大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

「楽しい」が難しい。

時間は金で買える。

金は時間で買える。

しかしながら時間も金も極めて高価。

時間を買ったら、翌日から一円単位の節約を余儀なくされるし、金を買ったら、翌日から時間に追われる日々が始まる。

「逃げ道はないものか」苦悩の挙げ句、酒を買う。と、時間を買う金がないことに気付く。

程なくして、金もなければ時間もない自分がやってきてドアをノックする。

「入ってますぅ」と答えるがダダすべる。

翌日、やむを得ず「自分」を質屋に持っていく。

「この状態じゃ、これで精一杯ですなあ。修理代はウチで持つんですし」と言われて、背に腹はかえられず不可解極まる安値で売る。

涙が出る。

涙が一銭にもならないことに気付くのにありえないくらい時間がかかる。

ここでまた無駄に時間を売ってしまっている自分がやってきてドアをノックする。

「あのぅ。先ほども申し上げたように入ってますぅ」と答えるがダダすべりの上塗りに終わる。

夢が遠退いていく。

コメントありがとうございます。心から感謝します。

結論から申し上げると、まつきあゆむさんのやり方、全然アリだと思います。昨今のライブハウスやレコード会社の有り様を思えば、今後は彼の他にも彼と同じようなやり方で勝負するアーティストが山のように出てくると思うし、それは音楽の質を最優先で考えた場合にはめちゃくちゃ良いことだと思ってます。ただ、現実的にはそのやり方で食っていくというのはかなり難しいことだと思います。「寄付」という形で軍資金を募るというのはよっぽど慎重にいかないと後々ややこしいことになるのは目に見えてるし、何より、持続することが困難かと思います。一方、レコード会社を通さずに作品を手売りするというやり方には全くもって異論はありません。自分の作品の質に自信があるのなら、それで突き進めば良いと思います。

知名度の伴わないアーティストにとって最大の問題はやっぱり「金と時間」だと思います。そして、そのどちらか片方だけではなく、両方を持続させられるかどうかだと思います。

何かと一瞬だけならできます。ただ続けていくということが難しいし、続けていけないのなら動いても無駄だという考え方があって、今の俺の隠居生活があります。

でも、性懲りなく、絶えず、復活への道筋は模索しております。

不純物を過度に吸収することによって黒く重く肥大。ネバネバした「雲のような」と形容するには汚な過ぎる不可解な物体が今、胸中を埋めつくしている。「気が重い」とはこのこと。不快感の塊。





今、ギターを抱いて曲を書いたら、めちゃくちゃ綺麗なメロディにめちゃくちゃ優しい詞が乗ると思う。

ちょっと前まで俺は20代の若造だった。そりゃ、まあ、酒は飲んだ。飲んだくれだったと言っても過言じゃない。でも、30を少し越えた今、現実が生き地獄の一歩手前みたいなことになっているとして、それが過去の、20代の自分の生き方が生んだ「罰」だとか「しわ寄せ」だとか言われても今一つ納得がいかない。

俺の20代はどうだったのか。冒頭でも述べたように、確かに飲んだくれだった。でも、ギャンブルも女遊びも一切しなかったし、分不相応に高価な服を着てイキるということもなかった。基本的に食えりゃなんでもいいし、飲めりゃなんでもいいし、着れりゃなんでもいい。そんな、分をわきまえたスタンスで生きていた。

ただ音楽が死ぬほど好きで、音楽相手に必死こいて格闘してただけだ。

だから、今の生活が最低なものだとしても、俺はこれを「罰」だとも「しわ寄せ」だとも思わない。後の幸せを生むための長い陣痛とでも解釈して、無理矢理にでも前向きに、葛藤の日々を乗り越えていくだけだ。

いろんなことが確かに自分のせいだ。でもそこまで自分のせいじゃない。にも関わらず不本意にも深々と頭を下げて謝罪して、目の前の苦境をとりあえずやり過ごす、なんてことはしたくない。

〈解説〉

300本に到達した。

このブログでは、文章100本でひとくくり。一つの作品、一枚のレコードだと捉えるので、3rdアルバムが完成したことになる。

1〜100本目(3/31〜7/21)の1st『ヴァイブル』

101〜200本目(7/22〜11/11)の2nd『麦乃助の憂鬱』

そして、201〜300本目(11/12〜1/24)の3rdアルバムが今日ここに完成。

タイトルは、11/12から今日までの全文章を再読の上熟考の結果、『V』に決定した。なぜ『V』なのか?その由来についてはあえて説明しませんが、とにかく、字そのものの形状にピンときたとだけ言っておきます。

〈評価〉

3rd『V』は過去の2枚と比べると、読む人によって好き嫌いがはっきり分かれるような気がする。俺自身、今はあまり気に入ってない。でも「今は」であって、将来的には物凄く愛着の湧くアルバムなのかもしれない。正直、俺自身よくわからない、実に混沌とした、ある意味サイケデリックなアルバムです。





では、4枚目の制作に取り掛かります。

常日頃、このブログを通して愛読者の皆さんになんとなくでも良いからわかってもらえたら嬉しいなと思っているのは、音楽にしろ、絵にしろ、文章にしろ、表現するということが俺にとっては本当に「必要」な事で、生きていく上で必要不可欠な事で、「趣味」とか、ましてや「暇潰し」なんかじゃないんだということだ。「ライフワーク」という言葉だって俺には全然ピンと来ない。

俺という人間のその辺の救い難い病的な感じを理解してくれている、あるいは理解しようとしてくれている、あるいは理解しようとすることを楽しんでくれている愛読者の皆さんがいて、俺はそんな皆さんの存在に心から感謝して、「感謝の印」的に嘘の無い文章を日々書き連ねていく。そんな素敵な関係、循環の上にこのブログが成り立つとしたら、実はもう成り立っているとしたら、これは本当に素晴らしい、筆舌し難く嬉しいことだと思う。

残念ながら「ブログ」という言葉自体に若干のお手軽感というか、使い捨て感というか、軽薄な感じがどうしてもつきまとってしまうが、こと俺と皆さんのこの『場所』に関しては、お手軽感や使い捨て感の一切無い、良い意味で重い、それこそ本当に「作品」であって欲しいと思っている。





常日頃、書き手である俺自身のレベル。読み手である皆さんのレベル。そして、書き手である俺と読み手である皆さんとの関係性のレベルみたいな物も含めて、本当に「凄い」ブログを目指しています。本気です。

情緒感の無い人間には何をどう喋っても無駄だ。

今日が窮屈で、明日が不安なら、想像力には事欠かない。

捨てたり売ったりして、自分の持ち物が無くなっていくというのは心地の良いことだ。

何かしら「持つ」と、維持する為に金がかかるし、神経も使う。それはなにも家や車やバイクといった大きな物に限った話じゃない。「持つ」という行為には必ず、それを「維持する」という労が付いてくる。

人間、特に男は、本当は、それこそ寅さんみたいにバッグ一つでどこへでも行けるってくらい身軽なのが一番良いんだと思う。山田洋二に言わせれば、はなっからそんなこんなを含めての「男はつらいよ」というテーマ、タイトルなのかも知れない。物を「持つ」、彼女を「持つ」、家庭を「持つ」、定職を「持つ」ということに対して寅さんの姿があって、でもそれは理想論でしかなくて、理想論だから映画として表現するしかなくて、ゆえに「男はつらいよ」なのだろう。

「持つ」たびに、その場所に縛られていく気がする。それで良い人はそれで良い。でも俺は嫌だ。

唯一執着しても良いのは「自分」だけだと思う。自分を「持つ」ということだけだと思う。

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

いっけいの楽曲が聴ける!! MySpaceはこちら

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