戦さに勝てるかどうかは『地の利・人の和・天の時』という3大原則が満たされているかどうかに因る。というフレーズは三國志を読んでると何度も目にするし、言葉自体に魅力的なリズムと響きがあるので、覚えようとしなくても勝手に覚えてしまう。
『地の利』というのは、戦う場所が自分にとって有利な場所かどうかということで、要するにそこが「自分のフィールド」かどうかということ。
『人の和』は読んで字の如く、戦さに突入するにあたって味方との関係がうまくいってるかどうかということ。
『天の時』というのは要するにタイミングのこと。
『人の和』に関しては全く心配していない。ただ、俺の真逆とも言える相手のペースに引き摺り込まれて、それがそのままタイミングのズレに繋がって、自分が自分でなくなってる所へ突っ込んでこられたらヤバいなと思っている。
とにかく、自分のペースを崩さないように、崩されないように、細心の注意を払わないといけない。
絶対に挑発に乗っちゃいけない。「怒」のプロに対して「怒」のド素人が「怒」で返してたんじゃ勝てるものも勝てない。今まで「そんな威圧感に屈してたまるか!」などと中途半端な男気を出して勝てたことなんて一度たりとも無いことを忘れて、挑発に乗って、城を飛び出したらたちまち落とし穴にはめられるぞ。上から矢が飛んでくるぞ。
こうして籠城策をとっていても、城内にいるにも関わらず落とし穴にはまりそうで全く気が抜けない。というのも連日、城外から矢文が無数に飛んでくる。読みたくはないが読まないわけにもいかず、これを手にとって読む。と、その都度深い自己嫌悪の落とし穴にはまりそうになる。でも、ここは何とか踏ん張って自分のやり方を貫き通さないとな。
「我が君、何卒冷静に。冷静に大きく構えていてください。我が軍は「怒」では絶対に勝てませぬ。しかしながら我が軍には我が軍の戦い方があります。ご安心ください。敵が威圧的だからと言って決して動揺してはなりませぬ。それではまさに敵の思うつぼです。ここは一つ冷静に構えて、敵が自滅するのを待ちましょう。大丈夫です。我が君には私がおります」と、俺の隣で阿仁真里が徐庶(劉備の軍師)を演じている。
「今」をどう捉えれば良いのかということをずっと考えてきた。
俺らしく、だからいつもかなりぎこちなくはあったかもしれないけれど、それでも比較的健康的に笑いながら歩いてこれたように思っていたここまでの人生。そんな中で、突然ストンと落とし穴にハマってしまったかのようなこの奇妙な「今」という時期をどう捉えれば良いのか、どう表現すれば自分自身納得がいくのかということをずっと考えてきた。
昨日、生活雑貨や食料品がおいてある何でも屋的なお店に出掛けたところ、レジの奥の棚、お客の手に届かない場所に、昔、京都の居酒屋で一度だけ飲んだことのある焼酎が売られているのに気付いた。
『晴耕雨読』
いい言葉だなと思った。昔、京都の居酒屋でこの焼酎を頼んだ時の理由もただ単にこの銘柄が気に入ったからで、あの時もこの言葉は当時の自分の気持ちにフィットしたのだが、あれから数年経った今また、この言葉が妙に自分の気持ちにフィットして少し気が楽になった。
要するに雨読だ。ここ数年間、一切雨が降らなかった。ずっと晴耕で、後半に至っては不本意とも言える晴耕の日々だった。でも今はその逆。いつ終わるとも知れない梅雨みたいな感じで雨がしとしとしとしと降り続いている。
だから今は雨読。晴耕の日々には自分の中に何かしら蓄えるということに手が回らなかった。だから今は本を読んだり、考えたりして、自分の中に蓄えられるだけ蓄えるべき時期だ。
孔明は、劉備に三顧の礼をもって迎えられて、乱世に飛び込んで行くまでの間ずっと田舎の草庵に引きこもって読書と構想に耽っていた。だから「伏竜」なんて呼ばれてもいたし、乱世に出てからも孔明は大きな戦争の前には必ずたっぷり時間をかけて、兵士を鍛えたり、農作物の生産力を上げたり、国力の強化を怠らなかった。
ずっと晴耕していることが賢いやり方じゃないし、戦争は戦争以前の地道な蓄えあっての戦争なんだから、俺の人生に関しても、今は今でやるべきことがある大切な時期なんだ。
今まで経験したことのない種類の大きな戦さが始ろうとしている。
俺は絶対に負けない。
負けてたまるか!
負けてたまるか!
負けてたまるか!
負けてたまるか!
負けてたまるか!
不特定多数の人間が寄り集まって、何かしらの流れを成す「全体」となって、それに対して怒りや疑問を抱いた場合には俺は卑下ということをする。でも、対個人的には、俺は卑下ということをほとんどしない人間だ。基本的に分というものをわきまえているつもりだし、基本的には自己評価の低い人間だからだ。だから、そんな俺をして「こいつは馬鹿だ」と心から思わせる人間がいるとすれば、それは、そいつは、たぶん本当に馬鹿だ。
自分なりに必死こいて生きてきた。でももしこの俺の「自分なりに」ってのが気に障るんなら、人間なんて他に腐るほどいるんだから、はなっから他を当たってくれれば良かったまでのこと。そして俺は、悪意に基づいて動いたことはない。数え切れないくらい失敗してきたし、それで数え切れないくらい迷惑をかけてきたと思う。でも、その全てに悪意がなかったということだけは誓って言える。
誰も見ていなくても真相は真相。真実は真実。だから俺の人生、そんなに悪くなるわけがない。
きっと大丈夫だ。
俺は俺。和田一憩。他人にどう思われようが知ったこっちゃない。
読者の皆さんの中に、『ドラクエ』をやったことがあって、クリアしたこともあるという方に是非ともお訊きしたいことがあります。
「逃げる」ということを一切せずにクリアした方はいますか?あと、あのゲームにおいて「逃げる」っていう選択肢はナシですか?いつも卑怯なだけですか?
次に、これは読者の皆さん全員にお訊きしたい。今度は『ドラクエ』のようなゲームについてではなく、皆さんの人生に関してです。
今までの人生、一度も逃げた記憶のない方っておられますか?「無い」もしくは「逃げたこともある」とお答えになった方は本当に素晴らしいと思います。今度是非ご教授願いたい。授業料もしっかり払いますよ。
最後に俺が一番お訊きしたいのは、先の質問に「数え切れないくらい逃げてきた」と答えた方々に対してなんですがよろしいでしょうか。
逃げるたびに例外なく毎度、自己嫌悪に陥りましたか?逃げた後、あなたを待ち受けていたのは例外なく毎度、良くない結果でしたか?他人があなたに「あなたは逃げた」と言ってきた時、それは例外なく毎度、否定できない、首を垂れて認めて当然と思えるものでしたか?
教えてください。
自分は何者かという意識=アイデンティティー。
気付いた。
他人が認めようが認めまいが、俺にはこのアイデンティティーなるものがある。あまりに確固たるものとしてあるので、そのことに苦悩してきたんだ。
気付いたら後は早い。俺はこれに基づいて、これを軸にして、着実に自信を取り戻していくだけだ。自信さえ取り戻せたら、恐怖心なんて5秒で粉砕できるだろう。
少しでも俺の邪魔をするような言葉は今後一切聞き容れない。そして、そんな言葉を吐く人間は俺の物語から削除する。
それにしても一体何だ、この足枷は。忌々しい!
俺はもう俺の軸をぶらさない。ぶれさせない。手段を選ばず死守してやる。冷静に、一歩一歩階段を登っていって、今までで一番イケてる自分を拵えてやる。
大嫌いな人間や、その大嫌いな人間が属する大嫌いな世界にとっての「歩く嫌がらせ」になってやる。
死んでたまるか。糞ったれ!
昔から「自立」という言葉をよく耳にする。「お前らは蝉か!」と言いたくなるくらい人は自立自立自立自立と言っていて、今は夏で蝉がそこら中で鳴いているが、たまに本当に自立自立自立自立と聞こえる。
俺は今までずっと、人の言う「自立」なるものに疑問を抱いてきた。本当の意味をわかって言ってるんだろうかコイツらは。という疑問がずっとあったのだが、心理学の本を何冊も読んでいく中で本当の意味を知って、やっぱりあの人たちは嘘を言ってたんだな、和製英語を本物の英語だと勘違いして喋っているくらい間抜けなことだったんだなという結論に達した。
心理学の本の「自立」の項を開くと、その冒頭には必ずと言って良いほど共通して「現代人は自立の意味を取り違えている」とある。そして、「自立と孤立は違う」という言葉が続いて「現代人の多くは親、兄弟など周りとの関係を遮断、もしくは断絶することを自立だと思っているが、それは自立ではなく孤立で、この誤った解釈が現代人特有の孤独感を生み、この孤独感が今日の様々な犯罪を生み出すに至っている」とある。
じゃ、「自立」の本当の意味は何なのかというと、これに関しては心理学の世界には『二人で一人』というフレーズが昔から基本概念としてあって、『二人で一人』というのは要するに「依存なくして自立なし」ということなのだそうだ。
心理学で言う「依存」という言葉には、「帰依」という言葉があることからもわかるように「帰る場所」という意味合いもあって、帰る場所があって初めて「自立」で、帰る場所のない「自立」は「自立」ではなく「孤立」だということだ。
世の中には自立自立と声高に言いながら、親や兄弟との関係がガタガタになってしまっている人がいる。そして、そんな人に限ってまるで自分自身を正当化するかのようにまたぞろ「自立」ということばを繰り返し繰り返し誇らしげに口走っている。それはただの悪循環じゃないのか?俺としても「自立できている=大人」という考え方に異論はない。その通りだと思う。思うが、親や兄弟と良い関係を築けない人間が大人だと言えるのかどうか大いに疑問だし、親や兄弟とさえ良い関係を築けない人間が果たして親や兄弟以外の人たちと良い関係を築けるのかということも大いに疑問だ。
今までずっと、この「自立」という言葉を、本当の意味も知らぬまま蝉の如くに繰り返し繰り返し説教調に言う人たちに囲まれて、言うに言えぬ怒りにも似た疑問や違和感を抱き続けてきた人たちに捧ぐ。
今、俺には恐怖の対象が二つある。
一つは「個」で、もう一つは「全体」で、これが絡みあって大きな恐怖心になっている。
でも今朝、ある人からのメールを読んで、嬉しいことに「全体」に対する恐怖心にこそ変わりはないが、「個」に対する恐怖心が確実に和らいだのを感じた。
俺が恐れてきた「個」というのは言い換えれば強烈な「怒」なのだが、ほぼ毎日、心理学系の本を買ってきては読んだり、無心になって絵を描いたり、友人たちに会って夜遅くまで話をしたり、昼夜を問わずあれやこれやと熟考しているうちに、この「怒」が実は実に奥行きのないペラッペラなものに思えてきたのである。
ところで、俺は昔から『三國志』が大好きで、漫画や小説や分析書など、三國志に関する本を数多く読んできたのだが、これが、ことあるごとに自分が生きる上での参考、もっと言えば武器になってきた。そしてそれは今回「怒」に対して考える際にも例外ではなかった。
三國志には有名な「赤壁の戦い」以外にも数え切れないくらい戦さの場面が登場するが、戦さには勝利の方程式(いわゆる「兵法」)的なものがあって、この中には現代人の「戦さ」にも役立つものが多々ある。
で、「怒」についてである。三國志を熟読された方ならよくご存知だと思うのだが、重要な戦さの時に絶対に大軍を任せてはいけない人物像というのがあって、これがまさに「怒」の感情に流されやすい人物。頭に血がのぼりやすい短気な性格の持ち主なのである。
三國志を読んでいると本当に実感する。戦さにおいて真に強いのは、いかなる局面においても冷静さを失わない人物だ。誰の目にも多勢に無勢、劣勢で、さらに敵の総大将が世に名高い豪傑であっても、その総大将が「怒」の感情に流されやすい短気な気質の持ち主である場合には、ほぼ100%の確率で、戦う前にすでに勝負はついている。
「怒」は絶対に勝てない。
数で敵を圧倒している分、自信過剰で怠慢になり、無策にただただ数で押す。威圧する。が、いっこうに勝てない。これが続いて、ただでさえ短気なのにさらにイライラし始める。イライラして来る日も来る日も数で押す。威圧し続ける。が、やはりいっこうに勝てない。
この時、対陣している冷静な人物は敵からの威圧感を完無視。自らの心の軸をぶらせることなく、左羽扇に戦局を分析して、頭の中にはすでに自軍が劣勢だという意識すら無く、とりあえず勝つのは当然だとして、思考は「いかに勝つか」という「勝つ」ということの次の段階にまで移行していて、こんな場合、この冷静な人物が特に有能な人物(歴史的大軍師・諸葛孔明の名を出すまでもなく)であれば、選択する戦術はほぼ間違いなく「自滅させる」である。自滅させることができれば、自軍の消耗も最低限に抑えられる。で、入念に策を練る。敵の総大将の気質を最大限利用した形の策を練る。かくして、「怒」は自滅する。
というわけで、見方によっては「怒」はびっくりするくらい恐るるに足りないものなんじゃないか?と思う。というのは現に歴史が証明しているし、俺の個人的な考えとしては、「怒」という感情はある種「毒」なんじゃないかと思う。だからその都度その都度吐き出さなきゃならないんじゃないか、と。そして、中には吐き出しても吐き出しても吐き出し切れないくらい絶えず毒を生産してしまう体質の人がいて、そんな人はやはり、その体質が災いして自滅するしかないんじゃないかと思う。だからもし、そんな人物と対峙、対決しなければならない場合には「待つ」ということが何より有効な戦術になるんじゃないかと思うのです。
〈追記〉じゃ、本当に怖いものって何だろう?と考えた場合にはこれは「優しさ」だと思う。名曲『神田川』の中の「ただあなたの優しさが怖かった」という一節が、いつの時代にも聴く人の胸に響くというのは、人が基本的に、それがたとえ無意識下であっても、そこんとこをちゃんと知っているからだと思う。本当に怖いのは優しさだ。
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