調子にノってる時。他人の立場でものを考える神経に乏しい時。俺は、俺の財産は、自分の想像力や創造力と、そこから生まれた作品だと思う。
自分の分をわきまえている時。他人の立場でものを考える冷静な頭がある時。俺は、俺の財産は、友人たちだと思う。
しかしまあ、ここ数ヶ月の間に俺、一体何回泣いたんやろう。
大阪にいた時、久々に伊丹の最旧友に会った時なんて、帰り道がわからなくなって気付いたらその旧友の目の前で娘の名前を繰り返し言いながら泣いてたし。あれはだいぶ前のことやけど、今思えばあの時からすでに重症やってんなと思う。情けないにも程があるよなあ。
そういえばちょっと前にも泣いたばかり。気分が高揚して、思い浮かべたらアカン光景を思い浮かべてしもたらもう駄目。ほとんど秒殺的に涙出てくるもんな。何とかならんもんかねえ...。って、あ、俳優にでもなろうかな。だって、すぐ泣けるよ。
涙って渇れたらええのにねえ。頭も心も干からびかけてんのに、涙だけ潤ってるというのはどう考えてもバランス悪いよなあ。右目と左目に一本ずつ繋がってる涙腺をそれぞれ切断して、頭と心に接続できたらええなあと思うけど、この発想は発想で如何なもんかねえ。
滑稽だねえ、俺。
〈籠城〜イメージする現状〉
外との戦いと内との闘いの並行。「籠城策」とはそういうこと。
ひと度、外を見渡せば、敵が城の周りを「隙あらば」と息巻いて取り囲んでいるからひとときも気を抜けないし、かと言って、外にばかりに気をとられて内への気配りをおろそかにしていると、最悪の場合、内乱が勃発。その時点で全てが終わってしまう。
「現状打破」ということを目標に据えた場合、今すべきことに優先順位があるとすれば、何はともあれまずは内を安定させることだと思う。内を安定させて、団結させて、内から外を見下せるレベルにまで高めることができたら、その時には撃って出ても負けることはないと思う。
〈創造〜現実の着手〉
自分の意思で、とりあえず薬を止めることにした。病院の先生から承諾を得たわけじゃないけど、こんなもん飲んでたんじゃイカン!と思って。が、やはりいきなりゼロにすると、それなりにリバウンド的なものがあってキツいので、当分は頓服的にキツくなった時にだけ飲むことにして、徐々にゼロに近づけていくことにした。自分の意思で決めたということ。そして、自分の中から「闘おう」という意思が出てきたことは間違いなくプラスな展開だと思う。が、薬を減らすと今度は何の前触れもなく猛烈にイライラするようになってきた。このイライラ、直視しているとさらにイライラするだけなので、直視せずに済む最良の方法として「絵を描く」というのがある。
イライラする→助けてくれぇ〜!と思う→助けてくれるものを生み出そうと思う→その時、側に居てほしい女性像を思い浮かべる→絵におこす。
気付けば俺の部屋、見渡す限り女の人の顔、顔、顔になっていた。
変な部屋。
仲の良い友人たちから「オレンジ」と呼ばれている女の子。
最初は、性格がものすごく陽性な上に、かなり天然が入っていることから「ミカン」と呼ばれていた。以前、友人たちとの会話の中で「アンタは果物で言うたら..ミカンやな。他は浮かばんわ」と言われたことがあって、それ以来そう呼ばれるようになったのである。が、ある日、バンドをやっている友人に連れられて楽器屋に赴いた際に、ミカンが「ORANGE」というオレンジ色の大きなアンプを見つけて、ギターも弾けないくせに「これ可愛い!欲しい!」と言って、数ヶ月後、ギターを持っていないにも関わらず実際にこれを購入したことから、このエピソードが友人たちの間に瞬く間に拡がって、以降、ミカンは「オレンジ」と呼ばれるようになったのである。
もしオレンジの友人たちに「オレンジといえば?」と尋ねたら、10人中10人が「天然」と答えることは間違いない。「長嶋茂雄以来」と言った友人もいるくらいに凄いのだ。例えば、居酒屋の壁に「当店の醍醐味!〇〇焼き」という札を見つけるやいなや「すいません!」と店員を呼んで「だいごあじってどんな味ですか?」と聞いたこともあったし、今だに月極駐車場の「月極」を「げっきょく」と読むし、「座右の銘は?」と尋ねられて「え〜っと、左が1.5で、右が1.0です」なんて答えたこともあって、その都度、周りの友人たちを大いに笑わせてきたのであるが、そんな時、本人はいつもなぜ自分がそんなに笑われているのかさっぱりわからずキョトンとしているのであった。
オレンジはそんなキャラで、嫌味な所の全く無い性格がゆえ、友人が実に多い。いわゆる「愛されキャラ」であって、特に、悩み事を抱え込んでしまった友人の目には「癒し系」そのものとして映ったりもするのであった。
しかし、そんな超天然ガール、オレンジにも悩み事が無いわけではなかった。人知れず「モテない」ということ。今まで彼氏というものができたことがないということがオレンジのひそかな悩みであり、コンプレックスなのであった。が、これはオレンジの完全な勘違いで、実はめちゃくちゃモテているし、モテてきたのである。真相はオレンジ自身が男たちの自分に寄せる想いや、そんな想いから来る言葉や態度にめちゃくちゃ鈍感で、いつも「気付かない」だけなのである。だから友人たちは親身になり、果ては意地になり、その点を口を酸っぱくしてオレンジに指摘してきたのだが、この友人たちの指摘、言葉の意味がオレンジにはわからない。全くわからず、いつも「はにゃあ?」みたいな顔をするので、友人たちはいつもいつも歯痒くて歯痒くて、憤死してしまいそうなのであった。
趣味はハリウッド産のベタな恋愛映画鑑賞。尊敬する人はメグライアン―オレンジ。いつも元気な癒し系超天然ガール!
といった空想から生まれた絵。天然色をフルに活用。俺の中では『受容II』的な意味合いもあって、非常に気に入ってます。
俺の中に居酒屋がある。名前は『梁山泊畏敬』
ここで酒を呑めるのは俺が心から尊敬する人々のみ。かといって特別高級な居酒屋じゃない。例えば飲み物で言うと生中は480円だし、ウイスキーやワインもよっぽど有名な銘柄でない限り一杯600円前後で提供している。一方、食べ物は食べ物で実にお求め易い価格に設定しており、例えば串ものは焼鳥系にしろ、串カツにしろ、だいたい一本120円前後で提供しているし、刺身などの生もの系も季節によって多少の変動はあれど、白子や牡蠣などの特殊なものも含めて全て基本的には上限2000円の枠内で提供させていただいている。
常連は読者の皆さんもよくご存知の面々で、ジョン・レノン、北野武、和田つとむ、町田康、カート・コバーン、諸葛孔明、リアム・ギャラガー、伊丹十三、キース・リチャーズらだったりして、この店では当然の如くに、言葉の違いはもちろんのこと、各々の年齢からコチラとアチラの境に至るまですべて「無礼講」、無効、取っ払って、年中無休、大いに賑わっている。
当然、昨夜も大いに賑わっていて、女将(松坂慶子)を中心に、アルバイトの通称=やぐっちゃん(矢口真里)と通称=アニー(阿仁真里)の二人が狭い店内を「たけしさん、奴(やっこ)入りま〜す!」「レノンさん、アスパラ串3本入りま〜す!」「康さん、いいちこをロックで2杯同時に入りま〜す!」などと歌うように叫びながら忙しく走り回っていたのだが、そこへ、見たことのない客が二人、恐る恐る暖簾をかき分けて入ってきた。女将が「いらっしゃい!あ、お初さんですね!さ、さ、こちらへどうぞ!」とカウンターの中央あたりを指差して声をかけると、その二人は初めての店で緊張しているのか「ど、ども...」と呟くように言ってその席に座り、「とりあえずビール」「私も」と各々小さな声で言った。
それから2時間もした頃だったろうか。気付けば二人は頬を赤らめて、常連らのいる座敷に移動しており、皆と完全に打ち解けていた。リアムが「こっち来たら?」と誘ったらしい。
「ジブンらもマスター(一憩)の知り合い?」とウイスキー片手にキースが尋ねた。すると「そうなんですよ。つい最近出会ったばかりなんですが、お互い意気投合しましてね」と片方が答え、「彼が「是非僕の店に来てください!」って頭を下げて手を合わせて言わはるもんだから来てみたんですよ」ともう片方が続けた。と、そこへ孔明が養命酒片手にふらふらと割り込んできて「酔拳」とよく分からない一言でひとスベリしてから「で、お二人はこのお店、気に入りましたか?」と尋ねた。二人は声を揃えて「それはもう!」と答え、「女将さん、別嬪ですしね」とこれまた声を揃えて言って笑い、カウンターの向こうではそれを聞いていた女将が微笑んで「やぐっちゃん、お初のお二人にビール出してやって!」と言い、「私のおごりで」と付け足してまた微笑んだ。
宴もたけなわ。いつ終わるとも知れないたけなわ。今度はレノンがビール瓶片手に二人のもとにやってきて「初対面でこんなこと言いにくいんだけどさ。あのさ。もし良かったら俺をみてくんないかな?」と言った。すると二人のうちの後輩に当たるらしき方が「今は酒が入ってるから無理ですけど、明日だったら喜んでみますよ」と答え、レノンは「ありがとう」と礼を言った。この一連の会話をレノンの隣で不思議そうな顔をして聞いていたキースは、肘でレノンをつんつんして「おい、『みる』って何?映画をみるとか言う時の『見る』か?それとも医者が患者をみる時の『診る』か?」と尋ねた。すると、レノンが「後者やね。『診る』の『みる』や」と答えたので、キースが「じゃ、この人ら医者なんか?あのマスターが医者を尊敬?」と再度いぶかしげに尋ねると、「ま、医者と言えば医者みたいなもんやけど」声がして、突然キースとレノンの間にたけしが割り込んで来て謎の二人を指差して次のように言った。
「歳上の方がジークムント・フロイトで、歳下の方がカール・グスタフ・ユング。二人とも心理学の先生だよ」
また二人、『梁山泊畏敬』に常連が増えた。
能動性と支配性に輝く心は孤独。
憎しみと支配欲以外の対決(自分の本当の気持ちをぶつける)はすべて許される。
相手の「悪い側面」を認知し受け入れるという心の働きは、そのまま自分自身の不完全さを自覚して受け入れる素地になる。
阿仁 「私にはそのアイスノン的な物、無いの?」
一憩 「無い」
阿仁 「なんでアンタにはあって私には無いのよ」
一憩 「俺のがあるんやからお前のはいらんやん」
阿仁 「あ、そっか」
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