大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

2010年10月アーカイブ

阿仁/予定通り、私たち、今から、携帯の解約に行ってきます。

一憩/ちなみに、このブログ。この文章で1085本目なんやけど、1085本、全てをこのauの白いパカパカ携帯、『W43SA』で書きました。結構雨に降られたりもしたんやけど、一度たりとも壊れることなく、俺と阿仁真里の「筆」として頑張ってくれました。心からご苦労様と言いたい。

阿仁/ホンマやね。今まで本当によく頑張ってくれたよね。感謝!感謝!

一憩/しかしまあ何とかして、早い段階で復帰したいねえ。

阿仁/そういえば一憩さん。この長期休止中に、吐き出したい言葉が出てきたらどうすんの?どうせまた、すぐ出てくるんでしょ?今晩あたりから(笑)

一憩/いや、夕方には出てくるはず(笑)でも、それはそれでそれ専用のノートを買ってきて、その都度、書き留めていくことにするよ。

阿仁/で、特に「これは」っていう文章は復帰後にここに載せるってわけね?

一憩/そういうこと。

阿仁/でも、ま、とりあえず、アルバム10枚作れて良かったね。

一憩/11枚目の完成まであと15本、もうちょいやってんけどなあ...。

阿仁/それはほら、過去の私たちは10枚のアルバムにギュッと凝縮してまとめて終わり!って考えたらいいじゃない。

一憩/そやな。そう考えると、今までの10枚をBOXセットにして発表したいくらいやね。紫色の箱に入ってて、箱の左斜め下にこのBOXセットのタイトルが小さく書いてある。「S.O.S」って(笑)

阿仁/(笑)あと、解説書は剣吾くんに書いてもらってね。

一憩/うん。もし、解説書を入れるんなら剣吾くん以外にないな。あれだけようできた理解者は他におらんからね。

阿仁/だって「命の恩人」って言うても過言じゃないもんね。もし、このブログがなかったとしたら...考えただけでゾッとするもんね。ホンマに感謝やね。

一憩/感謝!感謝!感謝!

阿仁/じゃ、そろそろ行きましょっか。携帯、クラッシュしてもらいにいきましょっか。

一憩/おう、行こ。行こ。

阿仁/それでは皆さん、最後になりましたが、ここまで本当にありがとうございました。いつも言ってるけど、この間、この間を利用して今までのも是非、読んでみてくださいね。よろしくお願いします。本当にありがとうございました!

一憩/ありがとう!

自分を怒らせるようなことをした奴がいたとして、そいつを怒鳴りつけるとか、殴るとかっていうのは、俺はやっぱり嫌だ。誰に何と言われようが、それは、俺のやり方じゃない。俺のやり方じゃないからやらない。―え?それは男らしくないんじゃないかって?じゃ、男らしさなんてどうでもいいよ。オカマとでも何とでも好きなように呼んでくれ―そんなことをしてたんじゃ、自分も相手と変わらない人間になってしまう。相手のいるところまでわざわざ自分が降りていくことになってしまう。だから俺は、そういう相手に対しては、何とかして、許すということをもって、心服させたいと思う。

煮えたぎっている気持ちをグッと堪えて、出来れば幽かに笑顔さえ浮かべて、許す。これで、相手が「負けた」と思ってくれれば、俺はそれが怒鳴ったり、殴ったりするより、ずっと意味のあることだと思っている。俺の、人格的な勝ち負け観はこれに尽きる。

でも、世の中には鈍感の中の鈍感、馬鹿の中の馬鹿というのもいて、そうやって許されたにも関わらず、「負けた」と捉える感受性のない人間がいる。じゃ、こんな場合、こういう人間に対してはどうすれば良いのか。俺はそんな奴はもう自分の人生、物語から外へ摘まみ出してしまえばいいと思っている。自分の人生の小説から、そいつを削除してしまう。これは害虫駆除だ。害虫は害のある虫なんだから、駆除したってバチは当たらないだろう。

怒りで人間を変えようったって無理だ。絶対に無理だ。だから、怒りで人間を心服させようだなんてのはもっと無理だ。100%無理だ。ビビらせることはできても、それ以上の成果は何一つ期待できない。表面的な怒りなんてのは、ヤクザの取り立てみたいなもんで、相手に心のシャッターを固く閉ざされるだけのことで、ちっとも問題の解決にならない。





「用兵の道は、心を攻めるを上策とし、城を攻めるを下策とす」

白い空から傷口に

そっと舞い降りて

傷が癒えるまでの間

笑顔を浮かべてそこにいて

傷が癒えたら静かに

消えてなくなる雪のようなものだと思っていた





ところが振り子

大きな音を立てて

不自然に急に

優しさに振れて

不安

不安

不安





優しさは優しさで

優しさのまま消えてなくなる雪のようなものだと思っていた

阿仁/いよいよ明日でこのブログも終わりやねぇ。ま、終わり言うても「長期休止」やから、第一章閉幕って感じかな。

一憩/そやね。今回ばかりは今までの休止みたいに、すぐ復帰というわけにはいかんやろしな。

阿仁/しかしまあ、頑張ったねぇ(涙)実際、結構涙モンやよね。だって、大阪におった時なんか、雨の日に、公園の濡れたベンチに座って、傘さしながら書いてたりしたもんね。

一憩/まあね。でも、そこは全然泣くとこちゃうよ。俺がホンマに泣きたかったのは、毎晩のように仕事帰りにビール片手にいつもの公園に立ち寄って「執筆」してたら、ある日、お巡りさんがやって来て、「最近、この公園に毎晩、おかしな男が出るという通報を受けましてね」って言われた時やったよ。あ〜れは、情けなかった(笑)

阿仁/ああ、そんなこともあったね(笑)で、仕様がないから近所の、お墓の隣にある公園に「書斎」を移したんやったね。

一憩/そう。でも、そこで毎晩やってるとまた通報される可能性があるから、たまに元の公園に戻ったりなんかしてね。公園をローテーションしておりましたな。

阿仁/そやね。あと、施設で働いてた時には、夜勤の仮眠時間を利用して、短編小説を書いたこともあったよね。

一憩/うん。あれは確か『木元麦乃助の憂鬱』やったかな。し〜んと静まりかえった介護士室で、トチ狂った物語を夢中になって書いたよ。今となってはいい思い出。

阿仁/そうそう、介護士室の片隅の流し台の所で煙草吸いながら、身体丸くして没頭してたよね。懐かしいね。

一憩/懐かしい。

阿仁/ところで、明日も1、2本は書くんでしょ?

一憩/もちろん書くよ。

阿仁/私、なんか協力することある?

一憩/たぶん、ある。ささやかなアイデアが一つあってね。それにはアンタの協力がいるから。

阿仁/喜んでやるから何でもおっしゃって下さいな。

一憩/ありがとう。

阿仁/ま、とにかく、有終の美を飾りやしょう!

一憩/おう!

でも、「二兎追うものは一兎も得ず」とも言うよ。





だね...。

自分自身でいるということに、拭うに拭えない違和感があるとしたら、選択肢は2つしかないと思う。

水と油、光と影的に人格を2つに分離させるか、なんとかして水と油、光と影を統合させるかのいずれかしかないように思う。

例えば太宰治は、3度の自殺未遂(以前、「2度」って書いたけどあれは間違いです)の後、作家としての自分と、社会人としての自分とを完全に分離させて、社会人としての自分は「死んだ」ものとして、そこから猛烈な勢いで作品を書いた。で、この時期を一般的には、太宰治の「安定期」と呼ぶみたいなんだけど(例えば、『走れメロス』はこの時期の作品)、でも、この「安定期」が、一つの人格が死ぬところから始まっていることを思うと、安定期?などと、何か腑に落ちないものがある。





俺の場合は、まず、統合させようとするところから始めた。子供の頃から、自分自身に対する違和感はあったが、それから長年に渡って、それこそリプライズ解散直前まで、統合させようと自分なりに必死にもがいた。でも、その後、この長年のやり方に限界を感じて、自分を分離させてしまうことにした。ソロでの5度に渡るライヴの中で、徐々に徐々に分離させていった。そして、本当の問題は、ここから始まった。

俺は、太宰さんのように、自分自身を、もの作りとしての自分と、社会人としての自分とに分離させた。ここまでは、まあ、良かった。でも、ここからの判断が今にして思えば痛恨のミスで、あろうことか、俺は、もの作りとしての自分の方を死んだものとしてしまった。それからはもう毎日のように、自分の中から悲鳴染みた声が聞こえてきたけど、仕様がない、これを無視し続けた。すると、今度は、自分の中で、このもの作りとしての自分が、腰の引けた社会人としての自分を攻撃、「この嘘つき野郎が!」などと喚きながら、殺そう殺そうとし始めた。これをなだめるにはもう本当に、アルコールしかなくて、気が付けば、依存性になっていて、うつ病になっていて、結局、もの作りとしての自分は表に出ぬまま、表には出ないが内部ではしっかり、社会人としての自分を殺してしまっていた。

「敗戦」後、故郷、伊丹に帰ってきた俺が真っ先にしたことは、自分の中で怒り狂っているもの作りとしての自分に、土下座をして謝罪することだった。

たまに、猛烈に、イライラしてくる時がある。それはたぶん、まだ、このもの作りとしての自分の怒りが鎮まってはいないということと、社会人としての自分を一刻も早く蘇らせてやらないと、現実問題、生きていけないという焦りからくるものなんだろうと思う。

統合はできない。かといって、2つに分離させて、そのうち片方を死んだことにすることもできない。となれば、もうこれはバランスの問題で、両者を上手く両立させていくしかないな...とは思うけど、これはきっともの凄く難易度の高いことで、そんなことが自分みたいなもんにできるのか?ということを考えた場合に全く自信がなくて、往生する。

「アルファベッツにはギリギリ感があったけど、リプライズにはギリギリ感がない」と言われたことがある。言わんとしてることは痛いほど良くわかるし、その違いがそのまま、両バンドの評価の差となって表れたんだろうな、とは思う。

でも、その「ギリギリ感」なるものに関して、俺個人のことを言わせてもらうと、俺はアルファベッツの頃なんかよりずっと、後期リプライズでのライヴの時の方がギリギリだった。自分の書いた歌詞がいちいち胸に突き刺さって、涙が出てきて、まともに歌えなかった。特に『モナリザ』の中の「血も涙もない君の力を信じてる」という部分は、歌っていると、心の奥底からものすごいスピードで、猛烈に込み上げてくるものがあって、歌うに歌えなかった。だから、もし俺に「ギリギリ感」を期待するんなら、アルファベッツよりも、後期リプライズのライヴにこそ足を運んでもらいたかったと思う。でも、実際は、あまり誰も観に来なかったね。もったいない。

俺のギリギリ感は、リプライズ解散後、ソロに転向するとさらに増していった。『モナリザ』だけではなく、ほとんど全曲、涙が出てきて、声が詰まるようになってきた。曲と自分の間に距離感がなくなってしまったように感じたが、ライヴが終わると「これが歌だ。これが歌うということだ」と思って、納得はできた。でも、妙に疲れるようになった。

今、もし、ギター一本持って、ステージに上がったとしたら...と思うとゾッとする。でも、その辺の歌うたいが、いかにぬるいのかということについては証明してやれる自信がある。

上手下手の問題じゃない。音楽で吐き出すという行為がないと生きていけない人間の声と、音楽で吐き出すという行為がなくても、別段、生きていくに困らない人間の声というのは似ても似つかないもので、「歌」の真価はこの部分でもって問われるべきだと思う。

歌わなくても生きていける奴の歌なんて聴きたくもない。

絵、心理学、クラシック音楽、ジャンヌダルク、太宰治、吉田拓郎...伊丹に帰って来てから夢中になったもの。これだけのものが頭の中にあるのとないのとでは、人格的に大きな違いが出てきても不思議じゃないと思う。

何かを探してきたということの軌跡。

変身願望の表れ。

ジグソーパズル。





俺という家をリフォームするにあたって、匠が次々と運び込んでくる。

「今は恋愛とかそんなんもうどうでもええねん」とか、「今は彼氏(彼女)とかいらんねん。だって面倒臭いやん?」みたいなことをどや顔で言う人があるが、あの人たちは何故、あんなにも魅力的じゃないんだろう。

そんな言葉を口にした時点で、百年の恋も醒めるというもの。色気もクソもなくなってしまう。ポコチンが縮む。だから、親切な俺としては、「別に心配せんでも、アンタ、魅力あらへんねやから、恋愛とは無縁でおれると思うで」って言ってやりたいが、これを言ったら言ったで怒りだすんでしょうな。

恋愛というものに憧れや、淡い飢餓感みたいなものを抱いてるというのは、例えばそれが女の人なら、シャンプーのいい匂いをさせて歩いてるのと同じくらい色っぽいことだと思うんだけどなあ。

恋愛への夢を放棄するといいのは、男が男であることを、女が女であることを放棄するようなもんじゃないのか?

子供の頃から「地道」ということに興味がない。人生が一度きりだということを思うと、どうしても興味が持てない。

「ホームランか三振か」的な生き方にしか興味がない。打率がものを言う世の中にはそぐわない思想なんだろうけれども、誰に何と言われようが、ホームランにしか興味がない。職人的なヒットの積み重ねで打率を上げていくということに何の魅力も感じない。したがって、バントなんてのはもってのほか。バントなんてするくらいなら、豪快に三振することの方を選ぶ。

大阪にいた頃は、ホームラン狙いを封印して、ヒットを打ったり、バントを確実に決めることに専念した。要するに「地道」をやってみたのだが、やはり俺には不向きで、不本意で、最終的な打率は1割5分2厘。結果、戦力外通告。

俺はやっぱり「ホームランか三振か」なバッターでいたい。よく、「ホームランはヒットの延長」だと言う。イチローもそう言っていた。でも俺の場合、俺の辞書に載っている言葉は、「ヒットはホームランの失敗」なのである。

人がうちに遊びにきたとして、冷蔵庫の中を見られることくらい恥ずかしいものはないでしょ?トイレは恥ずかしくないのに、冷蔵庫は恥ずかしい。本当は、トイレを見られることの方が恥ずかしいことのはずなのに、実際は、冷蔵庫の中を見られることの方がずっと恥ずかしい。だから、逆に、人の家に招かれた時にも、冷蔵庫の中が見えそうになったら、それは見てはいけないもの、サッと視線を逸らす。

今から書く文章は、俺が、俺だからゆえに体験し続けた、「会話」というものについての話。





俺は、自分で言うのも何だけど、料理人としてはなかなかの腕前だという自負があった。で、厨房に立ち、腕捲りをして、「よし!」と自らに一喝すると、クルリ体を反転、ちょうど自分の真後ろにある冷蔵庫のドアの取手に手を掛けて、恐る恐る開ける。が、何も、本当に何も入ってなくて、呆然として、立ち尽くした。

そこへ、ある料理人がやってきて、「チッ!」と舌打ち、俺を厨房の隅へドンと押し退けて、厨房を占拠した。そして、やはり腕捲りをしてから、先程の冷蔵庫を勢いよく開ける。と、そこには、あれぇっ!?膨大な量の食材が溢れんばかりに詰まっていて、料理人はどや顔を浮かべつつ食材を選び、テキパキと調理し始めた。

俺は黙ってエプロンを脱ぎ、腕捲りを解き、背中を丸めてトボトボ歩き、食卓についた。

どや顔料理人が自信満々に次から次へと料理を運んできた。俺は、自分が何も拵えられなかった羞恥心から、出されるものを、出された順に、出されるがままに食べた。





いつもいつも不味かったが、いつもいつも「旨い」と言った。

人間が人間を産む。当たり前だ。人間が犬を産むところを見たことがないし、犬が象を産むところも見たことがないし、象が蟻を産むところも見たことがない。

臆病が臆病を産む。怠惰が怠惰を産む。秘密が秘密を産む。だから、要するに、例えば臆病が嫌なら、臆病を自分の中から完全に根絶してしまわないといけないということだ。もし、一匹でも見逃してしまったら、その一匹が、あっという間に増殖の起点になってしまう。

俺の場合は、何度も言っているように、やはり、『妥協』。これが一番の問題だ。とにかく、救い難いくらい、絶えず妥協を繰り返しながら生きてきた。妥協中毒。やることなすこと全てに妥協があって、これが蛇のように俺の身体に巻き付いて、蛇が蛇を産んで、完全に身動きがとれなくなってしまった。

とにかく、俺の身体から妥協という妥協を完全に根絶してしまわないといけない。今後、どういった方向に進むにせよ、そして、そこで何をどうするにせよ、まずはこれから始めないと話にならない。でも、これは、この自分で自分に施す大手術は、かのブラック・ジャック先生でも難しいかと思われる。

でも、やらなきゃならないものはやらなきゃならない。手拭いに「玉砕」とだけ書いて頭に巻いて、「南無三!」とか、「ええいままよ!」とか、「死なばもろとも!」とか喚きながら、とりあえず実行に移さなきゃならない。





メス!

朝日が昇るから 起きるんじゃなくて

目覚める時だから 旅をする

教えられぬものに 別れを告げて

届かないものを 身近に感じて

越えて行け そこを

越えて行け それを

今はまだ 人生を 人生を語らず

嵐の中に 人の姿を見たら

消えいる様な 叫びをきこう

わかり合うよりは たしかめ合う事だ

季節のめぐる中で 今日をたしかめる

越えて行け そこを

越えて行け それを

今はまだ 人生を 人生を語らず

あの人のための 自分などと言わず

あの人のために 去り行く事だ

空を飛ぶ事よりは 地をはうために

口を閉ざすんだ 臆病者として

越えて行け そこを

越えて行け それを

今はまだ 人生を 人生を語らず

おそすぎる事はない 早すぎる冬よりも

始発電車は行け 風を切ってすすめ

目の前のコップの水を ひと息にのみほせば

傷もいえるし それからでも おそくない

越えて行け そこを

越えて行け それを

今はまだ 人生を 人生を語らず

今はまだまだ 人生を語らず

目の前にも まだ道はなし

越えるものはすべて 手さぐりの中で

見知らぬ旅人に 夢よ多かれ

越えて行け そこを

越えて行け それを

今はまだ 人生を 人生を語らず

越えて行け そこを

越えて行け それを

今はまだ 人生を 人生を語らず

「これ見て」とか、「これ読んで」とか、「これ聴いて」とか言って、姿は見えないけれど、俺の手をひいて、俺に何かを教えよう、気付かせようとしてくれてる存在を感じる。





〈1〉数ヵ月前。それこそ大阪にいた時分から、俺はなぜか無性に吉田拓郎を聴きたいと思っていた。で、つい先日、うちに「本」と、マジックで書かれた段ボール箱を発見。開けてみたら、芥川龍之介やら、ドストエフスキーやら、ニーチェやら、とにかく、いっぱい本が出てきた。俺の親父と、親父の亡くなった妹さんが昔読んでいた本の数々らしいのだが、俺の目は、その中の2冊の本に被せられた、手作りのブックカバーに止まった。雑誌のページを切り取って拵えたらしいブックカバーで、このブックカバーにある写真が、若かりし日の吉田拓郎だったのである。亡くなった親父の妹さんは吉田拓郎の大ファンだったらしいのだ。

これは明らかに「聴いてみたら?」ということなんだろうと思って、今日、近所のレンタル屋で3枚組のCDを借りてきた。

本当に素晴らしい。かっこいい。特に「人生を語らず」とか、「知識」とかは筆舌し難く素晴らしい。

俺は今まで、太宰治の文学も、吉田拓郎の音楽も、ロクに知らずに生きてきたんだなと思って、それを、自分の人格や夢に照らし合わせて考えると、「そらアカンわな...」と思った。





〈2〉最近、これまでブログに書いてきた文章の中でも、特に気に入ってるものをいくつか厳選して、普通のノートじゃなくて、「何も書いていない本」みたいなしっかりしたものに、書き纏めてみようというアイデアが自分の中にあって、近所の百均屋や文房具でそれらしいものを探したのだが、結局見つからなかった。が、段ボール箱から吉田拓郎のブックカバーと一緒に発見されたのは、なんと、何も書かれていない、白い本だった。これには本当に驚いた。親父によると、これも妹さんのものらしい。「これに書いたら?」声が聞こえたような気がした。





〈結び〉今現在、生きながら、「死ね!」などと平気で言う人もあれば、今はもういない、亡くなった後もなお、優しく、導いてくれる人もあるんだということを思い知った。

降ろすべきものは躊躇なく降ろす。もし、このことに罪悪感を感じた場合にはこの罪悪感からまず降ろす。

乗せるべきものを乗せる。必要不可欠なものだけを乗せる。今後積み込む荷々の為、最大限の遊びを拵えておくことをお忘れなく。

もし、この一連の作業に紛れて、妥協が乗り込もうとして来やがった場合には、躊躇なく、これを殺す。

「別に殺さなくても降ろしてやりゃいいじゃないんですかい?」

あ、お前妥協やろ。殺す。

たぶん13年。13年かあ...と思った。

あと4日。あと4日で、13年間、連れ添ったこの携帯番号ともお別れだ。

この番号を介して、色んな人と関わったなあ、色んなことがあったなあ...なんて感慨は何だかものすごく情けないような気がするのでやめる。

だって、13年も経てば、車だってボロボロになるだろう。思えば俺は13年間、番号も、自分自身も、一旦やめて、破棄して、変えるということをしてこなかったんだから、これはまぁ、当然といえば当然の成り行きで、早かれ遅かれみたいな話なんだろう。

老朽化した番号を破棄。老朽化した自分を破棄。

これ以上ないくらい良いタイミングじゃねぇか。これ以上ないくらい良いタイミングで生まれた、これ以上ないくらい良いアイデアじゃねぇか。

手を打つ。

「私は港の息づまるような澱んだ空気に堪え切れなくて、港の外は嵐であっても、帆をあげたいのです。憩える帆は、例外なく汚い。私を嘲笑する人たちは、きっとみな、憩える帆です。何も出来やしないんです」

写真を添付し忘れてた。

これが、うちのばあちゃんが長年愛用していたナショナル電気ストーブです。

見ておわかりの通り、オーブントースターを「ただ立ててみただけ」みたいな感じです。したがって、これを横に、仰向けに寝かせて使えば、パンはもちろんのこと、餅だってもちろん焼けると思われます。

ただ、オーブントースターとは違って、いつまで経っても「チーン!」とはいわないので、焼き上がりを見計らって我々が「チーン!」って言う必要があるかと思われますが、もし友達を失いたくなければ「チーン!」なんて言う必要はさらさらないようにも思われますが、それでもどうしても言いたいようであれば、蚊のなくような声で、「本当は言いたくないんだよ」みたいな悲しい顔をして、ためらいがちに、「チ、チーン...」という分には全く問題ないかと思われますが、間違えても「チーン!!!」などと叫んじゃ駄目です捕まります。

しっかしまあ急激に寒くなった。

部屋の温度計は13、4度を差していて、手がかじかんでまともに本も読めない。着れるだけの服を着て達磨に変身したら、さすがに達磨、寒くなくなった。でも、指先だけは相変わらず俺のままで、本が読めないので、隣の部屋に行って、何か暖房器具はないものかと探してみたら、この、うちのばあちゃんが長年愛用していたナショナルの電気ストーブを発見した。

暖かい。ナショナル暖かい。「スペシャル」的に「ナショナル」を使ってみたら、意外としっくりきたので、他にも色々と活用してみた。

ナショナル旨い。

ナショナルプライス。

ナショナリスト。

B21ナショナル。

私にとってナショナルな人。

初回限定ナショナルBOX。

徹子の部屋3時間ナショナル。





レトロな電気ストーブの前で達磨が本を読んでいる。

近所の人に笑顔で挨拶ができる。煙草屋でタバコを購入した際などに笑顔で「ありがとう」と言える。

人間、これだけできれば生きていく価値、十分あるように思う。

やることなすことどこかに必ず厭らしい計算があって、表面上笑っていても、目の奥は笑ってなくて、言葉使いが乱暴で早口で...みたいな人がうじゃうじゃと蠢いている中で、あのひとだけは異質。自然に浮いてて、浮きに浮いてて、「そりゃ売れるわなあ」と思う。

周りの計算に乗っかってるだけで本人に計算はなく、最近じゃ貴重だと言えるくらいの純粋な表情を浮かべていて(素晴らしい笑顔だ)、言葉使いが丁寧で、丁寧なんだけど組み立て方は滅茶苦茶で、普通に普通のことを喋っているだけなのに、俺なんかもう完全にツボにハマッちゃってて大笑いしてしまう。

稀有だ。素敵に稀有だ。ああいうのを本当の『癒し系』っていうんじゃないのか?





戦場カメラマン、渡部陽一、38歳。

疲れると、柄でもなく、急激にイライラしてきて、頭が痛くなってくる。

病院の先生は「それは回復の兆しだ」って言ってたけど、俺の目を見ずに言った。

今日はもう、寝るしかねぇな。

先日、親父の運転する車の助手席に乗っていた時、ラジオから宇多田ヒカルの『Automatic』が流れてきた。正直、懐かしいとか懐かしくないとかは関係なく、ただ単純に「良い曲だなあ」と思って、今日、近所の中古CD屋でこの曲のシングル盤を25円で発見して購入、今、聴き続けているのだが...。

誰だ!この曲のベースを弾いてる馬鹿野郎は一体誰だ!サビ中のベースライン、何度聴いても、どう考えても一音足りない。この一音があるかないかで印象はグッと変わるのに...歯痒いったらありゃしない!





剣吾くんが弾きゃもっと良くなったのに。

「さらけ出す」ということをしていない文章なんて、下品で、読みたくない。

人間、「言葉で嘘をつく」なんてことはまずあり得ない。人が嘘をつくというのはいつも、「言葉に嘘をつかせてる」んだと思う。

言葉をナメてかかってたら、そのうち必ず、言葉に喰われるよ。

あなたは誰?どこの女?ひょっとしてあの女!?

って冗談。

コメント、ありがとう。本人に伝えときます。本当にありがとう!!

太宰治=『人間失格』っていうイメージがある。「暗い」とか「重い」とか「絶望的」とかってイメージがある。俺もちょっと前までそう思っていた。





俺が太宰さんの著書を読むようになったきっかけは、ある朝、目を覚ますと同時に、頭に『人間失格/太宰治』というフレーズがドン!と、強烈なインパクトをもって浮かんだということだった(誰も信じてくれないだろうけど、これは本当の本当に実話)。で、俺はガバッと布団から出て、上着だけ羽織ると、そのまま近所の古本屋に直行して、「太宰、太宰...」と心の中で呟きながら、その古本屋の「た」の段を探すと、あからさまに「ここ!俺ここ!ここにおりま〜す!」といった感じで、ショッキングピンクのカバーに黒い字で「人間失格/太宰治」とだけ書かれた本が俺の目に、右斜めの角度から一直線に飛び込んできたのである。

俺が『人間失格』という作品に、太宰治という人に、期待したのは暗さでも重さでも絶望感でもなく、本物のユーモアだった。

で、読み始めたら、最初の1ページで自分の期待したものがそこにあることが知れて、その日のうちにダァーッと読み、読み終えた。

読み終えた時は脱力感みたいなものでいっぱいになった。でも、その脱力感はちっとも不快なものじゃなくて、その真逆の感慨、「嬉しいなあ...」という気持ちから来る脱力感だった。

その後はもう、連日、古本屋に通い、『晩年』、『回想・太宰治』(太宰さんと特に親しくしていた人の回想録)、『斜陽』、『新ハムレット』、『新樹の言葉』、『きりぎりす』の順で手に入れ、読み耽っている。

中でも特殊な一冊、『回想・太宰治』は、太宰さんが実際はどんな人だったのかを知るのにとても役立った。やはり、俺の勘通り、無類の酒好きで、それも大概、昼間から呑んでいて、「太宰先生と会って話をしてみたい」という文学青年たちの来訪は喜んで承けて拒まず、いつもおちゃらけていて、陽気で、場の空気に敏感で、でも、そうやっておちゃらけたり、陽気でいるためには酒が欠かせなくて、酒が抜けると親しい人ともまともに目を合わせられない...そんな人だったみたいで、そんな太宰さんは、人間の「ハニカミ」というのをこよなく愛したらしい。

あと、あと、太宰さんは、めちゃくちゃな人生ながら、めちゃくちゃな男前で、影のある色気があって、めちゃくちゃ女性にモテたらしく、その「モテる」ということが面倒臭くて面倒臭くて...みたいなことを真顔で周りに言うような人だったらしい。添付した写真を見てください。わかるでしょ?

太宰さんは2度、自殺に失敗している。そして、3度目のそれで亡くなっている。太宰さん自身はそんな生き方だったし、そんな生き方しかできなかったんだろうけど、太宰さんが残した作品が読み手に訴えかけてくるのは、昔も今も、『人間失格』を含めて、決して、絶望的で退廃的な死の美学なんかじゃないと思う。「死のススメ」なんかじゃ絶対ないと思う。その証拠に、「俺は俺。君たちは君たち。絶対に死んじゃ駄目だよ!」って声がちゃんと聞こえてくる。

ちなみに、昨日知ったんだけど、今年は太宰さんの生誕100周年らしい。ひょっとしたら俺、呼ばれたのかな。「おい、ちょっとそこの青年、俺の100周年を祝ってくんねえか?」って。





〈追記〉今のところ、俺が最もオススメする太宰作品は、処女作品集『晩年』の中の「猿面冠者」です。背筋に戦慄が走ったよ、ホンマに。

あと5日。あと5日だ。でも「あと5日しかない」じゃなくて、「あと5日もある」だ。

一憩は今月いっぱいで、携帯を解約することにした。

これは「ここらで一発、一新すべきものは一新しよう」っていう一憩の意気込みの表れで、私は大賛成だ。

今度こそは本当に本当の「休止」になると思うけど、でも、やっぱり、ただの休止だ。

11月以降、一憩が本格的に社会復帰するまでの間、ここは完全に留守になる。でも、ま、さっきから言ってるようにこれはただの休止だ。

あと5日、一憩はここに書けるだけのことを書くでしょう。

行けぇー!一憩!!

今日はちと野暮用あって、伊丹市役所に行ってきた。用が済んだら、久々に一人で阪急伊丹の方まで出掛けてみようかと思ってたんだけれども...これが駄目なんだねぇ。無理なんだねぇ。不思議だねぇ。

昨日、ここに載せた『軸に凭れて』の中で、俺は自分が子供の頃、吃りが酷かったということと、それが実は今でも全然治ってなくて、「ただ誤魔化すのが上手くなっただけの話」と書いたが、じゃ「吃りを誤魔化す」って一体どういうことなのか。今ここで、皆さんに説明してみたいと思います。

これが実は、かなりの熟練と日々の努力みたいなものを要する、難易度の高い、立派に『技術』と呼べるかもしれないものだったりするのです。





吃りが酷くて、友人たちに随分と笑われたりもしていた子供の頃の俺の喋り方というのは、実に単純に、「頭に浮かんだ文章をそのまま喋る」というものでした。頭に浮かんだ文章を口にする直前で、素早く「チェックを入れる」ということができなかったのです。無謀でした。それが長い歳月を経て、日々の地味で地道な試行錯誤の結果、俺はついに、他人に自分が吃りであることを悟られないくらいに、吃りを誤魔化せるようになったのです。

「吃りを誤魔化す」とは、つまりこういうことです。人と喋っていて、頭に文章が浮かぶ。と、浮かんだ瞬間に一度、その浮かんだ文章の一番最初に来る言葉の、一番最初の音にチェックを入れるわけです(例えばそれが「眼鏡」だとしたら、一番最初に来るのは「メ」で、母音的には「エ」となりますね)。その音が出るのか出ないのかを瞬時にして見極めるわけです。そして、「出ない」と判断すると、今度はすぐに、その言いたいが言えない言葉と同じ意味で、音の違う言葉を頭の中で高速で検索するわけです。で、もしそのような言葉が頭の中に見つかれば、その言葉を出ない言葉に代えて使うし、なければ、その出ない言葉を度忘れしたフリをして、会話をしている相手がすぐにそれだとわかるヒントを出して、相手が「〇〇?」と答えるのを待って、俺自身はその〇〇を口にすることなく、「そう!それがね」というフレーズを文章の頭に持ってきて、それに伴って文章全体に軽く修正を加えてから、口にするわけです。





どうです?おわかり戴けましたか?なかなかの技術でしょ?何の自慢にもならないけど、俺はこれを小学生の頃から現在に至るまで、1日も欠かすことなく、ず〜っとやってきたわけです。なかなかのもんでしょ?

吃りであるということで、今までそこそこ辛い目をしてきたというのは確かです。子供の頃には、たけし軍団に入って芸人になるんだという夢を諦めざるを得なかったし、今は今で、言葉を口にする直前で毎回チェックを入れなければならない分、会話中、自分の思う絶妙なタイミングからはどうしても少し遅れてしまうし、言葉のチョイス的にも、言うなれば妥協に次ぐ妥協で、「タイミングのズレと、言葉の妥協さえせんで済んだら俺、もっとオモロイのになあ」なんてことを思うのは日常茶飯事です。でもその反面、今ではこの吃りに感謝している部分も大いにあります。ほとんど本というものを読まずにきた割りには、言葉のボキャブラリーが多かったり(少しでも上手く誤魔化す為に、無意識の内に、言葉を覚えるということにかなり貪欲になったようです)、同じ言葉でも、喋ったら吃るのにメロディに乗せて歌う分には全く吃らないということに気付いた時の感動が、後に俺が本気で音楽をやるようになったきっかけになったりと、今思えばこの吃り、吃音、コンプレックスから得たものは計り知れないものがあると思っています。

犠牲にするものも確かに少なからずあったけど、でも、その犠牲が生んだ収穫はもっともっと大きかったと思っています。

子供の頃から、ジグソーパズルの楽しさがさっぱりわからなかった。今でも好きじゃない。「これはここじゃないといけない」「それはそこじゃないといけない」といった具合に、「〇〇じゃないといけない」の連続で、自由な発想が許されないし、1ピースでもなくなるともうそれだけで、すぅ〜っと興味が失せてしまう。なんて窮屈な玩具なんだろうと思う。

その点、完成形や設計図のないブロックとかは結構好きだった。ま、完成形や設計図があったところで完全に無視してたけど。

やっぱり俺が一番好きだったのは「じゆうちょう」とか「らくがきちょう」だった。これはもう完全に自由が許される思ったし、今でも百均屋やコンビニで見掛けるとちょっと胸躍る。粘土も結構好きだったけど、「保存しにくい」というのが嫌だった。自由に作れて、もしそれが気に入った場合には、後々まで綺麗な形で残しておけるものが好きだった。

自由な発想で、後々まで残しておきたいと思えるものを作りたいという気持ちは今でも変わらないし、変わらないどころか年々強くなっていく一方なんだけれども、それはたぶん、中学生の頃だったろうか、そういうものを作ることによって、後々まで残しておきたいと思えるものを作ることによって、結果、自分以外の人たちにもそう思ってもらえるようなものを作れた場合には、その作品と一緒に、自分自身の存在も後々にまで、下手すりゃ「後世」にまで、残せる可能性がなきにしもあらずということに気付いたからだと思う。

要するに俺は死にたくないんだな。死んだとしても死にたくないんだな。

死んだ後も生きたい―この考え方は昔から変わらない。

伊丹から大阪まで出て、大阪から環状線で天王寺まで出て、天王寺から近鉄に乗り換えて、そこから40分近く河内長野方面への電車に揺られて。

『富田林西口』いつか必ず、死ぬまでにもう一度行ってみたい特別な場所。俺が生まれて初めて、1年半、ちゃんと恋愛というものをした場所。今、急に思い出して切なくなった。あの時、俺は19才だったから、あれはもう14年も前の出来事。今にして思えば死ぬほど楽しかった。





彼女が住んでたのは確か、『ボヌール西口』とかいうふざけた名前のマンションの2階だったなあ。片方のスピーカーからしか聞こえないホリーズとポウジーズをよく聴いてたなあ。マンションの目と鼻の先にダイエーがあって、俺、女装して買い物に行ったことがあったなあ。駅前の小さな本屋でボードレールの『悪の華』っていう詩集を買って、その本屋の前の小さな喫茶店に一人で入ってって読んだけど全く意味がわからなかったなあ。ある夜、友達に会いに行ってた彼女の帰りを駅のプラットホームのベンチに座って何時間も待ったけど帰って来なくて、しょうがないってんでマンションに帰ったらもう彼女は帰ってて、二人で笑ったなあ。近所の川によく二人で散歩に出掛けたなあ。夏には歩いていける距離にPLがあって、大花火大会があって、彼女は赤と黒の浴衣を着て、黄色い布で髪を束ねてたなあ。彼女はあまり酒が呑めなかったから、俺、よく一人で近所に唯一の小さな居酒屋に行ってたなあ。頭のぶっ飛んだフリをした芸大生がいっぱい遊びに来たなあ。カズンの『冬のファンタジー』がヒットしてて、どこに行っても聞こえてきたなあ。俺が高校の時以来初めて曲らしい曲を作って、それをスーパーの西友の階段のところにあるベンチに座って歌って聞かせたら嬉しそうに「凄い!」って言ってくれたなあ。確かあの曲のタイトルは「You And Me Song」だったなあ。付き合い始めて一年半後、突然別れを切り出したのは俺で、理由は「本格的に音楽をやりたいから」だったなあ。別れた後、何度か会ったけど、未練があるのは俺の方で、彼女はもう次に向かって歩き出してる人間の表情してたなあ。電話で「やり直さへん?」って言ったら、「ごめん、もう、今、付き合ってる人おって...」って言われて、電話の向こう側からその彼氏らしき男の人の笑い声がして...泣いたなあ。呑んだなあ。この頃の記憶と、痛切な想いを曲にして残そうと思って数年後に作ったのが『ドライフラワー』だったなあ。





青春丸出しの日々だった。『富田林西口』いつかまた行ってみたい。でもいつかきっと、偶然という形で行くことになりそうな気がする。

泣けてくるんだろうなあ。

ほ〜ら、また訳のわからん時間に起きてしもたぞ。こうなったらもう深夜放送を聞くしかねぇやなあ。え〜っと今日は...うわっ!よりによって『伊集院光の深夜の馬鹿力』やん。面白くねぇんだこれが..。伊集院光が喋ってる後ろで一人の男性スタッフがカラカラカラカラ笑いころげてるんやけど、この笑い声が白々しいのなんのって。でも、ま、この真夜中、しーんと静まりかえった中で、「私たちの本当の地獄がはじまった」ってところから読む『斜陽』(太宰)よりはまだマシか..。あ、始まった。伊集院光、話芸的には決して下手じゃないと思うし悪くはないんだけど、息継ぎのタイミングがめちゃくちゃ気になるんだよなあ...。スタッフ、はは、笑ってる笑ってる。ず〜っと笑ってる。しっかしまあ白々しいなあ...。カラカラカラカラ喧しいなあ。でも、ま、しょうがない。これはもう飽きらめて、濃いコーヒーでも飲むことにするか。

ついてねえなあ..。

音楽に関しては、「曲を書く」ということに関しては、これはもう完全に行き詰まってしまっている。いや、正しくは、「行き詰まってしまっている」ではなく、「行き詰まっている」で、「しまっている」なんていうような悲観的なものではない。

決して曲が書けなくなったわけじゃない。正直、書こうと思えば、そこそこのものならいつだって書ける。でも、今は、書いたところできっと、今までに書いたものの延長線上にあるようなものしか書けないに決まっているという確信染みたものが自分の中にあって、書かずにいる。

もう結構長いこと、音楽とは距離をあけている。まるで、「マンネリ夫婦別居中」といった感じが続いている。でも、この別居は決して、別離に向けての別居じゃない。その逆で、もっと深く自分を知って、高めて、相手を想って、知って、いずれまた新しい気持ちとやり方でもって、相手に恋焦がれながら生きていくということをやり直すために必要不可欠な別居だ。

はっきり言って、今現在の俺の全て、本当に『全て』は、いずれ鳴らす俺の新しい音楽のためにあるとさえ思っている。

芸術作品は、その完成から発表までに時間がかかり過ぎる。発表した時にはもう、作者は次へ行ってしまっていて、そこには居ないという場合がほとんどだ。

でも、本当は、芸術家も料理人のように出来る限り、できたてホヤホヤのものを提供すべきなんじゃないかと思う。そうして、受け手と出来る限りでいいから、同じテーブルにつくべきなんじゃないかと思う。





「料理は冷めるが芸術作品は冷めない」と言われればそれまでだし、確かにその通りだとは思うんだけれども、例えば焼鳥屋で、注文したものが目の前の網の上で焼かれていて、焼き上がるやいなや低いガラス越しに「あいよ!」と言って皿を渡されるあの感じ、あの贅沢感が、芸術にもあればなあ...とも思うのです。

昔々あるところに

それはそれは心の優しい作家がいた

ある日結実

死ぬ思いをして傑作を書き上げた

読者は作品の主人公を通して作者の人柄を想った

「きっとものすごく心の優しい人なんだろう」

作家はもう優しい人ではなくなっていた

想像力にはいつも自信があったし、自分は決して意思薄弱な人間ではないという強い自負もあったにも関わらず、今日、ここまで堕ちてきてしまったというのは、その原因の一つに「あまりに言葉を知らなさ過ぎた」ってのがあるなと最近、実感している。

子供の時に、吃りが酷くて悩んだこと(本当は今でも全然治っていない。ただ、今では、瞬時にして誤魔化せるようになったというだけのこと)や、それで周りの人間にかなり笑われたことや、自分がそうやって『言葉』という化け物と必死に格闘し続けているにも関わらず、他人は自由自在に、乱暴に言葉を扱い、言葉は言葉でそんな傍若無人な人間に対しては実に従順に服従してけつかっているという現実に対してめちゃくちゃな怒りを抱き続けた結果、いつしか言葉を、本当に化け物か何か、得体の知れない物凄い醜悪なものだと思うようになり、猛烈に憎しむようになってしまったのだが、これが俺の人生33年目にして大きく裏目に出てしまった。

もの想う頭はあっても、それを上手く言葉に変換する術を持とうとしなかったことが、「自分には軸がない」などという痛恨な気付きに繋がったんだと思う。

だからもっともっと本を読まねばと思う。「本を読まねば」なんて、何か物凄く幼稚な表現に聞こえるかもしれないけど、でも実際に、本を読めば読むほどに、自分の中に只今建設中の軸が構築されて、安定していってるのを実感してるんだから、ここはやはり「本を読まねば」以外の表現はないように思われます。

ちょっと前に書いた短編小説『つみき』。再三に渡るチェックにも関わらず、すぐに3ヶ所ほどミスが見つかったため、管理人・剣吾くんに修正を依頼して、完全版が出来上がりました。

興味のある方は、是非読んでみてください。

例えば美術館で、鼻先が触れる勢いで絵に接近しているオッサンがいて、数歩下がって少し離れた所から絵全体を見ようなどとは一切しないオッサンがいて、その絵を見る時も、次の絵を見る時も、そのまた次の絵を見る時も、やはり同じ見方をしているオッサンがいたら、これはかなり異様で、他の来館者は絵どころではなくなってくるし、警備員は警備員で、それこそ鼻先を触れさせる勢いでオッサンから目を離せなくなるに違いない。

でも、このオッサンと同じような見方を他人や自分自身に対してしてしまっている人が世の中にはいっぱいいるように思う。

もし、これを読んでくれている人の中に「自分って自分勝手な人間なのかな...」なんて思ってる人がいるとしたら、それはそんなに気にすることではないと俺は思う。本当に自分勝手な人間は「自分って自分勝手な人間なのかな...」なんて思わないだろうし、俺の個人的な考えでは、そもそも、世の中に自分勝手じゃない人間なんていないと思っている。

人間って、生きていると、ただ生きているというだけで、実に多くのことを並行してこなしてる。平気な顔をして、実は物凄く難易度の高いことを日々、やってのけてる。だから、一人の人間だからといって、一つの人格だけで生きているわけじゃないし、見る角度を変えれば変えた分だけ見え方が変わってくる、めちゃくちゃ多面的な生き物なんだと思う。

逆に言えば、『自分勝手の塊』なんて奴もそうそう居ないだろうと思う。もしそうやって、どの角度から見ても自分勝手な人間なんてのが居たら、それはそれでめちゃくちゃ難しい生き方、極めて希少で貴重な、ツチノコみたいな人間だと思う。

人は皆、ああいったシチュエーションにおいては自分勝手だけど、こういったシチュエーションにおいては自分勝手じゃない。とか、ああいった人種と関わる場合には自分勝手だけど、こういった人種と関わる場合には自分勝手じゃない。とか、それこそ、夏と春は自分勝手だけど、冬と秋は自分勝手じゃない。といった感じで、日々、色んなことを並行しながら生きていくということに、無意識的に十人十色のパターンを持って、上手く対処してるんだと思う。

多面的に見てあげるということが大切なことなんだと思う。他人に対しても、自分自身に対しても「木を見て森を見ず」じゃ駄目なんだと思う。

今のところは、社会復帰したら、規模の小さい障害者施設で地道に働かせてもらえたらなと思っている。

元々俺は、介護は介護でも老人施設じゃなくて、障害者施設で働こうと思っていた。そして実際に、面接を受けたりもしていたが、その時はまだ俺自身、無資格未経験だったし、さらに障害者施設は基本的に給料が低過ぎるということで、老人施設の方に行くことにしたという経緯がある。だから、これはあくまでも「今のところは」なんだけれども、次は元々やってみようと思っていた障害者施設で働かせてもらえたらなと思っている。

でも、このプランはプランで、どこかに俺の悪癖である「妥協」があるような気がしたりしなかったりしている。だから、「本当はもっと別にやりたいこと、やれることがあるんじゃないのか?」と、深く深く自問自答してみる必要があると思う。何事も心のどこかに妥協があると続かないだろうし、特に、介護職に就く場合には、就こうとする人間の動機に妥協的なものがあるというのは、もうそれ自体が介護される側の人たちに対する大変な無礼に当たるから、よくよく考えないといけないと思っている。

今後踏み出す一歩一歩は、特に仕事に限った話ではなく、何事においても、慎重に、しっかり自問自答を重ねた上で、どこにも妥協のないものにしていきたいと思っている。

目標とする地点があるとして。

猛ダッシュして、全速力で走って、目標地点手前においても減速せず、一旦目標地点を行き過ぎて、それから落ち着いて行き過ぎた距離を目標地点まで戻るのと、はなっから猛ダッシュなどせず、全速力で走るなんてことはせず、ぼちぼちのスピードで走って、目標地点手前で徐々に減速して、目標地点でピタッと止まるのとでは、どっちの方が能率的なんだろう。

この問題については今まで幾度となく考えてきたけど、いまだによくわからない。結構大切なことだと思うんだけどな。

人間、怒りでいっぱいの間は大丈夫っちゃ大丈夫だ。怒りは一種の「パワー」とも言えるからね。

問題は、いち早く気付いて心配してやるべきは、自分の中の怒りに疑問を抱きだしている人であって、もっと言うと、怒りで常に沸点近くまで熱し続けてきた頭が、何らかのきっかけによって、急激に冷め始めてる兆候を見せている人だ。

温度の急激な下降ってのはヤバいんだ。身体的にも、精神的にも。

調子が良くて、頭がスッキリしていて、前向きな発想がちらほら浮かぶような希望的な日。頭の片隅には自分のそんな状態に対する罪悪感みたいなものが常にあって、自分が調子が良いということ自体、鬼の所業と言えるんじゃないか?なんて思ったりする。

でも、しょうがないじゃないか。俺だって生きていかなきゃなんないんだから。しょうがないよ。

島田紳助が立ち上げた、年に一度、年末に行われる漫才の祭典『M−1グランプリ』について、明石家さんまとビートたけしのご両人が次のように言っていた。

明石家さんま「俺は笑いというものに点数を付けるということが嫌。笑いは好き嫌いの問題で、俺が好きやったら好きやし、嫌いやったら嫌いやし...それでいいと思う」

ビートたけし「M−1を観てると、笑いが精密になり過ぎてねえか?と思う。最近の笑いは精密機械みたいだ。完璧な計算があって、寸分の狂いも許されなくて...俺はもっとわかりやすい、すっとぼけたのを観たいなと思うよ」





ご両人の意見は、笑いだけに限らず、最近の世の中のありとあらゆることに関して言えるように思う。要するに、「窮屈な感じはもういい加減にした方がいいんじゃないのか?」ってことなんだと思う。

考えろ。

考えろ。

考えろ。

考えろ。

考えろ。

考えろ。

考えろ。

考えろ。

考えろ。

考えろ。







大丈夫。考えてもみろ。考えるということのし過ぎで頭が破裂してる奴見たことあるか?無いやろ?

大丈夫。お前は天才でも何でもないんやから、考え過ぎるくらいがちょうどええねんて。

大丈夫。

浅田真央は今夜の『フリー』でもミスの連発だった。

跳べない。回れない。タイミングが合わない。でも、最高だった。

昨夜と同じ女性解説者は言った。「彼女は本当に、自分のスケーティングの改革に乗り出しています。今は本当にその真っ最中で、でも彼女はそんな自分をこうやってさらけ出しています」





最近、俺は太宰治という作家に夢中になっている。時間さえあれば彼の著書を読んで、散歩で古本屋に行くたびに『太宰治』のコーナーをチェックしている。それは、太宰治という人が、今夜の浅田真央のように自分自身の何もかもを偽らず、隠さず、さらけ出しているからで、これは、この「さらけ出す」ということについては、かのジョン・レノンにも同じことが言えて、だから、俺はこういう人たちが大好きだ。





無様でいいじゃないか!

うるせえよ馬鹿野郎!

無様でいいんだって!

うるせえよこの嘘つき野郎が!

無様でいいんだ。必死こいてて無様って最高だ!

だからうるせえよこのクソ野郎が!

無様でいいんだって!

現状、「あなたは最低だ」と面と向かって言われたとしても反論できないのは確かで、それは認める。でも、かといって、俺にも色々思うところあって、「じゃ、アンタは最高なのか?」と問うた場合にはきっと、「最高ではないが、あなたみたく最低ではない」という答えが返ってくるのは容易に想像できる。

こうなると、俺に残された選択肢は2つ。「何もわかってないくせに」と言うか、押し黙るかのいずれかであるが、俺が撰ぶのはきっと後者、「押し黙る」だと思う。

何もわかっていない人間に「何もわかってないくせに」と言うことに意味を感じない。ただただ面倒臭い。

面倒臭い。

まず何より『等身大』であるということ。「これなら自分にもできるんじゃないか?」という夢のある錯覚を起こさせるものであるということ。そして、それが錯覚であるということに気付いた人が感じるものが不快感とか絶望感とかではなく、すがすがしさに似た、やはり夢のあるものであるということ。次に大切だと思うのは、一見絶望的であっても、本質的には希望的なものであるということ。要するに、常に作品の根底にユーモアが流れているものであるということ。ユーモアということを忘れずに創る姿勢に重きを置きながら創り続けるということ。





エラそうなのは重々承知の上で。

怒りが演技の人は優しい。

怒りだけが演技でない人はその逆。

昨日、心からの優しさで、心から俺のことを心配して、俺にものを言ってくれてる人に、俺は自分の苛々をぶつけてしまった。

本当に情けなく、申し訳なく思っている。

俺は、その人の為にも死ぬ気で生きねば、死ぬ気で生まれ変わらねばと思っている。

今、俺は本当に色んなことを学ばせてもらっている。絵を描くのもそう、文章を書くのもそう、本を読むのもそう、時間をかけて色々と「学ぶ」ということをやらせてもらっている。そして、そうやって今、色々と学ばせてもらっていることの中で一番学ばせてもらっているのはきっと、「本当の優しさの何たるか」だと思っている。

最近、所謂「躁鬱」というのではなくて、ただ単純に希望でいっぱいの日と、絶望でいっぱいの日とがはっきり分かれてきたように思う。希望と絶望が交互にきてるのをしっかり自覚できるようになってきた。そして、その感じを「車輪が回りだした」みたいな前向きなイメージで捉えられるようになってきた。

ガッタン...ゴットン...ガッタン...ゴットン...。この汽車が徐々にで全然構わないから、確実に着実に順調に、ある方向に向かって加速していってくれることを心から祈ったりしています。

今日は希望でいっぱいの日です。

昨日、TVでフィギュアスケートNHK杯を観ていた。浅田真央が出るとのことで。

待ってました!浅田真央がリンク上に出てくると客席から一際高い歓声が上がり、「I LOVE MAO」と書かれた貧乏臭い布や紙が客席のあちらこちらで振られていた。俺も若干興奮しながら「たぶん一発で一位に躍り出るんやろな」と思っていた。

が、演技が始まる前、なんとなく「あれ?表情が重いな」と思った。そして演技が始まると、びっくりするくらいミスの連発だった。アクセルの回転数が足りなかったり、音楽とのタイミングが合わなかったりして、散々だった。

当然ながら演技後も彼女の表情は重いままで、何か想いに耽っているような、心ここにあらずな感じがあって、点数も50点に満たず、その時点でたしか、まさかの最下位だった。

「???」俺は本当に不思議に思った。「何故こんなに急に駄目になっちゃったんだ?」と思ってちょっと悲しくなった。でも、その直後の女性解説者の言葉を聞いて何とも言えず嬉しく思った。女性解説者はこう言ったのだ。

「だいぶ良くなってきましたね。彼女は今、自分のスタイルを一から変えようとしているので、演技中に以前の自分の癖が出そうになるとそれを咄嗟にやめようとしています。そして、それが今日のこの結果です。でも確実に良くなってきてますよ!」

「I LOVE MAO!」と、思った。

騙されない自分を想う

誤魔化されない自分を想う

自分の中に一本

背骨に沿って

絶対に曲がらず

絶対に折れず

絶対にブレず

必要とあらば

必要なタイミングで

必要な間だけ

必要な彩で耀く

強靭な軸が聳え立っている画を想う

全て

熱烈に想うところから始める

全て

熱烈に想うところから始める

「たかが〇〇、されど〇〇」という言葉があって、俺は昔からこの言葉が大好きなんだけれども、要するにこの言葉ってのは「天秤」なんだと思うわけです。

で、〇〇に「自分」をはめ込んだ場合に、「されど」は認めても「たかが」を認めようとしない人が世の中にはうじゃうじゃいて、俺はそういったタイプの人間が我慢ならんわけです。

自分を含めて。

人が黙っていると怖い。

黙っている人は怖い。

ひょっとしたらただ疲れているだけかもしれないのに、「俺、また何かヘマをしたか?」と思ってしまって、居ても立ってもいられなくなる。

言葉を乱暴に扱う人も怖いけれども、言葉を全く発さない人というのも死ぬほど怖い。

とどのつまりは、俺は、今までずっと、人間に怯えて生きてきた。

わからん。ありとあらゆることがわからん。

何か一つでもわかれば、そいつを掴んで、ぐっと手繰り寄せて、上へ上へ上がっていけるはずなんだけれども、何一つわからんのだから手も足も出んのだ。

でも、ものは考えようで、33年目で自分は何もわからないということに気付けたというのは悪いことではないのかもしれない。

わかったフリをして、し続けて、し続けてる自分を自覚していながら見て見ぬフリをし続けて、50や60になってから何もわかってなかった、わかろうとしてこなかった自分を認めざるを得なくなって、あろうことか、人生の「佳境」と呼べる地点において虚無感でいっぱい...なんてことになるよりはずっと良いのかもしれない。

「わかった!」ということだけがこの長いトンネルの出口ではないのかもしれない。熟考に次ぐ熟考に次ぐ熟考の末に「わからん!」と笑顔混じりに言えることこそが、出口なのかもしれない。

ま、わからんが。

摘希は「馬鹿とヒラヒラだ」と思った。

馬鹿とヒラヒラの1メートルほど前、人だかりの最前列、輪の中央では白の中にピンク色がぐるぐるしている直径8センチくらいの丸い飴をなめている鼻水を垂らした幼い女の子が体育座りをしており、他の「客」はその女の子からさらに1メートルほど離れたところで腕組みなどして立ち、馬鹿とヒラヒラを眺めていた。

芸が始まった。それは、平和で退屈な日々を送る善良な人々が「憩いの場」と呼ぶ退屈の根元に突如として現れた、わからない人には勿論わからないし、わかる人にもわからない前衛的過ぎる「アート」の「ー」の字を地で行くかの如きものであった。

斬新過ぎて訳がわからない。正直、斬新なのかどうかさえわからず、ネタと呼べるのかどうかさえわからないネタらしきものが蠢くように進行らしきものをすればするほどに「客」はこれが芸と呼べるのかどうか、漫才と呼べるのかどうか、夫婦と呼べるのかどうか、果てはそんなこんなってどんな?を目の当たりにしている自分自身の在り方に自信があったのかなかったのかさえもわからなくなってきた。

「ー」な夫婦漫才は終始、こんな感じだった。電源の入っていないただ置いてあるだけの無意味なセンターマイクがあり、その向かって右側で旦那がずっと笑うか泣くかしている。たまに、笑いながら泣いている。そして訳のわからないタイミングで突然無表情に黙ったりもして、そこにリズム感的なものは皆無。一方女房はセンターマイクの真ん前に仁王立ちし、涙と鬼の形相を同時に浮かべつつ両手で両耳を塞いだり塞がなかったり塞いだり塞がなかったりを繰り返しながら延々、「あーーーーーーーーーーーーーーーー」と言っていて...で、そう、ただこれだけ。本当にただこれだけ。これが実に1時間もの間続いたのである。

ジャスト1時間。1秒の狂いもなくジャスト1時間が経過したところで、旦那が突然くわっと目を見開き、マイクを全力で地面に叩きつけ、女房共々「客」に礼も述べず、各々別々の方角に立ち去ると、そこには丸い飴のピンクのぐるぐる部分だけをなめ終えた女の子と、摘希の二人だけが残された。飴の女の子は体育座りのままゆっくりと後ろの摘希の方を振り返り、先程まで馬鹿とヒラヒラが立っていた場所を指差して「何?あれ」と言った。

摘希は涙を拭い、嗚咽を堪え、必死に笑顔を作りながら答えた。

「思い出だよ」

ある初秋の夕刻、摘希がいつものようにいつもの表情を浮かべていつもの河川敷をいつものルートで歩いていると、ある光景に出くわした。

10人くらいの人だかり。輪が出来ていて、中には犬を連れている人や、ちょっと小綺麗な浮浪者や、この先どんなに懸命に稽古に精を出そうとも絶対に出世しそうにない貧相な力士などもいて、普通こんな場合、興味がそそられるからゆえに人だかりができて、輪にもなるんだろうに、何故か皆、無言で突っ立っていた。明らかに奇妙な光景。だが摘希は、この稀な光景を、稀だからといって少しも有り難く思えず、逆にかなり迷惑に思ったふりをして、「あたし、要らんねん、こんなん」と心の中で呟いてから、今度は実際に声に出して「別にそんな変な気ぃ使わんでもいいのに...神様。って思ってん今、あたし」と呟いてから、もそもそと輪の中に入っていった。





ところで、夫婦漫才というのは大昔からあって、そもそもは旦那上位の見せ方をするものだったのだが、それでは時代背景そのままの形で面白くないという発想から立場が逆転。社会的にはまだまだ旦那上位であった時代に女房上位の見せ方をするようになり、それがいつの間にやら主流となって現在に至るのであるが、この形も今や限界が来ているのではないか?と思うのは作者だけであろうか?





輪の中で展開されようとしていたのは夫婦漫才であった。旦那も女房も30代後半かと思われる。旦那は背が低く、髪を後ろに束ね結い、中途半端に髭を生やし、翻訳すると「誤解を楽しめ」となる英語のプリントの入った半袖のTシャツを着、薄手の安っぽいジーパンにチェーンをぶら下げていて、一方女房は...ヒラヒラだった。襟元、袖口、ロングスカートの裾、髪飾り...とにかくありとあらゆる物がヒラヒラしていて、両人とも無様この上なく、さらにこの夫婦漫才師が無名の中の無名であることは誰の目にも明らかだった。

長い前置き。不快なもったいぶり。両人は芸を披露する前に口を揃えて何度も何度も執拗に、それこそ鉄板に穴をあける勢いで念を押して「我々、夫婦。所謂夫婦漫才師でございます」と言った。





〈続く〉

彼女は名前を「本多摘希」といった。

摘希は「芸術家的なもの」志望の19才で、夕刻になると決まって近所の大きな川沿いの広い河川敷に散歩に出掛けた。夏場なら17時半頃、冬場だと16時頃に家を出て、両手を後ろに組み視線を地に落として、実は何も、本当に一切何も考えてはいないが、「あ、あたし今、石ころを蹴飛ばした」くらいのことは考えてるんだろうと周囲の人々が勝手に想像したとしてもおかしくはないような表情を無意識のうちに浮かべつつ歩いていた。摘希自身、「無の境地」とは程遠いんだろうけれど、「無」であることは確かなのかもしれないな、くらいのことは実際、何度か考えたことがあった。

日課は日課。欠かせない日課で、欠かせないから日課とも言えたが、かといって「なぜ欠かせないのか?」と誰かに訊ねられたとしても「欠かせないからです」としか答えようのないくらい、今だかつて一度たりとも、その日課中に何か特別面白い光景に出くわしたことはなかったが、にも関わらず欠かせないというところに、そんな自分に、芸術的な何かを感じて、でもそんなことを感じているということさえも別段嬉しいというわけではなかったのだが、かといって、決して悲しいとか寂しいとかいうわけでもなく、ただ最低でも、「死にたい」などとは思わなくて済むだろうぐらいのことは思っていなくはなかった。

今日も明日も明後日も、一切何も起こらないであろうことを重々承知の上で散歩に出掛ける摘希の目には、そんな摘希を来る日も来る日も愛情みたいなものがあるんだかないんだかは知らないしどうでもいいけれど、とりあえずは自分を出迎えてくれて、自分に付き添うようにゆったりと流れる川に映る「死」は、「飛躍」以外の何物でもないように思われた。そして、「だから日課になったのかな」と考えた。





〈続く〉

花。

虚勢。

好き。

(居酒屋での)すいません!

ごめん。

うるさい!

もう少し社会力があればなあ...。

もう少し想像力があればなあ...。

ほんの数ヵ月前まで『わかば』を吸ってると、「ジブン、エライの吸ってるなあ!」などと笑われたものだが、ついさっき、コンビニに行くとわかばが売り切れていた。

所詮、世の中の価値観とか美意識とか優越感なんてこの程度のもんだ。

要するにみんな、軸がないんだな。軸が無くて苦悩している人間が多少なりともいる一方で、そもそも軸なんてものを考えたことがないからゆえに流れるように無理なく楽に楽しく生きていけてる人ってのが大勢いるんだな。

でも俺は軸を考えずに楽に楽しく生きていくよりは、軸を考えて、探して、多少の苦悩を感じながら生きていく方がずっといいと思うな。

俺は音楽も絵も文章も好きで、本当に大好きで、身の程知らずにも、音楽も絵も文章もやる。そして、音楽と文章に関しては、まさに33歳の俺が創ってるなあと思う。出来上がってきたものを見て、そう実感する。でも、絵だけは違う気がする。俺が創ったのは確かだし、それは一目瞭然だけど、出来上がってきたものの中に俺の「33年」を感じない。要するに、絵だけが、音楽や文章に比べて圧倒的に若い。っていうか、正直、かなり幼稚だ。「絵が上手い」と言われてる小学生の絵だ。でも、だから、変な話、俺は自分の絵が結構好きだ。ある意味では、自分の創るものの中で絵が一番好きと言えるかも知れない。

自分の中の子供が描いてるんじゃないか?と思う。自分の中の子供が直接、完全に33歳の俺に成り代わってできることと言えば絵を描くことだけなんじゃないか?と思う。

音楽よりも幼稚な文章よりもかなり幼稚な絵。一番幼稚だけど一番純度が高い。

俺の中の三姉妹。音楽が長女で、文章が次女で、絵が三女。長女と次女は年齢が近いが、三女だけはだいぶ年下でまだ子供。





自分で言うのもなんだけど、俺の絵、捨てたもんじゃないね。ま、いっぱい捨てたけど。

選ばれてあることの

恍惚と不安と

二つわれにあり







太宰治の『葉』という短編小説の冒頭を飾る、ヴェルレーヌという人の詩。

この詩は嬉しい。「嬉しい」と思った。この3行を眺めながらビール6缶は余裕でいける。

普段は基本的に頭の中が言葉でいっぱいで、下手すりゃそのうち耳とかから垂れて出てくるんじゃねえか?ってなことを思ったりもするくらいなんだけれども、人に会って大いに語り合った日の翌日と、大好きな作家さんが著したグレートな本を読んでいる間だけは頭の中が「いや、あの、実は、私、一昨日の朝から何も食しておりませんで...」みたいな感じになって、もし、この感じを引き摺ったまま偶然にも大好きな『餃子の王将』の前を通りかかってしまったりなどしてしまった日にゃ、それこそ金も無いのに無抵抗に吸い込まれるように店の中に入ってって、餃子9人前とか注文しちゃって、自分の感じているこの飢餓感が胃の問題ではなく頭の問題だということに気付くのはたぶん、3人前くらい平らげた後のことで、こうなるともうテーブルの上に居並ぶとてもじゃないが食い切れない6人前もの餃子は威圧感の塊、36人編成の暴力団といった風情で、俺はただ茫然自失として言葉を失うか、逆に、発狂したかのように爆発的に笑いだして周囲の善良な市民の方々に大いに気持ち悪がられるだろうとは思うが、そもそも、一人で餃子のみを9人前も注文している時点で結構気持ち悪がられるだろうことは容易に察しがつくがしかし、世の中には一人で10人前くらい余裕で食ってしまえる人もいて、恐ろしいことこの上ないが、恐ろしいことこの上ないからといってあれが、ああいう人たちが暴力団組員というわけでは決してない。

おぎやはぎが大好きだ。

言えたら描かない。

言えたら歌わない。

言えたら書かない。







上記3行は『詩』でもなんでもありません。俺が長年に渡って引き摺ってきた想いを端的に言ってみただけのことです。でも、ひょっとしてこれに関しても、この単純な3行の意味に関しても、わざわざ説明しなければならないのでしょうか?

俺は詩人ではありません。めちゃくちゃ畏れ多いです。俺はただ、詩人と呼ばれる人たちに対してかなり漠然とはしているけれども強い憧れの気持ちを抱いているだけの人間です。

でももし、冒頭の3行にさえ解釈に難儀して、或いは誤解して、とりあえず何だかよくわからないから『詩』と呼んで、さらに説明を求められるようなら、俺は詩人になんてなりたくもありません。

詩人はガイジンではありません。可哀想です。

厳密に言うと「黙れません」。

世の中には、何かを熱く語っているようで実は何も語っていない人もいれば、逆に、一見何も語っていないように見えて実は熱く語っている人もいます。

実のない言葉はただの声で、ま、声ならまだ全然マシな方で、実のない言葉のほとんどは声と呼ぶのもおこがましいただの音かと思われます(「声」という言葉は使い方を心得ている人間が用いるとめちゃくちゃ詩的な響きをするものだけに、馬鹿が安易な使い方をするとたちまちその馬鹿っぷりを露呈してしまうことになってしまうので取り扱い注意ですね)が、人の言葉を無配慮下品に遮る分には、別に言葉や声でなくとも音で十分事足りると思いますが、俺は自分の言葉を遮られるというのがもう本当に我慢ならないのですが、かといって黙るわけにもいかず非常に狼狽するところではありますが、俺の言葉はちゃんと言葉、もしくは声であると自負しておりますので、ご安心ください。といった言葉遊びもたまにはいいでしょ?

33にもなって、ポジティブな姿勢や思想や表情をギラギラと放ちながら生きている人がいたら、それはそれで立派に病気だと思う。

普通に見る目があって、普通に考える頭があって、普通に自分の言葉を語る口を持っていれば、世の中や人生や人間に対して恐怖心や不安や懐疑心を抱くのは当たり前のことで、どちらかというとその方が健全なことなんじゃないかと思う。





でも同時に、世の中は、人生は、人間は決して捨てたもんじゃないのかもしれないな、とも思う。それどころか結構輝々とした素晴らしいものなのかもしれないな、とも思う。

目や頭や口を放棄しさえすれば。

自己否定的な考え方を払拭するためには、誰かの手助けをして喜んでもらうのが一番の近道だ。

自分は誰なのかというしっかりとした認識と、自分は生きているという地に足のついた自覚と、自分は生きたいという明確な希望がある人の手助けができたら最高だと思う。

俺は罪を償うようにして生きていくことになると思う。でも、だからと言って罪悪感の塊みたいになって、心から笑うということができないような生き方はまっぴらごめんだ。

自分の分をわきまえながら、でも決して小さくならず、何らかの形で誰かの手助けをすることで罪を償って、それでも楽しいものは楽しいし、楽しいって思えることは最高に幸せなことなんだと声を大にして言える感性を維持しながら生きていきたいと思う。

〈起〉介護施設で働く為に資格が必要で学校に通った。4ヶ月間、一緒に勉強をした人たちの中に70代のおばあさんがいて、他の誰よりもイキイキとしていた。

〈承〉老人施設で働く中で、自分の中の老人観が大きく変わった。重度の認知症の人を、「人」と呼べるのかどうかについて、めちゃくちゃ考えた。介護職の人間がこんな疑問を抱くこと自体間違いなのはわかっていたが、考えずにはおれなかった。そして俺が最終的に出した答えは残念ながら「人とは呼べない」だった。

〈転〉人が何かを始めるのに「遅すぎる」なんてことはないと思う。どの地点をもって「遅すぎる」などと言えるのかわからないくらいに人生は短いし、人は人でなくなってしまった後もなお、生き長らえてしまう場合がある。

〈結〉過去があるから現在がある。でも、現在がなくて過去だけがあっても未来はない。ある意味、過去なんてその程度のものだ。縛られたければ縛ってもらえばいい。亀甲縛り。ギッチギチに縛ってくれるでしょう。でも、縛られたくなければ「いりません」ってハッキリ言やあいい。無理に縛ろうとはしてこないでしょう。

聞く耳を持たない人に対しては喋る口を持たない。

以前にも書いたかもしれないが、「諦める」というのは仏教では「明らめる」で、「明らかにする」という意味があるらしい。

「自分は自分でしかない。自分以上でも自分以下でもない」という岡田武史氏の言葉は考えさせられる。

無理に自分以上であろうとすると、劣等感と無縁ではおれず、アルコールや薬物に手を出すようになることもあるだろうし、逆に自分以下にまで自己評価を落とし込むと、羞恥心と無縁ではおれず、引きこもり的なことになってしまう。

だから「自分は自分だ」というのは良い意味で「諦め」なんだと思う。自分を見上げることも、自分を見下すことも諦めて、自分を明らめて、明らかにすることなんだと思う。

番組の最後を岡田さんは「私は弱い人間です。でも、それが私です」という言葉で締めくくっていたが、これは、この言葉は、この考え方は、いわゆる一つの「悟り」なんじゃないか?と思った。そして、こういう人を「強い人間」っていうんじゃないのか?と思った。

昔から「人間、諦めが肝心だ」という言葉が大嫌いだった。大嫌い「だった」。

今はもうアルコール依存の治療は受けていない。俺の場合はアルコール依存によるうつじゃなくて、うつによるアルコール依存だということなので、うつの治療に専念している。主に日没時や雨降りの日なんかに起こる強い気分の滅入りを薬でコントロールしながら、週に一度のペースで通院している。

今、一番辛いのは食べ過ぎると気分が悪くなるのと同じで、頭の中が言葉でいっぱいになって気分が悪くなることで、これも薬の種類や量を色々と変えてみることでコントロールしている。

病院からは「睡眠障害を何とかしないといけない」と言われていて、次の通院時には睡眠障害の専門医に診てもらうことになっている。

一番の問題は問題が自分の内だけではなく、外にもあるということ。でも、とりあえず今は、答えが出ないことをわかっていながら無闇やたらに考えるという無駄なことはやめて、自分の中のギアをニュートラルにしておくことを何よりも優先している。

今までにも何度か書いたことだが、俺は、俺という人間は能力的に大きな偏りがある。バランスがめちゃくちゃ悪い。だから、目の前にラインを引かれて、「ライン上を真っ直ぐ歩け」と言われるほど辛いことはない。「あれ、あれれれれっ」などと情けない声を上げつつ、ラインから大きく外れて左だか右だかに進んでいって、電柱的なものにぶつかって倒れて、倒れる際に柔道の受け身的な動作をしてどや顔で立ち上がるのがオチだ。

でも、ま、それはそれでいっかと思う。少なくとも希少価値はあるだろう。世の中には見た目的にも機能的にも何が良いんだかさっぱりわからない骨董品が何百万何千万もするケースがある。壺として機能しない壺が壺の中の壺だったなんてことだってある。わかる人にはわかる。わからない人にはわからない。でもこれっぽっちもわかりたいと思えないし、そもそも「わかる」などと言う人が本当にわかっているのか、何を基準に「わかる」と言っているのかさえわからないし、わかりたくない...世の中にはそんなものがたくさんある。

はっきり言って俺はガラクタだと思う。でも、今はそれを悲観的には捉えていない。世の中にはガラクタフェチがいる。確実にいる。そしてそういう人たちは自分のそんな感覚を一切恥じることなく、誇らしげに語る。「アンタらにはガラクタだろう。でも俺にとっては違うんだ」って思ったり言ったりすることに極めて個人的な贅沢を感じている。

素敵なガラクタでいたいと思う。頑張っても頑張ってもガッタガタのグッチャグチャのウッダウダだったら、それはそれで奇跡の産物。素敵じゃないか。

きっと誰かが気に入ってくれる。ガラクタにはガラクタのプライドがある。ガラクタはただただ存在することに必死こくだけだ。存在しなくなった時に全てが終わる。でも存在さえしてれば、常に可能性は残されている。

さあ、必死こいて生きるぞ!

大人を名乗りたいんなら「選ばされた」なんて言葉は通用しない。いつも「選んだ」んであって、選んだ以上はそこにズドンと責任がある。

俺が選んだ。

私が選んだ。

「俺は選ばされた」は無いし、「私は選ばされた」もない。

「選ばれた」はある。でも選ばれたことを受け入れた時点でそれは「選んだ」んであって、「選ばされた」んじゃない。

あまりに抽象的な文章でなにが言いたいんだかさっぱりわからないかもしれない。でも、世の中には潔く「選んだ」と言える人も大勢いるが、その一方で「選ばされた」などと的外れなことを言う人も多々いるということを最近実感している。

「選んだ」と「選ばされた」には、ちょっとした言い回しの違い以上の違いがある。前者は責任を引き受けるということ。後者は誰かに責任を転嫁するということ。

大人は選ぶから大人。「選ばされた」などと言って許されるのは子供だけ...いや、子供でも許されるべきじゃないくらい卑怯な言葉だ。

俺は生まれてこのかた、人を殴ったことがない。そして、怒りにまかせて一方的に人に怒鳴り付けたこともない。不毛な口論の中で怒鳴ったことはあるが、そんれはなんとなく「こういう時って普通、怒鳴るもんなんやろな」と思っただけのことで、実は頭は冷静だった。ただの演技だった。

今後、「怒」の感情をどう扱っていくべきかを考えている。もちろん「怒」の感情が無いわけじゃない。でも、俺にはやっぱり「怒」は似合わないと思うし、基本的には「怒」って幼稚な感情だと思っている。要はタイミングと表現の仕方の問題なんだろうけど、今まで見てきた「怒」のほとんどは必要性を感じられない、参考にならないものばかりだった。

どいつもこいつも冷静な状態から「怒」に至るまでの距離が短過ぎるような気がする。やかんに水を入れて火をかけたら3秒で沸騰しました...みたいな不自然さを感じる。

日常生活において、自分の主張が通らないというのはそんなにも不快なことなんだろうか。だいたい日常生活において、そんなに事細かに主張する必要ってあるんだろうか。「ここは引き下がれない」みたいなものを数多く持たなきゃ生きていけないくらい、臆病なんだろうか。貧弱なんだろうか。って、これがそうは見えない。さ〜っぱり理解できない。

ま、インポ扱いされようが、カマ扱いされようが、俺は俺。「怒」に関しては現状維持。これまで通りでいこうと思う。

俺がやかんに水を入れて火をかけるでしょ?3秒じゃとてもじゃないけど沸騰しないよ。

(1)TV番組『TVタックル』。番組開始当初、たけしは田嶋陽子に食らいついていた。「なに言ってんだ!」って言ってた。でもすぐに「この人とは話にならない」と判断したんだろう。気付けば田嶋陽子が熱弁を奮っても相手にせず、「しょうがねえなあ」みたいな顔をするだけで一切発言らしい発言をしなくなった。

(2)たけしが「世界の北野」と呼ばれるようになったのは、たけし自身が「あれは自殺だった」と言うバイク事故以降のことだ。

(3)前サッカー日本代表監督、岡田武史が言っていた。「自分は自分。自分以上でも自分以下でもない。だから僕は僕でいるだけです」

俺は俺で間違った思考をもって生きてきた。

勝ち負けを価値基準に置いて生きてるから優越感が生まれる。でもそれは劣等感に関しても同じことだ。勝ち負けで物事を捉えようとするから優越感の隣で劣等感が生まれる。だから、優越感の人も、劣等感の人も、価値基準、思考の方向は基本的に同じで、「勝ち負け」だ。

もし、どこかの居酒屋で呑んでいて、隣のテーブルで呑んでいる見ず知らずのオッサンが「世の中、存在価値の無い人間っておるよなあ〜」などと言ってたら、ムカッとくると思う。「何をぬかしてやがるんだこの馬鹿野郎は」って思うと思う。でも、俺を含めて、世の中の大半の人間が勝ち負けを基準に自分や他人を見て生きていたとしたら、その世の中は存在価値のない人間を生んでしまうことになると思う。

「違い」だけがある。あるのは「違い」だけで、そこんとこを受け容れて生きていけたらもっと楽に楽しく、味わい深く生きていけるはずの人生なのに、人はどうしても勝ち負け、要するに『優劣』を考えてしまう。

やめようと思う。まず、この考え方をやめようと思う。

勝ち負けを、優劣を優先して考える大人の中の子供が苦しんでいる。そして、そんな愚かな大人子供と大人子供の間で、勝ち負けや優劣という価値基準を持たない純粋無垢な子供が苦しんでいる。

今回はもっともっと長い期間、休むつもりだった。







でも、今ここにあるこれは、今まで、33年間、体験したことのない怒りだ。怒りでいっぱいだ。

阿仁真里が俺に内緒で書いた通り、俺は負け続けてきたと思っていた。でも考えてみればこれはただの「認知の歪み」で、俺は負けたフリをしてきてやっただけだ。例えば会話。敵は勝ちを実感するまで戦いをやめない。俺はただただ面倒臭かった!

これまで俺と関わってきた人の中には、俺と関わってきたことを後悔してる人もいるかもしれない。いや、たぶんいるだろう。「ガッカリや...」と。でも、俺はもうそんな奴はどうでもいい。そんな奴らはどうでもいい!

俺はこれまで、そしてこれからも俺と関わってくれる人たちと、これまでの俺は知らなくてもこれからの俺と関わってくれる人たちと、何より、自分自身の為に生きてやる!





これでこのブログも1000本目。雨天晴天昼夜場所を問わず書き続けてきた。本音を書き続けてきた。そして以前、俺は敵にちゃんと言った。ここに、このブログに、俺の本音の全てがあるから読んでくれと言った。でも敵は読まなかった。理由は俺が本もロクに読まないのに文章が上手いからだと、だから腹が立つんだということを明言した。たぶん、何一つ俺に負けたくなかったんだろう。俺を劣等感の塊のままにしておきたかったんだろう。

自己評価の低い人間は洗脳されやすい。自己評価の低い人間を意のままに操るというのは実に容易で、罪なことだ。罪なんだから当然、罰が下る。俺が下す必要はないし俺にそんな力はない。でも勝手に下るだろう。放っておいても下るだろう。考え方に救いようのない歪みがあるし、敵はそれを認めることを「負け」だとしか思えないんだから。

俺は洗脳されてきた!俺はそれに気付いた!どう考えたって俺の方が人を許せるし、人の話を聞けるし、俺の方が想像力があるのに、どういうわけだか俺は劣等感の塊で敵は優越感の塊だった。

俺が音楽や絵や文章をやらずにおれないのはそれが俺の自信とアイデンティティーを支える唯一のものだからで、言うなれば俺の生まれつきの劣等感の裏返しで、敵はそれを上手く利用しやがった!





先日、最旧友が言ってくれた。「お前はホンマは何でもできるのにできひんと思ってる。でも、俺は自分にできひんことができる人間にしか興味がないねんで」と。そして、昨日は昨日で親父がこう言った。「お前、ロッカーやろ?」と。





昨夜、寝る前に何かしら儀式的なことをしたくなった。自分は変わるんだ!ということを強く祈りながら、何かしら儀式的なことをしたくなった。そして、強く強く祈りながら自分が描いた絵。自分が一番気に入っている絵。この世で一番綺麗だと思う女性にキスをした。「俺は変わってこます!」約束をした。

だから記念すべき10枚目のアルバムのタイトルは『Kiss』に決定。「約束」の意だ。

一気に書き上げました。誤字・脱字があったらごめんなさい。一憩は誤字・脱字をめちゃくちゃ嫌います。「誤字・脱字って、社会の窓を開けながら歩いてる感じのカッコ悪さがある」ってよく言ってますから。

とりあえず、999本目まで来ました。私はこれで黙ることにします。一憩が黙って、私が黙って...完全なる休止はここから始まります。

一憩が戻った時、それは記念すべき1000本目です。私が一憩に贈るちょっとしたサプライズです。だから皆さんは私が今日、気合で999本目までもっていったことを一憩には内緒にしておいてくださいね。

いや〜、さすがに疲れました。私も寝ることにします。またお会いしましょう。一憩はそのうち必ず戻ります。一憩が戻る時、私も戻ります。

あ、そうそう、最後に一言。ここには現時点で999本の作品があります。9枚のアルバムと、9割完成している10枚目のアルバムがあります。私たちが休んでいる間、もしよろしければ、そちらの方をお楽しみください。一憩も私も、後追いで読んでも楽しいものになるようにと心掛けて書いてきました。今こそ、その心掛けが意味を持つ時だと思います。よろしければ、もし、よ・ろ・し・け・れ・ば!読んでみてください。

では、またお会いする日を楽しみにしてます。とりあえずここまで本当にありがとうございました!

今、一憩は病気を「治したい」ではなく、「治したいと思いたい」と思っている。治す理由を探している。何の為に治すのかがわからないでいる。絵も描かなくなった。

劣等感の塊となって故郷に帰ってきた。籠城している一憩を恐怖心でいっぱいにして身動きとれなくするには「矢文」一本あれば十分で、私は次々飛んでくるそれを次々城外へ投げ返している。

今日も一憩は夕方になると散歩に出掛けると思う。一憩が外出するのは夕方の散歩の時だけで、私は毎日ついていって、一憩と一緒に「何か」を探して歩いている。

だから私も一憩もずっとうつむいているのです。暗いんじゃなくて、滅入ってるんじゃなくて、「何か」を探して歩いてるんです。

何かを落として、落としたものを探しながら歩く時、上を向きながら歩く人はいないでしょ?スキヤキソングってそういう人の胸には響かないでしょ?そういうことです。鍵だかコンタクトレンズだかを探しながら歩いてるんです、私たち。

「優しさが怖い」という声もよく聞いた。

後々、何らかの形で大きな代償を支払わされるのは目に見えていたし、「あの時、あなたを助けたのは誰やったっけ?」みたいなことを、ことあるごとに言われるのはわかりきっていた。だから優しくされればされるほどに、借金が積もっていくような不安が一憩の中にあった。

過去は過去、終わったこと...として終わらないのが常だった。過去を持ち出されると手も足も出ず黙ってしまう一憩は、手も足も出ず黙ってしまう自分自身を猛烈に憎んでいた。

私は一憩の怒りの声をいっぱい聞いた。でもそれはいつも、私にしか聞こえない声だった。

勝ちはなく、負けだけがある戦いが続いたんです。

例えば会話。一憩は会話というものは勝ち負けの問題じゃないと思って生きてきた。でも、勝ち負けの問題だと思って生きてきた人に対しては「意見を戦わせる」ことが礼儀だと思って戦い続けた。そして負け続けた。負けるたびに支払っている『何か』があることに気付いた時にはもう、心の財布は底をついていた。

負けがこんで、すっかり相手に頭が上がらなくなっていた一憩は、勝負の場に招かれると断れなくて、その都度戦い、その都度負けた。でも、一憩は『無一文』。気付けば負けるたびに相手に借りるようになっていた。負ける→借りる→負ける→借りる。一憩はこの悪循環から逃れることが出来なかった。

戦う前から勝ちを確信している人間相手に、戦う前から負けを確信してる人間が戦い続けていた。

「もう戦いたくない。無駄だ」私には一憩の心の声がよく聞こえたが、あの騒々しい悪循環の中、私の声が一憩に届くことはなかった。

一憩は私を忘れてる。私が黙って初めて一憩が黙ることになる。私が黙らないと一憩は黙ることができない。

このブログもこれを入れてあと6本で1000本に到達する。だから私は一憩の許可を得ずに5本だけ書こうと思う。私はこのブログを999本までもっていってから黙ろうと思う。1000本目は一憩の為に置いておく。

一憩は携帯を止めると言っている。だから私は出来れば今夜中に、一気に5本、書き上げなければならない。

私は一憩の身に起こった全てのことを見てきた。そして私は、一憩の心の声をリアルな「声」としてずっと聞いてきた。

だから私にも言いたいことがある。一憩が死ねば私も死ぬんだから、私は一憩ありきなんだから、一憩の為に、一憩に代わって言っておきたいことがいっぱいある。だから言う。

私が黙って初めて一憩が黙ることになる。私が黙らないと一憩は黙ることができない。同様に、私が吐き出すことは一憩が吐き出すことになる。私が吐き出さないと一憩が吐き出したことにはならない。

一気にいきます。時間がないのです。

当分、ブログ休みます。

そのうち必ず戻るのでご心配なく!





追記)新作『幻の華』、眠前薬を抜いて、珈琲飲みまくって描きました。相変わらず写真の色には不満ですが、休止宣言に寄せて。

一昨日の夕食後から薬が種類、量ともに変わりましてね。これがね、ごっつ効くんですね。不安も恐怖心もなくなって、思い出したらアカンことを思い出そうとすることもなくなる。でもね、それと同時に思考回路そのものがほぼ全停止して集中力が全くなくなってしまうんですね。絵を描くことも、本を読むことも、文章を書くことも出来なくなる。一度無理矢理やってみようと思ったけど、脳が全く立ち上がらないので断念して、ただボーッとしてました。33年生きてきて初めての感覚です。

というわけでこのブログも大幅にペースダウンするかと思われますが、決してサボっておるわけではないので、そのあたり、ご理解の程よろしくお願いいたします。

雨。

空は灰色と呼ぶには白過ぎるが、白と呼ぶには暗過ぎる。

屋根の下に居ても悪霊が湿っていつもより重い。

携帯、誤操作、絶対に消せない絶対に見たくない写真を見てしまった。

今日の太陽の息の根が完全に止まるまでの我慢。

耐え難い日曜日。

司会/いや〜一憩さん、2度に渡る屈辱的出演にも懲りず、3度目の出演、本当にありがとうございます。

一憩/自分でも今なぜ自分がここにいるのかわかりません。

司会/ま、そうおっしゃらずに。今回は、こ〜んかいは大丈夫ですから!

一憩/.....。

司会/というのも一憩さん私ね。一憩さんの為にTV史上例を見ない非常に斬新な、ひっじょ〜に斬新な企画を考えてきたんでございますよ。

一憩/今まで一度たりとも普通に進行できたこともないのにいきなり斬新に跳ぶんですか?

司会/ま、そうおっしゃらずに、過去2度に渡る私のマズイ司会進行っぷりに関してはこう考えてください。ツーアウトだと。

一憩/ツーアウト?

司会/はい。ツーアウトです。私はツーアウトです。もうギリギリです。もう後がないわけです。だからここで一発ドーンとね、斬新な企画でもってね、ひっくり返したいわけです。一憩さんに大いに喜んでいただきたいわけです。

一憩/起死回生の一打...ってことですか?

司会/いえ、どちらかと言うと起死回生の一打ってとこです。

一憩/頭大丈夫ですか?

司会/で、どうですか?私の企画にお付き合い願えますか?私にラストチャンスをいただけますか?この野郎。

一憩/怖いです。

司会/あ、ありがとうございます!じゃ、早速始めさせていただきます。あ、そうだそうだ、肝心なことを忘れてました。企画を始めるに当たってどうしても一つお窺いしておかねばならないことがあります。一憩さんの一番お好きな食べ物は何ですか?

一憩/餃子...ですけど。

司会/餃子...ですね。わかりました。餃子...。それでは少し照明を落としていただいて...」

一憩/(生唾を飲む)

司会/それでは、始めましょう!ゲストと一緒に瞑想のコーナーぁぁぁ!

一憩/死ね!

司会/いや〜一憩さん、前回は本当にすいませんでした。私もね、TVの司会を努めさせていただくのって初めてだったものでね。ついつい何もお聞きせぬままに終わってしまいました。

一憩/ホンマですよ。ホンマ、しっかりしてくださいよ。今日は大丈夫ですか?

司会/大丈夫です!今日はしっかり事前に視聴者から一憩さんへの質問を募って、さらにその寄せられた質問の中から私が厳選したものを一憩さんにぶつけさせていただきますから!

一憩/あなたが厳選してるって時点でかなり不安なんですけど...ま、いいでしょう。ま、ま、ま、いいでしょう。何ですか?何でも聞いてください。

司会/あ、それでは視聴者の皆さんから寄せられた一憩さんへの質問の中で一番多かったものをぶつけちゃいます!

一憩/厳選してねえじゃねえかよ...。

司会/それでは一憩さんにお聞きします。理想の女性のタイプは?「芸能人で言えば」とかじゃなくて、どんな感じの女性がタイプなんですかあ?おい、どうなんだよテメエ。

一憩/最後の方、完全に言葉使いおかしいよね?でも、ま、ま、ま、はい、わかりました答えましょう。俺はね、あのねぇ、すっごいくだらない答えで申し訳ないんですけどね、優しい人が好きです。

司会/はい!面白くな〜い。では皆さんさようなら〜!

一憩/お前、頭大丈夫か?

定期的に通院する病院が決まった。俺の旧友たちならみんな昔から知ってる病院だ。

精神科の病院としては、広く名が知られているらしい結構大きな病院で、外見はかなり怖い。昔から怖かった。でも、受診してみると、今までに行った一見清潔でオシャレ感の漂う病院よりもずっと感じが良かった。

学生時代、よく笑いのネタにした病院にまさか自分が通うことになろうとは思いもしなかった。

あ、これネタに使えるな。

「自分の目」を持っている人に対しては絶対の信頼を置いてます。とやかく説明する必要を感じないし、もし10ある内の1つでも説明できたらあとはその人の想像力に委ねて、それで十分事足りるだろうと思っています。

心から悔しいのは「自分の目」を持っていない人です。特に俺が今まで、今現在の状況に至るまで、その人に好意を寄せてきた場合には尚更残念でなりません。社会的な尺度をもって語られれば鵜呑み。たぶん一瞬にして騙されてしまうだろうし、おそらくはもうすでに騙されてしまっていることだろうし、そうなるともう手遅れです。

以前俺は「ちゃんと見てくれ」と言いましたが、本当はそんなことを言うことに意味がないことはわかっています。見えている人はいつでもちゃんと見えているからです。

今、まさに、身辺、淘汰されていってるんだなあと感じています。

『モデル No.1』とは「モデル1号」という意味なのであるが、一体何のモデル1号なのかというと、俺が伊丹最北端から発信する新ブランド『憩』の専属モデル第1号なのである。従って『モデル No.1』の女の子が着ている服は『憩』のもので、この服の右胸部に見受けられるマークは『憩』のシンボルマークであると同時に俺自身のシンボルマークでもあるのである。

新作制作過程で嬉しい偶然として生まれたシンボルマーク。

同じマークが他にないことを祈る。

本作品の完成に伴い、以下一点を破棄。

・マッシュルーム

『Don’t Touch』完成に伴い、以下一点を破棄

・赤い面影

人間、「飢え」は良くない。

本当に空腹の時、人は「味」に考えが及ばない。味なんてどうでも良くなる。だから、様々な局面において選択を誤らないためには、あらかじめある程度腹を満たしておく必要がある。例えば俺は学生時代、完全に恋愛に飢えていた。一緒に下校できるのなら誰でも良かった。ま、結局誰ともできなかったけど...でも、ま、そういうこと。

人間、「飢え」は良くない。これは紛れもない真実。でも、「飢え」を知らないと満たされるということのありがたみがわからないというのもこれまた真実。

難しいやね。

印象的な光景を思い出した。

それは大阪のレンズ工場で働いていた時のことだった。その工場は神崎川沿いにあって、俺はその工場の4F、「成形」という工程で2年半働いた。

1年くらい経った頃だっただろうか、従来の細かい固形の樹脂を140度前後の熱で溶かしてレンズを作る工程とは別に、特殊な液体からレンズを作る新たな工程が同じ階に現れた。俺と同僚たちが属した従来型の工程は「Aレンズ」と呼ばれ、新たに現れた工程の方は「Bレンズ」と呼ばれた。

最初、Bの作業場は、Aの作業場のごく一部を間借りしたような形で、面積的には4F全体のうち9割がAで、1割がBで、AとBの間はパーテーションで完全に区切られていて、人の往来は厳しく禁止されていた。液体からレンズを作り出すBレンズは、傾きかけた工場の救世主となる可能性があり、会社としては何としても死守すべき企業秘密で、我々同じ工場で働くAの人間でさえもBの作業場に行くことは許されなかった。

BがAよりも安く良い製品を作れることが明確になってくると、BがじわじわとAの方に侵攻してきた。パーテーションがじゃんじゃんじゃんじゃんAの方に押し迫ってくる。作業場の面積的に1:9だったものが数ヵ月後には5:5になっており、俺のこの工場での勤務が2年目に突入した頃には8:2くらいにまでAは、我々チームAは追い詰められてしまっていた。

Bレンズが出現するずっと以前から、1Fの「蒸着」や3Fの「組立」と協力し合ったり、時に衝突したりして4Fの「成形」を支えてきたという自負のある我々には屈辱の日々だった。狭い狭い作業場に140度前後の熱を出す機械が所狭しと並び、夏場ともなると作業場の温度計が40度を差しているにも関わらず、エアコンの冷気のほとんどはBの方へ流れ、さらに我々Aの面々はBの連中とは違って白い防塵服で身を覆うことを義務付けられていた。

気付けば働く人間の数も、BがAを圧倒していた。こういった経緯、状況から、Bの人間のAの人間に対する態度は次第にでかくなり、Aの人間はくる日もくる日も悔しさを噛み締めていた。

「Aレンズがなくなるのは時間の問題らしいで」という噂を耳にしてから間もなく、俺や同僚を含めた派遣社員全員に解雇が言い渡された。その頃、TVでは連日のように製造業の派遣切りが取り沙汰されていた。





パーテーションが押し迫ってくるあの感じ、自分の空間を別の空間がじわじわ侵食してくるあの感じを俺は一生忘れないと思う。

今思えば、他人の考え方ばかり容れて、自分の考え方を飲み込みながら生きてきたことに少なからぬストレスと限界を感じ始めていたあの頃の自分の頭の中の有り様が、そのまま目の前に表れたかのような光景だった。

頑張れタイガース!

想像という水の入った俺というヤカンが生きているというガスコンロの上で不安アンド恐怖心という火に熱せられて絵や言葉といった表現という湯気を立ててプシュー!ってゆうてる。

一瞬、「考える」ということが「感じる」ということみたいに頭の中で言語化されるものじゃなかったら良いのになあ...と思ったがしかし、もし「考える」ということが「感じる」ということみたいに頭の中で言語化されないものだとしたら、吐き出すべきものも吐き出せず、心が病んで頭がパンクしてえらいことになるんだろうなあと思うので現状維持でお願いしますわ。

自分の中に、誰の意見も必要としない、誰の意見も大きなお世話にしかならない宝物がある。

大切に大切に隠し通すべきもの。これを隠し通す為なら嘘だって平気でつくし、この嘘は決して自己嫌悪を連れてこない。

もしこの宝物が隠せる種類のものじゃない場合には、その手がどんなに清潔であっても「汚い手で触るな!」と言うし、たとえその人が玄関で靴を脱いだとしても「土足で上がるな!」と言う。

宝物と宝物を守ろうとする意志を手放してしまうほど汚されちゃいない。

『自己不信』っていう言葉ってありましたっけ?もしあるんなら、この『自己不信』っていう言葉は、「自信がない」っていうこととは意味的に微妙に違うような気がするのは俺だけでしょうか。

自分自身を信じられている状態を「自信がある」と表現することには異議なし!意味合い的にどこにもズレを感じないけど、自分自身を信じられない状態を「自信がない」と表現した場合には、なんか微妙な意味合いのズレを感じるのは俺だけでしょうか。

「自分自身を信じられない」という言葉と、「自分自身を信用できない」という言葉の間にも、響き的にAmとAm7の違いのようなものを感じるのは俺だけでしょうか。

「あなたは自信がありませんね」と言われた場合、相手が何を言わんとしてるのかはわかる。わかるが何かピンと来ないものがある。この言葉のすぐ後に俺の右斜め後ろで審判が「ストラ〜イク!」と叫んだとしても、俺はどこか納得がいかずに首を傾げながら審判に「今の入った?」と尋ねてしまうと思う。でもこれがもし、「あなたは自分自身を信用できないでいますね」と言われたとすれば、これはど真ん中に150kmのストレートがビシッと来ている。俺は審判の声を聞く前にバットを持ってベンチに引き下がると思う。

日本語って本当に難しいですね。

プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

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2013年5月

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