カリカリカリカリ、こうやって文章を書き連ねていると、自然と「一体何の為に書いてるんやろ?」ってなことを考えるようにもなってくる。
先日、管理人である剣吾くんと会って酒を酌み交わした際に、パソコン上でこのブログのアクセス数の推移を具体的に棒線グラフと数字で見せてもらって驚いた。アクセス数が先月だけで600に迫る勢いだったのである。そして、読者数的にはこれまた先月だけで70人に迫る勢いだったのである。俺がこのブログの存在を知らせたのは今のところごく身近な人たちだけで、多くても15人くらいだ。あとの50人近い人たちは一体...と、顔の見えない人たちのことを思うと嬉しくなって、嬉しい責任感みたいなものを少なからず感じて、それが今月の俺の「物書き」としての勢いに繋がっているのである。
音楽や絵に比べると、俺は俺の書く文章というものをあまり評価してこなかった。っていうか「俺の文章を評価してもらいたい!」なんてこと、考えたこともなかった。が、読んでくれている人たちが確実に、しかも少なからずいるということを知った今となっては、文章は文章で音楽や絵に次ぐ自分の第三の武器として、一生懸命打ち込む価値があると思っている。
音楽にも絵にも、そして文章にも魔法を起こす力があると、俺は血と肉のレベルで信じている。音楽や絵で表現することがままならない今、俺の想像力や、創造力のすべてはおのずとこのブログに寄せる文章に流れ込んでいる。
今、俺が魔法を起こせるとすれば文章だけだ。一生懸命、嘘のないものを書き続ければ何かが起こるかもしれない。ここから外に出られるかもしれない。いや、出てやる。
ショーシャンクの空に
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たびたびお邪魔します、キムラトモコです。
たまたまこのブログを見つけて、いつしか過去の知り合いだとかそういうことはどうでもよくなって、いっけい君の文章がただ面白くていつものぞかせてもらってます。
ということは同時に、文章力みたいなものでしかいっけい君のことを見ていないので、私はけっこう厳しい読者なのかもしれないなと思ったりします(笑)
ほんとに世の中には力のある文が少ない!少なすぎる!どれもこれもスカスカで、毒もなければ、手が届かないような高みをめざした純粋さがあるわけでもない!ていうか、そういうインパクトのあるものは煙たがられるから、フラットで均質化された感性や言葉が今はよしとされるんだろう(でも私はそんなマーケティング化された世の中じたいがふぁっくだけど)
とりあえず私は、濃密で生き難く、デコボコとして過剰な文を探してブログサーフィンをしている最中にここに辿り着きました。
いっけい君の年齢で、こんなに過剰な文を書ける人はなかなかいないと思うよ。そりゃ谷崎潤一郎や夏目漱石や中上健次が横にくれば、いっけい君だって透明無垢な箱入り男子に見えちゃうけどね(笑)
あ、何が言いたいんだか(笑)
私も、言葉の力を信じます。言葉が肉体性を獲得した時、他人の人生を変えてしまうほどの力を持つのだと、私も思います。
今は、何かと刺激を受けにくい閉塞感炸裂の世の中だと思いますが、先人が残してくれた芸術作品や思想や理念にはまだまた珠玉の輝きが沢山隠れていると思います。
いっけい君が綴った文の社会性や意味は私にはどうでもいい。私が見ているのは、文に力が宿っているかどうか。取り繕う言葉ではなく、日々の絶望や希望や喜怒哀楽から発した偽りのない言葉であるかどうか。
エラソーなことゆってごめんなさい。
こういう読者もいるのです。
毎日楽しみにしています。