大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

一憩のバンド遍歴〈後編〉

25番地(仮)脱退後、俺は自作の「日本語」曲を書きためるために、一時、伊丹の自分の部屋に立て籠った。そして10曲ほど書き上げると、幼なじみのH氏に半ば強引にベースを弾くようすすめ、さらにその頃知り合ったばかりのドラマーS子を迎えて、俺史上初の3ピース編成にして、俺のオリジナル曲しか演らない俺主体のバンド「ロックスター」をスタートさせた。が、半ば強引に引き込んだ幼なじみであるベーシストと俺の音楽を「演る」ということへのテンションのズレと、ベーシストとドラマーS子の不仲からこのバンドはたった2回のライヴで解散してしまった。この「ロックスター」時代、俺はライヴの日、リハが終わるやいなや激しい胃痛に襲われて、うずくまったまんま立ち上がれず、酒をたらふく飲んでは緊張、要するに胃痛、をほぐしていたことを昨日のことのように覚えている。曲的には、曲の出来的には、他のバンドに絶対に負けてない自信があるにも関わらず、その他の要素では全く勝てる気がしなかったのである。曲そのものの勝ちが全てだとこの時までは思っていたが、そうではないことをこの時期、痛いほど思い知ったのである。ゆえに、このバンドでの活動、経験、屈辱が後に続く俺のバンド遍歴に対してものすごい力になったと言える。俺自身、この時はまだ、俺の書く曲をバンドで演るということがいかに難しいことなのかを全くわかってなかったし、「アレンジ」というものの魔法に関しても全くの無知だったのである。そういった意味で、この「ロックスター」で表現した俺の曲ってのは極限までプロトタイプであったと言えて、あえて言えば「次」へと続く可能性の塊だったのである。



〜後編?に続く〜

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コメント(2)

一憩のバンド遍歴を拝見して、「いっけい」がより近しい距離感で音楽をしている、等身大・ノーカット・無修正な赤裸々な「いっけい」を感じます。効率化、合理化、とにかく経済の論理が先行しがちな世の中ですが、「いっけい」がともに観客の佇まいを感じ、ココロを通わせようと努力することが、豊かなライブとなっていますよね。「いっけい」の世界とは、昭和のにっかつロマンロックを感じさせながらも、平安絵巻のような優雅さの後には、鎌倉武士のこどく荒々しさがあり、その集大成が安土桃山ロックとも言える自由闊達なスタイルなのかもしれません。世界のワダミュージックとは、日常とかけ離れた特別なものではありません。遠近の生命の兆しを感じつつ、「いっけい」と観客がココロを通わす場なのかも知れません。

☆ピンチはチャンス☆
私は必ず欲を出す。その後に廻りの動きや私に、何が必要か。
集中して考えて、アンテナを張る。
一人では幸せは来ない。
我慢も必要だが探す。
欲を持って信じる仲間と共に!
真実を受け止めている。
人は成長すること。その中に、チャンスがあると思っている。
失敗や間違いもある。必ず成功ばかりでは無い。
だから仲間が必要だった。
信じられる真実が必要だった。
失敗も成功も真実。一人では、気が付かず知らされ事は大きい。

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

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