大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

伊丹から大阪まで出て、大阪から環状線で天王寺まで出て、天王寺から近鉄に乗り換えて、そこから40分近く河内長野方面への電車に揺られて。

『富田林西口』いつか必ず、死ぬまでにもう一度行ってみたい特別な場所。俺が生まれて初めて、1年半、ちゃんと恋愛というものをした場所。今、急に思い出して切なくなった。あの時、俺は19才だったから、あれはもう14年も前の出来事。今にして思えば死ぬほど楽しかった。





彼女が住んでたのは確か、『ボヌール西口』とかいうふざけた名前のマンションの2階だったなあ。片方のスピーカーからしか聞こえないホリーズとポウジーズをよく聴いてたなあ。マンションの目と鼻の先にダイエーがあって、俺、女装して買い物に行ったことがあったなあ。駅前の小さな本屋でボードレールの『悪の華』っていう詩集を買って、その本屋の前の小さな喫茶店に一人で入ってって読んだけど全く意味がわからなかったなあ。ある夜、友達に会いに行ってた彼女の帰りを駅のプラットホームのベンチに座って何時間も待ったけど帰って来なくて、しょうがないってんでマンションに帰ったらもう彼女は帰ってて、二人で笑ったなあ。近所の川によく二人で散歩に出掛けたなあ。夏には歩いていける距離にPLがあって、大花火大会があって、彼女は赤と黒の浴衣を着て、黄色い布で髪を束ねてたなあ。彼女はあまり酒が呑めなかったから、俺、よく一人で近所に唯一の小さな居酒屋に行ってたなあ。頭のぶっ飛んだフリをした芸大生がいっぱい遊びに来たなあ。カズンの『冬のファンタジー』がヒットしてて、どこに行っても聞こえてきたなあ。俺が高校の時以来初めて曲らしい曲を作って、それをスーパーの西友の階段のところにあるベンチに座って歌って聞かせたら嬉しそうに「凄い!」って言ってくれたなあ。確かあの曲のタイトルは「You And Me Song」だったなあ。付き合い始めて一年半後、突然別れを切り出したのは俺で、理由は「本格的に音楽をやりたいから」だったなあ。別れた後、何度か会ったけど、未練があるのは俺の方で、彼女はもう次に向かって歩き出してる人間の表情してたなあ。電話で「やり直さへん?」って言ったら、「ごめん、もう、今、付き合ってる人おって...」って言われて、電話の向こう側からその彼氏らしき男の人の笑い声がして...泣いたなあ。呑んだなあ。この頃の記憶と、痛切な想いを曲にして残そうと思って数年後に作ったのが『ドライフラワー』だったなあ。





青春丸出しの日々だった。『富田林西口』いつかまた行ってみたい。でもいつかきっと、偶然という形で行くことになりそうな気がする。

泣けてくるんだろうなあ。

ほ〜ら、また訳のわからん時間に起きてしもたぞ。こうなったらもう深夜放送を聞くしかねぇやなあ。え〜っと今日は...うわっ!よりによって『伊集院光の深夜の馬鹿力』やん。面白くねぇんだこれが..。伊集院光が喋ってる後ろで一人の男性スタッフがカラカラカラカラ笑いころげてるんやけど、この笑い声が白々しいのなんのって。でも、ま、この真夜中、しーんと静まりかえった中で、「私たちの本当の地獄がはじまった」ってところから読む『斜陽』(太宰)よりはまだマシか..。あ、始まった。伊集院光、話芸的には決して下手じゃないと思うし悪くはないんだけど、息継ぎのタイミングがめちゃくちゃ気になるんだよなあ...。スタッフ、はは、笑ってる笑ってる。ず〜っと笑ってる。しっかしまあ白々しいなあ...。カラカラカラカラ喧しいなあ。でも、ま、しょうがない。これはもう飽きらめて、濃いコーヒーでも飲むことにするか。

ついてねえなあ..。

音楽に関しては、「曲を書く」ということに関しては、これはもう完全に行き詰まってしまっている。いや、正しくは、「行き詰まってしまっている」ではなく、「行き詰まっている」で、「しまっている」なんていうような悲観的なものではない。

決して曲が書けなくなったわけじゃない。正直、書こうと思えば、そこそこのものならいつだって書ける。でも、今は、書いたところできっと、今までに書いたものの延長線上にあるようなものしか書けないに決まっているという確信染みたものが自分の中にあって、書かずにいる。

もう結構長いこと、音楽とは距離をあけている。まるで、「マンネリ夫婦別居中」といった感じが続いている。でも、この別居は決して、別離に向けての別居じゃない。その逆で、もっと深く自分を知って、高めて、相手を想って、知って、いずれまた新しい気持ちとやり方でもって、相手に恋焦がれながら生きていくということをやり直すために必要不可欠な別居だ。

はっきり言って、今現在の俺の全て、本当に『全て』は、いずれ鳴らす俺の新しい音楽のためにあるとさえ思っている。

芸術作品は、その完成から発表までに時間がかかり過ぎる。発表した時にはもう、作者は次へ行ってしまっていて、そこには居ないという場合がほとんどだ。

でも、本当は、芸術家も料理人のように出来る限り、できたてホヤホヤのものを提供すべきなんじゃないかと思う。そうして、受け手と出来る限りでいいから、同じテーブルにつくべきなんじゃないかと思う。





「料理は冷めるが芸術作品は冷めない」と言われればそれまでだし、確かにその通りだとは思うんだけれども、例えば焼鳥屋で、注文したものが目の前の網の上で焼かれていて、焼き上がるやいなや低いガラス越しに「あいよ!」と言って皿を渡されるあの感じ、あの贅沢感が、芸術にもあればなあ...とも思うのです。

昔々あるところに

それはそれは心の優しい作家がいた

ある日結実

死ぬ思いをして傑作を書き上げた

読者は作品の主人公を通して作者の人柄を想った

「きっとものすごく心の優しい人なんだろう」

作家はもう優しい人ではなくなっていた

想像力にはいつも自信があったし、自分は決して意思薄弱な人間ではないという強い自負もあったにも関わらず、今日、ここまで堕ちてきてしまったというのは、その原因の一つに「あまりに言葉を知らなさ過ぎた」ってのがあるなと最近、実感している。

子供の時に、吃りが酷くて悩んだこと(本当は今でも全然治っていない。ただ、今では、瞬時にして誤魔化せるようになったというだけのこと)や、それで周りの人間にかなり笑われたことや、自分がそうやって『言葉』という化け物と必死に格闘し続けているにも関わらず、他人は自由自在に、乱暴に言葉を扱い、言葉は言葉でそんな傍若無人な人間に対しては実に従順に服従してけつかっているという現実に対してめちゃくちゃな怒りを抱き続けた結果、いつしか言葉を、本当に化け物か何か、得体の知れない物凄い醜悪なものだと思うようになり、猛烈に憎しむようになってしまったのだが、これが俺の人生33年目にして大きく裏目に出てしまった。

もの想う頭はあっても、それを上手く言葉に変換する術を持とうとしなかったことが、「自分には軸がない」などという痛恨な気付きに繋がったんだと思う。

だからもっともっと本を読まねばと思う。「本を読まねば」なんて、何か物凄く幼稚な表現に聞こえるかもしれないけど、でも実際に、本を読めば読むほどに、自分の中に只今建設中の軸が構築されて、安定していってるのを実感してるんだから、ここはやはり「本を読まねば」以外の表現はないように思われます。

ちょっと前に書いた短編小説『つみき』。再三に渡るチェックにも関わらず、すぐに3ヶ所ほどミスが見つかったため、管理人・剣吾くんに修正を依頼して、完全版が出来上がりました。

興味のある方は、是非読んでみてください。

例えば美術館で、鼻先が触れる勢いで絵に接近しているオッサンがいて、数歩下がって少し離れた所から絵全体を見ようなどとは一切しないオッサンがいて、その絵を見る時も、次の絵を見る時も、そのまた次の絵を見る時も、やはり同じ見方をしているオッサンがいたら、これはかなり異様で、他の来館者は絵どころではなくなってくるし、警備員は警備員で、それこそ鼻先を触れさせる勢いでオッサンから目を離せなくなるに違いない。

でも、このオッサンと同じような見方を他人や自分自身に対してしてしまっている人が世の中にはいっぱいいるように思う。

もし、これを読んでくれている人の中に「自分って自分勝手な人間なのかな...」なんて思ってる人がいるとしたら、それはそんなに気にすることではないと俺は思う。本当に自分勝手な人間は「自分って自分勝手な人間なのかな...」なんて思わないだろうし、俺の個人的な考えでは、そもそも、世の中に自分勝手じゃない人間なんていないと思っている。

人間って、生きていると、ただ生きているというだけで、実に多くのことを並行してこなしてる。平気な顔をして、実は物凄く難易度の高いことを日々、やってのけてる。だから、一人の人間だからといって、一つの人格だけで生きているわけじゃないし、見る角度を変えれば変えた分だけ見え方が変わってくる、めちゃくちゃ多面的な生き物なんだと思う。

逆に言えば、『自分勝手の塊』なんて奴もそうそう居ないだろうと思う。もしそうやって、どの角度から見ても自分勝手な人間なんてのが居たら、それはそれでめちゃくちゃ難しい生き方、極めて希少で貴重な、ツチノコみたいな人間だと思う。

人は皆、ああいったシチュエーションにおいては自分勝手だけど、こういったシチュエーションにおいては自分勝手じゃない。とか、ああいった人種と関わる場合には自分勝手だけど、こういった人種と関わる場合には自分勝手じゃない。とか、それこそ、夏と春は自分勝手だけど、冬と秋は自分勝手じゃない。といった感じで、日々、色んなことを並行しながら生きていくということに、無意識的に十人十色のパターンを持って、上手く対処してるんだと思う。

多面的に見てあげるということが大切なことなんだと思う。他人に対しても、自分自身に対しても「木を見て森を見ず」じゃ駄目なんだと思う。

今のところは、社会復帰したら、規模の小さい障害者施設で地道に働かせてもらえたらなと思っている。

元々俺は、介護は介護でも老人施設じゃなくて、障害者施設で働こうと思っていた。そして実際に、面接を受けたりもしていたが、その時はまだ俺自身、無資格未経験だったし、さらに障害者施設は基本的に給料が低過ぎるということで、老人施設の方に行くことにしたという経緯がある。だから、これはあくまでも「今のところは」なんだけれども、次は元々やってみようと思っていた障害者施設で働かせてもらえたらなと思っている。

でも、このプランはプランで、どこかに俺の悪癖である「妥協」があるような気がしたりしなかったりしている。だから、「本当はもっと別にやりたいこと、やれることがあるんじゃないのか?」と、深く深く自問自答してみる必要があると思う。何事も心のどこかに妥協があると続かないだろうし、特に、介護職に就く場合には、就こうとする人間の動機に妥協的なものがあるというのは、もうそれ自体が介護される側の人たちに対する大変な無礼に当たるから、よくよく考えないといけないと思っている。

今後踏み出す一歩一歩は、特に仕事に限った話ではなく、何事においても、慎重に、しっかり自問自答を重ねた上で、どこにも妥協のないものにしていきたいと思っている。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109

プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

いっけいの楽曲が聴ける!! MySpaceはこちら

2015年10月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31