大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

・小悪魔SG ★★★★★

・コスモス ★☆

・エキゾチック ロマンス ★★★★

・金魚姫 ★★★☆

・日常の天使 ★★★★★

絶望的な出来事があった日の夜。耐え難く人恋しくて、居ても立ってもいられなくて、とりあえず家を出て、用もないのに近所のコンビニへ出掛けた。

到着。店内に入ると店員に来客を告げる間抜けな音が鳴り響き、女性店員がどこからともなく実に快活な声で「いらっしゃいませ!」と言った。

店内を見渡すと永遠に出世しそうにない、見るからにみすぼらしい男性客が二人だけいて、自分の中で余計に虚しさが増すのを感じた。

道路に面した窓際の通路では、500円以下で購入しておきながら500円以下の品物には酷としか言いようのない使用頻度の高さゆえにかくもボロボロになってしまったんだろうと推測される哀れなリュックサックを背負った20代半ばらしき野郎が熱心にエロ本を立ち読みしており、そこから首を右に半転させ、視線を弁当の並んでいるコーナーに移すとそこにはもう一人の客、40代前半くらいのニッカポッカを履いた野郎が左手にやはりエロ本の入った青いカゴをぶら下げて、助六弁当を買うか、ちょっと奮発して牛カルビ弁当を買うかを交互に繰り返し手に取りながら、あからさまに悩んでいた。

虚無的空間。

俺は呆然と、雑誌が並んでいる窓際をリュックサックをチラ見しながら突き当たりまで歩き、突き当たりを右折、ジュース類が並んでいるコーナーを数歩通過してから「酒類」と書かれた札がぶら下がっている所で立ち止まり、特に呑みたいわけではないが自らの習慣、習性には逆らえずビールを2本手に取ると、さらに数歩直進して酒の肴などが並んでいる突き当たりを右折、弁当コーナーとパンコーナーに挟まれた通路をニッカポッカの後ろを通ってレジへと向かった。

レジに先程の快活な声の主たる女性店員の姿はなく、俺はレジ奥の煙草が並んでいる棚に「わかば」があるのを確認してから、女性店員が潜んでいるであろうレジ内左手奥の控え室らしき部屋に向かって小さな声で「すいませ〜ん」と言ったが、返事がないのでもう一度、今度はもう少し大きな声で「すいませ〜ん!」と言うと、店の外、入口周辺で掃き掃除をしていたらしき女性店員が各種掃除道具で両手塞がりなため、背中でドアを押し開けながら「あ、お客さん、すいません!」と言って店内に入ってきてそそくさとレジの方へ向かい、俺がレジ横に置いた2本のビールを手に取り、バーコードをピッピし始めた。

この時、俺はポケットの中からジャリ銭を取り出すのに苦心しており、やっとの思いで取り出すと今度はジャリ銭の数を数え、心の中で「よし、ギリギリ買える」と呟くと、うつ向いたまま「あ、あと35番の煙草をひとつください」と言った。

女性店員は「35番ですね」と言って数秒後、バーコードをピッとやって「はい、合計で584円になります」と言った。俺は600円を払い、女性店員から釣り銭16円と商品の入ったビニール袋を受け取ると、軽く魔が差したかのような、実に幼稚なイタズラ心が芽生えて、女性店員が「ありがとうございました」と言う前に「ありがとう」を言ってこましてやろうと、この時初めて顎をあげて「ありがとう」と言おうと思ったら、目の前に立っている女性店員がめちゃくちゃ綺麗な人で、後光らしきものさえ見えた気がして、一瞬意識がとんで、「ありが...」とまで言って完全にフリーズしてしまい、「とう」が言えなかったので、女性店員は俺の「ありが」のあとに言葉を付け足す形で「とうございました」と言ってニコッと笑った。

店を出ると、一度だけさりげなく振り返って、ビニール袋からビールを1本取りだしてから、軽快な足取りで家路についた。





という空想から生まれた絵。

納得の出来です。

昔から「善良な市民」という言葉にゾッとする。

世の中には決して悪人ではないし、いわゆる「犯罪」こそ犯さないけれども、暖かい想像力や冷静な判断力みたいなものが絶望的に欠如していて、外からの情報を鵜呑みにして、それを感情に直結させてしまう人間というのが大勢いる。

もし、こういう人たちが人を裁く立場に立ったら、ロクなことにならないのは目に見えている。だから、例えば俺は個人的には裁判員制度というものに反対だったりする。

情報を受け取ってから結論を出すに至るまでの間に、いくつかの筋書きを自分なりに推測したり、仮定したりすることのできない人間が、情報に対して一切疑いを持たず鵜呑みにして、感情的に結論を出して、人を裁いたらどうなるのか。

俺が言いたいのは別に裁判員制度という社会的なテーマについてではなくて、もっともっと身近なことについて。人間、生きていれば日常的に人を裁いたり人から裁かれたりしているわけで、それはもちろん俺やアナタも例外じゃないわけで...想像力のない人間は有害だとさえ思う。感情に走って結論付けてしまった後の人間にいかに切実丁寧に、慎重に言葉を選んで事情を説明したところで手遅れ。「見苦しい言い訳は止しなさい」などと一喝されて終わりだろう。彼にはもはや「説明」と「言い訳」の区別さえつかないんだから。だから俺は、そんな人種には出来る限り近付きたくない、関わりを持ちたくない。

本当に怖いのです。

社会的に「大人」と呼ばれる年齢になったからと言って、旧友たちと接する時に社会的なルールにのっとった「大人な」付き合い方なんて絶対にしたくない。そんなのは悲しい。本当に悲しいことだと思う。

知り合った時の無邪気な心の持ち様や関わり方を捨てて、「大人な」付き合い方に大きくシフトチェンジして、何だかものすごく水臭いことになっている人たちがいる。そのうち敬語で喋りだすんじゃねえか?みたいな勢いで水臭い関わり方をしている人たちがいる。知り合った時は絶対にそうじゃなかったはずなのに。

お互いがお互いの今よりずっと若かった頃の姿を知っている。お互いの目にお互いの今よりずっと若かった頃の姿が焼き付いている。お互いの目の奥にお互いが今よりずっと若かった頃の姿が生きている。そんな目を見ながら、今よりずっと若かった頃の自分自身を見つめ合いながら語り合う時に、仮面的なものは要らないだろう。仮面みたいなそもそも不自然なものに、さらに不自然な意味合いを添えて、お互いの眼前に晒し合うような真似をしてどうするんだと思う。

「親しき仲にも礼儀あり」というが、「礼儀」という言葉の意味を取り違えている自称「大人」のいかに多いことか。

「俺(私)とおる時は仮面外して、昔の自分に戻ったらええねんで」「ほなそうさせてもらうわ。アンタもそうしてや」「もちろんそうさせてもらうよ」「オッケー」という暗黙の会話が毎度、顔を合わせた瞬間、関わり合いの冒頭、1ページ目に来るような関わり方を旧友とは続けていきたい。ま、この関わり方を「大人な」関わり方を好む自称「大人」の方々は説教口調、冷ややかな目で馬鹿にするんだろうけど、そんなのは知ったこっちゃない。生きる世界が違う。だから自称「大人」の方々は俺や俺の旧友たちの知らない所で、大人らしい細やかな気遣いと広く浅いプライドを顔面に隙間なくカパッとはめて生きて、寿命が来たら大人しく勝手に死んでくれりゃいいと思う。

一昨日の夜、俺の絵『受容』を欲しいと言ってくれた友人の家で夕食をご馳走になった。俺は夕食をご馳走してもらうお礼として絵を譲ることにし、彼の家を訪れた。

彼には4歳になる息子がいるのだが、俺が家に招き入れられ、席に着くやいなや、俺の曲が収録されているMDを持ってきてかけてくれた。心から照れた。そして心から嬉しかったし、何より彼のその行動に腰を抜かすほど驚かされた。「バンドマンロック」、「カナリア」など、俺自身長いこと聴いていない自分の曲、声が夕暮れ時の友人の家に鳴り響いて、俺はしみじみそれを聴いた。大昔の友人にばったり会ったような感覚だった。台所では友人の美しい奥さんが夕食の準備をしてくれていた。

俺は気分が高揚して、まるで自分自身が自分の手から離れたように、堰を切ったように、機関銃のように喋りまくった。

そして、夜も更け宴もたけなわといった感じになった頃、友人が一瞬姿を消した。俺はトイレにでも行ったんだろうと思っていた。

数分後、「いっけさん、これ要る?」と友人の声がして、彼の方を見ると、彼がギターを持って立っていた。「え!?」俺は一瞬自分の耳を疑ったが、彼は「絵のお礼に」と言って、俺にそのギターをくれた。

久しぶりにギターを触った。俺の好きな、ペグが左右に分かれて付いているタイプの、「By Takamine」と書いてある、薄型ボディのエレアコ。気が狂うんじゃないかというくらい嬉しくて、俺は彼と彼の家族への心からの感謝の印としてリクエストに応える形で、「バンドマン・ロック」を演奏した。皆さん、本当に嬉しそうに聴いてくれて、俺は久しぶりに足の先から頭のてっぺんまで、喜びと、今や懐かしくさえある自信らしきものの暖かさでいっぱいになった。

さらに夜は更けて、友人宅での楽しい宴が終わると、友人はギターをチャリンコの荷台に載せ、俺を家まで送ってくれた。帰宅すると、俺は友人を自分の部屋に招き入れた。友人は朝方まで、俺の自作の絵に関する長い長い話に付き合ってくれ、午前3時頃「じゃ、帰るわ」と言って笑顔で帰っていった。

なんちゅう奴やと思った。凄い奴やと思った。俺にはもったいない人間だと思った。彼とは中学の時に知り合って以来の友人だが、彼を俺の人生に引き合わせてくれた神様に心から感謝した。





「日々これ奇跡の連続である」最近疑い始めていた、俺の昔からの信念が息を吹きかえすのを自分の中に感じて、泣けてくる。

ありがとう。

日常生活に欠かせないもの。例えば水道であったり、電気であったり、ガスであったりを「ライフライン」と呼びますね。だから、大規模な天災が起こった際には、TVニュースや新聞等で「一刻も早いライフラインの復旧が望まれる」というフレーズが繰り返し声高に叫ばれ、飛び交うわけです。

ところで俺は昔から、そして今でも、俺が音楽をやったり、絵を描いたり、文章を書いたりすることを「趣味」って言われることに言葉にならない苛立ちを感じる。腹の底からムカッとくる。かといって「ライフワーク」っていう言われ方にも全然納得がいかない。「とりあえず横文字にしとけば大人しくするだろうこの馬鹿野郎は」という魂胆が見えて気に食わない。黄色人種をナメるな。だいたい「趣味」が英語で「ホビー」なのは知っているが、「ライフワーク」はこの「ホビー」を気持ち神妙にしただけの、いわば中身は同じ物だがちょっといい感じの包装紙で包んでみました的なニュアンスを感じるし、俺の耳には実際の所(本物の英語なのかどうか)を抜きにして、安物の和製英語にしか聞こえないから生理的に受け付けない。

もちろん、俺はプロじゃない。音楽や絵や文章で食ってるわけじゃない。でも、プライドだけはプロ並みだ。なぜなら、音楽や絵や文章は俺の生命線であって、俺の人格、人生にとって唯一の、本当に唯一のプライドらしいプライドだからだ。「ライフワーク」だなんて冗談じゃない。介護職専門派遣会社の名前じゃないんだから。

弊社、『(株)ライフワークビジネスサービス』では登録社員を募集しております。施設入職後、3ヶ月勤務していただいた方には祝い金3万円支給...って要らねえよ。

それにひきかえ「ライフライン」っていいね。これはしっくりくる。生きる為に必要不可欠なもの―ライフライン。いい。横文字だけどいい。やっぱりほら、英語万歳!みたいなとこあるやんかあ、俺ら黄色人種。あと、ひょっとしたら和製英語かもしれないね。でもいっこうに構わない。もし万が一、和製英語ならこの言葉を考えた人のセンスに脱帽だね。くるりんぱ。

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です。

インドや中国の建築様式をミックスした無闇にきらびやかで広大な料亭。「ジョンローンぐらいしか来んやろ。こんなとこ」と心ひそかに思っている俺の目の前に絶え間なく運ばれてくる宮廷料理らしき料理。何からどうやって食やいいんだかさっぱりわからない。そんな得体の知れない料理が所狭しと並ぶ巨大な円卓のぐるりには、俺以外にも奇妙な格好をした人間が数名いるが、俺はこの人たちのことを全く知らない。誰一人知らない。って言うか、できれば素性を知らずに済ませたい気色の悪い面々。俺はなぜ自分がここにいるのかさっぱりわからない。状況が全く飲み込めないので、代わりに「酒池肉林」と躊躇なくプリントされたラベルが貼ってあるただ甘いだけの、しかしながらアルコール度と価格だけは高そうな酒をらっぱ飲み、ガブガブ呑んでいると、あっという間に酒がまわって、店を彩る装飾品の赤色や金色に目が回り始める。と、そこへ突然銅鑼の爆音が一発鳴り響いて、宮廷音楽ってたぶんこんな感じなんだろうなという感じの妖艶な音楽が演奏している人間がどこにいるんだかさっぱりわからない状態で流れ始めて、円卓を囲む面々が待ってましたとばかりに奇声をあげて拍手をしだした。「な、な、何が始まるんや?」と思っていると、円卓から5メートルくらい離れた所に2つの小さな滝に挟まれたやはり赤色と金色を基調にした大きな舞台があり、そこへ、複数の踊り子が現れて踊り始めた。目が回る。「酒池肉林」でふにゃふにゃになっている俺の頭の中では、赤色と金色と宮廷音楽の音色と同席の気色の悪い面々の奇声と拍手が一つの巨大な渦と化して竜の如くに意思を持ち、暴れまわり始めている。と、その時!舞台の上、踊り子の一人と目が合って、一瞬で恋に落ちてしまった。





その踊り子。

一番夢のある想像、物語はSGとコスモスが大親友だという設定だと思う。

SGはいかに妖艶であろうが、男(時には女をも)を自由自在に翻弄できようが、基本的にはただの売れないバンドマンであるから、その日のライブの出来によっては大いにヘコむこともある。周りが「良かったです!」と誉め称えたところで、本人が駄目だったと思えばそれは駄目で、周りの安易な称賛は彼女の傷口を広げるばかり。そんな時に、夜、彼女がギターを抱えてアポ無しで訪れるのが、大学生が多く住んでいそうな白いマンションの4階の一室、コスモスの家だったりして、インターホンを押すと、SGの心境を察したようにコスモスが笑顔で出てきて「よっ!」と言う。SGは覇気なく「よっ..」と答える。SGはギターを玄関脇に置いて、狭いながら綺麗に整頓されてある部屋の中央に置いてある白い丸テーブルの所で腰を降ろし、テーブルの上に丸眼鏡を置いて深くため息をつく。そこへコスモスが冷蔵庫からキンキンに冷えたサッポロ黒ラベルを2本持ってきてテーブルの上に置き、何も言わずにSGの背中をポンと叩く。「かんぱ〜い!」とコスモス。「乾杯..」とSG。

ちょっとした沈黙の後、SGが呟く。「今日は、全然、アカンかったわ..」コスモスは「ま、そんな日もあるって」と言ってから「今夜は大いに飲みませう!」とSGにビールをすすめる。グビグビグビっとSG。

時は経ち、テーブル上には空き缶が散乱。午前0時を回った頃には、二人とも顔を真っ赤にして笑顔で、いつのまにやら会話の内容が昨夜のライブの話からお互いの恋愛観に関する話に移行しており、こうなると今度は立場が一転して、コスモスがあれやこれやとSGに対して敬意をもって相談を投げ掛けており、SGはあぐらをかいて的確に「それはね」と、それぞれの問いに答え続けている。

翌日、二人とも休み。仕事、休み。コスモスは元々休みだったが、SGは職場に連絡を入れて「熱が出まして..」と仮病。15時くらいまで向かい酒などたしなみつつのんびり過ごし、化粧などを済ませ、女として万全の準備を整えてから快活に街に買い物に出掛ける。と、それぞれのファッション、化粧具合、身長差、オーラから、周りの目にはどう見てもSGが姉貴分でコスモスが妹分的な存在に見える。実際、買い物中もコスモスが「これどう?」とSGに尋ねるシーンが多々見られる。でも、コスモスがどう考えているかは別として、SGはよくわかっている。コスモスは自分にとってかけがえのない大親友で、コスモスの前でだけは自分は仮面を外せて、もっと言えば、コスモスは自分にとって母親的な存在でもあるんだということを。

まだまだ明るい夏の夕方、二人は買い物袋を下げて、ソフトクリームを食べながら帰途に着く。二人の影が二人の後ろに長〜く伸びており、その上を老人施設のバスがゆく。

昨日描いた2枚の絵をぼ〜っと眺めている。

24時間以内に描いたこの2枚の絵の降り幅の広さって一体何なんだろう。『小悪魔SG』の女は邪悪だが妖艶な感じで攻撃的な性格が伺える。一方『コスモス』の女の子は素直で健康的、温和な性格が伺える。この正反対のものが24時間以内、外からの影響を一切受けない環境の下で自分の中から出てきたというのが考えてみれば面白い。

もし、どちらになりたいか?と問われればそれはもちろんこれを描く際のテーマがテーマだったように『小悪魔SG』の女(ちなみにこの女は俺の想像上では、普段は、青レンズの丸眼鏡をかけている)なのだが、じゃ付き合うとしたらどっちが良い?と問われた場合には「『コスモス』の方」と迷いなく答え...られる男になりたい。

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

いっけいの楽曲が聴ける!! MySpaceはこちら

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