伊丹愛に溢れて

伊丹人には伊丹人の「伊丹人気質」というものがあって、私はやっぱり、これが一番しっくりくる。
伊丹人には、「ま、俺(私)、言うても田舎者やから」という部分があって、これが大阪人や神戸人にはない、伊丹人特有の愛嬌と優しさと品に繋がっているように思う。

大阪人というのは、私に言わせれば、みんな、基本的にヤンキーである。男女を問わず、気質そのものが、良い意味でも悪い意味でも、ヤンキーである。商人のプライドを笑いで割ったらヤンキーになった―という感じである。

一方、神戸人は、プライドの塊である。そして、このプライドを笑いなどで割る気が一切ない。プライドを純和風的に飾る京都人に対して、神戸人は自らのプライドを西洋的に飾る。大阪人が良くも悪くも男性的であるのに対して、神戸人は良くも悪くも女性的であるから、神戸の男は見ていてちょっとイライラする。

伊丹人気質というのは、要するに、大阪人気質と神戸人気質の中間である。大阪人ほどヤンキーではないし、神戸人ほどエレガントでもない。でも、大阪人よりエレガントで、神戸人よりヤンキー。そこへ、「自分は田舎者」というコンプレックスが絡んでくるので、伊丹人というのは、非常に面白い人種である。

だから、伊丹人が最も苦手とする近隣住民は、京都人ではないかと思う。京都人のプライドは、あれは、なんだかよくわからん。妙に鼻につく。腹立つ。
伊丹人の中に、あいつらと近しい要素をまるで認めることができない。あいつら京都人は、あれは、たぶん、外人だろう。

だいたい、昔から、「京美人」などと言って、京都には美人が多いなどというが、私に言わせれば、京美人などというものは、神戸美人の足元にも及ばない。ま、伊丹美人は、京美人の足元にも及ばんが…。
でも、でも、たまにいるよ。もの凄い美人が!隣の宝塚に行けば。

そんなこんなで、私はやっぱり伊丹が、伊丹人が大好きだ。


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