大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

再びのコメント、ありがとうございます!

俺の文章は本を全く読まない人間の文章丸出しで、それはトモコさんの文章と比較すれば一目瞭然です。

俺は音楽が大好きだから、無意識下でかなりの知識を得つつ音楽をやってきたし、絵が好きだから、親父が絵描きだということでこれまた無意識下でちょっとだけ得ていた知識を元に絵を描いてみたりしているわけですが、こと文章と言うものに関してはこの「好きだからやる」という1+1=2的数式というか、「やろう!」と思い立つまでの自然な流れみたいなものが全く見当たりません。というのも、俺は生まれつき言葉と言うものが大嫌いで、死ぬほど嫌いで、嫌いで嫌いで大嫌いで、ゆえに本も活字も大嫌いだと言い切れて、今までに何冊か「文豪」と呼ばれる人が書いた「名作」と呼ばれるものを読むには読んだけど、言葉が昇華されてる感じがムカつくというか、それによって言葉が「アタシ綺麗でしょ?」的に調子にノってる感じがさらにムカついて、いつしか「言葉なんか死ねばいい」なんてことを言い出すに至ったわけですが、しかしながら残念ながら不本意ながら言葉というものの持つ力、影響力みたいなものは認め過ぎるくらい認めてきたし、ゆえにまたムカついて...というのが俺が言葉とか文章とかいったものに抱き続けてきた印象だったりするわけです。

あえて今こそ「本は読まない!」と深く心に誓っております。気付けば文章だけが、「知識なく作る」ということができる貴重な存在になっていたからです。

自分の中の意外な場所に未開の地を発見したことの喜びと、その地を自分のやり方で開墾して、言うに言えぬ、自分でも良いのか悪いのか判然としない得たいの知れないものを生み出すことの楽しさに身をやつしながら、立ち止まることなく無闇やたらに乱暴に、言葉をちぎっては投げ、ちぎっては投げ、していこうと思っております。

カート・コバーンは言いました。「ギターの弾き方なんて知らなくていいんだよ。自分で考えりゃいいんだ」

というわけで、今後ともご愛読のほど、よろしくお願いします!

「誰がホームレスやねん」というフレーズで思い出してしまったのだが、俺は過去に一度、梅田のど真ん中でヤクの売人に間違えられたことがある。失礼にもほどがあるだろう。

酒の味を覚えたての頃、幼なじみと、今食えば決して美味いとは思えないであろう居酒屋で「うまっ!」とかなんとか知ったかぶって言いながら飲んでいて、ゴキゲンに店を出て、ちょっと歩いて、その幼なじみが「ちょっと電話」と言って一瞬俺の側を離れたすきに、サングラスをかけた中尾彬みたいなあからさまに極悪そうなオッサンと、同じくサングラスをかけた横山やすしの生まれ変わりみたいなチンピラ然とした小悪魔的オッサンと、一世風靡セピアみたいな格好をしたいつまで経っても一世を風靡できないであろう怖すぎるお兄さんたち数人に包囲されて「で、どこで売ってんの?」と尋ねられたのである。

最初は「この人たちは一体何を言ってるんだろう」と思ったが、一分も経たないうちに自分が今、どういった立場に立たされているのか、どういった素性の人間だと勝手に決めつけられているのか、ということに気付いたのである。あまりの恐怖に、逆に、ものすごく開き直れてしまっている自分は極めて冷静な声で「知りません。いや、ホンマに知りませんて。ただ、あそこは東通商店街といって梅田屈指の飲み屋街ですから、あそこに行けばあるかも知れませんねぇ」と答えた。すると、横山が「いや、お前は知ってるはずや」と言い、俺は「いやいや、ホンマに知りませんて」と応戦したが、このタイミングで、ここぞとばかりにこの何だかよくわからないチームの首領的存在たる彬がニュッと顔を突き出してきて「俺の目は誤魔化されへんで」的ニュアンスを含ませて俺にこう言い切ったのである。「いや、お前は知ってるはずや。その目は知ってる目や!」





どんな目やねん。

先日の夜、書斎で、発泡酒を傍らに置いて左手に携帯を持ち、このブログに寄せる文章を作成していたところ、結構お歳を召した警察官のおっちゃんがよちよちチャリンコを押して近づいてきて、実に申し訳なさそうな表情を浮かべながら俺にこう言った。「あ、すいません。いや、ホンマすいません。いや、何てこたあないんですがね。あのね、最近ね、この公園にホームレスが出るという通報がね、この近隣にお住まいの方からありましてね。そんな人、見かけませんでした?」





誰がホームレスやねん。

変態じゃない奴なんていない。

基本的に、女性というのは凄い生き物だ。ちょっと頑張れば、ちょっと自分を大事にすれば、ちょっと自分を飾る遊びの精神とセンスがあれば、ちょっと男を「騙す」腕があれば、みんな本当に強いし、綺麗だし、エロい。

基本的に生物的に女性は、男性が女性を好きなほど、男性を好きではないと思う。

当然だと思う。俺も含めてほとんどが期待外れだから。

ただ、世の中の男性の中にも、残念ながらほんの一握りだが、俺自身、同性ながら惚れてしまうくらいいい奴、「いい男」というのは確実にいて、いるにも関わらず彼の存在に気付かないというのもまた女性だと思う。

根底にちゃんと優しさがあれば、その優しさの出し方を知らなかったり、出し方を間違えたりして人にとやかく言われたとしても全くもって気にする必要はないと思う。

優しさの「出し方」一つ取ってもそう。いちいち形式にこだわって、ことあるごとに中途半端な自己犠牲的動き方をして、自己満足ののちに自己完結してしまえるのが、俺が忌み嫌う「社会人」であり「大人」です。





うどん屋のレジの前で数人の大人が口論している。「ここは私が出します」「いやいや、ここは私が」「何をおっしゃる。今日、お誘いしたのは私なんですから私が出します。それが筋というものです」「いやいや、そんなことをしてもらってはこちらとしても申し訳が..」「そんなに気を使わないでください。お誘いしたのはあくまで私ですから」「いや、いや、そちらこそ気を使わないでください。是非とも私に出させてください」「じゃ、こうしましょう。ここは私が出しますから、今度、ごちそうしてください」「そ、そうですかあ..」

片っ端から死ねばいいのにと思う。

カリカリカリカリ、こうやって文章を書き連ねていると、自然と「一体何の為に書いてるんやろ?」ってなことを考えるようにもなってくる。

先日、管理人である剣吾くんと会って酒を酌み交わした際に、パソコン上でこのブログのアクセス数の推移を具体的に棒線グラフと数字で見せてもらって驚いた。アクセス数が先月だけで600に迫る勢いだったのである。そして、読者数的にはこれまた先月だけで70人に迫る勢いだったのである。俺がこのブログの存在を知らせたのは今のところごく身近な人たちだけで、多くても15人くらいだ。あとの50人近い人たちは一体...と、顔の見えない人たちのことを思うと嬉しくなって、嬉しい責任感みたいなものを少なからず感じて、それが今月の俺の「物書き」としての勢いに繋がっているのである。

音楽や絵に比べると、俺は俺の書く文章というものをあまり評価してこなかった。っていうか「俺の文章を評価してもらいたい!」なんてこと、考えたこともなかった。が、読んでくれている人たちが確実に、しかも少なからずいるということを知った今となっては、文章は文章で音楽や絵に次ぐ自分の第三の武器として、一生懸命打ち込む価値があると思っている。

音楽にも絵にも、そして文章にも魔法を起こす力があると、俺は血と肉のレベルで信じている。音楽や絵で表現することがままならない今、俺の想像力や、創造力のすべてはおのずとこのブログに寄せる文章に流れ込んでいる。

今、俺が魔法を起こせるとすれば文章だけだ。一生懸命、嘘のないものを書き続ければ何かが起こるかもしれない。ここから外に出られるかもしれない。いや、出てやる。

崇高な、救いの言葉はゴミ箱へ。

純朴な、優しい言葉は神棚へ。

元々強烈に才能のある人が、元々強烈に才能があるところにもってきてさらにそのピーク的な境地に突入しているがゆえに万能感みたいなものに背中を押される形で嬉々として表現というものをしている時、俺は、そういう人は、性別を越えて、性別を越えた綺麗な顔になると思っている。

例えば、あの有名なPV「イマジン」を歌っているジョン・レノンの美しさったらないし、ウッドストックだかワイド島だかのライブで「シー・ミー・フィール・ ミー」を演奏、腕をグルングルン回してギターを弾き倒しているザ・フーのピート・タウンゼントの顔も別嬪だとしか言いようのないくらい綺麗だ。本来は英国ロック界屈指の不細工なただの鼻デカ野郎のはずがこの時の映像に限っては本当にうっとりするくらい綺麗だ。

俺にもそんな時期があった...とは言わない。恥ずかしくて口が裂けても言えないし、さすがに自分がそこまで才能のある人間だとは思っていない。本当です。ただ、俺みたいなもんでもバンドをやってた時、写真を趣味にしていた友人の友人の女の子に「あなたは私のフォトジェニックだ!」なんて言われたことがある。俺はその時「フォトジェニック」なる英単語の意味を知らなかったが、なんとなく有難いお言葉を頂戴しているということだけはわかったので「あ、ありがとうございまぁす!」とだけ返事したが、後でその意味を知った時、嬉しすぎて腰が抜けそうになったと同時に「にも関わらず何でこんなにモテへんねやろ..」と若干へこんだのを昨日のことのように覚えている。それに引き換え、今の俺はどうだろう。両目とも結膜炎になっちゃって、だいぶ赤みが引いたとはいえ目全体が情けなく腫れて水死体で発見される直前の、「ロックンロール・サーカス」出演時のブライアン・ジョーンズみたいになってしもてるし、このブログ上では喋りに喋るものの、普段はシリアスキャラを演じている時の竹中直人並みに無口だし、暇さえあれば酒ばかり飲んで、休日ともなればたちの悪いムッツリ自暴自棄野郎と化してしまっている。

何とかせねばなあ〜と思う。でも金もなけりゃ時間もなけりゃ根性もなくて..。

以前にも同じようなことを書いた。でもまた書く。何度でも書く。

「忙しい=偉い」という幼稚な考え方、これ本当に何とかならんのだろうか。自分の時間の作り方も知らない、下手をすれば自分の時間の使い方さえも知らない人間が「大人」だなんてちゃんちゃらおかしい。

「忙しい=偉い」と思っている人間は馬鹿だから、自分の時間を大切にしておおらかに生きている努力の人のことを分不相応にも、あろうことか上目線で馬鹿にする。「この怠け者が」的視線を飛ばす。「自分の時間」というものが理解できず、理解できていないことにも気付かず、ただただわけもわからず惰性的にイライライライライライライライラして他人に当たってばかりいる人間は「自己管理」という点において完全な怠け者だ。

「いや〜最近バタバタしててさあ〜」って、うるせえよ馬鹿野郎!ジタバタしてるだけじゃねえか。

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

いっけいの楽曲が聴ける!! MySpaceはこちら

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