大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

ほぼ毎晩のことながら、眠たいけれど寝たくないので、コーヒーをガブガブ飲み、煙草をバカバカ吸い、おぎやはぎの深夜放送を聴きながら、テーマ的なものを一切決めずに漠然と絵を描いていたら、自分が33歳の男であることが恥ずかしくなるくらい可愛らしいのが出てきて我が目を疑った。

俺の絵を欲しいと言ってくれる人が現れた。『受容』を欲しいと名乗り出てくれたのだ。

名乗り出てくれた人物が人物なだけに、そして、俺としても抜群のナイスチョイスだと思ったので、喜んで讓ることにした(交渉は後日)のだが、いざ『受容』を譲り渡すとなると、今、『受容』が貼ってある壁の一部が余白になってしまうので、そこに貼る新作を新たに描こうという意欲が湧いてきて、猛烈な勢いで描き上げた。

この絵はあらかじめ楽しいテーマを決めておいて、そのテーマに沿って描いた。

俺は昔から「もし生まれ変われるとしたら何になりたい?」との問いに動物とか虫とかではなく「人間の女」と答えてきたのだが、じゃあ、実際に人間の女に生まれ変わるとしたら具体的にどんな女に生まれ変わりたいのか?ということを考えて、頭に浮かんだその女の顔を絵にしてみた。

俺はもし人間の女に生まれ変われるんならこんな女になりたい。そして、一方では自由自在に男どもを翻弄する悪女として名を馳せながら、もう一方では刺激的な音を鳴らすロックバンドで、世の中を舐めたような顔をしてセクシーに赤いSGを掻き鳴らしたい。

最後にもう一度、絵をよく見ていただきたい。こういう女に男は非常に弱い。よな?男性諸君。

煙草屋さんで煙草を買う時、笑顔で「ありがとう」って言えます。

だから僕は、少なくとも、悪人ではないと思っています。

他人の顔色を窺いながら生きてきた。

ことなかれ主義と言われればそれまでだが、極力、自分と他人、他人と他人が衝突しないようにしないように動いてきた。

酒以上に自分の言葉を飲んできた。

本当は自分のせいだと思っていなくても、自分のせいだと言うことで、他人の眉間から皺が消えるのならそれはそれで良いと自分自身に言い聞かせて生きてきた。

他人の「怒」を極度に恐れて生きてきた。

常時ビクビク怯えて、緊張していたから、たまに自分の中で何かが切れて、めちゃくちゃなことをしたくなった。

その結果が「死ね」だった。

体に、頭に、長い時間をかけて蓄積してきた毒を、蓄積に要した時間より遥かに短い時間の中で洗い流さなきゃいけない。

もし自分自身を大いに奮い起たせることができるようになって、「次」を想うことができるようになったとしても、その後真っ先に触れなければいけないのがこれまでの人生で経験したことのない巨大な喪失だということは間違いないし、不可避なだけに、恐怖心と無駄な思考が頭を占拠して、今、何をどう考えて、何に何をどう備えておくべきなのかということがさっぱりわからない。





昔『思えば遠くへ来たもんだ』っていう歌があったけど、俺の場合は「来た」の前に「流れて」がいるな。何しろ今現在、ここに至るまでの道程の一体どこに自分の意思があったんだかまるで思い出せないんだから。

この立ち位置は一体何なんだろう...。

これで700本目だ。

7枚目のアルバムタイトルは『インナーチャイルド』。今作のタイトルはこれ以外に無いだろう。

残念ながら、やはり今回も音楽ではなかったけれども、絵が音楽にとってかわる形で、今までで一番創造的なアルバム、100話になったと思う。

このブログがいずれ、俺の音楽活動にまつわる話題で満たされる日が訪れることを切に祈っているが、実際には、現実的には本当に本当に難しい。

音楽と俺の間の距離がいっこうに縮まらない。周りの人たちがどう思おうが、俺は今までずっと縮めようとしてきたし、縮めようとしているが縮まらない。そんな遠距離恋愛。

片想い。でも恋は恋。遠回りであろうが何であろうがそのうち必ずものにして見せるよ。

あれも好き、これも好き。あれも大事、これも大事。でも音楽以上に好きなもの、大事なものは無い。





以上、700本到達に寄せて。

「人間は考える葦である」などと訳の分からないことを言ったのはトルストイだったと思うのだが、この「人間は〇〇である」っていうフレーズ。このフレーズの俺バージョンを、介護の仕事をしていた時、休憩時間に施設横のベンチに腰かけて公園を眺めながらよく考えていた。

「人間は歩く混沌である」というのが浮かんだ瞬間、もうこれしかないだろうと思えた。「考える葦」って言われてもなんだかよくわからないが、「歩く混沌」なら実にわかりやすい。

人間の中にはありとあらゆる要素がぐっちゃぐちゃに混ざりあったものがある。これがもう本当にぐっちゃぐちゃで、絶えず変化を繰り返している。どんな要素がどんな具合に混ざりあっているのかは人それぞれだし、自分の中にどんな要素がどんな具合に混ざりあっているのかをどんな風に把握したつもりになるのかも人それぞれだし、それが正しいのか間違いなのかということはたぶん一生わからない。ただ、自分の中のそんなこんなをある程度把握したつもりにならないと、自分という人間の輪郭が自分自身見えてこないし、この輪郭が見えてこないと、見えたつもりにならないと、自分が生きるということに対して方向付けができない。

「つもり」が積もり積もって人間。思い込みの塊が人間。実際のところは定かじゃない。自分は実際はどんな人間なのか。死ぬまで定かじゃない。

だからこれは別に悪い意味じゃなくて、死ぬまで自分で自分のことがわからないのが人間で、でも、少しでも多くわかろうわかろうとする健気な姿勢が人生だと思っている。

ところで、他人に対して少しの躊躇もなく「それは違う」みたいなことを言い切る人がいるが、俺はそのもの言いが違うと思う。自分で自分のことがわからないわかっているつもりの人間が、自分で自分のことがわからないわかっているつもりの人間に対して自信満々に「それは違う」などと言って、自分と他人の違いを認めようとしないのは物凄く傲慢なことで、その姿というのは物凄く滑稽で間抜けだと思う。

アンタに俺の何がわかるのか。俺にもわからない俺という人間の何がわかるというのか。もし俺以上に俺のことをわかるというのなら頼む、代わってくれ。俺を生きてくれ。俺を上手く生きて見せてくれ。と、いつも思う。もちろん、声には出さへんけどね。

日本人ってのは本当に「自己犠牲」ってのが好きだな。ストレートに「自分がやりたかったからやりました」って言やあ潔くて立派なのに、行動や言動のどっかに必ず自己犠牲的なニュアンスをくっつけて、「これ、絶対に忘れないでくださいね。あと、お返し。楽しみにしております」みたいなことを目で訴えてきよりますな。困ったもんだ。

本来は凄いことだと思う。清い自己犠牲はそれこそ「崇高」とも呼べるくらいのもんだと思う。でも、コンビニに並んでいる感じ、庶民にも手が届く感じのお手軽で使い捨て可能な自己犠牲は崇高の真逆をゆく愚の骨頂だと思う。

恩着せがましい。見返りを求める。何か不都合なことが起こるとすぐに人のせいにする。最終的な局面において絶対に負けず、同時に相手を負かすことのできる強力な「陣形」としての自己犠牲。

口論になった際には印籠としての効果をも発揮する自己犠牲。常に胸ポケットに入れて持ち歩いている。使い方は簡単。ここぞというタイミングで胸ポケットから火のつく勢いで素早く取り出して、相手の顔にブチ当たる勢いで見せ付けて、一言「おわかり?」と涼しい声で言い、どや顔をすれば完了。かくして全戦全勝...の、つもり。最低でしょう。

でも、ま、便利は便利なんだろう。よっぽど便利なんだろう。安価な割りにはめちゃくちゃ便利なんだろう。だからこんなにも普及したんだろうし、もう十分普及しているにも関わらず、そんな社会情勢や需要と供給の仕組みなんかを一切無視してまでも、さらに人に奨めたくなるんだろう。「こんな便利な物を独り占めしてたんじゃバチが当たるんじゃないかしら」とかなんとか、商店街でネギの突き刺さった買い物かごをぶら下げながらふと立ち止まって呟いて、「善は急げ。だって私は伝道師」などと訳の分からない気違い染みた言葉をまたぞろ呟いて、面識のない、全然知らない人の家の前に立ち止まりインターホンをピンポーンと鳴らして「あのね、これね、めちゃくちゃ便利なんでござあすよ」なんて宣伝して廻るんだろう。間抜けにも程がある。宗教の勧誘か。そんなくだらないものを人に奨めるんじゃねえよ。だいたいアンタは何なんだ?誰なんだ?俺はアンタを知らない。人の昼寝の邪魔をするな。無闇やたらに人の家のインターホン鳴らすんじゃねえよ馬鹿野郎。言っとくけどさ、アンタさ、そういうのを「強要」っていうんだよ。俺はそんなくだらないものいらねえよ。さっきから何度も言ってるだろう。お、れ、は、い、り、ま、せ、ん。

お引き取りください。

〈image―1〉

元々、自分は社会的能力に乏しいことを痛いほど自覚しながら生きてきた。そこへもってきて先日、病院でテストの結果として言われたのが「集中力、決断力、記憶力の低下。いわゆる『社会的レベル』が低下しています」だった。元々無いものがさらに無いというのは、本来であれば砂や土を積み上げて山を拵えるべき地面に、スコップやつるはしでもって逆に掘り下げていってるようなものだ。で、掘り下げてたら突然カキン!と音がして、ここ数年来封印してきた創造力みたいなものがものすごい勢いで湧き出してきた。という映像。

〈image―2〉

金魚すくいの時に使うアミ。あの紙で口を覆った壺が自分の中に無数にある。壺の中に何を封印してあるのかというと、今まで押し殺してきた感情だったり、決して思い出してはいけない記憶だったりして、もし今、多量に酒を呑んだら、酒の流れ込む角度によってはこの壺が密集して保管してある部屋に酒が降り注いで、各壺の封印がいとも容易く解けて、溶けて、俺自身手がつけられなくて、立ち往生するのみ。といった映像。







〈image―1/考察〉

あくまでもポジティブなシンキングありきの映像。そしてもし、この映像にタイトルを付けるとすれば『不幸中の幸い』ということになるだろうか。自信が無過ぎるということが、皮肉にも自分を掘り下げるという行為に繋がって、自分を掘り下げてたら、今度は逆に自分が自信を取り戻す為に必要不可欠なものが凄まじい勢いで湧き出てきたといった感じ。

〈image―2/考察〉

本当はここであえて一度、荒治療だと腹をくくって、全ての壺の封印を溶かしてしまった方が良いんじゃないかとも思う。そう言ってくれる友人もいる。ただ、実際にこれを行動に移した場合にどうなるのかを想像すると、周りの人たちに多大なる迷惑をかけてしまうことは目に見えてるし、自分自身、その後に津波の如くに押し寄せてくるであろう自己嫌悪に耐えられるかどうかも疑問だしで、どうしても行動に移せない。でも、だからと言ってこの壺の中のものをこれから先も今まで通りだらだらと発酵させ続けたところで、数年後に中身のものを瓶詰めして、その瓶に「〇〇年物」などと記されたラベルを貼って、高値で売りに出せるわけでもないし、俺はこの壺、壺、壺を今、そして今後、どう取り扱えば良いのかさっぱりわからないというのが本音だ。

・page―1 ★★★☆

・心のゴキブリ ★★

・Family〜雨の日も無邪気に ★★★

・女性師 ★★★★

・ジャンヌダルク1号 ★★★★☆

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

いっけいの楽曲が聴ける!! MySpaceはこちら

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