今、一憩は病気を「治したい」ではなく、「治したいと思いたい」と思っている。治す理由を探している。何の為に治すのかがわからないでいる。絵も描かなくなった。
劣等感の塊となって故郷に帰ってきた。籠城している一憩を恐怖心でいっぱいにして身動きとれなくするには「矢文」一本あれば十分で、私は次々飛んでくるそれを次々城外へ投げ返している。
今日も一憩は夕方になると散歩に出掛けると思う。一憩が外出するのは夕方の散歩の時だけで、私は毎日ついていって、一憩と一緒に「何か」を探して歩いている。
だから私も一憩もずっとうつむいているのです。暗いんじゃなくて、滅入ってるんじゃなくて、「何か」を探して歩いてるんです。
何かを落として、落としたものを探しながら歩く時、上を向きながら歩く人はいないでしょ?スキヤキソングってそういう人の胸には響かないでしょ?そういうことです。鍵だかコンタクトレンズだかを探しながら歩いてるんです、私たち。
阿仁真里(4/5)
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