大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

2009年4月アーカイブ

はっきり言って、最近の俺は俺じゃない。「楽しい!」と思える瞬間が無い。笑えない。生活全体が「窮屈」の一言だ。

ただ、そんな中で唯一、俺を少しだけ、でも確実に浮遊させてくれる存在がある。それは、皆さんご存知だろうか?或いは、覚えておられるだろうか?「トライセラトップス」というバンドの音楽である。

元々、彼らの音楽は大好きだった。1st〜3rdは本当に良く聴いてたし、特に2ndは俺の好きな邦楽アルバムBEST5からすべり落ちたことがない。

先日、彼らの最近のアルバムが2枚、近所のレンタル屋でレンタル落ちで売ってたので買って聴いてみたらこれが本当に素晴らしかったので驚いた。

不動のメンバーで10年以上やってきたことの凄み。3ピースで出す音へのこだわりがもの凄い。余計な音が一切無い。和田唱の作曲能力も格段に深化してるし、俺がトライセラトップスの弱点だと思っていた「詞」も今や全然弱点じゃない。唯一、いまだに弱点と言えるのはジャケットのデザインくらいである。

一般的にはトライセラトップスの弱点は「メンバーに華がない」ことだと言われている。実際、フロントマンである和田唱は才能には定評があるがスター性やカリスマ性に乏しいし、ベーシスト林は常に口が半開きだし、ドラマー吉田は地味が服を着ているような感じである。でも、ことトライセラトップスというバンドに関してはそれでいい、それがいいんだと思う。彼らには物凄く真面目で、物凄く腕の立つ「職人」としての魅力があると思う。周りからの期待を絶妙な形で裏切り続けることを生業とする芸術家然とした魅力ではなく、周りからの期待に確実に応えながら着実に腕を上げていく職人としての魅力がトライセラトップスにはあると思う。「職人的芸術家」みたいなものにもう少し世の中の需要が高まれば彼らはもっともっと売れると思う。





実は数ヵ月前、剣吾くんと飲んでいた際に「もう一回一緒に音楽やろか」ってな話になった。そしてその時に、じゃ、もしまた一緒に音楽をやるとして、路線、姿勢をどうするのかという話になって、お互いに一致した展望が「地味でもええから、地道に長いスパンでただただ良い音楽をやっていこう」であった。

もしまた俺と剣吾くんが一緒に音を出す時が来たら、それは物凄く職人的なものになるだろうと思う。ずっとずっと解散せず、ただただ良い音楽を生み出すことのみに穏やかな情熱の火花を散らし続ける、そんなバンドになると思う。

音楽を聴く。聴いている。というのは、コンポの前に好きな飲み物でも持参して、コンポと向かい合って座り、まるで音楽相手に対局でもしておるかのような姿勢でもって、全神経を集中して、出来る限り大きな音で聴くことを言うのであって、何か別のことをしながらBGM的に音楽を流している状態や、ウォークマン的なものでその場しのぎ的に、音との距離感など全く考慮せず、音楽と接しているような状態は音楽を聴く。聴いている。とは言わないのである。

これを、こんな基本的なことを、こんな重要なことをわかっていない人のどれだけ多いことか...。

本当の映画好きは出来る限りデカいスクリーン、デカい音で映画を見たいと思うものだろう。そうやって、出来る限り自らを映画の世界に埋没させたいと願うものだろう。「携帯で映画?ふざけんな!」だろう。

音楽から何かしら得ようと思うのなら、音楽の中に自らを浮かべて日々の疲れや苦悩から解放されたいと願うのなら、ちゃんと、正しい姿勢で音楽と接するべきだと思う。「礼儀」という言葉は対人間の場合にのみ使われるものじゃない。人間にしろ音楽にしろ、自分に何かしら教えてくれたり与えてくれたりする存在に対しては、礼儀をもって接するのが当然だと、俺は思う。

昔、11歳上の友人兼ソングライターが自身の曲「裸のランチ」の中でこう歌っていた。ギターソロに入る直前にこう叫んでいた。

「調子いい時だけ優しい気持ち」

素晴らしいフレーズだと思う。

俺は基本的に人間というものが大好きだ。これは間違いない。でも、だから、人間ほどガッカリさせられるものはないし大嫌いなものもない。

もう本当になんとかしてくれ!!

俺が世界で一番嫌いなもの。これに関しては考えようが考えまいが同じ答えが出てくる。

「言葉」です。

子供の時から死ぬほど嫌いです。

メロディに乗せたり、紙の上に乗せたりするとめちゃくちゃ魅力的だったりするのに、会話、意思伝達の手段としての「言葉」となるともう本当に救いようがない。貴重な時間を割いて喋り倒したところで結局何にも伝わんないし、最悪の場合には伝えようとしたこととは真逆のことが伝わって、目の前の相手が何だかよくわかんないけど激怒していたりしてもうホントどうしようもない。

ある日突然世の中がミュージカルタッチになってくれたらなあ、と思う。あるいはある日突然世の中の意思伝達手段が筆談のみになったらなあ、と思う。何か伝えようとするたびに歌わねばならなかったり、書かねばならなかったりしたら、俺は結構な弁士になれると思うし、そうなれば、今まで言葉を操るということに関して根拠なく自信満々で、ことあるごとに声を荒げたりまくし立てたりしてきた奴等の鼻をへし折って、汚物だらけのゴミ箱に投げ棄ててやるのになあ、と思う。

言葉なんて死ねばいい。言葉の無い世界で歌を歌ったり、文章を書いたり、絵を描いたりして生きることができたら最高だ。

音楽が死ぬほど好きな人は、知らず知らずの内に数え切れないほどのレコードを聴くわけです。で、あれもこれもあんな要素やこんな要素に関して好き!みたいなことになって、「世界で一番好きな曲は?」と尋ねられても「一曲に絞れってか!?無理!」と、なるわけです。で、これは「夢、叶えてよ」に寄せられたボーンヘッドさんからの二度目の質問に対する答えにもなるかなと思うんですが、例えば、何故俺は、和田一憩は、オアシスが世界で一番好きなのか?何故、ビートルズよりもオアシスの方が好きだと言い切れるのかということ。これはもう「ビートルズ以上に俺のDNAに響くから」としか言いようがないわけです。わからない人にはわからない。わかる人にはわかる。分析なんていくらでもできるし、言葉を積めと言われればいくらでも積めるし、自分の本当に好きなものに関して語るというのは本当に楽しいことやけど、そんなのはもはや意味がない。ってなくらい好き!ってのが音楽を死ぬほど好きな人間にとって「一番好き!」と言えるバンドでありアーティストなわけです。

で、そんなこんなを踏まえてあえて今回語ろうかなと思うのが俺の「世界で一番好きな曲」です。これはもう本当にDNAの問題で、頭で考えてどうのこうのではないし、頭で考えたらきっと間違えた答えが出てくる。だからあえて考えず、分析せず..。

俺が世界で一番好きな曲はストーンズの『ルビーチューズデイ』みたいです。何故この曲なのかというと、ストーンズが初来日したのが俺が中1の時。で、その時から現在に至るまで十数年来ずっと、毎日、たぶん1日として欠かさず、気が付けば口ずさんでしまっている曲がこの『ルビーチューズデイ』なのです。これは自分でも不思議な現象で、昨日も一昨日も気が付けば口ずさんでました。サビ部と、曲の締めくくり、一番最後の部分のメロディが俺は本当に好きらしく、俺の核的な部分、それこそDNAの部分に響いているらしいのです。





ストーンズ初来日。ライヴの模様は民放で放送されて、俺はこれを見て一生音楽をやっていくことを決心しました。『ルビーチューズデイ』はライヴ中盤で演奏されて、サビ部ではキースが恍惚の表情を浮かべつつ、渋過ぎる声でコーラスをキメ、曲の最後部ではミックがクルッと後ろを向き、ゆっくりとチャーリーのいるステージ後部に歩いていき、ミックの動きに合わせるようにしっとりと照明が落ちていきました。

昨日のことのように覚えています(涙)

〈1〉山の天気は変わりやすい。

〈2〉にも関わらず?だから?綱渡り師の彼は次なる表現の場を山の上の方、上の上の方、濃過ぎる霧が立ち込め過ぎていて、下界から完全に隔離されている山の上の上の方に決めた。

〈3〉つい先日まで、彼は下界において世にも珍しい「ギター綱渡り師」であった。長い棒の代わりにギターを、仏壇にお供え物を捧げる時の格好で持ち、「我が将来に不安無し!みたいな」とでも言いたげな緩んだ表情を浮かべて、地上2Mという、羞恥心があれば絶対に「綱渡り師」を名乗れない低い位置に張った綱を渡り歩いていた。

〈4〉ある日、「絶望的過小評価」とバックプリントされたヨレヨレのTシャツを着た彼は熱烈な恋に落ちた。ルックスが良いわけでもなければ、恋のテクニックに長けているわけでもないことを痛いほど自覚している彼は持ち前の「気合」、彼が言うところの「綱渡り師のプライド」に全てを賭けてその女子に全てを打ち明けた。するとその女子はとっさにしゃがみ込み、カバンから24色のクレヨンを取り出すと黒のみを使って「失敬な!」と自分の額になぐり書いてから「アンタ、自分の足元見たことあんの?」とまくし立てた。女子的には目の前に立ってプルプル震えている絶望的過小評価男の経済的なこと、社会的なことに言及したつもりであったが、なにを思ったかその男は「地上2Mはさすがに低すぎたか!」と思い、悔い、赤面して、「君はバーミヤンでベン・ジョンソンを見たことがあるかい?俺はない!」と喉が破れんばかりに叫んでその場を走り去り、翌日にはあの山の上の上の方に行くことを決心したのである。

〈5〉もはや彼にギターは必要なかった。「どうせ誰も見てねえんだから」と呟いて、山の麓の質屋に赴いてギターを売り、売った金で買えるだけビールを買うと、昔、リサイクルショップで買った台湾製冷蔵庫に詰め込んでこれを背負い、山を登り始めた。

〈6〉下界が遠退いていく。自分が自分から遠退いていく。

〈7〉「なあアンタ、もうこれ以上は登山不可」と、五・七・五のリズムで書かれた看板の所にたどり着いたのは、彼が山を登り始めてから3日後のことだった。そして3日間、彼の生命を支えたのは他でもない、ビールであった。ぬるいビールであった。ぬるいサッポロビールであった。彼にとって、それは今や嗜好品ではなく、紛れもない「生命の水」であって、ぬるい冷たいを論じている場合ではなく、無人の山奥に電源的な物が無いことなど少し考えればわかりそうなものを、無計画に台湾製冷蔵庫を背負ってきた誤算中の誤算など彼にはもうどうでもいいことだった。

〈8〉目下奈落の底。

〈9〉つい先日まで地上2Mだった男は、たった3日で、地上何メートルだかよくわからない男、彼が言うところの「孤高のレイニーウルフ〜そして夏〜」へと出世していた。

〈10〉目の前にピンと張った縄に手をかけて奈落の底を覗き込むと、闇の中の闇、底の底の方から繁華街の愉しそうな音が聞こえてくる気がして、全身がウズウズイライラしたが、もはや彼に下山という選択肢はなかった。

〈11〉「今、俺は全てを見下ろしている。あのシッケーナさえも!」みたいなことを思うんだろうな普通。俺の立場なら。と彼は思った。が、今の彼にはそんな子供染みた想像力にまかせた陳腐な優越感に浸っている余裕などなかった。彼は綱渡り師であって、綱渡りをする為にここまでやって来たのだから、本当なら今すぐにでも綱の上に記念すべき第一歩を踏み出さねばならない。しかしながら目下奈落の底。地上何メートルだかわからない。落ちたら確実に死ぬ。彼の心は恐怖でパンパンに膨れ上がっていた。

〈12〉「この恐怖に打ち勝つには..」呟いて一つため息をつき、煙草に火をつけようとしてやめて、ビールを口に運ぼうとした瞬間、彼は「これだ!」と思った。

〈13〉幸い、持参した台湾製冷蔵庫にはまだ20本ほどビールが残っている。まず台湾製冷蔵庫を背負い、左右の手にビールを持ち綱の上に乗る。そうやってバランスを取りながら進み、恐怖心が出てきたらその都度右手のビール、左手のビール、右手のビール、左手のビール、と交互に口にして恐怖心をスルー&スルーする。そうこうするうちに俺は向こう側にたどり着いて、綱渡り師として、男としてグッとスケールアップして下山、シッケーナのもとへ。

〈14〉極短期間の内に驚くべき出世を遂げた俺を見て、涙、涙、涙のシッケーナが言う「足元が見えない。貴方の足元が見えないわ!」そして俺はとどめを刺す。無知だったとは言え、一度は運命の人=俺を罵倒したシッケーナを狂おしき自責の念から救うべく、俺は威風堂々とこう言うのだ。「俺は君をメガデス!」

〈15〉「はっきり言って完璧。非の打ち所がない。ははは、そうかそういうことだったのか。サンクスゴッド!」歌うように言いながら彼は喜び勇んで綱渡りの準備を始めた。

〈16〉雨がやんだ。

〈17〉冷蔵庫を背負い、両手にビールを持ち、プロ意識に火を灯すと彼は記念すべき第一歩を縄の上に置いた。

〈18〉踏み外した。

〈19〉彼は叫んだ。

〈20〉「モンプチ!」

〈21〉曇天。下界ではシッケーナが天丼をむさぼり食っている。そんな午後の出来事であった。

今、書店に並んでる雑誌『AERA』の表紙を是非とも見ていただきたい。

表紙だけで380円の価値アリ。俺は貧乏なので1冊しか買えなかったが、金に余裕があれば間違いなく5冊は買ってる。そのくらい素晴らしい写真。金に余裕のある方はへらへら笑いながら100冊ほど買っちゃってください。で、俺に80冊ほどください。

待ってます。

お答えします。

アルファベッツが再結成する確率は、各メンバーの再結成願望が一人当たり3%ぐらいはあるだろう、0%ではないだろうと推測して、9%ぐらいかなと思います。要するに、現段階においては絶望的に難しいことだろうと考えております。

ただ、俺は「再結成」というものに対して、否定的な考えの持ち主ではありません。例えば、賛否両論の嵐だったピストルズの再結成も俺は大賛成でしたし、それはツェッペリンの再結成に関しても全く同じ考えでした。そして、本音を言うと「死ぬまでにもう一度、アルファベッツでライヴをしたい!」とは思っています。結構強く、祈るように思っています。が、あくまでも「死ぬまでに」であって、「今」となるとその願望度は冒頭にもあるように3%くらいかな、と思います。



これに関しては、剣吾くんの考えも聞いてみたい気がします。13号さんも聞いてみたいでしょ?じゃ、剣吾くんにここにコメントを入れてもらいましょうか。というわけで、剣吾くん、よろしくお願いします。

お答えします。

まずビートルズに関して言うと、やはりビートルズは主食、「ご飯」かと。だってビートルズほど「好き嫌い」で語られることのないバンドって他にいないでしょう。それに、ビートルズはお経からインド音楽にいたるまで、ありとあらゆる角度からの影響を受けて、これを消化、ことごとく自らの物にしたわけですが、それはご飯にも同じことが言えます。考えてもみてください。世に「〇〇ご飯」という名の料理がいかに多く存在することか。そして、さすがは主食。どんな食材と掛け合わせても呼び名は「〇〇ご飯」で、「ご飯」は必ず他食材「〇〇」の後に表記されるわけです。ということは「〇〇ご飯」の主体はあくまでご飯なわけで、要するにごはんが〇〇を消化、吸収、自らの物にしていると考えられるわけです。

というわけで、ビートルズは間違いなく「米」です。

次にストーンズですが、ストーンズを食べ物に例える際に最も考慮すべき点はやはり「いかに酒に合うか」であり、「いかにブルースか」という点でしょう。ブルースな食べ物といえば「焼き鳥」これしかないでしょう。庶民的だが奥深く、追求すればキリがない。さらに言えば、焼き鳥屋でよく「〇〇年変わらぬ味」とか「秘伝のタレ使用」とかいうフレーズを見掛けますが、歴史の重みが魅力的に作用するあたりストーンズだし、チャーリーのドラム、キースのギター、ミックの唇は完全に「秘伝のタレ」に該当するものです。

というわけで、ストーンズは間違いなく「焼き鳥」です。

最後にホリーズですが、ホリーズといえばやはりサイケ期のカラフルな衣装と、カラフルなコーラスワーク、そして極めて快活でキャッチーなメロディが魅力です。もうお分かりですね?そう、ホリーズは「ピザ」です。味、見た目ともに極めてカラフルで、大人、子供を問わず胸踊るテイスト。この「子供も胸踊る」というのがホリーズの場合肝心な要素で、いわばストーンズにおける「ブルース」の逆をいかんとイカンわけですね。

というわけで、ホリーズは間違いなく「ピザ」です。



ボーンヘッドさん、お分かりいただけたでしょうか?ちなみに、これは余談ですがあなたは「ゆで玉子」です。

子供の頃にも「小さな夢」の一つや二つはあったと思う。例えば「プロ野球選手になりたい」というのが「大きな夢」であるのに対して「イカの塩辛を腹一杯食べたい」というのは「小さな夢」であったと言える。で、この「小さな夢」は大人になっても一つや二つはあるものである。俺に関して言えばそれは「CDの大人買い」であり、さらに言えば「インタビューを受けてみたい」である。



そこで今回、読者の皆さんにご協力を賜って、俺のこの小さな小さな夢を叶えてはいただけないだろうかと思っております。早い話が俺に何でもいいからインタビューしていただきたいのです。このブログの「コメント」に本当に何でもいいから俺に対するインタビュー、質問、相談を寄せていただきたいのです。質問、相談の質の浅い深い薄い濃いに関わらず、俺はこの場を借りて必ず、100%答えます。もちろん匿名で結構。大歓迎。よろしくお願いいたします!

ここらで一発、ロックという音楽が本当に好きで、好きで好きで好き過ぎて、ゆえにロックという音楽に結構精通してしまったという極めて残念な人に対してのみ有効な、どんなに言葉を連ねるより有効な、手段を用いて自己紹介をしようと思います。

俺の好きなバンド・アーティストBest10!

こういうのって大概「順不同」やけど、俺の場合は熟考に熟考を重ねてちゃんと順位も付けてある。俺、和田一憩はこんな人間だ。わかる人にはわかり過ぎるほどわかるだろうし、わからん人にはなんのこっちゃさっぱり、ますます分からんだろう。この「DNA」を解析できるのは冒頭でも述べた通り、真にロックという音楽が好きで、好きで好きで好き過ぎて、ゆえにロックという音楽に結構精通してしまったという極めて残念な人のみである。見よ!俺のDNA!





1位/オアシス

2位/ザ・ビートルズ

3位/ザ・ローリング ストーンズ

4位/ティーンエイジ ファンクラブ

5位/ブランキー ジェット シティ(2nd〜4th期の作品と、全キャリアを通しての「ライヴ」に限る)

6位/ザ・ホリーズ(グレアム ナッシュ在籍時の60年代に限る)

7位/村八分

8位/浅田信一〈ex.SMILE〉

9位/フリートウッド マック(リンジーバッキンガム、スティーヴィーニックス、クリスティンマクヴィーの三名が在籍した、いわゆる「黄金期」に限る)

10位/ザ・ブルーハーツ(初期に限る)

10位タイ/U2







は、恥ずかしい...。ポ、ポコチンを見られた心境である。が、これから先、文章を書き進めていく上でこの自己紹介は避けては通れないのである。

狂っている人に「あなたは狂ってますか?」と聞いたところで「はい。私は狂っております!」とは答えてくれないので気をつけた方が良い。

狂人というのは、狂人の存在というのは、決して他人事ではない。ひょっとしたらあなたのめちゃくちゃ近くにいるかもしれない。

あなたは狂ってますか?

皆さんはギャンブルってしますか?俺はナンバースとかロト6とかミニロトを専門にやっております。前述の携帯電話用のレンズを作る工場で働いていた時に、同僚がやっているのを見て「一口200円でドキドキハラハラできるってええな。」と思い、やり始めた次第です。

俺の買い方の特徴は「一度決めた数字を当たるまで買い続ける」ってこと。ロト6は自分の好きなバンド、アーティストにまつわる数字を6つ固定して買い続けてるし、ミニロトはそのレンズ工場で特に親しくしていた4人の誕生日+自分の誕生日をずっと買い続けている。今のところ、ロト6はたまに千円が当たるが、ミニロトはかすりもしない。といった状況が続いております。

そんな中、特筆すべきは「ナンバーズ3」です。「ナンバーズ4」はどう考えても当たりそうにないのではなっから相手にせず、ただただ「3」に賭けておるのですが、これが定期的にしっかり当たるから驚きです。

「3」をやり始めた当初、俺が買い続けた数字は「541」でした。この数字がどっから出てきたのかと言うと、レンズ工場で働いていた時、OLの人で「永田さん」という絶世の美女がいて、この永田さんの内線番号が「541」で、俺はそのレンズ工場を辞めるまでのラスト二週間、同僚に「俺は永田さんに退職金をもらう!」と宣言した上でこの「541」を買い続けたのですが、レンズ工場を辞める寸前でこれが当選。退職金8200円を手にしたのです。さらに、そのレンズ工場を辞めてから新しく就いた職場に向かう途中、結構大きな鉄橋を渡って行くのですが、この鉄橋のちょうど中程に小さく「369」と書いたシールが貼られておるのを発見。この新しい職場ともたったの3ヶ月でオサラバせねばならなくなったこともあり、この数字を退職までの数日間+1日買い続けたところ、昨日、当選。退職金7700円を手にしたのです。

「3」で俺はマイナスを出していない。これはちょっと凄いでしょ。

庶民という言葉が大好きです。自分も含めて、庶民はちょっとしたことで一喜一憂できる。そんな日々。本当に可愛いなあと思うし、たまに可愛いくギャンブルしたってバチは当たらんだろう。

ところで、ちょっとしたギャンブルを楽しむ可愛い庶民に対して「そんなことに運を使うな!」みたいなことをいう人がいるけど皆さんはどう思いますか?ギャンブルで勝つということはイコール、運を使う、削ることだと思いますか?俺はそうは思いません。神様だってたまには微々たるおこずかいくらいくれるでしょう。人生、キッツイキッツイんやから。ただ、ギャンブルで手にしたお金、降ってわいたお金、神様からのおこずかいを全て自分の欲望の為に使うというのはやはりマズイかなとは思います。そうやって手にしたお金の1割でもいいから世の為人の為に使えば、神様の顔を立てることになり、神様も庶民の静脈のごとくにか青白くか細い運には手出しせんだろうと俺は考えております。神様もそこまで極悪ではないだろうというのが俺の希望的結論です。

久しぶりに昔の友人に会うとする。第一声は「おぅ、久しぶり!」みたいなことであるが、二言三言目にくるのは決まって「で、今、仕事何してんの?」である。俺にはこれがよくわからない。何故そんなことを聞くのか。そんなことを聞いてどうしようというのか。もしその時俺が「任天堂で部長をやってる」と答えたら彼は「負けた..」とでも思うのだろうか。もしその時俺が「携帯電話用のレンズを作る工場で外国人と一緒に働いてる」と答えたら彼は「勝った!」みたいなことを思うのだろうか。まあ多分、思うのだろう。何とも嫌な話だ。悲しい。

職業に優劣なんてないだろう。と、俺は常日頃、若干の怒りを込めて思う。営業の仕事も、警備員の仕事も、アパレルの仕事も、鳶の仕事も、ライターの仕事も、交通量調査の仕事もみんな仕事は仕事。正社員であろうが、派遣であろうが、バイトであろうが皆、雇用形態に違いはあれど立派な労働であって、みんな大変で、大変だからゆえに給料が発生している。



ところで、「労働」と呼ばれるものは大きく2つに分けられる。「ホワイトカラー」と呼ばれるスーツにネクタイのオフィスワーク組と、「ブルーカラー」と呼ばれる肉体労働組である。

俺は高校卒業以来、つい先日までずっ〜と工場勤めで、要するにずっ〜と青色。本文冒頭の「携帯電話用のレンズを作る工場で外国人と一緒に働いて」たのは他でもない、俺自身であって、俺はその工場で2年半ほど働いたが、同僚は皆本当に、泣けるほどに、いい奴ばかりだったし、例外はあれど皆、本当に良く働いた。が、俺を含めて皆、どこかに劣等感的なものがあったと思う。極めて自己評価が低く、「白くなり損ねた自分」というか、「白くなれない自分」というか、「自分は世の中の底辺で働いてる」みたいな感じがあって、日々の振る舞いの中にも若干の自暴自棄的なものがチラホラした。皆、自分の仕事に誇りを持てないでいた。

俺は馬鹿にされたことがある。ホワイトカラーの人間にあからさまに馬鹿にされたことがある。工場で働いていることや、工場で「わけのわからん人たち」や外国人と一緒に働いているということに関して馬鹿にされたことがある。

ホワイトカラーの優越感と、ブルーカラーの劣等感。これ、何とかならんのだろうか。

早い話が皆、「貧乏人」じゃないか。

正直、俺のバンド遍歴みたいなもんは〈前編〉と〈後編〉の二話で事足りると思っていた。

完全に誤算だった。

よく考えれば「芸人の美学」から「リプライズ」まで10年以上の時間が経過してるんだから、その間に生まれたエピソードを可能な限りはしょったとしても、ちょっとした「仕事」になるのは当然である。



「人に歴史あり」という言葉が自分みたいなもんにも当てはまるという事実が嬉しい。そして、「歴史」という言葉に「続く」という意味が当然のように含まれておればなお嬉しい。





過去清算終了!

過去に俺や剣吾くんと関わったドラマーは、俺と俺の書いてくる曲の感情を汲み取って、それを音として表現することには長けているが、テクニック的にやや不安定だったり、もしくはその逆パターンだったりしたが、ツージーはその両方、感情とテクニック、という要素において非常にバランスの取れた素晴らしいドラマーであった。その上、通常、サポートメンバーというものはサポートメンバーとしての働きしかしない。要するにあまり「頑張らない」のであるが、ツージーは本当に頑張り屋さんであったので、サポートメンバーとは言え、あっという間にリプライズには欠かせない存在となった。酒が好き。酒と同じくらい下ネタが好き。たまに下ネタが過ぎるたびアビィに「死ね!」と一喝される。が、誰もが認める頑張り屋さん。キャラ的にも文句の付けようがなかった。

俺と剣吾くんとアビィはある取り決めをしていた。ツージーに「正式にメンバーになってもらわれへんやろか?」的発言をするのは、そのタイミングが自然に訪れた時で、お互い、フライングは厳禁な!ということであった。が、ある夜、三宮の高架下の居酒屋で飲んでいる時、俺が豪快にフライング(この瞬間の剣吾くんとアビィの表情を俺は忘れない)、「正式にメンバーになってもらわれへんやろか?」と発言。この時、結果的にツージーが快く受諾してくれたから良かったようなものの、もし断られてたらと思うとゾッとする。剣吾くんとアビィに合わせる顔がない。でも俺に言わせれば、後先のことを考えての告白は告白とは言わないし、奇跡を起こす告白というものは大概後先を考えないものである。

第三期リプライズは試行錯誤につぐ試行錯誤であった。音からステージングにいたるまで試行錯誤を繰り返した。実際、結構良いライヴをやってたと思う。が、何をやっても評価には至らなかった。が、ただただライヴを重ねた。もうそうするより他なかったし、メンバーを変えてどうこうという問題でもなかった。

活動量に対して評価が伴わないとバンドというのは疲弊していく。そんな中、アビィが抜けた。何をするにも俺と剣吾くん主導というのは本当に辛かったと思うし、俺と剣吾くんが相変わらず「アルファベッツ」という過去の存在、評価と戦っている様は、当人としても隠そうとして隠せるものではなかったし、側にいれば肌身に感じて、強烈に疎外感を味わうもんだったと思う。

俺、剣吾くん、ツージーのラインナップから成る第四期リプライズは、そんなこんなを経ながらも結構な数のライヴをこなした。が、やはり評価はついて来なかった。そして、そのことを俺はもう自分の、自分たちのせいにする気はなかった。剣吾くんとツージーは俺よりずっと大人だった。ライヴハウスや他のバンドと本当に上手く関わってくれたし、俺はその上に乗っかってギターを弾き、歌っていた。

俺の中では長い時間をかけて積もり積もったライヴハウスやライヴハウスに足を運ぶ人たちへの不満、怒りが爆発寸前だった。で、ある日、天王寺にある某ライヴハウスに出演した際、自分が歌っている真ん前、足元で数人の女の子が俺が歌っているステージとは逆方向を向いて座り、デカイ声でしゃべっているのを見て「もう終わりだ」と思った(この時の経験が数日後「モナリザ」を生んだ)。その後も何本かライヴをこなしたが、俺の頭の中はもう「ライヴハウス糞っ喰らえ!客糞っ喰らえ!」というフレーズでいっぱいだった。「俺が思ってるほど人は音楽が好きじゃない。どいつもこいつも簡単に「音楽が好き」とかぬかすなボケ!」という怒りでいっぱいだった。

そしてある日の夜、考えに考え抜いた挙げ句「俺、辞めるわ」剣吾くんとツージーに電話で伝えた。解散ライヴはアルファベッツの時同様、素晴らしい出来だった。







そして今、俺、和田一憩32歳。「もし今、何でもできるとしたら何がしたい?」尋ねられたら、俺は迷わず答える。





バ・ン・ド!

「以前、アルファベッツのライヴを見た」というドラマー、よっすぃ〜が突如出現。加入。新バンドリプライズが始動した。アルファベッツ解散からほとんどブランクを経ずにリプライズは誕生した。俺も剣吾くんも本当に「ツイてる!」と思った。何しろ、この新ドラマーよっすぃ〜、グレイトなタイミングで現れてくれただけでなく、亮さんのごとき長身(アルファベッツもリズム隊の二人が長身で、それがどこかニルヴァーナのようで俺は気に入っていた)で、さらに今まで見たことがないほどの凄腕だったのである。「アルファベッツを越えられそうだ。それもあっちゅう間に!」剣吾くんはもう少し冷静だったと思うが、俺はひたすら神に感謝するばかりだった。それからひと月ほどみっちり練習をして、初ライヴに挑んだ。演奏はアルファベッツよりもずっと安定していた。が、それだけだったらしい。俺と剣吾くんの予想を遥かに越えて、ライヴを見に来てくれた人たちは皆、アルファベッツの音、感じを期待していた。「前の方が良かった」という実際の声も聞いたし、声にならない声も聞いた。いきなりつまづいた。正直、この編成でこの後何回ライヴをやったのか、全く思い出せない。

何かしら手を打たねばならなくなった。「キーボード入れたらどうやろ?」剣吾くんの提案だった。俺はギターをもう一人、できれば女の子、を入れたらどうか?と提案していたが、剣吾くんの提案の方が圧倒的に冴えていた。キーボード、鍵盤を入れるということは「音楽史上主義でいく」ということであって、同時にアルファベッツとは全く別物として再スタートが切れるということを意味していたのである。よっすぃ〜は若干「よくわからない」といった顔をしたが、俺は大賛成。何とかよっすぃ〜を説得した。そして以前から顔見知りの腕の立つ鍵盤弾きS氏に加入を打診したがうまくいかず、「一から探そう」というわけで、フライヤーを作成。各方面に貼り出した所、ほどなくして「三宮の楽器屋でフライヤーを見た」という鍵盤弾きの女の子から連絡があり、数日後に加入、リプライズは第二期に突入した。

アビィはリプライズを救った。全く新しい空気をバンドに持ち込んでくれたのだ。まず、テクニック的には抜群だが、ロックという音楽をやるには若干上品過ぎるよっすぃ〜のドラムが、アビィの鍵盤が加わることによってバンドの音全体に優しく馴染むようになった。そして、俺のギターに関しても、鍵盤の音との兼ね合いで音の出し入れが可能になり、自然と曲の骨格、メロディを浮かび上がらせることになったのである。視覚的なものに関しては言わずもがなで、紅一点アビィの存在は「立ちドラマー」以来のインパクトであっ。

第二期リプライズのライヴは結構良かった、と思う。例えば、リプライズはアビィ加入以前から新開地のライヴバー「一番星食堂」で「small ripple」というイベントを主催していたのだが、ここでのアビィお披露目ライヴの出来は本当に素晴らしかった。「化けた!」との声も聞いたし、このライヴの模様を収録したCDは今でも俺の愛聴盤である。

で、それから第二期リプライズはどうなったのか。ここまでこの「一憩のバンド遍歴」を読んでこられた方ならおおよそ見当がつくだろう。そう、よっすぃ〜の脱退である。これに関してはあえて詳細に触れないことにする。あまりに自然な出来事だったので、「流れ」といえばそれで事足りるだろうと思う。

メンツは変われど再び3人になったリプライズは、スタジオでの練習と、神戸の小さな小さなラジオ局への出演等でそれなりに多忙だった。そしてそんな中、「ヘルプ」という形ではあるが、俺と剣吾くんのアルファベッツ時代からの友人「ツージー」が加入。サポートメンバーとして練習に、そしてライヴにも参加してくれることになった。



〜後編!?〜に続く

「ロックスター」解散後、俺は再び伊丹の自室に引きこもった。バイトの時以外は外出せず、「仙人」を自称しつつ曲を書き始めた。「自分の曲を20曲用意しよう。メンバー募集はそれからの話」俺の決意は固かった。そして計画通り自分の持ち曲が20曲に達すると、しっかりじっくり時間をかけてメンバー募集フライヤーを作成。神戸、大阪、伊丹の知りうる限りのスタジオ、楽器屋に貼り出した。

まず大阪の楽器屋「KEY」に貼り出したフライヤーにベーシストから反応があり、次に神戸の中古CD屋「ハックルベリー」に貼り出したフライヤーにドラマーから反応があった。そして数日後、俺のバンド遍歴史上最強と言えるバンド「アルファベッツ」が誕生した。ベーシストは現在このホームページを管理してくれおり、俺の音楽の最強の理解者、平田剣吾(以下 剣吾くん)、その人であり、ドラマーは奇人中の奇人にして、問題行動と問題発言のオアシス、しかしながら曲をアレンジする能力には天才的なものを発揮する男、大辻亮(以下 亮さん)、その人であった。このバンドは、結成当初からとにかく周りからの評価が高かった。本人達の自己評価は実は一貫してかなり謙虚なものだったにも関わらず、周りが騒ぎ立てるので、「そ、そうかなあ」みたいな感じだった。練習は新開地のスタジオで毎回8時間みっちり行い、その新開地を軸に大阪、神戸、京都のライヴハウスを休むことなく転戦して回った。ライヴ中の「少しでも気ぃ抜いたら観客の目ぇ他の二人に持っていかれる」という意識はメンバー全員共通のもので、毎回のライヴがメンバー間の緊迫した戦いだった。ゆえにライヴを重ねる度バンドの演奏力は上昇、アレンジは変貌を繰り返し、気付けば亮さんは立ってドラムを叩く、世にも珍しい「立ちドラマー」になっておるし、かなり稀有で個性的な、何かと変化し続けるバンドになっていった。が、問題は、音楽的にも視覚的にもかなり個性的で、さらに変化し続ける体質が災いしてか、自分達で自分達が何者なのか、何を、どういう要素を売りにすれば良いのかが全くわからなくなってしまったのである。例えば「俺たちはパンクバンドです」とか「僕たちはモッズバンドです」とか、通常、バンドというものはわかりやすいキャッチフレーズ的なものを持っているが、アルファベッツにはそれが「ロックバンド」という実に曖昧な言葉しか当てはまらなくて、自分達のことを人に端的に説明する言葉を持たず、メンバー全員、かなり深く迷宮入りしてしまったのである。

ライヴを続けた。定期的に絶賛の声も聞いた。が、自分達の持ち曲、ほぼ全ての曲に関してアレンジが一転二転三転し続けていつまで経っても安定せず、さらにライヴ動員数はある一定数からいっこうに増えず、しまいにはスタジオでの練習も全く楽しくないといった状況に陥っていまった。練習の日、スタジオに行くとスタジオの前で亮さんが一人で全てを背負い込んだような表情をして座っており、「あれをこうして、これをこうせねばならん」と、無闇やたらに変化を求め出して、俺と剣吾くんはかなりうんざりしていた。亮さんの問題発言、問題行動が頻発するようになってきたこともあり、スタジオで練習することが、「楽しくない」を通り越して、苦痛になっていったのである。

そして結成から一年半ほど経ったある日、亮さんが脱退を表明。剣吾くんは「ちょ、ちょっと待てよ」的発言を少ししたが、俺は自分でも拍子抜けするくらいすんなり亮さんのその言葉を飲んで、アルファベッツは解散となった。

解散ライヴ(俺は今でもこの時の映像をよく見る。はっきり言って最高である)終了後、亮さんは、とある二人組と再び3ピースバンドを結成。俺と剣吾くんは袂を分かたず、バンド名を変えることを前提に、新バンド結成に乗り出した。



〜後編!に続く〜

25番地(仮)脱退後、俺は自作の「日本語」曲を書きためるために、一時、伊丹の自分の部屋に立て籠った。そして10曲ほど書き上げると、幼なじみのH氏に半ば強引にベースを弾くようすすめ、さらにその頃知り合ったばかりのドラマーS子を迎えて、俺史上初の3ピース編成にして、俺のオリジナル曲しか演らない俺主体のバンド「ロックスター」をスタートさせた。が、半ば強引に引き込んだ幼なじみであるベーシストと俺の音楽を「演る」ということへのテンションのズレと、ベーシストとドラマーS子の不仲からこのバンドはたった2回のライヴで解散してしまった。この「ロックスター」時代、俺はライヴの日、リハが終わるやいなや激しい胃痛に襲われて、うずくまったまんま立ち上がれず、酒をたらふく飲んでは緊張、要するに胃痛、をほぐしていたことを昨日のことのように覚えている。曲的には、曲の出来的には、他のバンドに絶対に負けてない自信があるにも関わらず、その他の要素では全く勝てる気がしなかったのである。曲そのものの勝ちが全てだとこの時までは思っていたが、そうではないことをこの時期、痛いほど思い知ったのである。ゆえに、このバンドでの活動、経験、屈辱が後に続く俺のバンド遍歴に対してものすごい力になったと言える。俺自身、この時はまだ、俺の書く曲をバンドで演るということがいかに難しいことなのかを全くわかってなかったし、「アレンジ」というものの魔法に関しても全くの無知だったのである。そういった意味で、この「ロックスター」で表現した俺の曲ってのは極限までプロトタイプであったと言えて、あえて言えば「次」へと続く可能性の塊だったのである。



〜後編?に続く〜

なぜかここで自分のバンド遍歴を書きたくなったので書く。前へ進むための過去清算だ。

俺にとって初めてのバンドは高校3年の時、文化祭に合わせて幼なじみの超絶早弾きギタリストK氏らと組んだ「芸人の美学」であった。バンド名を考えたのは俺で、ディープパープルやイングヴェイなどのメタルを主に演奏していたが、たまにニルヴァーナなども演って、これは俺の要望によるものであった。このバンドはあくまでも文化祭に合わせてのバンドだったので文化祭が終わると同時に解散した。次に組んだのが文化祭のすぐ後に伊丹で行われたバンドフェスティバルに合わせて組んだ「シャビーシェルター」であった。これは文化祭の時に俺の度肝を抜いたヴォーカルの女の子がいて(全校生徒が息を飲んで私語を止めたのを俺は見た)、その女の子からの誘いに乗る形でギター兼ヴォーカルとして参加した。元々はニルヴァーナやホールのカヴァーをやるつもりで始動したが、「せっかくフェスティバルに出るんだから」と、俺が人生初のオリジナル曲を持ち込むなどして、それなりに良い経験になった。フェスティバルでは「観客賞」を受賞したが、俺は最後までこのバンドのバンド名が気に入らなかった。で、このバンドもフェスティバルが終わると即解散。その後、俺は高校を卒業し、高校の真横にあるタンスの部品を製造する会社に就職したが、3ヶ月後の午後、「昼メシ食いに行ってきます」と言って出ていったきり帰らず脱走。数日後、高校時代の友人に誘われるまま富田林へ。大阪芸大に潜り込んで、勝手に授業を受けたり、現地で知り合ったロック馬鹿たちと朝晩を問わず酒を飲み、音楽を聴き、踊って過ごした。そして、19才の終わり頃、芸大生たちへの「お前ら口ばっかりで何にも作らねえじゃねえか!」という幻滅の気持ちと、本格的にバンド活動を開始しよう!との決意から伊丹に戻り、メンバー募集を開始。ほどなくして、某雑誌のメン募で知り合った神戸のバンド「カレーハウス25番地(仮)」に、ギター兼ヴォーカルとして加入した。このバンド、音的にはグランジ〜パワーポップみたいな感じで、英語詞で歌っていて、俺と同じくギターとヴォーカルを担当するリーダーの男は名前を「ピラフ一番(仮)」といった。俺としては「一番(仮)と一憩、ひょっとして運命的出逢い!?」と思う部分もあり、かなり情熱的にこのバンドのメンバーとしてやっていくつもりでいたが、いざやってみると「お前の曲はマイナーコードが多すぎるからマイナーコードを減らせ」だの「お前のギターはカッティングを多用し過ぎてるからカッティングを控えろ」だのわけのわからない注目を付けられた上に、気付けばドラマーに転身させられていて、俺が「俺はドラマーじゃない!」と至極まっとうな主張をするとベーシストが子供のように拗ねたので、「アホか!」となり、計4回ほどライヴをやって俺は人生初の「脱退」を経験したのであった。まあ、俺としても英語で歌うことに疑問を抱き始めていたので、何の未練も無い初めての脱退であった。



〜後編に続く〜

バンドをやってた頃から、ずっと音楽で表現してみたいと思っていた言葉がある。もし今、ギターと丸一日自由な時間がもらえたら、もし今、若かりし日のストーンズみたいに、そのへんの一室にぶち込まれて「曲を書け!」と言われたら、俺は間違いなくその言葉についての曲を書くと思う。

「金」である。「金をくれ!」である。「金、金、金、早い話が金だろう」であって、「同情するなら金正日」である。

ビートルズの2ndの最後に「MONEY」という曲が入っているが、これはレノンが「金をくれ!あほんだらあああ〜!!」と叫び倒している、カヴァー曲とはいえ完全にオリジナルバージョンを凌駕している名曲であって、発表から40年以上経っておるにも関わらず、2009年の現在においても金くれソングの最高峰かと思われる。俺はこの「MONEY」を越える勢いの曲を書きたいと、もう随分前から思っている。何となく頭に浮かんでるのは、コードは一つしか使わず、リズムは大魔人がズシンズシン迫ってくるかのごとくで、詞は「金くれ!」的ワンフレーズの連呼、にも関わらず曲全体を覆うカラーはいたって悲哀。ってな感じである。

世にラヴソングが氾濫しておるのは恋愛というものが人生に深く深く関わっておるからに他ならず、じゃあそれは「金」にも同じことが言えるはずで、前述の「MONEY」のごとき曲を今、日本語で、いまだかつて誰も聴いたことのない独特なトーンで響かせることが出来れば、「待ってました!」とばかりに数多くの人に共感、支持してもらえるはずなのである。みんな、金には泣かされてきたろうし。

まあ、待っていてもらいたい。俺がやる。金を殺ってやる。

何かと問題点の多い俺の脳ミソ、思考回路だが、一点だけ自分でも気に入っている部分があって、それは自分の年齢を全く気にしない、歳をとるということに嫌悪感的なものや、羞恥心的なものがまるでない、という所である。

俺、32歳である。でも精神年齢は間違いなく16才くらいである。しかしながらやはり社会的には32歳なのであるが、しかしながら32年もの歳月を生きてきたにも関わらず、初めての経験とか、初めて体験とかが同年代の奴等と比べて圧倒的に多いらしく、その都度、必要以上に感動しては「ブラボー!」などと心中、叫んでしまったりしているのである。

「じゃあ肉体的衰えに関してはどうなんだ。これは避けて通れんだろう」ってな声もあるかもしらんが、申し訳ない。俺はこれに関しても全く衰えを感じない。むしろ昔より若くなったと感じている。なにしろ俗に「食べ盛り」といわれる中学、高校時代に4人前食ったら吐きそうだった王将の餃子が、今なら5人前くらいなんてこたあない上に、「腹が出る」という現象とも今のところ無縁なのであるからして。



自分自身の「若さ」とか「老い」とかに関する捉え方に関してはまだまだそれこそ若い、大丈夫だと思う。いまだに「うまい棒」をうまい!と思うし、新味が発売されればやや興奮気味にこれを買い、所構わず食うし、実際、先日コンビニでうまい棒の新味「エビマヨネーズ」を発見した際には、考える前に跳べ!とばかりにこれを買って食ったが非常にうまかったので俺は、俺の思う俺の若さは、まだまだ大丈夫であると言える。

俺は結構、自分で書いた曲をボツにするタイプで、まあ大概は制作段階でそうするのだが、それでも現段階でジャスト40曲、手元にある。

ボツになるものと、生き残るものとの違いはまず第一に「曲の成り立ちに魔法が起きているかいないか」ということである。例えば俺は詞を曲の冒頭から順に書いていくタイプなのだが、大抵の場合、曲の最後部を書いている頃には冒頭で何を書いたのか忘れてしまっている。にも関わらず完成後読み返してみると冒頭に置いた言葉と、曲の最後部に置いた言葉が絶妙に噛み合っていたりすることが稀にあって、こんな時、俺は「この曲は生まれてくる運命やったんやな」と解釈して、そんなこんなをメルヘンチックに「魔法」とよんでいる。

第二の基準は「書いた時の記憶が残っているかいないか」である。自分で書いておきながら、いつ、どこで、どのくらい時間をかけて書いたのかを全く思いだせない曲というのがこれまた稀にあって、こういうのは俺は絶対にボツにしない。「なんで?」と聞かれても答えに困るが、何と言うか、その〜、作り手である俺を経由せずに勝手に生まれた感じが神秘的というか、キリストは処女から生まれたというか、とにかく、自分でもよくわからない感じがイケてる。「魔法だ!」と感じるのである。

先日、U2のボノが「音楽にとって一番大切な要素は?」との問いに一言、「魔法」と答えていた。

というわけで、魔法というものは本やスクリーンの中だけのものじゃなくて、現実に、人間生きていれば起こりうる、起こせるものだと思う。これは「奇跡」にも同じことが言えて、例えばバンドという形態。素晴らしいバンドというのはどう考えても奇跡の産物である。前述のU2もそうだし、ビートルズなんてあからさまに神がかっていて、神様の隠れようとする姿勢がまるで感じられない。



アルファベッツは奇跡だったし、「ストーカー」は魔法だ。

この先、再び俺は奇跡や魔法を起せるのだろうか。もし起こせるのなら、今、何をすべきなのだろうか。またまた「急がば回れ」的な道を辿らねばならんのだろうか。誰か近道を教えてくんろ。

昔からよく思うのは「人って本当によくしゃべるなあ」ってこと。俺の目にはみんな、脳と口が直結しているかのように見える。思ったことをその場で、その瞬間に、自信に満ちた顔をしてしゃべってる。で、俺みたいな奴を見つけると「言ってくんなきゃわかんない。プンプン!」みたいなことを言う。「大きなお世話だ、バカ野郎!」とは思うが、その半面、「うらやましいな」とも思い、さらにその半面「もったいないことしとんなあ」とも思う。その無闇に吐き出してる言葉の内、ほんの一部でもその時言うのを我慢して、家に持って帰って、メロディなり詞なり絵なりにすれば結構面白いもんができるやろに...。と思って悲しくなるのである。

あと、「人は本当によく怒るなあ」とも昔から日々思う。プライドみたいなもんは自分の中の一つか二つの事柄にグッと固めて、「これだけは譲れん!」的に持っておけば事足りるもんやろうに、人は「これはこうじゃなきゃイヤ!あれはこうじゃなきゃイヤ!」などとプライドの持ち様が多岐に渡り過ぎていて、俺としてはどうしても「何様やねん、コラ!」となる。

よくしゃべる奴らの言葉と言葉、我が物顔と我が物顔が所狭しとひしめき合って、プライドとプライドがガチャガチャガチャガチャぶつかってはその都度、怒鳴り散らし合っている。世の中って本当にせせこましくてやかましいもんだと思う。よくマンションなどで音楽を聴いていると大して大きな音ではないにも関わらず、隣人が怒鳴り込んできたりするが、本当にやかましいのは音楽ではないと思う。

プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

いっけいの楽曲が聴ける!! MySpaceはこちら

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