大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

「昔は良かった」的発言ってそんなにダメなことなんだろうか。逆に、「今が一番」的発言は、それがたとえ自分自身に対する嘘無しには口にできないものだったとしても、やっぱり立派なことなんだろうか。

自分自身に嘘をついている人間の言葉なんて、根の汚染されきった木がつける葉や実みたいなもんだろう。





あ、また一羽、鳥が落ちてきた。

どいつもこいつも、びっくりするくらい自分の欲求に忠実だ。俺の目にはとるに足らない、はっきり言ってどうでもいい、些細極まることでも、そこに欲求が絡んでいたら、意地でもそれを達成させようとするし、少しでもうまくいかないと考えるより先に怒りに訴えようとする。

面倒臭い。

「言うことを聞け」と言われて聞き容れたことは数限りなくあるが、「言うこと聞いて」と言って聞き容れてもらった記憶はほとんど、無い。にも関わらず、俺のことをわがままだと言う人がいる。俺がわがままだったらあんたらはいったい何なのか。いったい何とお呼びすれば良いのか。

万歩計みたいな感じで、「万言計」ってのがあればなあと思う。一日のうちにどのくらい喋ったのかが数字で表示される小さな機械。きっと俺が、俺のことをわがままだと言う人の4分の1も喋っていないということがわかってもらえると思う。

俺のことをわがままだと言う。そういうのを「詭弁」と言う。

服というのは人間の身体の形に合わせて作ってある。サイズやデザインに違いはあれど、基本的な形は皆同じ。でも、人の心の形は限りなく多種多様。「心に着る服」なるものがあるとして、それがサイズ、デザイン的にヴァリエーションに富み過ぎるということはないし、そこに「基本形」なる考え方を持ち込むとものの5秒で無理が生じてくるような気がする。

芸術というのは心が着る服なのかも知れない。

例えば音楽。例えば『ノイズ』。演奏してる本人にも、どこがデコで、どこがボコで、どこにどのくらいの穴が開いていて、何色と何色の組み合わせで、どの部分が直線で、どの部分が曲線なのか?といったことが定かでない。そんな形の服。世の中にはそんな形の服しかジャストフィットしない心というのもあるんだろうし、それはそれで面白いとは思うけど、そんな心と、そんな心を覆っている基本的な形の服を着ている肉体と、そんな両方を引き摺るようにして呼吸している人間というのは相当に生きづらいだろうなとも思う。

またこんな時間に目を覚ましてしまった。

真夜中の静寂は「焦り」を喚起する。

中3の時、とある友人が俺のとある間違いを指摘してくれた。あの時、彼が指摘してくれてなかったらと思うとゾッとする。





中田「カオス」だと思っていた。

つい先程、阿仁真里が買い物から戻ってきた。「何買ってきたん?」と尋ねたら「ビスコ!」と答えて玄関の所でちょっとつまづいていた。

で、「何も考えたくない」と一日中考えているような人間は、いったい何をして過ごせば良いんだろう。

音楽を聴いたところでどうにもならないし、それはギターを弾いたところで同じこと。

大阪。外は晴天で、そこら中で桜が咲いていて、だらだらだらだら時間が流れている。

今年の桜はちょっと汚れている。

普通、女の人は自分の中の男性性を外界へ引きずり出そうとはしないし、男の人も自分の中の女性性を外界へ引きずり出そうとはしない。っていうか、自分の中のそんな存在に気付きもしない。

私はツイていた。私にとっての「実体」である一憩は、私を極限まで引き出そう引き出そうとしてくれている。

貴方は貴方の中の彼女に気付いてる?貴女は貴女の中の彼に気付いてる?

私は、私の実体である和田一憩という伊丹出身の、情けない、アル中の、ロック馬鹿を愛し始めている。

今日、一憩は私を連れて大阪に戻る。職場復帰はまだ少し先の話だけれど、とにかく、大阪に戻る。

一憩は不安の塊で志向が定まらず、私はただただ「まだまだ時間はあるよ」とか、「大丈夫。貴方は確実にレノンに似てる!」とか、何でも良いから思い付く限りの励ましの言葉を投げ掛けているが、私自身は大阪に戻ることに何の怖さも感じてない。

読者の皆さんもご存知の通り、私は33年間、一憩の中の女性性として存在し続けてきた。でも、考えようによっては私は、一憩の中のポジティブな考え方とか姿勢とかの権化でもあるのかな、と今ふと思った。だって、彼の全体像から私を引くと、「ネガティブ」の一言しか残らないんだから。

昨日、遠路、長い時間電車に揺られて、剣吾くんが会いに来てくれた。アンプを台車に乗せ、ベースを背負って。

昨日、本当なら一憩はライブをやっているはずだった。そしてそのライブには中盤から剣吾くんも登場する予定だった。久しぶりに二人でスタジオに入って、本格的に練習をしだした矢先の中止だった。

周りを田んぼに囲まれた、音を気にしなくて済む家の中で、お客さんは私たちの両親と一頭の犬だけだったけれど、一憩と剣吾くんは「予定通り」ライブをやった。そして「息、ピッタリやな」とお客さんを驚かせた。

今日も「音出そう」と剣吾くんは言ったが、一憩は「昨日出し尽くしたよ」と言った。

晴天。二人は裏庭のベンチに腰掛けて色んな話をした。中でも昔、一緒にバンドをしていた時の話はめちゃくちゃ盛り上がっていた。「お互い頭丸めてゴミみたいなパンクバンドやる?」とか言って笑ってた。

夕方、剣吾くんは帰って行った。一憩は改札まで見送って「ありがとう」とだけ言った。来てくれたことが嬉しくて、感謝の気持ちでいっぱいで、いっぱい過ぎて、「ありがとう」が精一杯だった。

駅からの帰り道、一憩は私に「剣吾くんになんかめちゃくちゃええことあったらええな」と言った。私は「ホンマにね」と答えた。

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

いっけいの楽曲が聴ける!! MySpaceはこちら

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