高二の時に初めて聴いた。ニルヴァーナみたく「衝撃」と言える感じではなかったが、曲も声も音もルックスも最高だと思った。にも関わらずなぜかハマりはしなかった。なぜか聴いていると気が重くなった。でも不思議と「将来、ハマる時が絶対にくる」なんてことを確信めいて思っていた。
その後、現在に至るまで、幾度となくその音楽に触れてきた。でもその都度「無性に聴きたくなった」とかじゃ全然なくて、「なんとなく触れたくて」だった。聴く度に心から「最高っ!」と思えるのに、やはりなぜか気が重くなって、要するにテンションが上がらなくて、ハマることはなかった。でも、本当に不思議な話、いつかハマる時がくるということだけは相変わらずわかっていて、その時が来るのを心待ちにしている自分がいて、一度ハマったら脱け出せないであろうこともわかっていた。
で、来た。本当にその時が来た。来てしまった。
本当にハマってしまっている。もう脱け出せないだろうし脱け出す気もない。最高だ。曲も声も音もルックスも最高だあ!―という感想は今まで通り。高二の頃からちっとも変わってない。ただ、確実に今までと違うのは、聴いていて気が重くなる感じがまるでないということ。それどころか今はその曲や声や音に触れるやいなや血湧きまくりの胸踊りたおし、人目を憚らず「ありがとう!!」なんて叫びたくなったりもするくらい大好きになってしまった、予定通り。
俺の音楽的探求心を司る五虎大将軍。本日付けで『六虎大将軍』へ。
ポール・ウェラー参上!
蓮紡に「廃止!」って言われた。
介護士としての成長が、もの作りとしての成長に直結していると信じて疑わない。
心に「再起」
身体から怠惰を完全に排除すべく格闘している。頭に「ま、いっか」の文字が浮かぶやいなや掻き消して、人知れず柄でもなく頑張っている。
怠惰は麻薬の如し。一度手を出したが最後、二度三度とズルズルいってしまって自他共に認める転落に次ぐ転落、取り返しのつかないことになる。
ここはひとつ頑張らねば。そんなタイミングだ!と、人知れず柄でもないテーマでもって自らを奮い起たせつつもがいている今の自分が少し嬉しい。
今、俺、そんな時。
何時何分にこれをして、それから数分後の何時何分にあれをして...といった具合に、毎日毎日に時間割みたいなものがあって、そこに自分を当てはめて生きている場合、そのやっていることの難易度が少々高かったとしても、人はある程度時間が経てばどうしても馴れてしまう。
時間というものは「時間の流れ」という表現からも知れるように、液体のようなものであると仮定できる感じがある。そしてそもそも時間というものは人間の強烈な概念の賜物なので、人間の肉体的なものに置き換えられないはずはなくて、置き換えて考えてみた場合「血液」しかねぇだろうということになって、時間が血液みたいなものだとすればそこには決して冷たくはない「温度」と呼べるものが必ずやあるはずで、従って、人間が生きている、活きている状態の時間というのものは、時間に対して主体である人間の血液が「熱き血潮」という表現からも知れるように物理的に熱くなっているんだから、彼を取り巻く時間自体もそこそこ熱くなっていると考えられる。
要するに、ちゃんと生きている、活きている人間を取り巻く時間の流れは速く、ゆえに熱いのではないかということだ。
で、で、で、話を戻して、人が時間割的な日常に自分を合わせて、その日常に馴れてしまった場合、血液と時間の流れは緩やかになり、そのことによって温度も低下、ぬるくなってしまう。ぬるくなった時間の流れの中、人の心にカビ的に急速に増殖する人情が「怠惰」で、早い話が「ま、いっか」だ。この「ま、いっか」は一度増殖し出すと、もはや手の付けようがない。環境をガラッと変えるか、リズムをズガッと変えるかしない限り、無限に増殖し続ける。そして駄目になる。
環境がガラッと変わった。リズムがズガッと変わった。俺の場合、胸を張って「変えたった!」とは口が裂けても言えない。気付けば運よく変わっていた。俺は本当に駄目になる一歩手前だった。助かった。
書斎。単純に季節が変わっていた。
明日から新たな職場、施設に赴く。
捨てる神あればなんとやらで、俺を正社員、正職員として迎えてくれる施設があった。
何としても期待に応えよう、戦力になろうと思う。
「捨てる神あればなんとやら」と言えば、俺にとっちゃ介護の世界自体がそうだ。
俺みたいな救い難きアナログ野郎を拾ってくれた。
何とか恩を返そうと思う。
早い話が酒の話。
酒というものは喜怒哀楽―この四項目全てに関してとりあえず一度は膨張させてくれる。そして、度を越すと破裂する。だから、「喜」と「楽」に関しては、ギリギリ限界のところ、破裂寸前のところで止めるべきで、「怒」と「哀」に関してはあえて限界を越えて破裂させて、0に戻せたら、戻せたと感じたらそこで止めるべきだと思う。
酒に「変換」機能はない。錯覚はさせてくれるが、実際は酒にそこまでの能力はない。例えば「怒」を「喜」に変えたり、「哀」を「楽」に変えたりする機能はない。ただただ、各感情を膨張させてくれて、その時、その瞬間、人生全体で言えばほんの束の間、一瞬、いろんな事を忘れさせてくれるだけだ。
ところで、俺が阪神ファンになったきっかけは、名将・野村克也が駄目虎軍団を立て直すべく監督に就任したあの瞬間であった。当時の阪神球団は意地でも金を出さなかった。だから、当時の1番坪井、4番新庄、5番桧山、エース薮といった貧相な戦力で結果を出さねばならなかった。が、俺は馬鹿だからノムさんなら何とかなるんじゃないか?と思って、できる限りリアルタイムで試合を観、その日その日の結果をカレンダーに書き込んでいた。が、抜本的に戦力不足なので、名将が采配を振るったところで、最下位は最下位だった。
抜本的な諸問題。これを解決せねば、酒も克也も機能しない。
めちゃくちゃ考えた。
このまま続けるべきか。ちょっと休むべきか。或いは、やめるべきか。
続けることにした。
過大評価か過小評価かでしか自分を見ようとしないからおかしくなるんじゃないか?とふと思って、ブログにそのことを載せようと思って、急遽、左手に携帯を構えてコンビニに入ったとたん、店内のBGM、レノンの声が聞こえてきた。
「新世界」と「真夜中パンク」と「塊」は基本的に全く同じことを言ってる。
本当に言いたいことだからゆえに繰り返してしまっているとは言え、軽く「ま、ええわ」とは思えない。
この三つの文章を取り巻く他の文章も内容的に重過ぎて全く俺らしくないし、「同情されたいだけじゃねえか」と指摘されたとしても否定しきれない自分がいる。
ここ最近の文章によって、読者数が半減してしまっていたとしても文句は言えない。
完全に行き詰まってしまっている。「表現」ということにおいて、生まれて初めて完全に行き詰まってしまっている。
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