大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

「自分に酔う」って、全っ然悪いことじゃないと思う。「自分のことが嫌い」くらい最低なことはないんだから、時には自分に酔って、酔うことによって、酔ってる間だけでも「人生って楽しい!」と思えれば、言えれば、それはそれで良いと思うし、そう思える能力があるってのは本当に素晴らしいことだと思う。

ただ、人を許さない自分に酔っている人間というのは醜悪だと思う。

女の人にはきっと、いつまで経っても理解できないであろう「男のプライド」。一度でも男という健気な生き物と一緒に暮らしたことのある方なら、年に何度か線香花火の儚さ、地味さでどういうわけだか打ち上げられる「男のプライド」というものをよくご存知だろう。女の人の目には滅茶苦茶ちっぽけなものとしてしか映らないんだろうけども、当の本人、男にしてみればそれはちっともちっぽけなことなんかじゃなくて、まさに死活問題。自らを男として強く自覚し続けていけるのかどうか。踏み外してオカマやインポの類に転落してしまうのかどうかといった物凄く重いテーマを賭けた、一大スペクタクル、ギリギリ線上のレッドクリフなのである。

男が「男のプライド」を炸裂させる時に後先の計算なんてない。その時、その瞬間に炸裂させねば意味がない。少しでも怖じ気付いてタイミング的なものを逸するようなことがあれば明日から確実におすぎ。だから、社会的に間違えててもいっこうに構わない、俺的に正しければそれは正しいんだ!といった無茶苦茶な爆発力をたまに神様は男に授ける。

貴女にとって愛すべき、愛さねばならない、「愛してる」と固く信じなければ自分自身やっていけない対象の男がそんなプライドを炸裂させた場合には是非、ホッと暖かい溜め息をついて、「可愛いね、アンタは」とかなんとか言って、許してやって欲しい。見逃してやって欲しい。

あなたがた女の人の目にどう映ろうが、「男のプライド」を持っている間は男ってのはまだまだ大丈夫。「自分は男でありたい!」と願ってるんだから。葛藤してるんだから。戦ってるんだから。

鳴かぬなら燃やしてしまえ書込寺。

呟いて、一度は燃やしてしまおうとも思った書込寺。寺のぐるりに薪とガソリンと炭化した現実を用意するところまではいったが、ギリギリのところで思い止まった。やはり皆さんからの声を心待ちにする楽しさというのは何物にも代えがたいものがあるからだ。

今回の締め切りは11/20(金)。内容は問わない。本当に何でも良い。とにかく皆さんの声を聞きたい。よろしくお願いいたします!

小さな世界で言えば、俺の職場なんかがそうなんだが、この世の中というのは結局、ある特定の人間、「選ばれた人間」だけが厚待遇、生き延びられるように出来ているらしい。

この考え方に対する反論は一切受け付けない。反論する奴は反論した時点で「私は選ばれてる人間です!」と根拠なく分不相応に間抜け面を輝かせて名乗っているのと同じで、そんな奴の言葉に耳を傾ける暇があったら俺は村八分のレコードを何回繰り返したかわからなくなるくらい繰り返し聴く。

一方、教育の段階では、今日も相変わらず、涎を垂らした見るからにアホそうな「先生」と呼ばれて有頂天になっているちょっと前まで子供だった馬鹿が「個性を伸ばしましょう!」みたいなことを言っている。個性なんてもんはモヒカンみたいなもんで、伸ばせば伸ばすほどに生きにくくなる。それを承知の上で「個性を伸ばしましょう!」なんて言ってるんだから彼らは生粋の悪人だ。悪魔だ。

いろんな人間がいて良いじゃないかと思う。いろんな人間がいるからいろんな人間が生きていける。いろんな人間がいないといろんな人間が生きていけない。

俺はもう本当に説教され飽きた。自分の言葉数の18倍くらいの言葉数で説教が返ってくるのをわかっていながら自分の見解なり要望なりを喋るくらい間抜けな話はないだろう。





先日、目の前で一人の浮浪者が倒れた。頭をアスファルトに強く打ち付けて、鈍く重い「ゴン」という音が俺の耳にヌメヌメと流れ込んできた。俺は「俺も一歩間違えりゃ...」と思って気分が重くなったが、周りの人たちは皆、その浮浪者に「アホが」みたいな軽蔑の視線を投げつつ、ビール片手に笑っていた。

昔、某ロック雑誌で「あなたにとって『ロックンロール』とは?」との問いにキース・リチャーズがこう答えていたのを思い出した。「俺はもうロックンロールの「ロック」の部分には興味がないんだよ。俺が興味があるのは「ロール」の部分なんだ」と。

で、もし今、俺がその某ロック雑誌にインタビューを受けて、ロック雑誌にも関わらず「あなたにとって『生活』とは?」などと物凄く変化球な問いを投げ掛けられたら、俺はキースの発言を引用してこう答えると思う。「俺はもう生活の「生」の部分には興味がないんだよ。俺が興味があるのは「活」の部分なんだ」って。





「活」無き「生」のいかに無様なことか。だいたい、世の中にちゃんと「生活」できている人ってどれくらいいるんだろうか。働きたくて働いてる人と同じくらいいないんじゃないだろうか。

200本に到達した。

曲を1曲書く労力と、ここに文章を10本寄せる労力がちょうど同じくらいだ。ということは、文章100本で10曲分の労力、レコードでいうところのアルバム一枚分の労力に相当することになる。俺の文章の字数が毎回結構多いことと、その字数をパソコンではなく、野外の書斎で、携帯で地道に地味に打ち込んでいることを踏まえれば、文章100本で12曲分くらいの労力は費やしてるんじゃないかと思う。

というわけで、「200本に到達した」というフレーズはなんだか味気ないし、そのまんま過ぎて夢がないので、俺のブログに関しては「12曲入りの2ndアルバムが完成した」と言い換えさせていただくことにします。こっちの表現の方が俺としては断然胸躍る。

1〜100本目(3/31〜7/21)が1stで、101〜200本目(7/22〜11/11)が2nd。

アルバムとして捉えるんだから、レコードとして捉えるんだから、それぞれにタイトルが必要になってくる。そこで俺はそれぞれのアルバムに一本ずつ収録されている短編小説のタイトルをそれぞれのアルバムのタイトルに当てることにした。どちらの物語も、俺の深層心理的なものを如実に現したものだったからだ。したがって、1stアルバムのタイトルが『堀井ヴァイブル』となって、2ndアルバムのタイトルが『木元麦乃助の憂鬱』となる。が、俺の個人的な希望で両タイトルとも冒頭部分を少し削って、1stを『ヴァイブル』、2ndを『麦乃助の憂鬱』とさせていただくことにする。

アルバムなんだから、レコードなんだから、繰り返し読んで、聴いて、繰り返し楽しんでもらえるものじゃなきゃダメだ。嫌だ。

このブログは一つ一つの文章が俺にとっては作品で、「今が全て」といったその辺のくだらないバンドマンの、古い順に無意味化するくだらないブログとは訳が違う!と、言い切れるくらい、言い切るべく、自分の言葉の全てをここにぶつけてきた。

夢見るのは愛読者の皆さんの間で「1stの方が良かったな。初期衝動があって」とか、「いやいや、『麦乃助』の方がずっと良い。俺に言わせれば俗に言う一憩節ってのは『麦乃助』の中盤あたりから後半にかけての事を言うんだぜ!」とかいう会話、論争が執り行われている光景です。





というわけで、今後ともご愛読、ご愛聴のほどよろしくお願いします。今や、皆さんの存在を思うことこそが、俺の日々の活力源です。

毎日毎分毎秒、お腹がいっぱいで吐きそうだ。いつどこで何を食ったんだかさっぱり覚えちゃいないが、とにかくずっ〜と満腹で、空腹感とか、自分はどんな味に舌鼓を打つのかみたいなことを完全に忘れてしまった。

自分の好きな味のある方向、そんな匂いのする方向に、空腹感に突き動かされて、動物的に衝動的に生きたい。

毎日毎分毎秒、だからどうせ明日も明後日も、不本意に満腹なんだろう。

空腹感と自分の好きな味を思い出す時間が欲しい。

俺は自分の名前「一憩」の「憩」の一字にあまりに忠実に生き過ぎた。あまりに危機感なく楽天的に、ことあるごとに「何とかなる」と心の中で呟いては笑って、ちんたらちんたらちんちんちんと生きてきた。

で、何ともならなかった。

「憩」という字にはもう一つの意味。人を、友人たちを憩わせるって意味もあるだろうなんてことも心密かに思って生きてきた。実に夢のある蒼い発想。「俺といる間は現実のことを忘れさせてやる!」なんて思って生きてきた。

が、忘れさせてやるどころか、思い出させてばかりいる自分が今ここにいる。

取り返しがつかないくらいいろんな事を、確実に着実に失敗してきてしまった。情けない。

俺には友人と呼べる人間が少なからず、いる。決して少なくはないと思う。でも俺はそんな友人たちに対する自分の「売り」的なものを見失ってしまった。ひょっとしたら抜本的に失ってしまっているのかもしれないし、ただどこに置いたのかを忘れてしまっているだけなのかもしれない。とにかく、気が付けば手元になかった。いや、元々なかったのかもしれない...。

自分がどこにいて、どこに向かおうとしているのかがさっぱりわからない。自分の立ち位置がわからず、自分の願望がわからない。ただ一つだけ、明確にわかっているのは、かつての自分がどこに向かいたいと思っていたのかという記憶と感覚だけだ。

過去に目がいく―男として、もの作りとして本気に最低だと思う。

ビートルズやティーンエイジファンクラブの、言葉にできないくらい優しい、綺麗なメロディを聴いているといつも思う。

世の中って、社会って、どうしてこうも窮屈なんやろうって。

死ぬほど綺麗な音楽が確かに存在して、そんな音楽を創れる人間確かに存在して、にも関わらず、何故、みんなの生活はこんなにも窮屈なんやろうって。





神様?仏さま?笑わせるな!お前ら時給50円くらいの働きしかしてねぇじゃねぇか。人間の頑張りをちゃんと見ろ!人間の生活をちゃんと見ろ!見てからものを言え!何やその上目線。ナメとんか?死ね!このクソ野郎が!

処女作、超短編小説『堀井ヴァイブル』から半年。

「起」「承」「転」「結」の4部から成る物語『木元麦乃助の憂鬱』が、2日間だけこのブログ上に載せてすぐに削除した「前編」「中編」「後編」「ボーナストラック」から成る同タイトルのいわば「雛型」とも言える物語に大幅な改良を加えて遂に完成した。

仕事中、夜勤者に当てられた2時間の仮眠時間を利用して、物語がどういった方向に流れていくのか、どういった方向に流れて欲しいのか、何てことは一切考えず、こだわらず、携帯片手にただただ我を忘れて、無我夢中、勢いにまかせて書いた。

書き終えて読み返してみて我ながら驚いた。ここ最近の俺の生活、精神状況を象徴しているかのようなエピソードが物語の中に所狭しと並んでいたのだ。だから、もし今誰かに「最近どう?」って言われたら、俺は迷わず「木元麦乃助を読んでくれたらわかる」とだけ答える。

完成後、24時間をも経ていないにも関わらず、俺はもう現時点で少なくとも3回は読み返した。そして、恥ずかしい話、自分で書いたにも関わらず毎回同じポイントで笑ってしまっている。

愛読者の皆さんはとりあえず笑ってください。深読みなんて面倒臭いことはせずに、笑える箇所があったら大いに笑ってください。それが一番嬉しい。





ちなみにあと4本。あと4本で、このブログ、200本に到達します。

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

いっけいの楽曲が聴ける!! MySpaceはこちら

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