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短編小説『つみき』(前編)

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彼女は名前を「本多摘希」といった。

摘希は「芸術家的なもの」志望の19才で、夕刻になると決まって近所の大きな川沿いの広い河川敷に散歩に出掛けた。夏場なら17時半頃、冬場だと16時頃に家を出て、両手を後ろに組み視線を地に落として、実は何も、本当に一切何も考えてはいないが、「あ、あたし今、石ころを蹴飛ばした」くらいのことは考えてるんだろうと周囲の人々が勝手に想像したとしてもおかしくはないような表情を無意識のうちに浮かべつつ歩いていた。摘希自身、「無の境地」とは程遠いんだろうけれど、「無」であることは確かなのかもしれないな、くらいのことは実際、何度か考えたことがあった。

日課は日課。欠かせない日課で、欠かせないから日課とも言えたが、かといって「なぜ欠かせないのか?」と誰かに訊ねられたとしても「欠かせないからです」としか答えようのないくらい、今だかつて一度たりとも、その日課中に何か特別面白い光景に出くわしたことはなかったが、にも関わらず欠かせないというところに、そんな自分に、芸術的な何かを感じて、でもそんなことを感じているということさえも別段嬉しいというわけではなかったのだが、かといって、決して悲しいとか寂しいとかいうわけでもなく、ただ最低でも、「死にたい」などとは思わなくて済むだろうぐらいのことは思っていなくはなかった。

今日も明日も明後日も、一切何も起こらないであろうことを重々承知の上で散歩に出掛ける摘希の目には、そんな摘希を来る日も来る日も愛情みたいなものがあるんだかないんだかは知らないしどうでもいいけれど、とりあえずは自分を出迎えてくれて、自分に付き添うようにゆったりと流れる川に映る「死」は、「飛躍」以外の何物でもないように思われた。そして、「だから日課になったのかな」と考えた。





〈続く〉

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

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