俺は、俺のことを「もの創り」だとしか思ってない人の為だけに生きたい。
俺は、俺のことを「もの創り」だとしか思ってない人の為にのみ、結果を出したいと思う。
俺は、俺のことを「もの創り」だとしか思ってない人の為ならなんでもする。
本当はもっとできる。もっともっとできるはずの人間。
学生でもないのに勝手に大阪芸大に通ってた19の時、とある芸大生の部屋に招かれて、5、6人の特に親しくなった奴らと一つのテーブルを囲んで朝まで語り合って、呑んだ。その中で「みんな詩ぃ書いて、発表し合おうや」などと提案する身の程知らずの馬鹿がいて、発表し合うことになった。
俺は「俺の賞味期限のないスケジュール表は」というフレーズから始まる6行くらいの短い詩を書いて読み上げた。
気付くと俺の隣で、俺のそのくだらない詩を聞いて泣いている女の子がいて一言、「すごい」と言った。
数日後、この子が俺にとって生まれて初めての彼女となった。
昔、バンドをやってた時、とあるバンドマンに言われて驚いた一言がある。
「一憩さんはアレですね。名曲志向のソングライターですね」と言われたのである。
たぶん誉め言葉だ。有り難い。有り難いがそれにつけても「名曲志向」ってなんじゃそら。ソングライターってみんなそうじゃないのか?じゃ、なんだ、お前は、お前らは曲を書こうと思ってギターを抱いた時に「よし、じゃ今日はシングルのB面にぎりぎり使えそうな佳曲を書こう」みたいなことを思うのか?そんなことでは結句、佳曲も創れんだろうし、そんなことでは絶対に俺には勝てんぞ、と思っていたのである。実際、彼が書いた曲で、俺の曲より良いものは一曲としてなかったと思うし、彼が自作の曲を歌った際に、俺が俺の曲を歌う時と同じくらい感情を込めて歌えているのかと言うとこれもまた完全にNOで、彼は実に中途半端な出来の曲を、撫でるようにギターを弾きながら、口先から声を出して歌っていた。割には人一倍、態度がデカかった。
あれから何年経ったろう。彼は今でも現役バリバリで、俺は半引退、何が何だかよくわからないことになってしまっている。
気付けば、完全に負けてしまっていた。
畜生、また眠れない。
昼間は絶えず身体がだるいか眠いかして、横になっている時間が多いんだけど、この昼間のダラダラが夜中、この時間に打ち響いて、今度は逆に全くもって眠れなくなってしまうのである。で、眠れないとどうなるのかというと、色んな人に対する罪悪感であったり、「また1日が終わってしまった」という焦りであったり、自分の今後に対する不安であったりが猛烈な人恋しさ、寂しさみたいなものを手を変え品を変え頼みもしないのにむやみやたらに連れて来やがって、連れて来やがられた俺は本当にもう何が何だかよくわからないくらいに辛い感じになってしまうのである。
ま、とりあえずアレだ。明日はなにがなんでも晴れてもらわねば困るわけです。というのも、雨の日と夕暮れ時。これが特にキツいからで、何がどういった感じにキツいのかと言うと、何て言うかその〜、非常に説明に困るがこの〜、要するに精神的になんかドォーンとくるのだ。だから雨降りの夕暮れ時なんてもんはアータ、そりゃもう最低でございましてね...。
てるてる坊主でも拵えてみよっかな。
三叉路じゃないんだから
十字路ではもっとない
「一方通行」の看板?
探さなくても
見当たらないくらい
みっともない
そんな人間
そんな場所
だから私は
私はせめてここが
客も
黒子も
演者もいない
真っ暗な劇場の舞台の上であって欲しいと願う
だから私は
私はせめて私が
客も
黒子も
演者もいない
真っ暗な劇場の舞台を照らすスポットライトであって欲しいと願う
大きな不安
小さな独楽
闇の中を踊る
私の愛するもの
梅田のTSUTAYAの裏手にあるとある焼鳥屋の三階。座敷席。
長細いテーブルがあり、上座中の上座、角の所にジョン・レノンが座っており、その正面でカート・コバーンがチキン南蛮を食べている。そして、そのカートの右斜め前、レノンの隣に北野武が座っており、その正面ではキース・リチャーズが焼鳥屋だというのにウイスキー、ジャックダニエルを勝手に持ち込んでビンのままラッパ飲みしている。そして、キースの右斜め前、北野武の隣では町田康が安価極まる麦焼酎を次から次へと注文しては、「これ、そこの者、貧しきパンク歌手に酒を持て!」とか何とか叫んでいて、その正面、末席中の末席に俺。「注がせてください。是非とも注がせてください」と言いながら「次、二次会的にカラオケなんてどうですか?」提案するタイミングを密かに見計らっている。
美味い酒。
家にいると常に眠たい。そして、自分でもびっくりするくらい睡魔との闘いに勝てない。寝てしまう。
「睡眠」というのは言い換えれば「仮死」だ。
外に出るとクワッと音を立てて目が覚める。冴える。でも、感覚というか感受性というかを覚醒させて、例えば綺麗な絵を見て「綺麗やな」と思ったり、かっこいい音楽を聴いて「かっこええな」と思ったりするためにはどうしてもアルコールが必要になってくる。アルコールを入れないとちっとも見えてこないし、聴こえてこない。
今に始まった話じゃない。長い時間をかけて、塵が積もって山となった結果の現状なんだから、これを元に戻そうとすればやっぱり同じくらい長い時間がかかると思う。わかっている。が、焦る。
中学生の時、ビートルズや、ストーンズや、ツェッペリンや、パープルや、ダムドや、ニルヴァーナを聴いてブッ飛ぶのにアルコールは必要なかった。
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