大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

最近、所謂「躁鬱」というのではなくて、ただ単純に希望でいっぱいの日と、絶望でいっぱいの日とがはっきり分かれてきたように思う。希望と絶望が交互にきてるのをしっかり自覚できるようになってきた。そして、その感じを「車輪が回りだした」みたいな前向きなイメージで捉えられるようになってきた。

ガッタン...ゴットン...ガッタン...ゴットン...。この汽車が徐々にで全然構わないから、確実に着実に順調に、ある方向に向かって加速していってくれることを心から祈ったりしています。

今日は希望でいっぱいの日です。

昨日、TVでフィギュアスケートNHK杯を観ていた。浅田真央が出るとのことで。

待ってました!浅田真央がリンク上に出てくると客席から一際高い歓声が上がり、「I LOVE MAO」と書かれた貧乏臭い布や紙が客席のあちらこちらで振られていた。俺も若干興奮しながら「たぶん一発で一位に躍り出るんやろな」と思っていた。

が、演技が始まる前、なんとなく「あれ?表情が重いな」と思った。そして演技が始まると、びっくりするくらいミスの連発だった。アクセルの回転数が足りなかったり、音楽とのタイミングが合わなかったりして、散々だった。

当然ながら演技後も彼女の表情は重いままで、何か想いに耽っているような、心ここにあらずな感じがあって、点数も50点に満たず、その時点でたしか、まさかの最下位だった。

「???」俺は本当に不思議に思った。「何故こんなに急に駄目になっちゃったんだ?」と思ってちょっと悲しくなった。でも、その直後の女性解説者の言葉を聞いて何とも言えず嬉しく思った。女性解説者はこう言ったのだ。

「だいぶ良くなってきましたね。彼女は今、自分のスタイルを一から変えようとしているので、演技中に以前の自分の癖が出そうになるとそれを咄嗟にやめようとしています。そして、それが今日のこの結果です。でも確実に良くなってきてますよ!」

「I LOVE MAO!」と、思った。

騙されない自分を想う

誤魔化されない自分を想う

自分の中に一本

背骨に沿って

絶対に曲がらず

絶対に折れず

絶対にブレず

必要とあらば

必要なタイミングで

必要な間だけ

必要な彩で耀く

強靭な軸が聳え立っている画を想う

全て

熱烈に想うところから始める

全て

熱烈に想うところから始める

「たかが〇〇、されど〇〇」という言葉があって、俺は昔からこの言葉が大好きなんだけれども、要するにこの言葉ってのは「天秤」なんだと思うわけです。

で、〇〇に「自分」をはめ込んだ場合に、「されど」は認めても「たかが」を認めようとしない人が世の中にはうじゃうじゃいて、俺はそういったタイプの人間が我慢ならんわけです。

自分を含めて。

人が黙っていると怖い。

黙っている人は怖い。

ひょっとしたらただ疲れているだけかもしれないのに、「俺、また何かヘマをしたか?」と思ってしまって、居ても立ってもいられなくなる。

言葉を乱暴に扱う人も怖いけれども、言葉を全く発さない人というのも死ぬほど怖い。

とどのつまりは、俺は、今までずっと、人間に怯えて生きてきた。

わからん。ありとあらゆることがわからん。

何か一つでもわかれば、そいつを掴んで、ぐっと手繰り寄せて、上へ上へ上がっていけるはずなんだけれども、何一つわからんのだから手も足も出んのだ。

でも、ものは考えようで、33年目で自分は何もわからないということに気付けたというのは悪いことではないのかもしれない。

わかったフリをして、し続けて、し続けてる自分を自覚していながら見て見ぬフリをし続けて、50や60になってから何もわかってなかった、わかろうとしてこなかった自分を認めざるを得なくなって、あろうことか、人生の「佳境」と呼べる地点において虚無感でいっぱい...なんてことになるよりはずっと良いのかもしれない。

「わかった!」ということだけがこの長いトンネルの出口ではないのかもしれない。熟考に次ぐ熟考に次ぐ熟考の末に「わからん!」と笑顔混じりに言えることこそが、出口なのかもしれない。

ま、わからんが。

摘希は「馬鹿とヒラヒラだ」と思った。

馬鹿とヒラヒラの1メートルほど前、人だかりの最前列、輪の中央では白の中にピンク色がぐるぐるしている直径8センチくらいの丸い飴をなめている鼻水を垂らした幼い女の子が体育座りをしており、他の「客」はその女の子からさらに1メートルほど離れたところで腕組みなどして立ち、馬鹿とヒラヒラを眺めていた。

芸が始まった。それは、平和で退屈な日々を送る善良な人々が「憩いの場」と呼ぶ退屈の根元に突如として現れた、わからない人には勿論わからないし、わかる人にもわからない前衛的過ぎる「アート」の「ー」の字を地で行くかの如きものであった。

斬新過ぎて訳がわからない。正直、斬新なのかどうかさえわからず、ネタと呼べるのかどうかさえわからないネタらしきものが蠢くように進行らしきものをすればするほどに「客」はこれが芸と呼べるのかどうか、漫才と呼べるのかどうか、夫婦と呼べるのかどうか、果てはそんなこんなってどんな?を目の当たりにしている自分自身の在り方に自信があったのかなかったのかさえもわからなくなってきた。

「ー」な夫婦漫才は終始、こんな感じだった。電源の入っていないただ置いてあるだけの無意味なセンターマイクがあり、その向かって右側で旦那がずっと笑うか泣くかしている。たまに、笑いながら泣いている。そして訳のわからないタイミングで突然無表情に黙ったりもして、そこにリズム感的なものは皆無。一方女房はセンターマイクの真ん前に仁王立ちし、涙と鬼の形相を同時に浮かべつつ両手で両耳を塞いだり塞がなかったり塞いだり塞がなかったりを繰り返しながら延々、「あーーーーーーーーーーーーーーーー」と言っていて...で、そう、ただこれだけ。本当にただこれだけ。これが実に1時間もの間続いたのである。

ジャスト1時間。1秒の狂いもなくジャスト1時間が経過したところで、旦那が突然くわっと目を見開き、マイクを全力で地面に叩きつけ、女房共々「客」に礼も述べず、各々別々の方角に立ち去ると、そこには丸い飴のピンクのぐるぐる部分だけをなめ終えた女の子と、摘希の二人だけが残された。飴の女の子は体育座りのままゆっくりと後ろの摘希の方を振り返り、先程まで馬鹿とヒラヒラが立っていた場所を指差して「何?あれ」と言った。

摘希は涙を拭い、嗚咽を堪え、必死に笑顔を作りながら答えた。

「思い出だよ」

ある初秋の夕刻、摘希がいつものようにいつもの表情を浮かべていつもの河川敷をいつものルートで歩いていると、ある光景に出くわした。

10人くらいの人だかり。輪が出来ていて、中には犬を連れている人や、ちょっと小綺麗な浮浪者や、この先どんなに懸命に稽古に精を出そうとも絶対に出世しそうにない貧相な力士などもいて、普通こんな場合、興味がそそられるからゆえに人だかりができて、輪にもなるんだろうに、何故か皆、無言で突っ立っていた。明らかに奇妙な光景。だが摘希は、この稀な光景を、稀だからといって少しも有り難く思えず、逆にかなり迷惑に思ったふりをして、「あたし、要らんねん、こんなん」と心の中で呟いてから、今度は実際に声に出して「別にそんな変な気ぃ使わんでもいいのに...神様。って思ってん今、あたし」と呟いてから、もそもそと輪の中に入っていった。





ところで、夫婦漫才というのは大昔からあって、そもそもは旦那上位の見せ方をするものだったのだが、それでは時代背景そのままの形で面白くないという発想から立場が逆転。社会的にはまだまだ旦那上位であった時代に女房上位の見せ方をするようになり、それがいつの間にやら主流となって現在に至るのであるが、この形も今や限界が来ているのではないか?と思うのは作者だけであろうか?





輪の中で展開されようとしていたのは夫婦漫才であった。旦那も女房も30代後半かと思われる。旦那は背が低く、髪を後ろに束ね結い、中途半端に髭を生やし、翻訳すると「誤解を楽しめ」となる英語のプリントの入った半袖のTシャツを着、薄手の安っぽいジーパンにチェーンをぶら下げていて、一方女房は...ヒラヒラだった。襟元、袖口、ロングスカートの裾、髪飾り...とにかくありとあらゆる物がヒラヒラしていて、両人とも無様この上なく、さらにこの夫婦漫才師が無名の中の無名であることは誰の目にも明らかだった。

長い前置き。不快なもったいぶり。両人は芸を披露する前に口を揃えて何度も何度も執拗に、それこそ鉄板に穴をあける勢いで念を押して「我々、夫婦。所謂夫婦漫才師でございます」と言った。





〈続く〉

彼女は名前を「本多摘希」といった。

摘希は「芸術家的なもの」志望の19才で、夕刻になると決まって近所の大きな川沿いの広い河川敷に散歩に出掛けた。夏場なら17時半頃、冬場だと16時頃に家を出て、両手を後ろに組み視線を地に落として、実は何も、本当に一切何も考えてはいないが、「あ、あたし今、石ころを蹴飛ばした」くらいのことは考えてるんだろうと周囲の人々が勝手に想像したとしてもおかしくはないような表情を無意識のうちに浮かべつつ歩いていた。摘希自身、「無の境地」とは程遠いんだろうけれど、「無」であることは確かなのかもしれないな、くらいのことは実際、何度か考えたことがあった。

日課は日課。欠かせない日課で、欠かせないから日課とも言えたが、かといって「なぜ欠かせないのか?」と誰かに訊ねられたとしても「欠かせないからです」としか答えようのないくらい、今だかつて一度たりとも、その日課中に何か特別面白い光景に出くわしたことはなかったが、にも関わらず欠かせないというところに、そんな自分に、芸術的な何かを感じて、でもそんなことを感じているということさえも別段嬉しいというわけではなかったのだが、かといって、決して悲しいとか寂しいとかいうわけでもなく、ただ最低でも、「死にたい」などとは思わなくて済むだろうぐらいのことは思っていなくはなかった。

今日も明日も明後日も、一切何も起こらないであろうことを重々承知の上で散歩に出掛ける摘希の目には、そんな摘希を来る日も来る日も愛情みたいなものがあるんだかないんだかは知らないしどうでもいいけれど、とりあえずは自分を出迎えてくれて、自分に付き添うようにゆったりと流れる川に映る「死」は、「飛躍」以外の何物でもないように思われた。そして、「だから日課になったのかな」と考えた。





〈続く〉

花。

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

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