大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

とりあえずまずは髭を剃った。それから、最近履きっぱなしだったジーパンを洗濯機にぶち込んで、迷彩柄のカーゴに履き替えた。





この際、形から入ることを良しとする。

このブログを始めて1年1ヶ月半。

1st『ヴァイブル』

2nd『麦乃助の憂鬱』

3rd『V』

4th『闇独楽』

5th『花とヘドロ』

と、発表してきた各アルバムのタイトルを見てもわかるように、このブログの内容は日ごととりとめなく重さを増して地盤沈下の如くに沈んでいっていて、絶えず繰り返される葛藤は最近じゃまるで「葛藤の為の葛藤」みたいな感じにさえなってきてしまっている。要するに、今だかつてこのブログ全体を覆うトーン的なものが、流れとして陽性に転じたことが一度たりともなく、ただただ着実に下降線のみを描いてきたのである。

このブログの立ち上げ当初以来続く最大の売りは「嘘がない」ということだ。この点に関しては俺自身、本当に大切にしてきた。そりゃ結果的に、現時点では嘘だと言われても反論できない箇所も幾つかあるにはあるが、その時々の俺には嘘をつく気なんて微塵もなかったし、今でもその嘘はあくまで現時点での嘘であって、いわば「仮嘘」で、そのうち必ず自分の手で何とかしようと思っている。

このブログは断じて「日記」ではない。ないが、俺の日常を映す「鏡」ではある。俺が意図するしないに関わらず、浮き彫りになるものがある。だから、このブログ全体のトーン的なものが絶えず下降線を描いてきたというのは、俺の日常そのものが絶えず下降線を描いてきたからだということになる。

でもこの下降線。いつかは終わらせないといけない。終わらせないと、このブログを本気で「作品」として捉えて取り組みたいと思っている俺としては、いずれ、そんなに遠くない未来に何かと限界が来るのは目に見えている。「作品」として成立させる以上は、もっと(良い意味で)混沌とした、振り幅の広い、バラエティーに富んだものにしたい。じゃ、俺はまず何をどうすれば良いのか?考えた。結果、2点だけだが頭に浮かぶものがあった。

まずは何はともあれ「焦らない」ことだと思った。考えてみればこれまでの人生、焦って上手くいったためしなんてただの一度も記憶にないのに今回だけ上手くいくとは到底思えない。だから焦らない。じゃ、焦らずに何から着手するのか?ということだが、現時点ではこれはもう「フラットに戻す」ということ以外思い付かない。心身ともにまずは原点復帰、フラットに戻す。クリアにする。そっから先のことは、それから考える。前向きに考えられるようになってから考える。たぶんその時には考えるより先に足が前に出ていってくれるような気がするし、そうなってくれないと困る...ってね?今はなんやいうたら「〇〇じゃないと困る」みたいな風に考えてしまう。で、また焦り始めて無言になる...ってのがこれから先、まだ何ヵ月も続いたとしたら...なんて想像したらゾッとするからホンマ何とかせんとイカンな俺、と思う。





明日から焦らず、着実に、自分を元に。話を前に。自分を、話を「上向かせる」のはそれからでも遅くない。

冒険物の、かなり楽しい感じの夢を見ていたのに、まさにこれからだというところ、起承転結でいうところの「転」に当たるポイントでプチッと途切れて、こんな時間に目が覚めてしまった。

全て自分のせいではあるが、今日、数時間後、太陽が昇って朝が来ると同時にちょっとした生き地獄が始まりそうだ。

今はただ、出来る限り部屋を暗く、無音にして、その中でもう一度寝て、できればさっきの夢の続きなど見せていただいて、無我夢中に仮死せねばなと思っている。

明日、俺は行かない。

行きたかったけど、行けなくなった。

明日の夜、一憩、音太小屋で新曲『阿仁真里』を披露するかもですよ。音太小屋は19時からやってて、土曜日は一憩の叔父さんが店長やってます。万が一、一憩が来なかったらごめんなさい。でも、音太小屋は一憩みたいなもんおらんかっても十分楽しいですよ。異空間ですから。

明日、一憩は行かなくても私は行きます。皆さんに私の姿が見えるかどうかは別として(笑)

(写真/文 阿仁真里)

一憩と私がよく散歩に利用する道。読者の皆さんにも束の間の安らぎを。

ちょっと外を歩くだけで、「社会福祉法人」とペイントされた車を何台見ることか。

ちょっと田舎の方に行くと、たったそれだけのことで老人施設だらけだ。

救いはどの施設にも天才としか思えない、尊敬してもし尽くせない人の一人や二人は必ずいてくれてはるということだが、その数が需要に対して全くもって追い付いていない。天才じゃない、情熱勝負の人を含めて考えても絶対的に足りていない。

老人が増殖している。老人は増殖している。「増殖」って言葉使いは不謹慎か?でも、実際は実際に増殖し続けていて、その面倒を見る人間はこれがちっとも増殖していない。

さらに、現場においては全国的に俺みたく貧弱なのが続出していて、天才と情熱に燃える人たちの足を引っ張っている。





一方では少子化が深刻な問題だと叫ばれている。人間、人間、人間、人間主体。人間、そろそろ、少しは、身の程をわきまえなアカン時期なのかもしらんよ。

ある程度ちゃんと見えてると暗く見えて、もっともっと見えてくると明るく見える。といった感じなのだろうか。

涎を垂らしているかのように見える勢いで笑っている若いカップルがいる。

「どこの風俗店で働いてるん?」と尋ねて「失礼ね!」などと強く否定された日にゃもの凄い勢いで逆ギレしてしまいそうな格好をして歩いている女がいる。

上はしっかり着込んでいるのに、下はポコチン丸出しで電柱の横に呆然と突っ立っているジジイがいる。

どこに行っても、くだらない、ゴミみたいなラブソングが流れている。





一体どうしたらいいのだろう。どこに行けばいいのだろう。

始点があって、終点があるというのは形として面白くないなと思ってきたし思っている自分に気付かせてくれたのは『KID A』

始点と終点のない、ずっとループを繰り返しているような文章、絵、音楽が面白いと俺は思ってきたし思っているらしい。だから、ゆえに、俺は小説や映画が昔からあまり好きじゃないんだな。物語と呼ばれるものには「起承転結」という、物語である以上はいかんともし難い始点と終点があって、俺はこれが嫌で、いつも「起」や「承」が退屈で、「さっさと「結」を見せろ!」と思ってしまう。

何度読んでも飽きない、何度見ても飽きない、何度聴いても飽きないもの...厳密に言うとこれも違う。俺が本当に好きなのは、何度読んでも終わらない、何度見ても終わらない、何度聴いても終わらないものだ。

終わりに向かって始まる「始まり」というのは、もうすでに悲しい。

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

いっけいの楽曲が聴ける!! MySpaceはこちら

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