自分を怒らせるようなことをした奴がいたとして、そいつを怒鳴りつけるとか、殴るとかっていうのは、俺はやっぱり嫌だ。誰に何と言われようが、それは、俺のやり方じゃない。俺のやり方じゃないからやらない。―え?それは男らしくないんじゃないかって?じゃ、男らしさなんてどうでもいいよ。オカマとでも何とでも好きなように呼んでくれ―そんなことをしてたんじゃ、自分も相手と変わらない人間になってしまう。相手のいるところまでわざわざ自分が降りていくことになってしまう。だから俺は、そういう相手に対しては、何とかして、許すということをもって、心服させたいと思う。
煮えたぎっている気持ちをグッと堪えて、出来れば幽かに笑顔さえ浮かべて、許す。これで、相手が「負けた」と思ってくれれば、俺はそれが怒鳴ったり、殴ったりするより、ずっと意味のあることだと思っている。俺の、人格的な勝ち負け観はこれに尽きる。
でも、世の中には鈍感の中の鈍感、馬鹿の中の馬鹿というのもいて、そうやって許されたにも関わらず、「負けた」と捉える感受性のない人間がいる。じゃ、こんな場合、こういう人間に対してはどうすれば良いのか。俺はそんな奴はもう自分の人生、物語から外へ摘まみ出してしまえばいいと思っている。自分の人生の小説から、そいつを削除してしまう。これは害虫駆除だ。害虫は害のある虫なんだから、駆除したってバチは当たらないだろう。
怒りで人間を変えようったって無理だ。絶対に無理だ。だから、怒りで人間を心服させようだなんてのはもっと無理だ。100%無理だ。ビビらせることはできても、それ以上の成果は何一つ期待できない。表面的な怒りなんてのは、ヤクザの取り立てみたいなもんで、相手に心のシャッターを固く閉ざされるだけのことで、ちっとも問題の解決にならない。
「用兵の道は、心を攻めるを上策とし、城を攻めるを下策とす」
上策と下策
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