大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

やることなすことどこかに必ず厭らしい計算があって、表面上笑っていても、目の奥は笑ってなくて、言葉使いが乱暴で早口で...みたいな人がうじゃうじゃと蠢いている中で、あのひとだけは異質。自然に浮いてて、浮きに浮いてて、「そりゃ売れるわなあ」と思う。

周りの計算に乗っかってるだけで本人に計算はなく、最近じゃ貴重だと言えるくらいの純粋な表情を浮かべていて(素晴らしい笑顔だ)、言葉使いが丁寧で、丁寧なんだけど組み立て方は滅茶苦茶で、普通に普通のことを喋っているだけなのに、俺なんかもう完全にツボにハマッちゃってて大笑いしてしまう。

稀有だ。素敵に稀有だ。ああいうのを本当の『癒し系』っていうんじゃないのか?





戦場カメラマン、渡部陽一、38歳。

疲れると、柄でもなく、急激にイライラしてきて、頭が痛くなってくる。

病院の先生は「それは回復の兆しだ」って言ってたけど、俺の目を見ずに言った。

今日はもう、寝るしかねぇな。

先日、親父の運転する車の助手席に乗っていた時、ラジオから宇多田ヒカルの『Automatic』が流れてきた。正直、懐かしいとか懐かしくないとかは関係なく、ただ単純に「良い曲だなあ」と思って、今日、近所の中古CD屋でこの曲のシングル盤を25円で発見して購入、今、聴き続けているのだが...。

誰だ!この曲のベースを弾いてる馬鹿野郎は一体誰だ!サビ中のベースライン、何度聴いても、どう考えても一音足りない。この一音があるかないかで印象はグッと変わるのに...歯痒いったらありゃしない!





剣吾くんが弾きゃもっと良くなったのに。

「さらけ出す」ということをしていない文章なんて、下品で、読みたくない。

人間、「言葉で嘘をつく」なんてことはまずあり得ない。人が嘘をつくというのはいつも、「言葉に嘘をつかせてる」んだと思う。

言葉をナメてかかってたら、そのうち必ず、言葉に喰われるよ。

あなたは誰?どこの女?ひょっとしてあの女!?

って冗談。

コメント、ありがとう。本人に伝えときます。本当にありがとう!!

太宰治=『人間失格』っていうイメージがある。「暗い」とか「重い」とか「絶望的」とかってイメージがある。俺もちょっと前までそう思っていた。





俺が太宰さんの著書を読むようになったきっかけは、ある朝、目を覚ますと同時に、頭に『人間失格/太宰治』というフレーズがドン!と、強烈なインパクトをもって浮かんだということだった(誰も信じてくれないだろうけど、これは本当の本当に実話)。で、俺はガバッと布団から出て、上着だけ羽織ると、そのまま近所の古本屋に直行して、「太宰、太宰...」と心の中で呟きながら、その古本屋の「た」の段を探すと、あからさまに「ここ!俺ここ!ここにおりま〜す!」といった感じで、ショッキングピンクのカバーに黒い字で「人間失格/太宰治」とだけ書かれた本が俺の目に、右斜めの角度から一直線に飛び込んできたのである。

俺が『人間失格』という作品に、太宰治という人に、期待したのは暗さでも重さでも絶望感でもなく、本物のユーモアだった。

で、読み始めたら、最初の1ページで自分の期待したものがそこにあることが知れて、その日のうちにダァーッと読み、読み終えた。

読み終えた時は脱力感みたいなものでいっぱいになった。でも、その脱力感はちっとも不快なものじゃなくて、その真逆の感慨、「嬉しいなあ...」という気持ちから来る脱力感だった。

その後はもう、連日、古本屋に通い、『晩年』、『回想・太宰治』(太宰さんと特に親しくしていた人の回想録)、『斜陽』、『新ハムレット』、『新樹の言葉』、『きりぎりす』の順で手に入れ、読み耽っている。

中でも特殊な一冊、『回想・太宰治』は、太宰さんが実際はどんな人だったのかを知るのにとても役立った。やはり、俺の勘通り、無類の酒好きで、それも大概、昼間から呑んでいて、「太宰先生と会って話をしてみたい」という文学青年たちの来訪は喜んで承けて拒まず、いつもおちゃらけていて、陽気で、場の空気に敏感で、でも、そうやっておちゃらけたり、陽気でいるためには酒が欠かせなくて、酒が抜けると親しい人ともまともに目を合わせられない...そんな人だったみたいで、そんな太宰さんは、人間の「ハニカミ」というのをこよなく愛したらしい。

あと、あと、太宰さんは、めちゃくちゃな人生ながら、めちゃくちゃな男前で、影のある色気があって、めちゃくちゃ女性にモテたらしく、その「モテる」ということが面倒臭くて面倒臭くて...みたいなことを真顔で周りに言うような人だったらしい。添付した写真を見てください。わかるでしょ?

太宰さんは2度、自殺に失敗している。そして、3度目のそれで亡くなっている。太宰さん自身はそんな生き方だったし、そんな生き方しかできなかったんだろうけど、太宰さんが残した作品が読み手に訴えかけてくるのは、昔も今も、『人間失格』を含めて、決して、絶望的で退廃的な死の美学なんかじゃないと思う。「死のススメ」なんかじゃ絶対ないと思う。その証拠に、「俺は俺。君たちは君たち。絶対に死んじゃ駄目だよ!」って声がちゃんと聞こえてくる。

ちなみに、昨日知ったんだけど、今年は太宰さんの生誕100周年らしい。ひょっとしたら俺、呼ばれたのかな。「おい、ちょっとそこの青年、俺の100周年を祝ってくんねえか?」って。





〈追記〉今のところ、俺が最もオススメする太宰作品は、処女作品集『晩年』の中の「猿面冠者」です。背筋に戦慄が走ったよ、ホンマに。

あと5日。あと5日だ。でも「あと5日しかない」じゃなくて、「あと5日もある」だ。

一憩は今月いっぱいで、携帯を解約することにした。

これは「ここらで一発、一新すべきものは一新しよう」っていう一憩の意気込みの表れで、私は大賛成だ。

今度こそは本当に本当の「休止」になると思うけど、でも、やっぱり、ただの休止だ。

11月以降、一憩が本格的に社会復帰するまでの間、ここは完全に留守になる。でも、ま、さっきから言ってるようにこれはただの休止だ。

あと5日、一憩はここに書けるだけのことを書くでしょう。

行けぇー!一憩!!

今日はちと野暮用あって、伊丹市役所に行ってきた。用が済んだら、久々に一人で阪急伊丹の方まで出掛けてみようかと思ってたんだけれども...これが駄目なんだねぇ。無理なんだねぇ。不思議だねぇ。

昨日、ここに載せた『軸に凭れて』の中で、俺は自分が子供の頃、吃りが酷かったということと、それが実は今でも全然治ってなくて、「ただ誤魔化すのが上手くなっただけの話」と書いたが、じゃ「吃りを誤魔化す」って一体どういうことなのか。今ここで、皆さんに説明してみたいと思います。

これが実は、かなりの熟練と日々の努力みたいなものを要する、難易度の高い、立派に『技術』と呼べるかもしれないものだったりするのです。





吃りが酷くて、友人たちに随分と笑われたりもしていた子供の頃の俺の喋り方というのは、実に単純に、「頭に浮かんだ文章をそのまま喋る」というものでした。頭に浮かんだ文章を口にする直前で、素早く「チェックを入れる」ということができなかったのです。無謀でした。それが長い歳月を経て、日々の地味で地道な試行錯誤の結果、俺はついに、他人に自分が吃りであることを悟られないくらいに、吃りを誤魔化せるようになったのです。

「吃りを誤魔化す」とは、つまりこういうことです。人と喋っていて、頭に文章が浮かぶ。と、浮かんだ瞬間に一度、その浮かんだ文章の一番最初に来る言葉の、一番最初の音にチェックを入れるわけです(例えばそれが「眼鏡」だとしたら、一番最初に来るのは「メ」で、母音的には「エ」となりますね)。その音が出るのか出ないのかを瞬時にして見極めるわけです。そして、「出ない」と判断すると、今度はすぐに、その言いたいが言えない言葉と同じ意味で、音の違う言葉を頭の中で高速で検索するわけです。で、もしそのような言葉が頭の中に見つかれば、その言葉を出ない言葉に代えて使うし、なければ、その出ない言葉を度忘れしたフリをして、会話をしている相手がすぐにそれだとわかるヒントを出して、相手が「〇〇?」と答えるのを待って、俺自身はその〇〇を口にすることなく、「そう!それがね」というフレーズを文章の頭に持ってきて、それに伴って文章全体に軽く修正を加えてから、口にするわけです。





どうです?おわかり戴けましたか?なかなかの技術でしょ?何の自慢にもならないけど、俺はこれを小学生の頃から現在に至るまで、1日も欠かすことなく、ず〜っとやってきたわけです。なかなかのもんでしょ?

吃りであるということで、今までそこそこ辛い目をしてきたというのは確かです。子供の頃には、たけし軍団に入って芸人になるんだという夢を諦めざるを得なかったし、今は今で、言葉を口にする直前で毎回チェックを入れなければならない分、会話中、自分の思う絶妙なタイミングからはどうしても少し遅れてしまうし、言葉のチョイス的にも、言うなれば妥協に次ぐ妥協で、「タイミングのズレと、言葉の妥協さえせんで済んだら俺、もっとオモロイのになあ」なんてことを思うのは日常茶飯事です。でもその反面、今ではこの吃りに感謝している部分も大いにあります。ほとんど本というものを読まずにきた割りには、言葉のボキャブラリーが多かったり(少しでも上手く誤魔化す為に、無意識の内に、言葉を覚えるということにかなり貪欲になったようです)、同じ言葉でも、喋ったら吃るのにメロディに乗せて歌う分には全く吃らないということに気付いた時の感動が、後に俺が本気で音楽をやるようになったきっかけになったりと、今思えばこの吃り、吃音、コンプレックスから得たものは計り知れないものがあると思っています。

犠牲にするものも確かに少なからずあったけど、でも、その犠牲が生んだ収穫はもっともっと大きかったと思っています。

子供の頃から、ジグソーパズルの楽しさがさっぱりわからなかった。今でも好きじゃない。「これはここじゃないといけない」「それはそこじゃないといけない」といった具合に、「〇〇じゃないといけない」の連続で、自由な発想が許されないし、1ピースでもなくなるともうそれだけで、すぅ〜っと興味が失せてしまう。なんて窮屈な玩具なんだろうと思う。

その点、完成形や設計図のないブロックとかは結構好きだった。ま、完成形や設計図があったところで完全に無視してたけど。

やっぱり俺が一番好きだったのは「じゆうちょう」とか「らくがきちょう」だった。これはもう完全に自由が許される思ったし、今でも百均屋やコンビニで見掛けるとちょっと胸躍る。粘土も結構好きだったけど、「保存しにくい」というのが嫌だった。自由に作れて、もしそれが気に入った場合には、後々まで綺麗な形で残しておけるものが好きだった。

自由な発想で、後々まで残しておきたいと思えるものを作りたいという気持ちは今でも変わらないし、変わらないどころか年々強くなっていく一方なんだけれども、それはたぶん、中学生の頃だったろうか、そういうものを作ることによって、後々まで残しておきたいと思えるものを作ることによって、結果、自分以外の人たちにもそう思ってもらえるようなものを作れた場合には、その作品と一緒に、自分自身の存在も後々にまで、下手すりゃ「後世」にまで、残せる可能性がなきにしもあらずということに気付いたからだと思う。

要するに俺は死にたくないんだな。死んだとしても死にたくないんだな。

死んだ後も生きたい―この考え方は昔から変わらない。

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

いっけいの楽曲が聴ける!! MySpaceはこちら

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