大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

早速のコメント、ありがとう!

その「あっ!」が次のランキング更新にどう影響するのか乞うご期待!とりあえず熟考してみます。

2位の座を守れるか、阿仁真里!首位死守なるか、ジャンヌダルク!

めっちゃ俺のさじ加減!

じっと眺めていた。

「あ!」と思った。

大化けした。





我ながら次のランキング更新が楽しみだ。今度ばかりはジャンヌダルクも阿仁真里も絶対安泰とは言えない。ひょっとしたらひょっとする。

1位(―) 恋のジャンヌダルク

2位(―) 阿仁真里

3位(初) Nの心象

4位(―) バタフライ

5位(↓) ムーラン・ルージュ

6位(↓) 木陰の愛嬌

7位(↓) 祈りの少女

8位(↓) 夢と鎧とキューピッド

9位(―) 救援

10位(―) 全ての女性にユーモアを





〈タイトル変更〉

『心の灯火』→『中世小窓』

前髪を少し変えて、左耳にだけ羽根の飾りのいっぱい付いたイヤリングを付けた。

これで完璧。完成。

『心の灯火』を描き上げて、ここに載せてから、いつものように早朝散歩に出掛けた。

公園のベンチに腰掛けて、煙草を吸っていると『心の灯火』に対する不満が募ってきた。「絵、そのものは悪くない。でも、あのひとに似ていないにも程があるし、よく考えたら雰囲気さえも出ていない。あの絵はあのひとには全く関係のない、完全な別物だ」ということに気付いたのだ。

「これは出てくるのを待っててもしようがないんじゃないか?手を伸ばして、掴みにいかないとダメなんじゃないか?」と考えを改めて、即帰宅。部屋に入るやいなや猛烈な勢いで描き始めた。何故か描いている間中ずっと、薄い吐き気が続いたが、そんなものは完無視して、一心不乱に描いた。

「意識して描く」というのは初めてのことだったが、出来上がったものを見て、感無量だった。ちゃんと似てる。本物との違いはあるが、この違いは目に焼き付いたものと、心に焼き付いたものとの違いで、この絵は俺の心に焼き付いたものの表れ。俺には、俺の心にはこう見えているということだ。

初めて描けた。描きたいものを描こうとして描けた。これからは、本当に描きたいものは手を伸ばして掴みにいくことにしよう。

近所の関西スーパーに、この絵のモデルとなった女性が働いている。

小柄なその人は笑顔を絶やさず、時にレジを打っていたり、時にカートを所定の位置に戻したり、と、実にイキイキと仕事に励んでいて、俺はほぼ毎日、関西スーパーに通ってその姿を見かけては、めちゃくちゃ恥ずかしい言葉だけど「生きる希望」みたいなものを分けてもらっていた。だから、いつか絵に現れてくれることを祈っていた。

待つしかない。でも、ただ待っていてもなかなか現れてくれるものではない。だから、ほぼ毎日通って、その姿を目に、心に焼き付けていた。といって、もちろん、ジロジロ見つめるわけじゃないし、ましてや「あの〜、僕の絵のモデルになっていただけないでしょうか?」なんてことを言い出すきっかけを探っていたわけでもない。いつも、ほんの一瞬チラ見するだけ。「あ、居てはるな」程度のチラ見の積み重ね。たまに後ろ姿だけチラっと見ただけで帰ることもあった。要は、自分の中に印象を焼き付けて、いつか絵に出てきてくれることを祈っている自分を自覚し続けさえすれば良いんだから、ジロジロ見つめる必要なんてないというのが俺の考えだった。

実は過去にも一度、彼女は絵の中に登場している。『エキゾチック・ロマンス』がそうだ。でも、あの絵にしてもこの絵にしても、俺は別に彼女を描こうと思って描き始めたわけじゃない。いつものようにただ「出てきた」。そして、厳密に言うとあの絵の彼女もこの絵の彼女も実際の彼女とはどこかが違う。それはあの絵の女性とこの絵の女性が全く似ていないということが証明してる。

前作も今作もまだまだ雰囲気止まりだ。雰囲気が出ているというだけだ。次に出てきた時は、もう少し実像に迫ったものになるだろうと思う。それまではこの2枚が俺の心の灯火だ。

明日はポッキーでも買いに行こうかな。

基本的に、人間が発揮できる能力は本来人間が持っている能力全体の40%に満たないらしい。あとの60%以上は潜在能力で、この潜在能力をず〜っと眠らせたまま生涯を終える人がほとんどなんだろうなと思うと涙が出てくる。何て悲しい話なんだろう。

「自分」って檻だと思う。「自分」って足枷だと思う。自分が自分でなくなれたらどんなに素晴らしいだろう。

「自暴自棄」っていう言葉がある。凄い言葉だと思う。自分を、自分が、自分に、暴れる!暴発する!暴徒と化す!暴動!それからそれからぁ!...棄てる。

人間は100%死ぬ。99、9%もクソもない。生き残ることに0、00001%の可能性もない。いずれ必ず死ぬ。それをわかっていながら檻の中、足枷を付けた状態で40%に満たない能力しか発揮できない人生というのは一体何なんだろう。

どうせ死ぬんなら、いずれ必ず死ぬことを承知の上で生きるんなら、人生、若干自暴自棄なくらいの方が良いんじゃないのか?若干自暴自棄なくらいの方が能力的なものも55%くらいにまでなら引き上げられるような気がするし、たまに偶発的に奇跡的なことも起こせそうな気がする。

人生という小説上の「、」もしくは「。」の間隔で、「自暴自棄を楽しむ」ということをしていきたい。

日本人って凄い。何しろ「愛」と「恋」って呼び分けちゃってんだから。使い分けちゃってんだから。偉い!それにひきかえ、西洋人は何だ。愛も恋もひっくるめて「LOVE」って。ひっくるめるな。馬鹿か。





結婚してようがしてまいが、男性不信であろうが女性不信であろうが、ホワイトカラーであろうがブルーカラーであろうが、年収5億であろうが年収5円であろうが、うつ病であろうが便秘であろうが、人は皆、恋をすべきだ。「今、好きな人おるん?」って聞かれた時に「特におらん」なんて答えるのはカッコ良くもなんともない。クールでも何でもない。ただの悲劇だ。愛なんて放っといて、燃えるゴミの日に出して、人は皆、どいつもこいつも好き好んで寄ってたかって恋をすべきだ。

人間、何をどう考えたって恋ほど楽しいものはないし、恋ほど潜在能力を開花させてくれるものはないんだから。

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

いっけいの楽曲が聴ける!! MySpaceはこちら

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