要するに、やっぱり「軸」ってことなんだと思う。今の俺には軸がない。
人は自分の中の軸を中心にして回る。そして、その軸は「原点」であって、「拠り所」であって、「帰る場所」でもあるのかもしれない。
自分の描いた絵を見ても、無意識のうちに軸を考えていることがよくわかる。真ん中に一つ象徴的なものを置くなり、一本、線を引くなりしていて、絵はその軸によって安定して、その軸がその絵の言葉の内容を左右してる。
思い込みから成るアイデンティティーは軸にはならない。俺のレベルだと、まずはアイデンティティーを思い込みの域から思い込みではない次元にまで持っていくための軸がまた別に要る。でもこれが、この軸がどこにあるんだかわからないし、どんなものを選べばいいのかがさっぱりわからない。
そういえば俺はこのブログの401本目〜500本目のタイトルを『闇独楽』としているが、あの時の気持ちを昨日のことのように覚えている。「必死こいて回ってるんやけど、誰も見てねえなあ...」と思っていた。あの時は確かに誰も見ていない、闇の中で回る独楽だったかもしれない。でも、独楽として回っていたということは一応ちゃんと軸はあったってことだ。
あの時あったものが今はない。まあ、あの時の軸が今現在の俺の軸として適当かと言うとそれはそれで違うような気も...いや、絶対違うな。違う。
軸を無くした地球儀が床を転がっている。「どうやらこの家、傾いてるみたいですよ」と言っている。本来の自分の在り方を忘れてしまっている。
痴呆地球儀
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