何かを所有したがったり、どこかに所属したがったりということが不快だ。
本来、人間は相当に自由な生き物のはずだ。もし人間がこの世に生を受けた瞬間、オギャアと叫んで出てきた瞬間から両足首に足枷がはめられてたり、首に首輪がはめられてたりしたら話は別だが、断じてそんなことはないし、そんな話は今だかつて聞いたことがないし、道路や線路は国中を毛細血管の如くに走っておって、望めばどこにだって行けるし、海や空には道路や線路さえなく、船や飛行機に乗れば海外にだって行けるし、さらに人間は欲深いもので、ロケットを拵えてこれに乗って宇宙にまでも出ようとしていて、実際に本格的に出始めていて、そう考えると人間というのはちっとも不自由な生き物ではない。自由過ぎることが不自由なんじゃないか?と思えなくもないくらい人間は本来は相当に自由な生き物だと思えてくるのだが、実際は人生はめちゃくちゃに窮屈で不自由なのだから訳がわからない。
そこで、問題はなんぞや?と考えた場合に浮かぶのが所有欲だったり、所属欲だったりする。だから、もし所有欲や所属欲からうまく解放されたとしたら、人間はそこそこ本来の姿に戻れるんじゃないのか?みたいなことを今、ふと思ったのである。確かに、実際にはこれは相当に難しいことだ。でも、「出来る限り」ということであれば、出来る限りの範囲においては可能だろう。ちょっとだけ失ってみたり、ちょっとだけ逸脱してみたりというのは決して無理な話ではないし、やってみる価値はあるように思う。
子供は大人がちょっと目を離した隙にあらぬ方向へ駆けて行って、姿を眩ましてしまう。あれを見ても、人間は本来はもっともっと自由な生き物だということが知れる。
本来自由
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