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長文『自我分離』

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自分自身でいるということに、拭うに拭えない違和感があるとしたら、選択肢は2つしかないと思う。

水と油、光と影的に人格を2つに分離させるか、なんとかして水と油、光と影を統合させるかのいずれかしかないように思う。

例えば太宰治は、3度の自殺未遂(以前、「2度」って書いたけどあれは間違いです)の後、作家としての自分と、社会人としての自分とを完全に分離させて、社会人としての自分は「死んだ」ものとして、そこから猛烈な勢いで作品を書いた。で、この時期を一般的には、太宰治の「安定期」と呼ぶみたいなんだけど(例えば、『走れメロス』はこの時期の作品)、でも、この「安定期」が、一つの人格が死ぬところから始まっていることを思うと、安定期?などと、何か腑に落ちないものがある。





俺の場合は、まず、統合させようとするところから始めた。子供の頃から、自分自身に対する違和感はあったが、それから長年に渡って、それこそリプライズ解散直前まで、統合させようと自分なりに必死にもがいた。でも、その後、この長年のやり方に限界を感じて、自分を分離させてしまうことにした。ソロでの5度に渡るライヴの中で、徐々に徐々に分離させていった。そして、本当の問題は、ここから始まった。

俺は、太宰さんのように、自分自身を、もの作りとしての自分と、社会人としての自分とに分離させた。ここまでは、まあ、良かった。でも、ここからの判断が今にして思えば痛恨のミスで、あろうことか、俺は、もの作りとしての自分の方を死んだものとしてしまった。それからはもう毎日のように、自分の中から悲鳴染みた声が聞こえてきたけど、仕様がない、これを無視し続けた。すると、今度は、自分の中で、このもの作りとしての自分が、腰の引けた社会人としての自分を攻撃、「この嘘つき野郎が!」などと喚きながら、殺そう殺そうとし始めた。これをなだめるにはもう本当に、アルコールしかなくて、気が付けば、依存性になっていて、うつ病になっていて、結局、もの作りとしての自分は表に出ぬまま、表には出ないが内部ではしっかり、社会人としての自分を殺してしまっていた。

「敗戦」後、故郷、伊丹に帰ってきた俺が真っ先にしたことは、自分の中で怒り狂っているもの作りとしての自分に、土下座をして謝罪することだった。

たまに、猛烈に、イライラしてくる時がある。それはたぶん、まだ、このもの作りとしての自分の怒りが鎮まってはいないということと、社会人としての自分を一刻も早く蘇らせてやらないと、現実問題、生きていけないという焦りからくるものなんだろうと思う。

統合はできない。かといって、2つに分離させて、そのうち片方を死んだことにすることもできない。となれば、もうこれはバランスの問題で、両者を上手く両立させていくしかないな...とは思うけど、これはきっともの凄く難易度の高いことで、そんなことが自分みたいなもんにできるのか?ということを考えた場合に全く自信がなくて、往生する。

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

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