大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

そのくせ、こと「食」に関してはあれは美味いこれは不味いなどとわかったようなことを口々に言って有頂天になっているこの国の貧民どもは一体何を考えているのだろうか。文化的レベルはこれ以下はないというくらいに没落しているのに、食文化だけがレベル的にやたらと高い所にある。世の中全体が強烈に不細工なバランスの上に成り立っている。

若き日の町田康(当時、町田町蔵)が「メシ喰うな!」と絶叫した理由が、なんとなくわかる気がする。

俺にとって心から落ち着けて、さらに心地よく胸躍る場所と言えば、いつの時代も中古CD屋なのだが、これがここ数年間でバタバタと潰れていっている。

例えば梅田だと俺の行き付けだった店が4店舗も一気に潰れて、天六の大好きだった店も1店舗、昨年末に呆気なく潰れた。そして、先日、同じく天六の小さな古本屋に立ち寄った際には店主のオヤジさんが「我々、古本屋はもうあきまへんわ..」と苦笑いしながら漏らしていた。

一方、「BOOK・OFF」や「GEO」といった大手チェーン店の勢いは留まるところを知らず、古の平家の如くに傍若無人に勢力拡大を続けている。要するに、物の価値を知っている店がバタバタ潰れていく一方で、物の価値を知らない、訳のわからない値の付け方をする店がガンガンガンガン乱立していってるのであって、これは本当は本当に由々しき事態だと思う。





「え?ビートルズのメンバーの名前?ジョンとぉ、ポールとぉ、あと、あと、リンゴ!」とか言ってるアンタらの罪は計り知れない。

梅田の真ん中に献血車が停まっていて、白い服を着た女の人たちが「献血お願いしま〜す!」などと無闇にシャウトしている。

やってやってもいい。が、ジュースなんか要らんから金をくれと言いたい。一回につき500円くらいくれるというんなら、5回くらい連続でやったる。並んだる。ただ、5回目はさすがにキツそうなので「ビールセット」と称して500円にビール1本を添えて欲しい。あと、餃子の一人前も添えてくれれば文句はない。

人間、生きていると本当にいろんなことを考える。そして、視覚的、非視覚的を問わずありとあらゆることを思い浮かべる。だから、人間の頭の中にはそんなこんなの残骸があちらこちらに転がっているはずで、注意深く探せば中にはかなり綺麗な物もあるはずで、これを拾い集めて積み上げたり組み合わせたりすれば今、この時代に、立派にオリジナリティのあるものが生み出せるような気がする。

俺は俺の頭の中のそういった残骸たちを厳選、駆使して、全くもって無意味ながら何故か強烈に心惹かれるといった感じのものを創ってみたいと思う。

自分でもびっくりするくらい「家でじっと」ができない。何もやる気がしないくせに、かといって「家でじっと」してると気が気じゃない。だから晴れの日も雨の日も、何の目的もなく、なぜか焦って、外に跳び出す。で、外に跳び出したからといって、特に何をするでもなく、何かが起こるわけでもなく、夕方、何だかなあ...と心中呟いて帰宅する。

自分の中に「なんかせな!」みたいな強い気持ちがあって、これに上手く対処できないでいる。ただでさえ1日1日が経過していくということに救い難い恐怖心があるのに、なにもせずに無音の、陽の差さない家の中でじっとしているというのは本当に耐え難いことなのであるが、一方ではやはり本当に、絶望的に、何もやる気がしない自分がいるのである。で、気付けばまた近所の公園のベンチに腰を降ろして、携帯を手にここに言葉を吐き出していて、そんなこんなが先月の、先月だけで120本という変態的とも言える数字に結びついたわけなのである。

はい。

500に到達。ここに5枚目のアルバム『花とヘドロ』が完成した。

それにしても「形あるものいつかは終わる」のだが、このブログはいつ、どういった形で終わりを迎えるのだろうか?そして、その終点から逆算してみた場合、今、俺がいるこの500という地点は「初期」に該当するんだろうか?それともこの地点500はすでに「後期」に差し掛かっているのだろうか?

予定通り、ここで本格的な休止、充電期間に突入すべきか。それとも、このまま、言うなれば「無謀」なのを承知の助で突き進むべきか。

ま、とりあえず、500に到達したのは確か。そして『KID A』に負けず劣らず奇怪なアルバム『花とヘドロ』が完成したのも確か。今日1日くらい人知れず喜びに、酒に浸ってもバチは当たらんだろう。

愛読者の皆さんも、この「地点500」を読み終えたらすぐに近所の酒屋さんに駆け込んで「麦とホップ」の10缶も買い込んで祝杯をあげてやってください。

ありがとう!愛してます!

何かを所有したがったり、どこかに所属したがったりということが不快だ。

本来、人間は相当に自由な生き物のはずだ。もし人間がこの世に生を受けた瞬間、オギャアと叫んで出てきた瞬間から両足首に足枷がはめられてたり、首に首輪がはめられてたりしたら話は別だが、断じてそんなことはないし、そんな話は今だかつて聞いたことがないし、道路や線路は国中を毛細血管の如くに走っておって、望めばどこにだって行けるし、海や空には道路や線路さえなく、船や飛行機に乗れば海外にだって行けるし、さらに人間は欲深いもので、ロケットを拵えてこれに乗って宇宙にまでも出ようとしていて、実際に本格的に出始めていて、そう考えると人間というのはちっとも不自由な生き物ではない。自由過ぎることが不自由なんじゃないか?と思えなくもないくらい人間は本来は相当に自由な生き物だと思えてくるのだが、実際は人生はめちゃくちゃに窮屈で不自由なのだから訳がわからない。

そこで、問題はなんぞや?と考えた場合に浮かぶのが所有欲だったり、所属欲だったりする。だから、もし所有欲や所属欲からうまく解放されたとしたら、人間はそこそこ本来の姿に戻れるんじゃないのか?みたいなことを今、ふと思ったのである。確かに、実際にはこれは相当に難しいことだ。でも、「出来る限り」ということであれば、出来る限りの範囲においては可能だろう。ちょっとだけ失ってみたり、ちょっとだけ逸脱してみたりというのは決して無理な話ではないし、やってみる価値はあるように思う。





子供は大人がちょっと目を離した隙にあらぬ方向へ駆けて行って、姿を眩ましてしまう。あれを見ても、人間は本来はもっともっと自由な生き物だということが知れる。

「あかん」と言われて、「....」納得のいかぬままに頷いて。

限界が来てるんですよ。きっと。

英国にレディオヘッドという、世界的にはオアシスよりも断然評価が高い、英国における「国民的バンド」がいて、彼らが拵えたアルバムに『KID A』という奇怪極まる「歴史的傑作」と呼ばれるものがあるが、このブログの読者の皆さんの中にこのアルバムが好きだという方はおられるだろうか?「好きだ」とまでは言わなくても「わかる」と言える方、おられるだろうか?

俺は数年間、ほんの数分前までこれが全くわからなかった。ゴミだと思っていた。でも、今は「わかる」と言える。「好きだ」と言える。今日、一気に聴こえてきた。

もの作りとしての自分の神経が「次」に向かっている証拠なのかも知れない。

嬉しい。

阿仁真里が余計なことをした。こんな所でタオルを投げられても困る。今までの努力が水の泡だ。カッコ悪い。俺はとにかく、500までは行く。意地でも5枚目を完成させる。

俺が相手の受け取り方に一切気を使わず言葉を吐けるのは本当に、このブログの中でだけだ。だから普段、俺が何を言おうと、あまり気にしないで欲しい。もし傷付けたんなら謝る。でも俺は決して傷付けようとして言ったんじゃない。人を傷付ける為の言葉なんて、普段の俺は持ち合わせていない。だからもし俺のことを知りたいと思ってくれるんなら、このブログを読んでくれればいい。たぶん、わかってもらえる。でも、それでもなお誤解するんなら、誤解して傷付くようなら、誤解して傷付いて頭に血が昇るようなら、頼むから二度と俺に関わってくれるな。

そういうこと。さ、あと4本。一本一本大事に書いていこう。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109

プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

いっけいの楽曲が聴ける!! MySpaceはこちら

2015年10月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31