臨機応変隠蔽工作

例えば私は、男の割に結構高い声が出る。昔は、歌うたいとして、この高い声こそが私の最大の武器だと捉えていた。でも最近は、出来る限り、この高い声を抑えるように心掛けている。確かに、高い声は出る。出せるが、あくまで「出せる」というだけの話であって、その声が音色として魅力的かどうかと言えば、決して魅力的ではないと私自身が判断したからだ。

自分の持っているものやできることを、持っていたりできたりするという理由だけで、ひたすら盲目的に自分の「売り」にしてしまうというのは、何か違う気がする。
「持っている」ということや、「できる」ということ自体に重点を置くのではなく、あくまで、「何を」持っているのか、「何が」できるのかということに重点を置いて、そして、その「何」の質について、取り扱い方について、時間をかけてじっくり考えてみるべきなのではないだろうか。

私が高い声を抑えることにしたのは、何を一番大切にすべきかを考えた時に、「音楽そのものだ」という結論に達したからで、もし私が一番大切にすべきものに、「自己主張」を持ってきていたとしたら、私は今だに、耳障りな金切り声を多用する歌うたいのままだっただろうと思う。

私は別に、持っているものやできることを捨てろと言っているのではない。その持っているものやできることが、そんなに効果的ではないと、魅力的ではないと判断した場合には、潔くこれを隠してみてはどうかと提案しているのである。表には出さないが、物自体はちゃんとそこにあって、必要とあらばいつでも取り出せるようにしておけば良いんじゃないか、と。

「乳がデカい!」というのは、これはもう問答無用に武器である。しかしながら、武器であるからといって、常に乳露出度の高い服を着ておれば良いというものでもなかろうし、だいいち、そんな服を常時、冠婚葬祭いかなるシチュエーションに於いても着ておったのでは、完全に「頭の悪い人」みたいになってしまうし、それはもう、我がの武器に溺れて、自爆してしまっているようなものなのである。

デカい乳は隠しても隠しきれるものではない。その隠しきれるものではないものをあえて隠そうとするところに、魅力的なものを魅力的たらしめる技術と品のようなものがあるのではないだろうか。

私は一体、何が言いたいのだろうか。


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