大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

2009年11月アーカイブ

明日から新たな職場、施設に赴く。

捨てる神あればなんとやらで、俺を正社員、正職員として迎えてくれる施設があった。

何としても期待に応えよう、戦力になろうと思う。

「捨てる神あればなんとやら」と言えば、俺にとっちゃ介護の世界自体がそうだ。

俺みたいな救い難きアナログ野郎を拾ってくれた。

何とか恩を返そうと思う。

早い話が酒の話。

酒というものは喜怒哀楽―この四項目全てに関してとりあえず一度は膨張させてくれる。そして、度を越すと破裂する。だから、「喜」と「楽」に関しては、ギリギリ限界のところ、破裂寸前のところで止めるべきで、「怒」と「哀」に関してはあえて限界を越えて破裂させて、0に戻せたら、戻せたと感じたらそこで止めるべきだと思う。

酒に「変換」機能はない。錯覚はさせてくれるが、実際は酒にそこまでの能力はない。例えば「怒」を「喜」に変えたり、「哀」を「楽」に変えたりする機能はない。ただただ、各感情を膨張させてくれて、その時、その瞬間、人生全体で言えばほんの束の間、一瞬、いろんな事を忘れさせてくれるだけだ。





ところで、俺が阪神ファンになったきっかけは、名将・野村克也が駄目虎軍団を立て直すべく監督に就任したあの瞬間であった。当時の阪神球団は意地でも金を出さなかった。だから、当時の1番坪井、4番新庄、5番桧山、エース薮といった貧相な戦力で結果を出さねばならなかった。が、俺は馬鹿だからノムさんなら何とかなるんじゃないか?と思って、できる限りリアルタイムで試合を観、その日その日の結果をカレンダーに書き込んでいた。が、抜本的に戦力不足なので、名将が采配を振るったところで、最下位は最下位だった。

抜本的な諸問題。これを解決せねば、酒も克也も機能しない。

めちゃくちゃ考えた。

このまま続けるべきか。ちょっと休むべきか。或いは、やめるべきか。





続けることにした。

過大評価か過小評価かでしか自分を見ようとしないからおかしくなるんじゃないか?とふと思って、ブログにそのことを載せようと思って、急遽、左手に携帯を構えてコンビニに入ったとたん、店内のBGM、レノンの声が聞こえてきた。

「新世界」と「真夜中パンク」と「塊」は基本的に全く同じことを言ってる。

本当に言いたいことだからゆえに繰り返してしまっているとは言え、軽く「ま、ええわ」とは思えない。

この三つの文章を取り巻く他の文章も内容的に重過ぎて全く俺らしくないし、「同情されたいだけじゃねえか」と指摘されたとしても否定しきれない自分がいる。

ここ最近の文章によって、読者数が半減してしまっていたとしても文句は言えない。

完全に行き詰まってしまっている。「表現」ということにおいて、生まれて初めて完全に行き詰まってしまっている。

自分なりに一生懸命生きている中で、社会的に地に足の着いた生き方をしていると「自負」している人たちにとやかく言われたところで、俺は「だって僕、ロックが大好きなんですもの!」としか答えようがない。

それでいいと思う。そもそも、「正しい生き方」なんてねえだろう。

ただ唯一、「間違えた生き方」みたいなものがあるとすればそれは、自分の生き方を「正しい」と捉えて信じて疑わず、他にいろんな人間がいることを、他にいろんな生き方があることを、一切認めず生きている人の生き方だと思う。

エビ天を買うつもりで、かなり旨そうな揚げたてエビフライを買ってしまった。

うどんにエビフライを乗せる訳にはいかんし、そんな中途半端な斬新さは俺自身いらんし、どうすりゃいいんだろう。

かかってこい!

永遠の謎が顔面にへばりついている。

髭を剃る剃らない以前の問題。髪の毛をそれなりにセットするしない以前の問題。

俺の顔は大丈夫なのか?誰も言ってくれないけど、尋ねたところで誰も答えてくれないだろうけど、実は絶望的に不細工なのか?全っ然わからないまま32年の長きに渡って生きてきた。

ま、とりあえず、イケてはないだろうとは思う。今まで一度たりともモテた記憶がないんだから。

でも正直、「そこまでヒドイかあ?」とも思う。

と、書いたところでこれまた誰もちゃんと教えちゃくれんのだろうし。

例えばレノンは男前なのですか?

永遠の謎が顔面にへばりついている。

とりあえず楽しい、夢のあることを考えねば!というわけで、とりあえず俺にとっての「夢のバンド」を考えてみた。もしこのメンバーでアルバムを作って、それが完全にゴミみたいな出来だったら、それはそれで「このメンバーにしてゴミ!」的価値、歴史的価値があって、立派に「名盤」と呼ぶに値すると思う。

(VO)リアム・ギャラガー

(G&cho)キース・リチャーズ

(G&cho)ポール・ウェラー

(B&cho)ポール・マッカートニー

(Dr)キース・ムーン



(作詞・作曲)宇崎竜童





約一名、変なのがいる。

とりあえず何かしら着手せねば!というわけでとりあえず髭を剃って、髪の毛をキースみたいにぐちゃぐちゃにしてスプレーで固めてみた。

あはは、悪くない。全っ然悪くない。

このまま、この個人的勢いを引っ提げて人が大勢いる場所、例えば梅田に繰り出せば一人や二人は余裕で見つかるだろう、俺より不細工な奴。

心臓に近い左手に音楽。利き腕である右手に介護の世界。

この両手塞がりは、ひょっとしたらものすごく喜ぶべきことなのかも知れない。明確に生き甲斐があるんだから。

リアムは直立不動、後ろに手を組んで歌うし、キースのギタープレイは両手をぶらりと下げて、音を出さない「間」の部分が強烈にカッコ良い。





もうええ加減、前を向いて歩かねば。無理矢理でもええから前向きな発想、空想、妄想で頭を満たして、前向きな作品を作らねば。

きっと、従来の自分の「人生スタイル」みたいなもんに限界が来てるんだろう。それだけのことなんだろう。じゃ、新しいのを探しに出掛ければ良いだけの話だ。何はともあれ、とりあえず外へ出よう。

本日晴天。

新装開店。

和田一憩。

「人生」―あなたは何と読みますか?いや、別に、変にひねらず、素直に読んでください。































「しごと」と読んだ方。さようなら。

書き込み、ありがとう!

ズバリ言うと、俺はじゃんじゃんリマスターしてくれ!と思ってます。「やっぱビートルズはモノラルでしょう!」って言う人たちや、「やっぱビートルズはレコードで聴かなきゃ!」って言う人たちの気持ちは痛いほど良くわかるし、その聴き方は聴き方でものすごく楽しいと思うし、馬鹿にする気なんてこれっぽっちもないんやけど、俺はやっぱり、リマスターを経て60年代臭を取っ払ったクリアな音。今の音。「もしビートルズが今のバンドやったら!」っていう想像をしながら「うわっ!英国からえげつないのが出てきた!」って興奮して聴きたい。

メンバー全員が20歳そこそこで、熱狂的ファンに追いかけられている。多忙の合間、彼らがレコーディングしている隣のスタジオでは眉毛の繋がったあの兄弟が殴り合いの喧嘩をしている...まさに今、2009年の今、英国がそんな状態やと想像する楽しみ方を俺は取ります。





追記)個人的には、初期ストーンズの音源がもっとちゃんとリマスターされることを祈ってます。ジャケットに「リマスター」の表記はあれど、相変わらず60年代臭が強烈です。

「死ぬとか言うな」と言って、くれた。

1970年代の出来事。

ストーンズが筆舌し難くカッコ良かった時(今のストーンズも筆舌し難くカッコ良いけど)の出来事。

ミックがスタジオの扉を開けると、キースが床をのたうちまわっていたらしい。ドラッグのやり過ぎで。

幾度となく麻薬所持で逮捕されていたキースは法廷の場で、いよいよもってアカン立場に立たされた。裁判官の言葉いかんでは音楽界からの追放も予想されるところまで来ていた。実際、ほとんどの英国人、あろうことかストーンズのメンバーですら「さすがに今回はキース、アカンやろ」と思っていた。

盲目の小さな女の子から裁判官に「キースの音楽は私の生き甲斐です。投獄なんてしないでください。追放なんてしないでください」という手紙が届いた。

判決の日、裁判官はキースに言った。「この女の子の為にドラッグを止めなさい。そして、この女の子の為にコンサートをやりなさい。やると約束するならば、当法廷はお前を釈放する」

後日、キースはその女の子の為にコンサートをやった。

「あなたの娘さんが危篤です」キースに連絡があった。キースはストーンズでツアー中だった。キースは娘のいる病院には行かず、ストーンズでのライブを選んだ。





今、書斎でキースのソロ・アルバムを聴いている。タイトルは「トーク・イズ・チープ」。

翻訳すると、

「ガタガタ抜かすな」

それっておかしくない?普通に考えたらおかしいやろ?誰に聞いても「おかしい」って言うと思うで。

と、言われた際の『普通』が自分にとっちゃちっとも普通じゃなくて、『誰』が、自分にとっちゃ全く縁もゆかりも無い人種だった場合、何をどう答えれば良いのでしょう?

いつも心の込もった書き込みありがとう。

あの頃はなかった便利グッズ、か。

最近、俺は便利であろうがなかろうが、グッズであろうがなかろうが、自分の持ち物を必要最低限にしようとしてるよ。早い話、片っ端から売ったり捨てたりしてる。

基本的に、服は着れりゃ何でもええから数要らんし、CDも絶対的に必要やと思えるもんしか手元に残す気無いから、今や服とCDが一つの鞄に収まる感じになってきた。デカイ荷物、鞄に収まりきらん荷物といえば二本のギターくらいなもんで。ちなみに俺が持ってる「便利グッズ」といえば携帯くらいなもんです。車?不所持。パーソナルコンピューター?不所持。

何かしら所持すると所持した分、維持費がかかるし、気も使うよ。

「昔は楽しかった」なんてついつい口にしてしまうのは、ホンマ、昔は何も持ってなかったからやろな。背負うもんが何もなかったんや。お互い。

でも、ええ歳して背負うもんが全く無いというのもこれ問題やし、これ問題やからゆうて「背負う」ということを意気揚々と名乗り出て好き好んでやる必要は全くないと思うし、「苦労は買うてでもやれ」みたいな言葉は吐き気がするくらい嫌いやし、だいたい金出して買うてる時点で苦労ちゃうと思うし...。





感慨深い書き込み、本当にありがとう。

何故、いつも比較なのか。

何故、いつも比較なのか。

何故、いつも比較なのか。

何故、いつも比較なのか。

何故、いつも比較なのか。

何故、いつも比較なのか。

何故、いつも比較なのか。

何故、いつも比較なのか。

何故、いつも比較なのか。

何故、いつも比較なのか。

何故、いつも比較されなきゃならんのか。

何故、いつも上下でしか物を見ようとせんのか。

何故、横から物を見ようとせんのか。

横から見たら、ありとあらゆることがアリだ。

横から見たらありとあらゆる人がアリだ。

横から見ればありとあらゆる人が生きていけるはずやのに..って、あ、そうか、ごめん。それがアンタらにとっては物凄く不都合なわけやね?

アンタらアホやから。

アンタら想像力ないから。アンタら、死んだらええのに。

いきなり心臓止まってくんねえかなと思う。

惚れられたい。

この煙草を吸ってる時の俺は用心した方が良い。

歩いても歩いても友人や親友や戦友に会えない。知人にさえ会えない。

みんな本当にどこに行ってしまったんだろう。







子供の時、布団にくるまって、親に聞こえないように言った自分の決意の声をよく覚えている。「一生覚えとこ!」と思いながら言っただけによく覚えている。「兄弟がいない代わりにいっぱい友達作るぞ!」

目の前を「桂」行きの電車が行く。

ごっつ寒い。でも家に帰りたくない。ゆえに徘徊。

所々に交通整備のおじさんが立っている。本当に大変な仕事だと思うし、今の俺にとっては、おじさんの存在自体がものすごく有難くて、暖かい。

最低でも時給1500円は出してあげて欲しい。

サンタ「あ、ここパス」

夜の徘徊。とりあえず人間を見たくて、書斎を出てここに来た。

小さな駐車場。ベンツからグレーのスウェットを着たヤクザみたいな奴が出てきて俺の前を通り過ぎた。

「死んでもこんな奴にはなりなくねえな」と思ってすぐ、ベンツに目がいって「なれなかっただけかも」と思った。

俺の「持ち物」を愛してくれる人は友人だと思う。

俺の「持ち物」を警戒してくれる人は親友だと思う。

俺の「持ち物」を共有しようとしてくれる人は戦友だと思う。

俺の「持ち物」を見えてるフリをする人は敵だと思う。

めちゃくちゃ生きにくい。

祈ったところで、やはり晴天は続かなかった。

ほんの一瞬、瞼を閉じた瞬間に天候は激変、曇天を経ずしていきなり雷雨となった。

ここ数年、こんなのがずっと続いている。晴天は3日と続かないが、この地獄のように窮屈な状況自体は絶えずずっと続いている。

こんなことでは遠い未来はもちろんのこと、目と鼻の先の未来にさえちっとも楽しみを見い出せない。だってどうせ結論は、行き着く先は雷雨なんだから。晴天は雷雨の為のイントロでしかないんだから。絶望的にくだらないサビの為のかなりくだらないAメロでしかないんだから。

が、やはり俺は、どういうわけだか今日明日を問わず、不本意の極みを絵に描いたような無闇に重い両足を引き摺りつつとりあえず今この時からまた性懲りなく頑張りださねばならないらしいんだが何やこれ?「頑張る」って何?「頑張る」って「とりあえず」でええのんか?誰か教えてくれ。

俺は一体全体何の為に何をどう頑張れば良いのか。頑張れば何とかなるのか?ってあはは、どう考えても何ともならねぇだろう。何をどうやっても何ともならねぇだろう。って言ってる間にまた雷雨。

近所の高架下、若干男前の若い兄ちゃん2人がアコギを抱いて歌っている。

声が全く聞こえない。聞かせる気がない。そして、やっぱり撫でている。ギターを撫でるように弾いている。

「ギターは叩け!特にアコギは」俺はいつも言っている。

他にどこにもないんだからやむを得ずパチンコ屋に入ってトイレを借りる。でも俺は本当はどんな理由であれ、パチンコ屋には入りたくない。

俺はあのパチンコ屋の音が怖い。本当に怖い。自分の中で無意識下でゆっくりと時間をかけて形を成そうとしてるものが、あの音に一瞬にしてぶち壊されそうな気がして本当に怖い。

やむを得ずとは言え、パチンコ屋に入るたびゾッとする。できる限り無縁でいたい。

俺の母親は数々の名言を残している。その中でも俺が一番気に入ってるのが、「音楽を本当に好きな人に悪い人はいない」だ。

結論から言うと本当にいない。音楽を本当に好きな人に悪い人はいない。俺自身会ったことがない。何故か?

音楽を本当に好きな人には想像力があるからだ。音楽は目に見えないし、触れられない。でも本当に音楽を好きな人ならわかると思うが、実際は音楽というのは目に見えるし触れられるものだ。馬鹿にしたけりゃすれば良いが、実際俺は触れたことがある。

想像力がないと本当の意味で音楽は楽しめないと思う。そして、想像力がないと本当の意味で「人間」というものを楽しめないと思う。人を許したり、笑って受け入れたりするには想像力が必要不可欠だからだ。

俺くらいだ。音楽が本当に好きで、それなりに想像力があるにも関わらず、悪い人間でないことないのは。

古人も、今の人みたいにありとあらゆることを金に換算して考えたんだろうか。それで本当に幸せだったんだろうか。幸せで、ゆえに正解だと判断して、後に子孫を残すことにしたんだろうか。

「金が全てじゃない!」ってフレーズくらい幼稚なものはないと思う。そんなことはさすがに俺も32。わかっている。はっきり言って金が全てなんじゃないか?と思ったりもする。でも、「幼稚で何が悪い!」とも強く思う。

定規。基本的な定規が歪んでると、小さなことから始まって大きなことが歪んでくる。

憂鬱極まる雨。

今、俺はこのブログの愛読者の皆さんならよくご存知のあの書斎で、同時に3つのことを祈って心の中で手を合わせている。

ひとつは、「これが続きますように」

ひとつは、「あれが始まりますように」

ひとつは、「これとあれの為にそれが順調に始まりますように」





この公園の隣は神社だが、俺はそんな所で手を合わせたりはしない。俺の神様はそんなわかりやすい、人目につく所にはいないから。

だいたい俺は誇り高き一人っ子。人と何かを共有するのは嫌いだし、ましてや神様を人と共有するなんて絶対に嫌だから。

たまに、自分の中に強烈に醜くて残酷な悪魔を見る。

最近、その間隔が確実に狭まってきているような気がして怖い。

俺はレノンに似ている。

好きだから好きになってもらえる。大好きだから大好きになってもらえる。

正直、この3枚があれば生きていけるかなと。

「一緒にして吹っ飛ぶ」などと誤字ってしまうくらい凄いということです。ビートルズファンにとって。



ちなみに、俺がビートルズのアルバムの中で一番好きなんがこのアルバムなんやけど、このアルバムの中で一番好きな曲は「IF I FELL」です。

改めて、アビィへ。

給料日。

中古CD屋をぐるぐる巡って歩いた。目当てにしていたものは全て300円〜500円で見つけた。でも、断腸の思いでその全てを棚に戻して、タワーレコードに行って、ビートルズのデジタルリマスターのかかった「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」を買った。一曲目「A HARD DAYS NIGHT」から音が全然違う。

ファンなら日々の生活の何もかもが一緒にして吹っ飛ぶ、現役4人組アイドルの音。買え!

12年前。俺、20歳。この店で俺はリッケンバッカーを買った。憧れのリッケンバッカーを買った。

数年後、本当に金が無くて、CDも、DVDも、アンプも、エフェクターも、指輪も、思い付く限り売れるものは全部売り払ったけど、このリッケンだけは売れなかった。

これを売ったら本当に終わりだと思った。でも正直、一時は売ろうと思った。でも剣吾くんが心を込めて「それはアカン!売るんやったら俺が買う!」って言ってくれた。

19の時、初めて彼女ができた。一年半、ちゃんと付き合った。その彼女が教えてくれた中古CD屋。

潰れてた。

大阪一、日本一旨い焼鳥屋。

「あの頃は楽しかった」なんて柄でもないこと、ロック野郎として絶対に口にしてはならん言葉をしみじみ噛みしめつつ。

梅田の飲み屋街の入り口。自分は何の為に生まれてきたのか..などと思いつつ、あてもなく練り歩き。

近所のスーパー。作業着をペンキまみれにした若い兄ちゃんが誇らしげに闊歩している。

「そんな歩き方せんでも充分カッコええで」すれ違いざまに声をかけたかった。

「今日スーパーで買い物してたらこんなこと言われてん!」その兄ちゃんが奥さんなり、彼女なりに言いにくそうに、でも若干誇らしげに喋っているところを想像するにつけ、やはり言うべきだったように思う。

実際は言えないけど、言うべきだったように思う。

本屋。故・筑紫哲也の『筑紫哲也』なる本が売っている。表紙はキース・リチャーズの如くにカッコつけてうつむきがちに煙草を吹かしている哲也の写真。

死んだらなんとでもなるらしい。知名度があり、逮捕歴さえなければ、生き方がゆえにであろう口の歪み方をしたろくでもないオヤジでも何とか様になるらしい。

とある居酒屋。周りにも居酒屋は腐るほどあるが、その中でも一際ボロい、しかしながら一番客の入っている居酒屋の店内ではなく店外にポツンと置かれたテーブル、提灯に黄色く照らされたテーブルを前に俺は今、とある若干名の知れた男と呑んでいる。

その男は右腕を俺の肩に回した状態で、左手をちょくちょく勢い良く上げては「オヤジ!おい、コラ、オヤジ!」と叫び、俺が何度も「あの、僕、お金無いんですけど...」と言っているにも関わらず、そんな言葉は完全に無視してテーブルの上に焼鳥やらビールやらをじゃんじゃんじゃんじゃん運ばせている。「俺の奢り。気にすんな。てめえ男だろうが!」とかなんとか笑いながら言って。

彼は俺にその焼鳥やらビールやらをむやみやたらに、それこそ俺の口に捩じ込むような勢いで勧めながら、俺の背中をバンバン叩いては「頑張れや!な?てめえ男だろ?じゃ、突っ走れ!てめえのやりたいことに向かって脇目も振らずな。何て言うかそのぉ...(頭を掻き乱す。頭髪ぐちゃぐちゃ)...ま、とりあえず突っ走れや!てめえ男だろ?って言うかオメェもっと飲めよ。喰えよ。男らしく飲みかつ喰らいせえよ。金?金のことなんか気にすんなって。金の心配するくらいロックの神さんをガッカリさせるもんはねえだろ?だいたいオメェは俺を誰やと思てんねん。どうしても返したかったらオメェ、出世払い、出世払いでいこや!戦え男よ!」などと喚いて笑っている。







今、書斎で発泡酒片手にエレカシを聴いている。心から、一度で良いから、宮本(「みやもっ」と発音)さんと会って呑んでみたいなと思う。

彼は、彼の声はリアム同様、何か強烈に重いものを持ち上げようとしている人間、男の声だ。ただ、リアムと絶対的に違うのは、彼の声が男、それも日本の男、日本男児に限定して強烈な愛情と憐れみとエールを送っている、送り続けているという点だ。

もし彼に会えたら、「ありがとうございまあす!」と俺らしく静かに叫んで頭を下げて、妄想の中で彼が俺にしてくれたことそっくりそのまま彼に返そうと思う。「やっぱり俺は黙ってサッポロビールでしょう!」とかなんとか笑って言いながら奢らせてもらいたい。

宮本浩次、死ぬほど好きだ。あなたのことが大好きだ!

「買い物行ってきて」と手渡されたメモに『卵』って書いてあるとめちゃくちゃ緊張する。万が一、買って帰って袋を開けた際に割れてでもいようものなら、自分は何をやってもダメだあ!といった自暴自棄的感情でいっぱいになり、心の中で「俺はインポテンツだあ!」と叫び、「いや、もはやテンツインポの域だあ!」と何故だかひっくり返して叫びなおして叫びたおし、誰一人客のいない商店街の中にある誰一人客のいない居酒屋をあえて選んで八代亜紀の歌声を肴に底なしにやけ酒を煽りたくなるに決まっているからだ。

そもそも、卵を包むあの透明のケース。あれは何故あんなにもふにゃふにゃなんだろう。何故あんなにもやる気がないんだろう。もっと超合金みたいな、殴ったら確実に人を殺せそうなぐらいガチガチのケースでガチガチに包んではもらえんだろうか。

もらえん。

数分前、トイレを借りようと思ってパチ屋に入ってトイレに入ったら、待ってました!とばかりにビートルズの曲がかかって、レノンが歌いだした。

「どないせえっちゅうねん!!」心の中で叫んだ。

久々に「俺の絵」を描いた。ペンを握って、紙を前にして、何も考えず、本当に何も考えず、自分でも何が出てくるんだかわからないといった感じで描いた。

こんなのが出てきた。タイトルは「Y less 6F」。

この絵は結果的にとある特定の人物、友人に捧げるものになった。俺自身、完成後そうとしか捉えようがなかった。で、その人物、友人にはついさっき「絵を一枚捧げます」とだけ伝えた。

しかしまあ、俺の絵は何かに似ている。黒と赤と白のコントラスト。俺はこの色使いをものすごく気に入っているのだが、とにかく、何かに似ているとずっと思っていた。

俺の絵は新ジャンルだ。ドロンジョ的色使いと、グランジの壊れ方を足して2で割って『ドロンジ』だ。俺の絵は『ドロンジ』だ!





また管理人さんにお願いしてちゃんと綺麗にアップしてもらうけど、それまでの間はこれでご勘弁を。とにかく、描いててめちゃくちゃ楽しかったよ。

カッコいいオッサンになりたいなと心から思う。中学生の時に思い描いていたような、カッコいいオッサン、カッコいい大人。

キース・リチャーズみたいになりたい。ビートたけしみたいになりたい。町田康みたいになりたい。

理想の形はあの頃からこれっぽっちも変わってない。

泣けてくる。

俺とお年寄りのコラボ画をもう一枚。

髪が黒で、髭が白で、国籍不詳で、年齢不詳で、サンタと言えばサンタで。

来月に迫ったクリスマス。俺が書いた下絵に、お年寄りが一生懸命、色紙をちぎっては貼り、ちぎっては貼りして完成した大作。

俺のもう一つの顔―介護士。俺は昨日でこの絵のある施設を辞めることになった。成り行きとは言え、この絵が俺にとっての良い置き土産になった。

今年のクリスマス。この絵がこの施設に住まうお年寄りの皆さんと、この施設で働く職員の皆さんのクリスマスを楽しく彩るものになれば、ものすごく幸せだな、最高だなと思ってます。

管理人からのお知らせです。

ブログのトップにお知らせ欄を設置しました。

いっけいの最新情報等々を随時追加しますのでよろしくお願いします。

またその欄にも記載しておりますが最新のお知らせです。

 

MySpaceに曲を5曲追加しました。

しかも世界初公開 いっけい幻のソロ音源(全曲スタジオ収録)の公開です。

バンド時代の音源も引き続き試聴できますので、ぜひぜひご堪能ください。

そこで、今回新たにに公開したソロ音源の紹介をさせていただきます。

 

1.モナリザ

後期リプライズではおなじみの名曲。いっけい自身も自画自賛のメロディーと詩。

まさにいっけいの真骨頂かつ代表曲といえます。

 

2.アニマ

いっけいの昔からのファンならご存知、いっけい自身のすべての楽曲の中でも初期に創作された曲です。ポップなメロディーながらも歌詞をよく聴くとぜんぜんポップじゃない。いっけい節炸裂の楽曲。

 

3.雛

いっけいが知人の娘に贈った?曲。シンプルなメロディと歌詞だが、節々に流れるいっけい節と誰もが口ずさみたくなるメロディが気持ちいい!!管理人がぜひみなさんに聞いてほしいといっけいを説得し今回MySpace公開に至った楽曲です。

 

4.バンドマンロック

いっけいファンにはたまらない、おなじみのロックナンバー(表現が古いが。。。)

バンド時代何度も演奏しまくったバンドマン賛歌。バンドマンロックといってるがアコースティックバージョンも気持ちいい。バンドバージョンも公開しているので聞き比べるとまた楽しめます。

 

5.青空

初期リプライズではよくライブの最後で演奏した曲です。誰もが口ずさみたくメロディで、ファンからのリクエストの多かった名曲です。

 

以上、管理人からの勝手気ままな曲の紹介です。

ぜひぜひ聴いてみてください。 →MySpaceはこちら

稲葉浩志。

「自分に酔う」って、全っ然悪いことじゃないと思う。「自分のことが嫌い」くらい最低なことはないんだから、時には自分に酔って、酔うことによって、酔ってる間だけでも「人生って楽しい!」と思えれば、言えれば、それはそれで良いと思うし、そう思える能力があるってのは本当に素晴らしいことだと思う。

ただ、人を許さない自分に酔っている人間というのは醜悪だと思う。

女の人にはきっと、いつまで経っても理解できないであろう「男のプライド」。一度でも男という健気な生き物と一緒に暮らしたことのある方なら、年に何度か線香花火の儚さ、地味さでどういうわけだか打ち上げられる「男のプライド」というものをよくご存知だろう。女の人の目には滅茶苦茶ちっぽけなものとしてしか映らないんだろうけども、当の本人、男にしてみればそれはちっともちっぽけなことなんかじゃなくて、まさに死活問題。自らを男として強く自覚し続けていけるのかどうか。踏み外してオカマやインポの類に転落してしまうのかどうかといった物凄く重いテーマを賭けた、一大スペクタクル、ギリギリ線上のレッドクリフなのである。

男が「男のプライド」を炸裂させる時に後先の計算なんてない。その時、その瞬間に炸裂させねば意味がない。少しでも怖じ気付いてタイミング的なものを逸するようなことがあれば明日から確実におすぎ。だから、社会的に間違えててもいっこうに構わない、俺的に正しければそれは正しいんだ!といった無茶苦茶な爆発力をたまに神様は男に授ける。

貴女にとって愛すべき、愛さねばならない、「愛してる」と固く信じなければ自分自身やっていけない対象の男がそんなプライドを炸裂させた場合には是非、ホッと暖かい溜め息をついて、「可愛いね、アンタは」とかなんとか言って、許してやって欲しい。見逃してやって欲しい。

あなたがた女の人の目にどう映ろうが、「男のプライド」を持っている間は男ってのはまだまだ大丈夫。「自分は男でありたい!」と願ってるんだから。葛藤してるんだから。戦ってるんだから。

鳴かぬなら燃やしてしまえ書込寺。

呟いて、一度は燃やしてしまおうとも思った書込寺。寺のぐるりに薪とガソリンと炭化した現実を用意するところまではいったが、ギリギリのところで思い止まった。やはり皆さんからの声を心待ちにする楽しさというのは何物にも代えがたいものがあるからだ。

今回の締め切りは11/20(金)。内容は問わない。本当に何でも良い。とにかく皆さんの声を聞きたい。よろしくお願いいたします!

小さな世界で言えば、俺の職場なんかがそうなんだが、この世の中というのは結局、ある特定の人間、「選ばれた人間」だけが厚待遇、生き延びられるように出来ているらしい。

この考え方に対する反論は一切受け付けない。反論する奴は反論した時点で「私は選ばれてる人間です!」と根拠なく分不相応に間抜け面を輝かせて名乗っているのと同じで、そんな奴の言葉に耳を傾ける暇があったら俺は村八分のレコードを何回繰り返したかわからなくなるくらい繰り返し聴く。

一方、教育の段階では、今日も相変わらず、涎を垂らした見るからにアホそうな「先生」と呼ばれて有頂天になっているちょっと前まで子供だった馬鹿が「個性を伸ばしましょう!」みたいなことを言っている。個性なんてもんはモヒカンみたいなもんで、伸ばせば伸ばすほどに生きにくくなる。それを承知の上で「個性を伸ばしましょう!」なんて言ってるんだから彼らは生粋の悪人だ。悪魔だ。

いろんな人間がいて良いじゃないかと思う。いろんな人間がいるからいろんな人間が生きていける。いろんな人間がいないといろんな人間が生きていけない。

俺はもう本当に説教され飽きた。自分の言葉数の18倍くらいの言葉数で説教が返ってくるのをわかっていながら自分の見解なり要望なりを喋るくらい間抜けな話はないだろう。





先日、目の前で一人の浮浪者が倒れた。頭をアスファルトに強く打ち付けて、鈍く重い「ゴン」という音が俺の耳にヌメヌメと流れ込んできた。俺は「俺も一歩間違えりゃ...」と思って気分が重くなったが、周りの人たちは皆、その浮浪者に「アホが」みたいな軽蔑の視線を投げつつ、ビール片手に笑っていた。

昔、某ロック雑誌で「あなたにとって『ロックンロール』とは?」との問いにキース・リチャーズがこう答えていたのを思い出した。「俺はもうロックンロールの「ロック」の部分には興味がないんだよ。俺が興味があるのは「ロール」の部分なんだ」と。

で、もし今、俺がその某ロック雑誌にインタビューを受けて、ロック雑誌にも関わらず「あなたにとって『生活』とは?」などと物凄く変化球な問いを投げ掛けられたら、俺はキースの発言を引用してこう答えると思う。「俺はもう生活の「生」の部分には興味がないんだよ。俺が興味があるのは「活」の部分なんだ」って。





「活」無き「生」のいかに無様なことか。だいたい、世の中にちゃんと「生活」できている人ってどれくらいいるんだろうか。働きたくて働いてる人と同じくらいいないんじゃないだろうか。

200本に到達した。

曲を1曲書く労力と、ここに文章を10本寄せる労力がちょうど同じくらいだ。ということは、文章100本で10曲分の労力、レコードでいうところのアルバム一枚分の労力に相当することになる。俺の文章の字数が毎回結構多いことと、その字数をパソコンではなく、野外の書斎で、携帯で地道に地味に打ち込んでいることを踏まえれば、文章100本で12曲分くらいの労力は費やしてるんじゃないかと思う。

というわけで、「200本に到達した」というフレーズはなんだか味気ないし、そのまんま過ぎて夢がないので、俺のブログに関しては「12曲入りの2ndアルバムが完成した」と言い換えさせていただくことにします。こっちの表現の方が俺としては断然胸躍る。

1〜100本目(3/31〜7/21)が1stで、101〜200本目(7/22〜11/11)が2nd。

アルバムとして捉えるんだから、レコードとして捉えるんだから、それぞれにタイトルが必要になってくる。そこで俺はそれぞれのアルバムに一本ずつ収録されている短編小説のタイトルをそれぞれのアルバムのタイトルに当てることにした。どちらの物語も、俺の深層心理的なものを如実に現したものだったからだ。したがって、1stアルバムのタイトルが『堀井ヴァイブル』となって、2ndアルバムのタイトルが『木元麦乃助の憂鬱』となる。が、俺の個人的な希望で両タイトルとも冒頭部分を少し削って、1stを『ヴァイブル』、2ndを『麦乃助の憂鬱』とさせていただくことにする。

アルバムなんだから、レコードなんだから、繰り返し読んで、聴いて、繰り返し楽しんでもらえるものじゃなきゃダメだ。嫌だ。

このブログは一つ一つの文章が俺にとっては作品で、「今が全て」といったその辺のくだらないバンドマンの、古い順に無意味化するくだらないブログとは訳が違う!と、言い切れるくらい、言い切るべく、自分の言葉の全てをここにぶつけてきた。

夢見るのは愛読者の皆さんの間で「1stの方が良かったな。初期衝動があって」とか、「いやいや、『麦乃助』の方がずっと良い。俺に言わせれば俗に言う一憩節ってのは『麦乃助』の中盤あたりから後半にかけての事を言うんだぜ!」とかいう会話、論争が執り行われている光景です。





というわけで、今後ともご愛読、ご愛聴のほどよろしくお願いします。今や、皆さんの存在を思うことこそが、俺の日々の活力源です。

毎日毎分毎秒、お腹がいっぱいで吐きそうだ。いつどこで何を食ったんだかさっぱり覚えちゃいないが、とにかくずっ〜と満腹で、空腹感とか、自分はどんな味に舌鼓を打つのかみたいなことを完全に忘れてしまった。

自分の好きな味のある方向、そんな匂いのする方向に、空腹感に突き動かされて、動物的に衝動的に生きたい。

毎日毎分毎秒、だからどうせ明日も明後日も、不本意に満腹なんだろう。

空腹感と自分の好きな味を思い出す時間が欲しい。

俺は自分の名前「一憩」の「憩」の一字にあまりに忠実に生き過ぎた。あまりに危機感なく楽天的に、ことあるごとに「何とかなる」と心の中で呟いては笑って、ちんたらちんたらちんちんちんと生きてきた。

で、何ともならなかった。

「憩」という字にはもう一つの意味。人を、友人たちを憩わせるって意味もあるだろうなんてことも心密かに思って生きてきた。実に夢のある蒼い発想。「俺といる間は現実のことを忘れさせてやる!」なんて思って生きてきた。

が、忘れさせてやるどころか、思い出させてばかりいる自分が今ここにいる。

取り返しがつかないくらいいろんな事を、確実に着実に失敗してきてしまった。情けない。

俺には友人と呼べる人間が少なからず、いる。決して少なくはないと思う。でも俺はそんな友人たちに対する自分の「売り」的なものを見失ってしまった。ひょっとしたら抜本的に失ってしまっているのかもしれないし、ただどこに置いたのかを忘れてしまっているだけなのかもしれない。とにかく、気が付けば手元になかった。いや、元々なかったのかもしれない...。

自分がどこにいて、どこに向かおうとしているのかがさっぱりわからない。自分の立ち位置がわからず、自分の願望がわからない。ただ一つだけ、明確にわかっているのは、かつての自分がどこに向かいたいと思っていたのかという記憶と感覚だけだ。

過去に目がいく―男として、もの作りとして本気に最低だと思う。

ビートルズやティーンエイジファンクラブの、言葉にできないくらい優しい、綺麗なメロディを聴いているといつも思う。

世の中って、社会って、どうしてこうも窮屈なんやろうって。

死ぬほど綺麗な音楽が確かに存在して、そんな音楽を創れる人間確かに存在して、にも関わらず、何故、みんなの生活はこんなにも窮屈なんやろうって。





神様?仏さま?笑わせるな!お前ら時給50円くらいの働きしかしてねぇじゃねぇか。人間の頑張りをちゃんと見ろ!人間の生活をちゃんと見ろ!見てからものを言え!何やその上目線。ナメとんか?死ね!このクソ野郎が!

プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

いっけいの楽曲が聴ける!! MySpaceはこちら

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