印象的な光景を思い出した。
それは大阪のレンズ工場で働いていた時のことだった。その工場は神崎川沿いにあって、俺はその工場の4F、「成形」という工程で2年半働いた。
1年くらい経った頃だっただろうか、従来の細かい固形の樹脂を140度前後の熱で溶かしてレンズを作る工程とは別に、特殊な液体からレンズを作る新たな工程が同じ階に現れた。俺と同僚たちが属した従来型の工程は「Aレンズ」と呼ばれ、新たに現れた工程の方は「Bレンズ」と呼ばれた。
最初、Bの作業場は、Aの作業場のごく一部を間借りしたような形で、面積的には4F全体のうち9割がAで、1割がBで、AとBの間はパーテーションで完全に区切られていて、人の往来は厳しく禁止されていた。液体からレンズを作り出すBレンズは、傾きかけた工場の救世主となる可能性があり、会社としては何としても死守すべき企業秘密で、我々同じ工場で働くAの人間でさえもBの作業場に行くことは許されなかった。
BがAよりも安く良い製品を作れることが明確になってくると、BがじわじわとAの方に侵攻してきた。パーテーションがじゃんじゃんじゃんじゃんAの方に押し迫ってくる。作業場の面積的に1:9だったものが数ヵ月後には5:5になっており、俺のこの工場での勤務が2年目に突入した頃には8:2くらいにまでAは、我々チームAは追い詰められてしまっていた。
Bレンズが出現するずっと以前から、1Fの「蒸着」や3Fの「組立」と協力し合ったり、時に衝突したりして4Fの「成形」を支えてきたという自負のある我々には屈辱の日々だった。狭い狭い作業場に140度前後の熱を出す機械が所狭しと並び、夏場ともなると作業場の温度計が40度を差しているにも関わらず、エアコンの冷気のほとんどはBの方へ流れ、さらに我々Aの面々はBの連中とは違って白い防塵服で身を覆うことを義務付けられていた。
気付けば働く人間の数も、BがAを圧倒していた。こういった経緯、状況から、Bの人間のAの人間に対する態度は次第にでかくなり、Aの人間はくる日もくる日も悔しさを噛み締めていた。
「Aレンズがなくなるのは時間の問題らしいで」という噂を耳にしてから間もなく、俺や同僚を含めた派遣社員全員に解雇が言い渡された。その頃、TVでは連日のように製造業の派遣切りが取り沙汰されていた。
パーテーションが押し迫ってくるあの感じ、自分の空間を別の空間がじわじわ侵食してくるあの感じを俺は一生忘れないと思う。
今思えば、他人の考え方ばかり容れて、自分の考え方を飲み込みながら生きてきたことに少なからぬストレスと限界を感じ始めていたあの頃の自分の頭の中の有り様が、そのまま目の前に表れたかのような光景だった。
成形チームAの最期
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