あの夏の人生訓

「吸うな!吐け!吐いたら吸えるから!」

私は子供の頃(まあ、今でもそうだが…)、泳ぎが大の苦手で、夏休みになると、強制的に、学校の特別水泳教室に参加させられていたのであるが、上記の言葉はその時、クロールの息継ぎが覚束なかった(まあ、今でもそうだが…)私に向かって、教師が繰り返し投げ掛けた言葉なのであるが、今にして思えば、この言葉は馬鹿にできない。そっくりそのまま、純然たる人生訓であると思われる。

最近、巷では、『断捨離』なる言葉が流行していて、書店に行くとこの断捨離関連の本がズラリと並んでいるが、「断捨離」というのは元々、ヨガの思想から生まれた言葉で、要するに、「無用なものを躊躇なく捨てる勇気を持つことによって、自由になりましょう。」という思想で、これは、考えてみれば、上記の教師の言葉に直結する思想、人生訓であると思われる。

ひとつ物を持つと、ひとつ自由を失う。ひとつ物を手放すと、ひとつ自由を得る。
最近、私が極端に物欲に乏しくなったのは、私の無意識下でこの思想が大きく機能しているからだと思われる。例えば、今や私は、財布もチャリンコも出来ることなら持ちたくないし、したがって、車を所有するなんてのは、考えるだけでゾッとする、狂気の沙汰なのである。

欲しいもの、本当に欲しいものが今の私にもあるとすれば、これはもう「才能」以外にないなと思う。
才能を心から渇望する時、物というものは、視界を妨げる障害物でしかなく、また、行動範囲を著しく狭めるだけのお荷物でしかないらしいのである。

「吸うな!吐け!吐いたら吸えるから!」


ラークを買え

ゴールデン・バットやエコーやわかばを吸っている私を今まで散々馬鹿にしてきたような連中が状況が状況だとかなんとか都合良く抜かしながらじゃんじゃんじゃんじゃんゴールデン・バットやエコーやわかばを買いやがるからこちとら大いに迷惑している。

ラークを買え、ラークを!どこのコンビニでも売れ残ってるじゃねえか!ゴールデン・バットやエコーやわかばは貧乏臭くて嫌だったんじゃねえのか?
ラークを買え、ラークを!不味いクセに410円もするラークを買え!
まったく、冗談じゃないよ!


『歯車』より/芥川龍之介〜匿名様への返信にかえて

〈以下の文章は、芥川龍之介の『歯車』という作品に出てくる一節です。私はこのやりとりが大好きで、これを紙に書き写して、自分の部屋の壁に貼っております。〉

老人「如何ですか、この頃は?」

芥川「不相変神経ばかり苛々してね」

老人「それは薬では駄目ですよ。信者になる気はありませんか?」

芥川「若し僕でもなれるものなら…」

老人「何も難しいことはないのです。唯神を信じ、神の子、キリストを信じ、キリストの行った奇跡を信じさえすれば…」

芥川「悪魔を信じることは出来ますがね。…」

老人「ではなぜ神を信じないのです?若し影を信じるならば、光を信じずにはいられないでしょう?」

芥川「しかし光のない暗もあるでしょう」


回想録〜介護施設

綺麗な歳のとり方をしはって、だから、これだけ品のある老人になれはったんやろなあ〜。などと、ほのぼのと、感慨深く思わせてくれる老人も中にはいたはいたが、それはほんの一握りであって、大半は、「早よくたばれや!ボケ!」と思わざるを得ない、待てど暮らせどお迎えの来ない、悲しい老人ばかりであったと記憶している。

「だって、お年寄りって可愛いやん!」仕事の良くできる介護士に限って、口癖のように言っていたが、私は、その「可愛い」って表現、いかがなものかと、ずっと思っていた。
あんなもの、どう考えても可愛いかないし、「可愛い」などという表現は、どう考えても、失礼だろうとずっと思っていた。


表現者の破棄義務

人間にとって、『排泄』という行為は恥ずかしいことで、これは、『食事』についても同じことが言えて、人間は無意識的に、「食べる」という行為を恥ずかしいことだと感じているようであるが、私の個人的見解でさらに言うと、人間は、『表現』という行為についても、恥ずかしいと感じるように出来ているらしいのである。
例えば、歌を歌う時に、腹式呼吸が出来ず、なかなか大きな声を出せない人がいるが、あれは完全に羞恥心の問題である。無意識下に、無意識下ではあるが強烈に、「恥ずかしい」と思う気持ちがあって、その影響を受けて、身体が萎縮してしまっているのである。

表現ということで言えば、この『ブログ』というものもまた表現で、したがって、当然の如くに羞恥心の問題が絡んでくるのであるが、先述の「歌」と同じように、ブログの、表現の、良し悪し、出来不出来、面白い面白くないは、この羞恥心に打ち克てるかどうかにかかっていると思われる。実際、私は、羞恥心の絡み付いている、いつまで経っても更新されない、当たり障りのないブログなど、読みたくもない。

このように、表現者にとって、羞恥心などというものは、無用の長物以外の何物でもないのであるが、私は、その点、大丈夫過ぎるくらいに大丈夫である。表現者として、まずクリアしておかねばならないハードルを、余裕で飛び越えてしまっている。言い換えれば、私は、表現するということに於いて、救い難く羞恥心に乏しい人間なのである。が、その一方で、普段、言いたいことを素直に言えているかと言うと、まったくもってそうではないので、なんだか、実にややこしい人間なのである。


子供と神様

幼い子供に、数え切れないほどの積木を与えて、山を作らせる。そうして、ある程度積み上げたところで、今度は、これをめちゃくちゃに破壊させる。それから、「じゃ、もう一度、さっきと同じ高さの山を作ってくださ〜い!」と言って、もう一度山を作らせたら、最初の山よりも高い山が出来上がる確率が高いのか、低い山が出来上がる確率が高いのか。

もし、高い山が出来上がる確率が高いようであれば、我が人生にも、まだまだ期待が持てる。


或る友人へ

あんた、私の友人、長く精神を病んでいて、こちらからの音信が途絶えると、すぐに連絡先を変えてしまう人がいる。

気持ちは、わかる。何もかもクソっ喰らえ!なその感じ、めちゃくちゃよくわかるし、引きこもること自体は、人間、時に必要で、それが短かろうが長かろうが、全っ然悪いことだとは思わないけれども、でも、それは、そのやり方は、あんたを本当に友人だと思っている人たちを傷付けてるよ、と言いたい。

引きこもっていても、見る目があるのなら、見ようとして欲しい。聞く耳があるのなら、聞こうとして欲しい。

世の中には、見る目がなくて見えていない奴や、聞く耳を持たず聞こえていない奴が山ほどいて、そんな馬鹿に限って、馬鹿だから、不自然なくらいに肩で風切って、我が物顔に世間を闊歩しておりますが、あんたにはちゃんと見えてるんでしょ?聞こえてるんでしょ?だからこそ、病んでしまったんでしょ?

この文章を、読んでくれていることを心から祈ります。きっと、あんたはこれを読んでくれているはずで、この文章があんたに宛てた文章であることにも、すぐに気付いてくれるはずです。

言っておきますが、私はそもそも、愚鈍野郎は相手にしないし、ましてや、「友人」などと呼ぶつもりは微塵もないので、その辺考慮の上、是非とも、自信、持ってください。


愚の骨頂願望

性別は二種。
血液型は四種。
星座は十二種。

「人間を4パターンで割り切るな!ボケ!」と私は、常に、血液型占い好きに言ってきた。同様に、星座占い好きには、「人間を12パターンで割り切るな!あほんだら!」と言ってきた。しかしながら…。

男性不信―わかる。めちゃくちゃわかるけれども…。
女性不信―私にとって、今や、事実。事実だけれども…。

人間をたった2つのパターンで割り切るというのは、血液型占い好きや、星座占い好きを馬鹿にする資格のない、愚の骨頂のような気がしてきたような気がしないでもない。が、この先ずっと、あえて、愚の骨頂でいたいという気がしないでもない。


自分勝手のススメ

「自分勝手」というのは、決して悪いことではない。

チームプレーに自分勝手な奴は要らないとよく言うが、あれは、突き詰めて考えれば、完全な嘘である。
音楽に於ける、コーラス。いわゆる「ハモる」という技術は、自分勝手な奴じゃないとできない。自分勝手じゃないと、他人の音が気になって、自分の音を外してしまう。
『我が道を行く』奴が、奇跡的に、絶妙に絡み合った場合を、本当のチームプレーというのであって、チームの中に一人でも、他人を立てようという気持ちを優先させる奴がいたとすれば、それは、一見うまくいってるようでも、突き詰めて考えれば、チーム全体としては、たかが知れているのである。


女よりも好きなロックアルバムBest10(順不同)[2011.4 .22版]

*ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!/ザ・ビートルズ
*ビィ・ヒア・ナウ/オアシス
*フーズ・ベター・フーズ・ベスト/ザ・フー
*村八分ライブ+2/村八分
*メインストリートのならず者/ザ・ローリングストーンズ
*原子爆弾解体新書/U2
*ウォーニング/グリーン・デイ
*噂/フリートウッド・マック
*バンドワゴネスク/ティーンエイジ・ファンクラブ
*フィジカル・グラフィティ/レッド・ツェッペリン