人間社会のジェットストリーム

電車、船、飛行機―これら公共交通機関の中で、利用する際に、我々が最も生命の危険を感じるのは飛行機である。「墜落したら終わりだ」と思う。しかし実際は、これら公共交通機関の中で、最も事故る確率が低く、安全なのは飛行機だそうである。にも関わらず、何故、電車や船に乗る時には感じない命懸け感を、飛行機に乗る時には感じるのかというと、これは、飛行機事故のインパクトが、電車や船の事故のインパクトよりもはるかに大きいからだと思われる。電車や船の事故の報道を五回見て受けるインパクトよりも、飛行機事故の報道を一回見て受けるインパクトの方が大きいからだと思われる。しかしながら、先程も申し上げたように、本当は飛行機が最も安全なのである。

で、何が言いたいのかというと、私は本当は、人間の大半は「いい人」だと思っているということを言いたいのである。私は本当は、人間の8割方は、頭の良し悪しは別として、基本的に「善人」だと思っているのである。にも関わらず、何故、自分は人間好きであると公言できないばかりでなく、人間嫌いを公言して憚らないのかというと、残りの2割の、ゴミのような人間から受けるインパクトが、8割の「いい人」から受けるインパクトよりもはるかに大きいからだと思われる。

ゴミのような人間と接して受ける絶望感は、飛行機事故の報道から受ける絶望感ととてもよく似ている。爆発的なインパクトが全てを呑み込んで、一瞬にしてトラウマのようなものが自分の中に出来上がってしまう。したがって、ゴミのような人間と接点をもってしまった時、その瞬間のことを、「事故」と呼んでも差し支えなかろうと思う。

飛行機に乗るなら覚悟が必要だ。一種の諦めが必要だ。同様に、人間社会という飛行機に乗る際にも、覚悟や諦めが必要だ。ジタバタしても始まらない。「事故ったらどうしよう…」なんてことをずっと思ってたんじゃ身がもたない。緊張と恐怖のあまり、事故ってもいないのに、シートに腰掛けた状態で口から泡吹いて死んでたんじゃ情けないよ。

ま、俺、飛行機乗ったことないんやけどね。


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