ある初秋の夕刻、摘希がいつものようにいつもの表情を浮かべていつもの河川敷をいつものルートで歩いていると、ある光景に出くわした。
10人くらいの人だかり。輪が出来ていて、中には犬を連れている人や、ちょっと小綺麗な浮浪者や、この先どんなに懸命に稽古に精を出そうとも絶対に出世しそうにない貧相な力士などもいて、普通こんな場合、興味がそそられるからゆえに人だかりができて、輪にもなるんだろうに、何故か皆、無言で突っ立っていた。明らかに奇妙な光景。だが摘希は、この稀な光景を、稀だからといって少しも有り難く思えず、逆にかなり迷惑に思ったふりをして、「あたし、要らんねん、こんなん」と心の中で呟いてから、今度は実際に声に出して「別にそんな変な気ぃ使わんでもいいのに...神様。って思ってん今、あたし」と呟いてから、もそもそと輪の中に入っていった。
ところで、夫婦漫才というのは大昔からあって、そもそもは旦那上位の見せ方をするものだったのだが、それでは時代背景そのままの形で面白くないという発想から立場が逆転。社会的にはまだまだ旦那上位であった時代に女房上位の見せ方をするようになり、それがいつの間にやら主流となって現在に至るのであるが、この形も今や限界が来ているのではないか?と思うのは作者だけであろうか?
輪の中で展開されようとしていたのは夫婦漫才であった。旦那も女房も30代後半かと思われる。旦那は背が低く、髪を後ろに束ね結い、中途半端に髭を生やし、翻訳すると「誤解を楽しめ」となる英語のプリントの入った半袖のTシャツを着、薄手の安っぽいジーパンにチェーンをぶら下げていて、一方女房は...ヒラヒラだった。襟元、袖口、ロングスカートの裾、髪飾り...とにかくありとあらゆる物がヒラヒラしていて、両人とも無様この上なく、さらにこの夫婦漫才師が無名の中の無名であることは誰の目にも明らかだった。
長い前置き。不快なもったいぶり。両人は芸を披露する前に口を揃えて何度も何度も執拗に、それこそ鉄板に穴をあける勢いで念を押して「我々、夫婦。所謂夫婦漫才師でございます」と言った。
〈続く〉
短編小説『つみき』(中編)
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