俺は結構、自分で書いた曲をボツにするタイプで、まあ大概は制作段階でそうするのだが、それでも現段階でジャスト40曲、手元にある。
ボツになるものと、生き残るものとの違いはまず第一に「曲の成り立ちに魔法が起きているかいないか」ということである。例えば俺は詞を曲の冒頭から順に書いていくタイプなのだが、大抵の場合、曲の最後部を書いている頃には冒頭で何を書いたのか忘れてしまっている。にも関わらず完成後読み返してみると冒頭に置いた言葉と、曲の最後部に置いた言葉が絶妙に噛み合っていたりすることが稀にあって、こんな時、俺は「この曲は生まれてくる運命やったんやな」と解釈して、そんなこんなをメルヘンチックに「魔法」とよんでいる。
第二の基準は「書いた時の記憶が残っているかいないか」である。自分で書いておきながら、いつ、どこで、どのくらい時間をかけて書いたのかを全く思いだせない曲というのがこれまた稀にあって、こういうのは俺は絶対にボツにしない。「なんで?」と聞かれても答えに困るが、何と言うか、その〜、作り手である俺を経由せずに勝手に生まれた感じが神秘的というか、キリストは処女から生まれたというか、とにかく、自分でもよくわからない感じがイケてる。「魔法だ!」と感じるのである。
先日、U2のボノが「音楽にとって一番大切な要素は?」との問いに一言、「魔法」と答えていた。
というわけで、魔法というものは本やスクリーンの中だけのものじゃなくて、現実に、人間生きていれば起こりうる、起こせるものだと思う。これは「奇跡」にも同じことが言えて、例えばバンドという形態。素晴らしいバンドというのはどう考えても奇跡の産物である。前述のU2もそうだし、ビートルズなんてあからさまに神がかっていて、神様の隠れようとする姿勢がまるで感じられない。
アルファベッツは奇跡だったし、「ストーカー」は魔法だ。
この先、再び俺は奇跡や魔法を起せるのだろうか。もし起こせるのなら、今、何をすべきなのだろうか。またまた「急がば回れ」的な道を辿らねばならんのだろうか。誰か近道を教えてくんろ。
魔法と奇跡
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仕事・名声・お金・の近道?
音楽やアートは自由・美しく儚い・人間そのもの、芸術は人の心を表現する一つ!だから、時には弱く儚い、醜いく悲しくそれが、強く優しく生まれると思う。
とりあえず今まで生きてきた中ではっきりと言える教訓は
「ただ待っててもそこに何もない」こと。
奇跡や魔法は待った中で降ってくるもんではなく
歩いた先におとずれるもの、、、
俺の人生もしかり、待ってたら時間が過ぎるだけ、
思い切って歩いてみたら結構悪いことはない。