とその人との関係は、見抜き見抜かれるというところから始まるんだろうというドラマチックな筋書き。

だいたい、俺自身に「本当にそうなのか?」と疑ってかかる癖がある。人には「ぱっと見の印象」というものがあるが、それよりもその裏にあるものが気になって仕方がない。ぱっと見の印象というのは、その人が「こう見られたい」と望む、演技染みた姿であって、いわば作り物。俺は、その仮面のようなものではなく、それに覆い隠されている部分が気になる。

いい人と言われている人は本当にいい人なんだろうか?ただの八方美人じゃないのか?ややこしいと言われている人は本当にややこしい人なんだろうか?実は賢明なるカモフラージュで、そうやって関わる人間を選んでいるだけじゃないのか?

スズメバチでいることのメリットは、ぱっと見の印象を真に受ける浅はかな人たちを寄せ付けずに済むということ。彼らにとって、俺はスズメバチ以外の何者でもない。だから、「あっち行け」みたいなことをわざわざ言わなくても、向こうから勝手に敬遠してくれる。

スズメバチでいることのデメリットは、「本当にそうなのか?」と、一歩突っ込んで人を見ようとする人が待てど暮らせど現れず、寝ても覚めてもスズメバチでおらねばならないということ。これは、今のところ、誤算だったと認めざるを得ない。思っていた以上にどいつもこいつも浅はか。純粋というか、幼稚というか…。

今日もそこら中で、見るからにいい人が見るからにいい人の事を「いい人」だと言って笑っている。握手なんかしちゃって。大人の利害関係。いいね。羨ましい。ところで皆さん、あの人たちの魂胆の姿形って虫に例えたら何に似てるか知ってます?

スズメバチですよ。

どちらが先に相手の手を握り潰すか…始めからそういう握手なんですから。


☆9周年☆

本日、当ブログが9周年を迎えた。ここまでの総記事数は3467本。一年に385本書いてきた計算になる。一本一本のボリュームを思えば、我ながら凄まじい勢いで書いてきたと思う。

昔、中学の時、「僕だけなんでこんなに頭デカイんやろ。なんで僕だけ帽子、特注なんやろ…」と親父に言ったら、「そ、そらお前、あれや、なんや…色々詰まっとんねん!」ってテキトーな事を言ってたけど、3467という数字を思えば、それなりになんやかんや詰まってて、ただデカイだけではないのかなと思う(笑)

ちなみに今日は、佐野元春の64回目の誕生日でもある。当ブログを始めた時には全く興味のなかった人だが、今やこのちょっとした偶然すら嬉しかったりする。

9年前の自分。それは、完全に「他人」である。


一ヶ月前告知

2020.4.12.sun 伊丹DABADA

【open/start】17:30/18:00

【charge】¥1500(1drink付)

【act】

和田怜士

toma que toma que toma!

バニーマツモロ

ハーミットニシヤマ

吉田ふくたろう


一ヶ月前となったので告知。状況が状況なので、100%開催されるという保証はないし、開催されたとしてもこのメンツが揃うという保証はないが、俺自身は着々と準備を進めている。

昨日、セットリストが決まった。新曲が3曲。それから、この日リリースとなるアルバム「DABADA TV SHOW」から3曲。それから、昨年書いた8曲の中から2曲。それから、ソロ転向後、まだ一度しかやったことのないレアな曲を1曲。

「レアな曲」については、昨日、歌詞の見直しをして、「派手にやろう」というフレーズを書き加えた。おそらく、昨今の閉塞感がなかったら閃かなかったであろう言葉。

派手にやろうと思っている。


超掘り出し物

今日、近所のブックオフでオアシスのブート(海賊盤)を見つけた。「で、で、出たあ〜!」即買い。2枚組¥780(!)

「俺、家買いに行くから」というありえない理由でリアムが欠勤。急遽、兄貴が全曲歌うことになった1996年のライブ。公式では絶対に出ない貴重な音源。めちゃくちゃ音悪いけど、俺は満足。だって、オアシスだ!

俺にとって、ビートルズが「愛」ならオアシスは「恋」。ビートルズのブートは欲しいと思わないけど、オアシスのブートは欲しい。

俺にとって、オアシスのブートを買うというのは、修学旅行の後に好きな子が写っている写真をこっそり買うようなもの。

いくつになっても胸ときめくオアシスの音楽。たまらん。最高だ!


間違いだらけの家

以前、駄目な演者については書いた事があるが、駄目なライブハウスについては書いた事がないので書いてみる。


1.お客さんが来ても喜ばない

受付。ニコリともせず、いらっしゃいませ的なことも言わず、俯いたままお金を受け取って、「誰を観に来ましたか?」と独り言のように呟く馬鹿。主にバンドが出る、地下にあるようなライブハウスでよく見かける。何故かベレー帽を被った女が多い。

2.店長が人間不信

そもそも、そんなんでよく接客業やろうと思ったなという話。笑うでしょ?でもね、これ、結構いる。いつまで経っても心を開かない。いい歳をした大人なんだから、開いてるフリをすればいいのにそれができない。手っ取り早く心を開かせる唯一の方法が、その店長がやってるバンドのライブに通い続けることだったりする。面倒臭い。アホらしいにも程がある。

3.意味不明なえこひいきをする

素晴らしいアーティストを特別扱いして、店としてプッシュするのは当たり前。じゃんじゃんやればいい。問題なのは、誰が見ても無味無臭。完全にゴミなのに、ただ人柄が良いとかそういうことだけで特別扱いして毎回トリを張らせたりするパターン。こういう店は潰れる。すぐ潰れる。実際に、潰れた店を知っている。

4.演者からもらった音源を大切にしない

ある店に出来たばかりの音源を一枚持っていった。後日、店に行ったら物販卓の上、埃を被った他アーティストの販売用音源に紛れて無造作に転がっていた。またある店では、渡した音源がステージ上、客席からよく見える場所に飾ってあった。さて問題です。どちらの店が繁盛するでしょう?

5.ライブを観ていない

言語道断。リハが終わったら仕事も終わりだと考えているらしく、ライブが始まっているのに別室で菓子を食いながらラジオを聴いたりマンガを読んでいたりする。バンド時代、実際に見たことがあってさすがにキレかけたがグッと堪えた。「どうせ潰れるだろう」と。予想的中。あっという間に潰れた。

6.説教が長い

ライブの後、チケット精算の時に食らう何の参考にもならない感想という名の説教。バンド時代、何度食らったかわからない。この時、俺はものすごく態度が悪いので、メンバーに「お前は出なくていい」と言われたことがある。ノルマ無しならわかる。でも、ノルマを取る以上、演者も客だろう。客にくどくどとエラそうに説教を食らわせるというのは一体どういう神経なのか。「俺、あなた方よりずっと音楽が好きだし、知ってますから、大きなお世話です」言いたかったけど、メンバーの為に我慢した。

7.お客さんを呼んでも呼ばなくても条件が同じ

これは、俺が不快に思っているとかそういうことではなく、店の為にならないでしょ?ということ。お客さんを多く呼べばそれだけ見返りがある。もしくは、全く呼べない場合にはノルマを課す。という形にしないと、集客努力しない人はいつまで経っても他演者が呼ぶお客さんをアテにし続けるだろうし、努力する人はその努力がなんだか馬鹿馬鹿しく、虚しく思えてくる。呼ばない人が呼ばないままで、呼ぶ人が呼ばなくなったら、店に来るのが演者だけになるのは当然だし、呼ぶ人は「呼びたい人」でもあるから、呼ぶ意味がなくなったら途端に来なくなって、呼ぶ人が来なくなると、呼ぶ人が呼ぶお客さんをアテにしている人たちも来なくなって…。あえて苦言を呈す。

8.スタッフが主役

店の○周年記念イベントというのなら全然わかるのだが、スタッフが誕生日を迎えるたびにそのスタッフ主催のイベントを催す店があって唖然とする。誰の為の店で、誰が主役なのかがわからない。お前らが何歳になろうと知ったこっちゃないし、無理矢理祝わされる身にもなれ。酷いのになると、そのイベントに出るための条件が、そのスタッフがやってるバンドの曲のカバーを演ることだったりする。何様やねん…。

9.ステージの真後ろにトイレ

これはまあ、店の造りの問題だからしょうがないっちゃしょうがないんだけど、女のお客さんにはちとツライものがあるだろう。観に来てくれと言えないので、せっかく家の近所にあるのに一度も出たことがない。

10.メタルしか理解できない

メタルしか理解できなかったり、ブルースしか理解できなかったり、アングラしか理解できなかったりするクセに、オールジャンルOKとして出演者を募っている。一人、メタルしか理解できない店に出演し続けているブルースマンを知っている。西成在住の、声に芯のある、なかなかのブルースマンなのだが、いつまで経っても出番は一番手。前座扱いされている。なぜ気付かないんだろう。ちょっと考えて、わかった。店がブルースを知らないように、彼もメタルを知らないんだろう。


本当はめちゃくちゃ楽しい、音楽好きにとっては夢のような、スペシャルな空間なんだろうなと思う。残念だな…ライブハウス。


不安な家

昨今、ライブハウスが置かれている状況について本田純正と話をした。潰れる店も出てくるだろうけど、どう考える?俺と純ちゃんの見解は同じだった。

潰れればいい。

接客業を営んでいるという自覚に乏しく、演者やお客さんを大事にしてこなかった店は潰れてしまえばいい。生き残る店は生き残る。これを機に淘汰されれば…という考え。

誠実な店が生き残って不誠実な店が潰れるというのはいつものことなのだが、それが一気に加速する気がする。

音楽への需要を自分たちへの需要であると履き違えてきた店や、表現の場を求めている演者の謙虚な姿勢に胡座をかいてきた店。それから、一人のお客さんを大切にしない店は潰れればいい。逆に、履き違えることも胡座をかくこともなく、お客さん一人一人を大切に、誠実にやってきた店には生き残って欲しいし、生き残って欲しいと願う人たちがいっぱいいるのなら、必ず生き残れると思う。

信頼されることほど強力な「耐震」なんてないよ。ちょっとやそっとじゃ揺るがない。ま、それは演者にも同じことが言えるんだろうけどね。


今をどう解釈するか

最近、「不要不急」という文字を毎日のように見掛ける。「フヨウフキュウ」と読むのはわかってるんだけど、俺はあえて「セイコウウドク」と読むようにしている。

晴耕雨読。

連日の大雨…と考える。どしゃ降りの雨の中、わざわざ畑に出なくても良かろう。そこをあえて畑に出て、仕事に精を出す人をカッコいいと言う人もいるし、わからんでもないけど、俺はちょっとハスに構えて、そのカッコいい人を眺めて「馬鹿じゃねえか」などと呟きながら、温かいハト麦茶でも飲んで過ごす。

家にこもってやらねばならないことが何かあったはずだ。いつやる?今でしょう。絶好の機会だ。止まない雨はないんだから、今のうちに畑に出る時の為に何かしら準備しておいた方が良い。

今、無理に畑に出て風邪でも引いたらどうする。せっかく雨が止んだのに風邪で畑に出れないなんて事になったら元も子もない。だいたい、畑だけが生活の場じゃないし、人の目のあるところだけが努力の場じゃないぞ。

「不要不急」と書いて「セイコウウドク」と…読め。


DJ気分で

実は一枚だけボサノヴァのアルバムを持っている。最近買ったお気に入りの一枚で、RITA LEE(ヒタ・リーと読む)という女性シンガーがボサノヴァアレンジでビートルズをカバーした『Bossa N Beatles』というアルバム。

ロックアルバムを聴く合間にこれを聴くと凄く良い。まったりする。で、またロックアルバムに戻るとこれがまた良い…というのが、最近の我が家の定番ローテーション。

RITA LEE。全然知らなかったけど、ブラジルでは超有名なロックスターで現在72歳。女キース・リチャーズみたいな人らしい。女キース・リチャーズが歌うビートルズ。それもボサノヴァ。面白い。悪いわけがない。

というわけで、そんな『Bossa N Beatles』の中から一曲、アルバムの冒頭を飾る「A HARD DAYS NIGHT」をご紹介致しましょう。初めて聴いた時、うちの奥さんが「みこみかんちゃん!?」と言った(言われてみれば確かに声質や歌い回しがよく似ている)、ボサノヴァ色薄めのノリノリナンバー。リズムセクションが良い仕事してるので本家以上に踊れます。

では、聴いて頂きましょう。RITA LEEで「A HARD DAYS NIGHT」!


DAKARA

子供の頃、石油ショックでトイレットペーパーを買い漁る人たちの映像を見て「何て間抜けな国民なんだろう」と思って以来、日本人が一斉に同じ方向へ流れるのを見るたび「そっちだけは行かんとこ」と嘲笑う癖が付いた。

俺は大口を叩く人が好きで、謙遜しぃが嫌い。なぜなら、大口を叩く人は言い訳を用意しないけど、謙遜しぃは言い訳を用意するから。大口叩きは物事が上手くいかなかった場合に全てを背負わねばならないし、背負う覚悟があって、その覚悟をパワーに変換するわけだけど、謙遜しぃは「ね、だから私、自信無いって言ったでしょ?」と言って逃げることしか念頭にない。「ゆるくやってます」なんてことを言う奴はその代表格だ。「ゆるく」って一体何なんだ。どうせ後で言い訳するんだろう。「そもそも本気でやってませんから」って。死ねばいいのに。

日本という国は何か問題が起こっても、気持ち悪いくらい議論に発展しない。意見が割れて拮抗するということがない。問題が起こった時点で「よりネガティブな方向へ」と考え方を一本化して、一斉にダァーッと流れてゆくから端っから議論の余地がない。ポジティブな考え方をする人もいるにはいるが、常に少数派で、暗に口を塞がれる。そりゃ、ネガティブなことを考えたり言ったりしてた方が楽に決まっている。後で何とでも言い訳できるんだから。問題が予想に反して好転した場合には「良かったね」で済むし、悪化した場合には「ね、言った通りでしょ?」と胸を張る。いずれにせよ責任を負う必要がない。国民の8割がこういった無責任な人たちで、それが国民性なんだから、何か問題が起こるたびにあの間抜け極まる石油ショックの光景が再現されるのはごく自然なことだと思う。

この国に、他人から聞いた言葉ではなく、自分の言葉が言える人ってどれくらいいるんだろう。大多数の間抜けどもとは違う考え方を持っていて、それがゆえに選ぶ道も間抜けどもとは違ってくるけど、そのことで不安に駆られるようなこともなく、自分が正しいと思う道をリアムみたいな歩き方をしてズンズン突き進める人ってどれくらいいるんだろう。

だから。だから、俺は成人式に行かなかった。子供の頃から行かないと決めていた。自分の個性や自主性について希望のようなものを少しでも抱けるのなら、成人式はいきなりのつまずきで、乗ってはいけないレールだと思った。要するに、死んでもトイレットペーパーを買い漁るような人間にはなりたくなかった。「今日からあなたは大人です」大きなお世話だ。わざわざお前らに承認されなくても俺は俺のペースで俺の思う大人になるよ。

結果、いまだ大人になれずにいる。