大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

明日から通院する病院を伊丹の病院に移すことになった。

これはただの記録。日記。一応ここに書き残しておくことにした。ここに書いておかないと俺自身、いつ何があったのかすぐに忘れてしまうし、考えてみればこのブログは俺が主人公の小説であるとも言えるんだから。

以下3枚を破棄。

・ポイズン・アイヴィー

・欧州祇園

・悪夢除鏡

各々に各々の価値基準がちゃんとあって、各々が各々に「これは好き。あれは嫌い」とちゃんと判断できて、口にできて、それが衝突し合う状況というのは、文化的には凄く健康的な形だと思う。

本当にこの国の文化、芸術水準は底の底まで来てると思う。終わってると思う。どいつもこいつも「わからない」とプリントされたレッテルをポケットに大量に忍ばせて、ポケットを大きく膨らませた状態で歩いている。不感症なクセにめちゃくちゃ勃起してるみたいなことになっている。

何故ちっともわかろうとしないんだろう。もし、わかろうとしたけどわからなかったんだったらそれはそれ。そういうこと。それで全然構わないと思う。そんなものは自分には無縁だとして、ただ「カッコいいな」とか「綺麗だな」とか「可愛いな」とか思えたものを素直に好きと言えればそれで十分だと思う。他人は他人、自分は自分というスタンスが基本にあって、その上で「自分はこれが好きだ」って素直に言えれば本当にそれで十分だと思う。正解だと思う。

例えば好きな人ができた時に、周りの人に「私、あの人のこと好きなんですけどどう思います?」なんて聞いて回るような馬鹿な真似はよっぽどの馬鹿じゃない限りしないだろう。自分の価値基準に素直に従って、「他人の太鼓判なんていらねえよ」ってなもんだろう。なのに何故それが文化的なことに関してはできないのか...理解に苦しむ。

作り手には価値基準がある。でも、受け手には価値基準がない。だから作り手の生み出したものの良し悪しが判断できない。でも俺は、極端な話、さっきから言ってるように、良し悪しなんてわからなくたっていいと思う。そんなものは世の中に腐るほどいる評論好きな奴らに任せておけばいいんであって、要は自分の好き嫌いを自分の言葉でちゃんと言えさえすればそれでいいと思う。でも、それも言えない、わからない人間がこれまた腐るほどいて、その結果どうなるか。

『アーティスト(もちろんバンドマンを含む)がわからない』ってことになる。

こうして毎年、毎日、毎分、毎秒、物凄い勢いでアーティストが死んでいってる。

殺されていってる。

要するに、やっぱり「軸」ってことなんだと思う。今の俺には軸がない。

人は自分の中の軸を中心にして回る。そして、その軸は「原点」であって、「拠り所」であって、「帰る場所」でもあるのかもしれない。

自分の描いた絵を見ても、無意識のうちに軸を考えていることがよくわかる。真ん中に一つ象徴的なものを置くなり、一本、線を引くなりしていて、絵はその軸によって安定して、その軸がその絵の言葉の内容を左右してる。

思い込みから成るアイデンティティーは軸にはならない。俺のレベルだと、まずはアイデンティティーを思い込みの域から思い込みではない次元にまで持っていくための軸がまた別に要る。でもこれが、この軸がどこにあるんだかわからないし、どんなものを選べばいいのかがさっぱりわからない。

そういえば俺はこのブログの401本目〜500本目のタイトルを『闇独楽』としているが、あの時の気持ちを昨日のことのように覚えている。「必死こいて回ってるんやけど、誰も見てねえなあ...」と思っていた。あの時は確かに誰も見ていない、闇の中で回る独楽だったかもしれない。でも、独楽として回っていたということは一応ちゃんと軸はあったってことだ。

あの時あったものが今はない。まあ、あの時の軸が今現在の俺の軸として適当かと言うとそれはそれで違うような気も...いや、絶対違うな。違う。





軸を無くした地球儀が床を転がっている。「どうやらこの家、傾いてるみたいですよ」と言っている。本来の自分の在り方を忘れてしまっている。

既存の宗教である必要は全くない。自分なりに何らかの信仰心を持って生きていきたい。

夢のない考え方、夢のない生活、夢のない人生、夢のない...「夢のない」が冒頭にくるものの全てが耐え難い。「夢がない」ってのは「想像を相容れない」ってこと。そんな「想像を相容れない」世界全てが耐え難い。

生きていける世界と、生きたいと思える世界があまりに見当たらない。

ジャンヌダルクって、今の俺の潜在意識的なものから来る最たるものなんだろうと思う。

ジャンヌダルクを待っているのかもしれないし、ジャンヌダルクになりたいのかもしれないし、そこんとこは自分でもよくわからない。

でも、とりあえず木製の十字架のネックレスが欲しいと思う。別にキリスト教を信じるようになったとかそんなんじゃなくて、ジャンヌダルクが首に掛けてたからという理由で。

最後の審判みたいなシーンで囚われの身、ボロボロになったジャンヌが言う。「首に掛けていた小さな十字架を返してください」

フランスを救ったジャンヌダルク。イギリス側の審判の場で「神から受けた啓示に関してはフランス国王にしか言いません」と、フランス国王に裏切られたにも関わらず言い切る。

信念の人って問答無用に好きだ。信念の人はいつも変人狂人扱いされる。でも世界を掻き回すのはいつも変人狂人呼ばわりされる人たちだ。そして変人狂人呼ばわりするというのはいつの時代もその時代の凡人の、俗物の、リーサルウェポンだ。

俺は結構いい線いってると思う。俺が変人狂人呼ばわりされたとしても誰も特に何の疑問も抱かないんじゃないか?あとはミラクルな後押し。わかりやす〜い神の啓示でもあれば何でもやってやるぜってなもんなんだけど、いかんせん、踏み出せないんだな、一歩が。

臆病で。

以下の5枚を破棄。

・メイベリーン

・喪失セピア

・マザーシップ

・戦う優しさ

・ジャンヌダルク〈version―1〉

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

いっけいの楽曲が聴ける!! MySpaceはこちら

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