大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

スマッシング・パンプキンズの『アドア』

最近、本当に、寝ても覚めてもこればっかり聴いている。

「最初は良かったんですよ。いや本当に。最初は良かったんです。でもね、途中からね...ってお恥ずかしい話、私にはその「途中」がいつのことだったかさっぱり思い出せないんですけどね(笑)でも、途中からだったということは確かなんですよ。途中から確実に、そして着実にあれがこうなり始めましてね...って度々すいませんが私には正直「あれ」が一体何であったのか、そしてその「あれ」が途中から確実かつ着実にどうなり始めたのかということに関してもさっぱり記憶がないんですよ。いやはや、本当に情けない限りです(笑)でね、ま、ちょっと話が横に逸れてしまいましたんで元に戻させて頂きますとね、ま、本当に残念なお知らせで申し上げにくいんですが、経緯といたしましては先程から申し上げて参りましたようなことでございましてね、で、その結果がこれです!」







一憩の寝言がうるさくて眠れない...。

たった今、一憩の枕元にペンと紙切れを発見した私。紙切れに何やら書いてあったので読んでみたらこう書いてあった。





持ち上げるから重い。はなっからそれが好ましい高さにあれば持ち上げずに済むわけだから、重い思いをせずに済むわけです。ところで今日、町田康の詩の中に素晴らしい一節を見つけました。『人であることは腰が痛いこと』どうです?素晴らしいでしょ? 一憩より





...誰宛の、何の為の手紙だろう?これを受け取った人は一体どうすれば良いんだろう?一憩はその人にどうして欲しいんだろう?さっぱりわからない。あれ?よく見たらこの下にもう一枚紙切れがある。これにこの謎を解く鍵みたいなものが書かれてあるのかな?見てみよ。

















阿仁真里へ。

「レノンがリーダーであるにも関わらず、ビートルズの音楽が決して重苦しくならなかったのはレノンの隣にいつもポールがいたからだ!」とか何とか上手いこと言われて、言いくるめられて、私は今後も引き続き一憩と一緒にこのブログを盛り上げていくことになりました。





嫌じゃない。決して嫌じゃない。文章を書くのも写真を撮るのも好き。でもな〜んかムカつくなあ。

撮影/阿仁真里

一憩の「もう一つの書斎」の屋根。雨の日、彼は傘を肩にかけて、濡れた石のベンチに腰かけて、携帯片手に言葉を捻り出してます。明らかに怪しいです。ちょっと詩的な浮浪者です。でも私は「やめろ」とは言いません。

私、こうみえて「いい女」ですから。

俺は本というものをほとんど読まない。というのは以前にも申し上げた通りで、俺は本当に「読書」なる崇高なことをほとんどしないし、してこなかったし、あまり好きじゃない。「じゃ、嫌いか?大嫌いか?」と言われるとそれはそれでまた違うんだけど、とにかく、ね。

中でも「古典」とか、それこそ「古典の名作」とか言われているものに対しては自分でもびっくりするくらい自分は興味が持てない。回りくどいとしか思えない固い文体が生理的に苦手だし、いわゆる「風景描写」がちっとも頭に入ってこず、読んでいてただただ面倒臭い。

ただ、そんな古典嫌いの俺にも、古典と呼ばれる書物にも関わらず愛読したものがごく稀にではあるが幾つかあって、そのうちの一冊がリルケという人の『若き詩人への手紙』というやつだったりする。これはとある無名の詩人が尊敬する詩人リルケに幾度となく「自分はどうすれば良いのでしょうか?」的な手紙を送って、それに対してリルケが返事として送ったその都度の手紙の内容を一冊の本として纏めたものなのだが、俺はどういうわけだか昔からこの本が好きで、愛読して、かなり感銘を受けたのである。

中でも俺が特に感銘を受けたのが、若き詩人が自作の詩をリルケに送り、その感想を乞う場面で、リルケはその手紙に対して自身の手紙の中でこう答えるのである。「他人に自分の作品の良し悪しを問うようなことはしないでください―中略―もしあなたが詩を書かねば生きていけないと言い切れるのであれば詩を書き続けてください。でも、詩を書かなくても生きていけるというのであれば直ちに詩を書くことをやめてください」





俺はこのリルケの言葉をずっと大切にしてきたし、忘れたことがない。そして、このリルケの言葉を知った上でもなお、自分は「やりたい」と思い続けている。

間違いないはずなんです。この道。

例えば、自転車に乗った無数の中国人に無言で追いかけられたら、めちゃくちゃ怖いだろう。

そういうこと。最近、俺がここに文章を書きまくっているというのはまさにそういうことで、そうやって無言で追いかけてくるものから死に物狂いで逃げているかのような感覚がある。

過去に自分が書いた文章、過去の自分の考え方、要するに「過去の自分」の群れが無言で追いかけてくる。そして、この群れを距離的に少しでも引き離そうと思えば、新しい言葉を矢継ぎ早に吐いて、過去のものをさらに過去へ過去へ追いやっていかんとならんのだ。

逃げろ!

あの角を曲がれ!

逃げろ!

撮影/一憩

毎日、この光景を眺めている。従ってあの電柱は、俺が俺の眼力でもって傾かせたと言っても過言である。

このブログをやり始めた当初、俺の中に「CM」というアイデアがあった。自分の書く文章が毎度結構長くて、そこそこ重い内容になるであろうことは書く前からなんとなくわかっていたので、その長さと重さを緩和する為に各文章の合間合間にでっち上げのCMを挟んでみたらどうだろうと思っていたのである。自分の好きなもの、例えば餃子のCMとか、松坂慶子の美しさを讃えるCMとか、町田康の新刊発売を告知するCMとかいったものを、何とか上手いことでっち上げて、各文章の合間合間に挟んだら面白いんじゃなかろうか?と思っていたのである。

TVで非常に緊張感のある映画やドラマを観ている際、合間合間に挿入されるライトなCMでホッと一息付けたりする。あの感覚をブログ上で表現できないだろうか?と、なんとなく試行錯誤してみたのだがこれが実際にはなかなか難しくて実現させられなかった。

が、最近、たまに載せる写真が上手いことそのCMの代わりになっていることに気付いた。俺自身、文章の合間に写真を載せる瞬間、とてもホッとする。一息付ける。だから、読者の皆さんにも写真でホッと一息付いてもらえたら嬉しいなと思うし、たぶん俺の中にも無意識だったとは言え、そう考えてる部分が少なからずあったからゆえに最近、写真を載せることが多くなってきていて、そんな経緯、動機だからゆえに花の写真が多いんだと思う。

とにかく、その辺のブログとは一線を画したものにしたい。この気持ちはこのブログをやりだした一年ちょっと前からちっとも変わっていない。

たまにはこうやって冷静に、自分のブログの構造的なものを振り返るというのも悪くない。ゆうても今や、このブログこそが俺の生き甲斐やしね。

楽しいです。

撮影/一憩

さすが我が娘。感覚が違うぜ。

これを指差して「パパ!」と言った。

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

いっけいの楽曲が聴ける!! MySpaceはこちら

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