大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

阿仁/予定通り、私たち、今から、携帯の解約に行ってきます。

一憩/ちなみに、このブログ。この文章で1085本目なんやけど、1085本、全てをこのauの白いパカパカ携帯、『W43SA』で書きました。結構雨に降られたりもしたんやけど、一度たりとも壊れることなく、俺と阿仁真里の「筆」として頑張ってくれました。心からご苦労様と言いたい。

阿仁/ホンマやね。今まで本当によく頑張ってくれたよね。感謝!感謝!

一憩/しかしまあ何とかして、早い段階で復帰したいねえ。

阿仁/そういえば一憩さん。この長期休止中に、吐き出したい言葉が出てきたらどうすんの?どうせまた、すぐ出てくるんでしょ?今晩あたりから(笑)

一憩/いや、夕方には出てくるはず(笑)でも、それはそれでそれ専用のノートを買ってきて、その都度、書き留めていくことにするよ。

阿仁/で、特に「これは」っていう文章は復帰後にここに載せるってわけね?

一憩/そういうこと。

阿仁/でも、ま、とりあえず、アルバム10枚作れて良かったね。

一憩/11枚目の完成まであと15本、もうちょいやってんけどなあ...。

阿仁/それはほら、過去の私たちは10枚のアルバムにギュッと凝縮してまとめて終わり!って考えたらいいじゃない。

一憩/そやな。そう考えると、今までの10枚をBOXセットにして発表したいくらいやね。紫色の箱に入ってて、箱の左斜め下にこのBOXセットのタイトルが小さく書いてある。「S.O.S」って(笑)

阿仁/(笑)あと、解説書は剣吾くんに書いてもらってね。

一憩/うん。もし、解説書を入れるんなら剣吾くん以外にないな。あれだけようできた理解者は他におらんからね。

阿仁/だって「命の恩人」って言うても過言じゃないもんね。もし、このブログがなかったとしたら...考えただけでゾッとするもんね。ホンマに感謝やね。

一憩/感謝!感謝!感謝!

阿仁/じゃ、そろそろ行きましょっか。携帯、クラッシュしてもらいにいきましょっか。

一憩/おう、行こ。行こ。

阿仁/それでは皆さん、最後になりましたが、ここまで本当にありがとうございました。いつも言ってるけど、この間、この間を利用して今までのも是非、読んでみてくださいね。よろしくお願いします。本当にありがとうございました!

一憩/ありがとう!

自分を怒らせるようなことをした奴がいたとして、そいつを怒鳴りつけるとか、殴るとかっていうのは、俺はやっぱり嫌だ。誰に何と言われようが、それは、俺のやり方じゃない。俺のやり方じゃないからやらない。―え?それは男らしくないんじゃないかって?じゃ、男らしさなんてどうでもいいよ。オカマとでも何とでも好きなように呼んでくれ―そんなことをしてたんじゃ、自分も相手と変わらない人間になってしまう。相手のいるところまでわざわざ自分が降りていくことになってしまう。だから俺は、そういう相手に対しては、何とかして、許すということをもって、心服させたいと思う。

煮えたぎっている気持ちをグッと堪えて、出来れば幽かに笑顔さえ浮かべて、許す。これで、相手が「負けた」と思ってくれれば、俺はそれが怒鳴ったり、殴ったりするより、ずっと意味のあることだと思っている。俺の、人格的な勝ち負け観はこれに尽きる。

でも、世の中には鈍感の中の鈍感、馬鹿の中の馬鹿というのもいて、そうやって許されたにも関わらず、「負けた」と捉える感受性のない人間がいる。じゃ、こんな場合、こういう人間に対してはどうすれば良いのか。俺はそんな奴はもう自分の人生、物語から外へ摘まみ出してしまえばいいと思っている。自分の人生の小説から、そいつを削除してしまう。これは害虫駆除だ。害虫は害のある虫なんだから、駆除したってバチは当たらないだろう。

怒りで人間を変えようったって無理だ。絶対に無理だ。だから、怒りで人間を心服させようだなんてのはもっと無理だ。100%無理だ。ビビらせることはできても、それ以上の成果は何一つ期待できない。表面的な怒りなんてのは、ヤクザの取り立てみたいなもんで、相手に心のシャッターを固く閉ざされるだけのことで、ちっとも問題の解決にならない。





「用兵の道は、心を攻めるを上策とし、城を攻めるを下策とす」

白い空から傷口に

そっと舞い降りて

傷が癒えるまでの間

笑顔を浮かべてそこにいて

傷が癒えたら静かに

消えてなくなる雪のようなものだと思っていた





ところが振り子

大きな音を立てて

不自然に急に

優しさに振れて

不安

不安

不安





優しさは優しさで

優しさのまま消えてなくなる雪のようなものだと思っていた

阿仁/いよいよ明日でこのブログも終わりやねぇ。ま、終わり言うても「長期休止」やから、第一章閉幕って感じかな。

一憩/そやね。今回ばかりは今までの休止みたいに、すぐ復帰というわけにはいかんやろしな。

阿仁/しかしまあ、頑張ったねぇ(涙)実際、結構涙モンやよね。だって、大阪におった時なんか、雨の日に、公園の濡れたベンチに座って、傘さしながら書いてたりしたもんね。

一憩/まあね。でも、そこは全然泣くとこちゃうよ。俺がホンマに泣きたかったのは、毎晩のように仕事帰りにビール片手にいつもの公園に立ち寄って「執筆」してたら、ある日、お巡りさんがやって来て、「最近、この公園に毎晩、おかしな男が出るという通報を受けましてね」って言われた時やったよ。あ〜れは、情けなかった(笑)

阿仁/ああ、そんなこともあったね(笑)で、仕様がないから近所の、お墓の隣にある公園に「書斎」を移したんやったね。

一憩/そう。でも、そこで毎晩やってるとまた通報される可能性があるから、たまに元の公園に戻ったりなんかしてね。公園をローテーションしておりましたな。

阿仁/そやね。あと、施設で働いてた時には、夜勤の仮眠時間を利用して、短編小説を書いたこともあったよね。

一憩/うん。あれは確か『木元麦乃助の憂鬱』やったかな。し〜んと静まりかえった介護士室で、トチ狂った物語を夢中になって書いたよ。今となってはいい思い出。

阿仁/そうそう、介護士室の片隅の流し台の所で煙草吸いながら、身体丸くして没頭してたよね。懐かしいね。

一憩/懐かしい。

阿仁/ところで、明日も1、2本は書くんでしょ?

一憩/もちろん書くよ。

阿仁/私、なんか協力することある?

一憩/たぶん、ある。ささやかなアイデアが一つあってね。それにはアンタの協力がいるから。

阿仁/喜んでやるから何でもおっしゃって下さいな。

一憩/ありがとう。

阿仁/ま、とにかく、有終の美を飾りやしょう!

一憩/おう!

でも、「二兎追うものは一兎も得ず」とも言うよ。





だね...。

自分自身でいるということに、拭うに拭えない違和感があるとしたら、選択肢は2つしかないと思う。

水と油、光と影的に人格を2つに分離させるか、なんとかして水と油、光と影を統合させるかのいずれかしかないように思う。

例えば太宰治は、3度の自殺未遂(以前、「2度」って書いたけどあれは間違いです)の後、作家としての自分と、社会人としての自分とを完全に分離させて、社会人としての自分は「死んだ」ものとして、そこから猛烈な勢いで作品を書いた。で、この時期を一般的には、太宰治の「安定期」と呼ぶみたいなんだけど(例えば、『走れメロス』はこの時期の作品)、でも、この「安定期」が、一つの人格が死ぬところから始まっていることを思うと、安定期?などと、何か腑に落ちないものがある。





俺の場合は、まず、統合させようとするところから始めた。子供の頃から、自分自身に対する違和感はあったが、それから長年に渡って、それこそリプライズ解散直前まで、統合させようと自分なりに必死にもがいた。でも、その後、この長年のやり方に限界を感じて、自分を分離させてしまうことにした。ソロでの5度に渡るライヴの中で、徐々に徐々に分離させていった。そして、本当の問題は、ここから始まった。

俺は、太宰さんのように、自分自身を、もの作りとしての自分と、社会人としての自分とに分離させた。ここまでは、まあ、良かった。でも、ここからの判断が今にして思えば痛恨のミスで、あろうことか、俺は、もの作りとしての自分の方を死んだものとしてしまった。それからはもう毎日のように、自分の中から悲鳴染みた声が聞こえてきたけど、仕様がない、これを無視し続けた。すると、今度は、自分の中で、このもの作りとしての自分が、腰の引けた社会人としての自分を攻撃、「この嘘つき野郎が!」などと喚きながら、殺そう殺そうとし始めた。これをなだめるにはもう本当に、アルコールしかなくて、気が付けば、依存性になっていて、うつ病になっていて、結局、もの作りとしての自分は表に出ぬまま、表には出ないが内部ではしっかり、社会人としての自分を殺してしまっていた。

「敗戦」後、故郷、伊丹に帰ってきた俺が真っ先にしたことは、自分の中で怒り狂っているもの作りとしての自分に、土下座をして謝罪することだった。

たまに、猛烈に、イライラしてくる時がある。それはたぶん、まだ、このもの作りとしての自分の怒りが鎮まってはいないということと、社会人としての自分を一刻も早く蘇らせてやらないと、現実問題、生きていけないという焦りからくるものなんだろうと思う。

統合はできない。かといって、2つに分離させて、そのうち片方を死んだことにすることもできない。となれば、もうこれはバランスの問題で、両者を上手く両立させていくしかないな...とは思うけど、これはきっともの凄く難易度の高いことで、そんなことが自分みたいなもんにできるのか?ということを考えた場合に全く自信がなくて、往生する。

「アルファベッツにはギリギリ感があったけど、リプライズにはギリギリ感がない」と言われたことがある。言わんとしてることは痛いほど良くわかるし、その違いがそのまま、両バンドの評価の差となって表れたんだろうな、とは思う。

でも、その「ギリギリ感」なるものに関して、俺個人のことを言わせてもらうと、俺はアルファベッツの頃なんかよりずっと、後期リプライズでのライヴの時の方がギリギリだった。自分の書いた歌詞がいちいち胸に突き刺さって、涙が出てきて、まともに歌えなかった。特に『モナリザ』の中の「血も涙もない君の力を信じてる」という部分は、歌っていると、心の奥底からものすごいスピードで、猛烈に込み上げてくるものがあって、歌うに歌えなかった。だから、もし俺に「ギリギリ感」を期待するんなら、アルファベッツよりも、後期リプライズのライヴにこそ足を運んでもらいたかったと思う。でも、実際は、あまり誰も観に来なかったね。もったいない。

俺のギリギリ感は、リプライズ解散後、ソロに転向するとさらに増していった。『モナリザ』だけではなく、ほとんど全曲、涙が出てきて、声が詰まるようになってきた。曲と自分の間に距離感がなくなってしまったように感じたが、ライヴが終わると「これが歌だ。これが歌うということだ」と思って、納得はできた。でも、妙に疲れるようになった。

今、もし、ギター一本持って、ステージに上がったとしたら...と思うとゾッとする。でも、その辺の歌うたいが、いかにぬるいのかということについては証明してやれる自信がある。

上手下手の問題じゃない。音楽で吐き出すという行為がないと生きていけない人間の声と、音楽で吐き出すという行為がなくても、別段、生きていくに困らない人間の声というのは似ても似つかないもので、「歌」の真価はこの部分でもって問われるべきだと思う。

歌わなくても生きていける奴の歌なんて聴きたくもない。

絵、心理学、クラシック音楽、ジャンヌダルク、太宰治、吉田拓郎...伊丹に帰って来てから夢中になったもの。これだけのものが頭の中にあるのとないのとでは、人格的に大きな違いが出てきても不思議じゃないと思う。

何かを探してきたということの軌跡。

変身願望の表れ。

ジグソーパズル。





俺という家をリフォームするにあたって、匠が次々と運び込んでくる。

「今は恋愛とかそんなんもうどうでもええねん」とか、「今は彼氏(彼女)とかいらんねん。だって面倒臭いやん?」みたいなことをどや顔で言う人があるが、あの人たちは何故、あんなにも魅力的じゃないんだろう。

そんな言葉を口にした時点で、百年の恋も醒めるというもの。色気もクソもなくなってしまう。ポコチンが縮む。だから、親切な俺としては、「別に心配せんでも、アンタ、魅力あらへんねやから、恋愛とは無縁でおれると思うで」って言ってやりたいが、これを言ったら言ったで怒りだすんでしょうな。

恋愛というものに憧れや、淡い飢餓感みたいなものを抱いてるというのは、例えばそれが女の人なら、シャンプーのいい匂いをさせて歩いてるのと同じくらい色っぽいことだと思うんだけどなあ。

恋愛への夢を放棄するといいのは、男が男であることを、女が女であることを放棄するようなもんじゃないのか?

子供の頃から「地道」ということに興味がない。人生が一度きりだということを思うと、どうしても興味が持てない。

「ホームランか三振か」的な生き方にしか興味がない。打率がものを言う世の中にはそぐわない思想なんだろうけれども、誰に何と言われようが、ホームランにしか興味がない。職人的なヒットの積み重ねで打率を上げていくということに何の魅力も感じない。したがって、バントなんてのはもってのほか。バントなんてするくらいなら、豪快に三振することの方を選ぶ。

大阪にいた頃は、ホームラン狙いを封印して、ヒットを打ったり、バントを確実に決めることに専念した。要するに「地道」をやってみたのだが、やはり俺には不向きで、不本意で、最終的な打率は1割5分2厘。結果、戦力外通告。

俺はやっぱり「ホームランか三振か」なバッターでいたい。よく、「ホームランはヒットの延長」だと言う。イチローもそう言っていた。でも俺の場合、俺の辞書に載っている言葉は、「ヒットはホームランの失敗」なのである。

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

いっけいの楽曲が聴ける!! MySpaceはこちら

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