大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

自分の日々の行動の何が嫌って、買い物をする時に財布の中に指を突っ込んで小銭を探してる姿とか、電車に乗り遅れそうになって必死こいてガニ股で階段を駆け降りている姿が嫌だ。

だいたいにおいて俺は一年中、365日、何かとカッコ悪過ぎる。

もうちょいカッコ良くなりたい..って言うか、決してカッコ良くなりたかないんだけど、もうちょいカッコ悪くなくなりたいなあ、要するにもうちょい自他共に認める普通の有り様で、日々、暮らせたらなあと思う今日この頃なのである。

ハァ...。

頼む、みつを!死んでくれ!俺と未来ある子供たちの為に!

もし、ここの社長が居酒屋かなんかでパーラメントを吸いながら「やっぱりね、人生金が全てじゃないでしょう」なんて言ってたらグーで殴ってしまうと思う。

お年寄りがこう言った。「あんた最近入ってきはった人やねぇ。へえ〜、和田さんっていうの。和田って、あの、和田アキ子の和田やね!」

まったくもってどいつもこいつも和田=アキ子。餃子=王将並みに和田=アキ子。

俺の職場に明星(あけぼし)さんっていう先輩がいる。なんでもする。なんでもするから代わって欲しい。

明星一憩か...少々ダラダラしてても出世しそうだ。

んなことねえか...。

社会的な書類。市役所などに提出すべき公的な書類。あれ、ややこし過ぎはしないだろうか。どう書けば良いのか、どう書いて欲しいのかさっぱりわからない。

先日、その最たるものにでくわした。市役所に提出すべき書類。「提出期限厳守」とあったので、急ぎ書こうと思ったらとある記入項目に対して以下のような信じられない注意書が添えてあったのである。

「本人による記入不可(ただし本人による記入は可)」

前者は呼んで字のごとく「本人」で俺のことだが、後者は「ホン・ニン」という韓国人かなんかのことなのだろうか。

役所の人間にはドラッグでも支給されているのだろうか。

今日、音楽好きの割には数少ない所有CDの中から、必要性を感じないものを選んで売りに行く。さらに減る。今回の売りで、生き残りは50枚に満たない数になると思う。

これは良いことだと思っている。自分にとって必要な音楽とは何かを常日頃熟考して、その都度無駄を排除していくというのは、音楽好きが自分自身を知ろうとする上で極めて有効な手段、大切な過程だと思っているからだ。

俺の場合、「あれも好き。これも好き」というのでは、自分自身が自分の掌の上に無いような気がして実に不安だ。

音楽を通してこそ、俺は俺を知れる。

去年の中盤から終盤にかけて、俺の中で一大変化があった。長年に渡って不変だった俺の好きな色=赤が紫に変わったのである。これはれっきとした一大事である。

きっかけは職場に紫のポロシャツを着ていったことだった。「綺麗な色の服を着てるねぇ」お年寄りが口々に言う。紫以外の服には何の反応もないのに、紫の服には驚くくらい反応があって、お年寄りが無類の紫好きだということが判明。「それなら」と、紫のポロシャツをさらに買い足して、ほぼ毎日、着ていったのである。

そんなある日、自分の中で何か化学変化的なものを感じたのだ。紫の服を着ていると不思議と闘争心が湧く。それも、赤のようにあからさまな、周りにアピールする形の闘争心ではなく、人知れず自分の中で燃える炎といった感じの闘争心。この闘争心が自分の能力的なものを数パーセント上げてくれているような気がしたのである。

「自分はデキる」という自己暗示。これが紫の服を着ることによって可能になる。ということに気付いたというのは俺にとって本当に大きな収穫だ。





人間は人間が思っているほど複雑怪奇なものじゃなくて、実はめちゃくちゃ単純なものなのかもしれない。人間=複雑怪奇だとする考え方は人間の希望的観測でしかないのかもしれない。だから、ひょっとしたら、自分の能力みたいなものも、日々のちょっとした気付きと工夫の積み重ねで、思っている以上に引き上げられるものなのかもしれない。

俺ほど打たれ弱い人間もいないと思う。

俺ほど自分以外の人間というものに恐怖心を抱いている人間もいないと思う。

だから、世の中で「礼儀」と呼ばれているもの。例えば上下関係とかそういったものに関して、俺は決して非礼な人間ではないと思う。目上の人や、自分が身を置く世界の先輩に対してはもちろんのこと、気の許せる友人や知り合い以外のいわゆる「他人」に対して俺は決して非礼な人間ではないと思う。非礼でいられるほど俺は剛胆でもなければ勇敢でもない。

俺は本当に、心底、人間というものが怖い。たぶんこれは、この病的な恐怖心は、自分でも信じられないほどの自己評価の低さからきてるんだろうと思う。自己評価がめちゃくちゃ低いということはすなわち、他人に対する評価がめちゃくちゃ高いということだ。だから俺のこの恐怖心というのは、一体いつから始まったんだか、昼夜を問わず、毎秒毎分毎時間、日々、俺の中に絶えず降り積もり積もっていく本来であれば尊く美しいはずの「尊敬の念」がおぞましく姿を変えたものだと言えるのかもしれない。

そう言えば俺は今までずっと人を見上げながら生きてきた。正直、「自分だけが劣っている」なんて思いながら生きてきた。無意識下で...じゃねえな、はっきりと意識的に。だから、あえて人を怒らせるようなマネはしないし、怒らせるくらいなら自分の考え方なり意思なりを一瞬にして黙殺してしまえるというとても残念な特技を身に付けてしまった。

名前は生き方を左右する。俺の名前は和田一憩。「憩」の字に相応しく、良く言えばのんびり、悪く言えばだらだら生きてきた。でも、音的なイメージ、感覚的には、俺の名前は本当は『和田畏敬』なんじゃないか?と思う時がたまにある。

毎日、恐怖心でいっぱいだ。

小田和正

遅ればせながら新年開幕に寄せて。

2009年は死ぬほど長かった。そもそも子供の頃から俺は、一年の終わりに際して「あっちゅう間やったな..」なんて思ったことが一度たりともないのだが、それにつけても2009年は特別長かった。感覚的には3年分くらいの長さと重さを感じた一年だった。しかもこうやって2009年が終了したところで、俺の32歳はまだあと25日も続くんだから本当にゾッとする。目指す場所、出口になかなか到達できず、息継ぎもままならないといった感覚。まるで「、」や「。」の無い小説を読みながら、下りエスカレーターを上へ上へ逆走している感じ。

でも、ま、正直、年が変わったところで大して何も変わらんのだろうなというのが俺の本音。が、ものは考えようで、俺が個人的に密かにそんな風に思っていても、俺を取り囲む多くの善良な市民は「抱負」と呼ばれる豆腐並みにやらかいものを拵えるなどして変わろう変わろうとしてるんだから、そんなこんなが俺の生活に影響を及ぼしたとしても全くもって不思議ではなくて、さらに人間が変わろう変わろうとしている時期というのは要するにどっちつかずな極めて不安定な時期とも言えるわけで、社会的な目が俺なんぞを相手にしている余裕が無い稀有な時期とも言えるわけで、言うなれば今、俺はノーマーク和田。「変わろう!」と思い、動くにこれ以上ないタイミングなのである。

では2010年、俺は俺自身をどう変えたいのか。俺は俺の2010年をどんな一年にしたいのか。これはもう「ポジティブ」の一言に尽きる。2010年も結局は戦わねばならんと思う。闘わねばならんと思う。ただ、戦うのなら闘うのなら夢のある発想を根本に持ちながら戦ったり闘ったりしたい。大好きな事の為に、大好きな物の為に、大好きな人の為に自分の頑張りがある...そんな一年にしたい。「やっと立ててる」みたいなのはもう御免だ。

誰が何と言おうが今年はポジティブにいく。ライヴもやるよ。最低でも5回はやる。量より質。毎回、濃いのをやる。できればバンドで、無理ならソロで。形には拘らない。とにかく、俺は今年も音楽をやる。どんな形であれ、やる。これは、これだけは愛読者の皆さんと自分自身に約束します。

皆さんに幸多きことを祈りつつ、幸多き中でこのブログを読み続けてもらえることを祈りつつ、乾杯!

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

いっけいの楽曲が聴ける!! MySpaceはこちら

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