反動体

一度は堕ちた自分の人生を、マイナスからゼロに戻したい一心で、攻めの姿勢をとった。その時、一気にプラスにまで持っていきたいだなんて、そんな図々しいことは一切考えなかった。ただ、あまりに攻めることに固執し過ぎて、攻めて手に入れたものを維持するということに神経が回らなかった。

手に入れたもの―それぞれが具体的に何なのかはあえて言わないけども、三つ、あった。
三つのうち一つは今にも失いそうで、一つは、失ってしまった。残る一つを何としても維持しないといけない。

最近の私の、自分でも制御困難な怒りは、不満からきているというより、不安からきている。「失う」ということへの恐怖心からきている。

「何とかしないと」と気ばかり焦って、気が気じゃなくて、自分の不甲斐なさを見境なく他人への怒りに転化して…。

今、頭の中にある言葉は、「ごめん」と、「悪かった」と、「申し訳なかった」と、それから、それから、「許してくれ」と…。

これから先、出来る限り長く、この気持ちを持続させたい。させたいけど、そうすると、跳ね返さなきゃどうにもならないものを跳ね返せなくなるだろうから、やっぱりまた、怒りに頼らざるを得なくなるだろうことを思うと、情けないし、悲しい。でも、私は本当に、救い難いアホで、他に方法を知らないんだから、仕方がない…。


2件のコメント

  1. あたらしいあさがきたにゃ。
    きぼうのあさにゃ。
    「いっけいさま。おにゃすみにゃさい」

  2. 怒りね。難しいですね。相手に?自分に?相手になら、なぜ相手に怒りがあるかな?私の経験だと思いますが言葉に、すると。相手を羨ましいコンプレックスや、自分への焦り。傷付られた自分の存在意義『邪魔・退いて・無視する』イジメなどね。コンプレックスは、相手に怒り自分に苛立つだろし。努力も出来るコトをしなければ自滅だ。自己管理不足と、上を見ればムリをし壊れる。心も体も病んでしまう。自分を責め焦り、傷ず突ける。自分の存在意義を求める。少し見ている考え方変えて、環境はとは親・友人誰か人が側にいてる。特定の人じゃない場合あるが、誰かいる。感謝しなければね。

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