たった2ヶ月の間隔でライヴをやるっていつぶりだろう。感覚の鈍らぬ間にまた次のライヴが決まっているというのは本当にグレートな事だ。
長い長い半隠居生活のおかげで昔より一本一本のライブを大切にしようという気持ちが自分の中にある。だから、バンド解散後に行った4度のソロライヴはどれも自画自賛の出来だった。
次のライヴ、5度目のソロライヴ、ヒダリ主催のイベント『海の家ライブ』ではソロ転向後初めて、バンドと当たる。バンドの音圧とかリズムとかにギター一本で挑んで、「勝った」と思えたら今の俺にとってこれほどの収穫はないと思う。
ライヴというのは勝負だ。やる以上は勝ちにいく。意地でも勝って「次」につなげる。
ラサール石井が大嫌いだ。
8/26(水)、JR須磨駅すぐの海の家『スプラッシュ』で行われるイベント「海の家ライブ」へのソロでの出演が決定しました。
詳細は後日。
俺は1977年(昭和52)1月31日の雪の降る夜、伊丹市民病院で産まれた。そして、幼稚園に通う一年間だけ神戸の西灘(現・王子公園)に移り住んで、卒園後すぐに、伊丹に引き返してきた。写真(一番左)はその後、俺が20年間住んだ家である。去年の今頃に撮った写真。去年の時点でこの長屋に残っているのは2世帯だけだった。この2世帯が出ていけばきっとこの長屋は取り壊されるんだろうと思って写真を撮っておいた。その時はまさかこの極めて個人的な写真を自分のブログに載せて公表するようなことになろうとは思いもしなかった。
この家で培ったことこそが今現在の俺という人間の基礎だと言える。こっから先の人生、玉砕的な姿勢でもって切り開いていくにしてもまずは「温故知新」「初心忘るるべからず」、原点を忘れては何もならんということでこの写真をここに載せ、皆さんの眼前にさらすことをもって、自分自身の胸に瑞々しい初心をタトゥーの如くに刻ませていただいたという次第です。
俺は一芸に秀でている。しかし九芸に劣っている。実にバランスの悪い生き物だ
正直、俺は前回のライブ中にも話したように、和田一憩という人間は天才だと思っている。音楽も絵も文章も独学で、さらに「独学」と呼ぶのも気が引けるほどに学ぶということを一切せず、ただヘラヘラ笑いながら誰ともかぶらない音楽や絵や文章を描けてしまえてるというのは、これはもう天才と言わずして何と言うのか?くらいに思っている。にも関わらず同時に、不思議なくらい冷静に、冷酷に自分のそういったおめでたい自己分析に対して「だからどうした」とも思っている。
かのレノンも子供時代から自分は天才だという自覚があったらしく、「僕が紙の断片とかに書いた詩や絵は捨てたりしないほうがいいよ」などと言っていたらしい。実に生意気なガキだ。でも俺も子供の時、同じようなことを思っていた。「ここ(伊丹最北端)はそのうち観光客でいっぱいになる」なんて思っていた。
俺は子供の時からコンプレックスの塊だった。他人が普通に、何の苦もなくできることが自分にはできない。自分が人一倍できることというのは決まって他人ができないこと、要するに他人が好き好んでやろうとはしないことに限るということを子供ながらに良くわかっていた。このコンプレックスが皮肉なことに「俺は天才だ」と思う何よりもの土台になった。これだけ病的に能力が偏っているというのは選ばれた人間だからだ!という解釈。そうでも思わないと生きづらくてしょうがなかったのである。
気付けば32年の永きに渡って、一芸はちっとも実を結ばず、金にならず、天才は自称と自嘲の境を低空飛行し続けるより他なく、「だからどうした」という言葉をこれっぽっちも拭えぬままにこんな所まで来てしまった。こんな遠くまで来てしまった。一芸にしか秀でていないにも関わらず、その一芸において食っていけない自分というのは一体何なんだろう。「天は二物を与えず」と言うが、このままでは俺は一物も与えてもらえなかった残念な人みたいな事になってしまう。せめてもう一つ芸があれば、自分と自分の作ったものを売り込む能力みたいなものがあれば、自分は自分の人生はだいぶ違ってたろうになと思う。しかしながら俺にはそんな能力はおろか、気力さえ元々持つ気がない。
「ランプは必ずテーブルの上に置かれる」という言葉をうちの親父がよく口にしていた。本物はいつか必ず持ち上げられるということだ。俺は今までずっとこの言葉を信じてきた。これから先も信じていくんだろうと思う。ここまで来たらもう信じ切るしかない。
俺はただ自分が大器晩成型のランプ、略して『デカイランプ』として生まれてきたであろうことを祈るのみだ。もしそうじゃなかったら...そんなことを想像してへこむ能力さえも俺にはない。
ないないない、ないもの尽くしの俺。でも一個だけ俺は確実に持っていて、そのたかが一個がために俺は生きるということになかなか諦めがつかんのだ。
レノンは自分の作ったものに食わせてもらえていた。カートも自分の作ったものに食わせてもらえていた。ジャニスもヘンドリックスもモリソンもみんなそうだ。にも関わらず死んだ。贅沢三昧か。俺にはそんな「それでも..」な苦悩がわからない。全くわからない。わかりたくもない。わからないまま生きてやる。これはこれでロックだろう。
ロックンロール!
昨夜、夢の中にうちの親父が出てきた。
俺が不本意ながらに飾り立てたらしい何らかの会場みたいな場所にいつもの格好、チェック柄のシャツとジーパン、くわえタバコといった姿で現れた親父はもの凄く申し訳なさそうな表情を浮かべて視線をずっと床に落としたまま、俺と目を合わせようとしなかった。
「嫌だ!」と思って深夜、目を覚ました。
親父に会いたい。
俺はやっぱり、男ってのは破滅型がカッコいいと思う。友人や知人に「あいつ、まだ生きてるんやろか?」などと真顔を隠しながら言われてるくらいがちょうどいい。でも本当に死んじゃいけない。死にそう、でも死なない。このギリギリのライン。これを50や60になっても続けていくというのは、例えばうちの父親が結構そんな感じなんだけども本当に難しいことで、そんな生き方で生きているというのはもうそれ自体が奇跡的なことやと思うんやけど、だからそう、男がずっとカッコ良くいられるというのは奇跡と読んでも過言じゃないくらい難しいことなんだと俺は思う。残念ながらほとんどの男は30を越えたあたりから早々にオカマみたいになってしまう。
健康に気を使っている男って最低だ。と、いつも思う。金銭的な理由でならまだしも、健康面に配慮して「俺、タバコ、やめた」などと接続詞のない言い方をしている奴を見るとどうしても「カッコ悪っ!」と瞬時に思ってしまう。「誰の為の長生き願望やねん」と思ってしまう。かと言って自分がキース・リチャーズやそれこそ自分の父親みたいになれるのかというとそれもまた疑問だ。
ただ、自分が自分でなくなっていることにも気付かなくなっているような状態、自分らしくありたいという願望さえ失ったようなみすぼらしい状態でだらだら長生きするのだけは勘弁、絶対にしたくないなと心から思う。
コメント、感謝します。あなたみたいな人がいると思うだけで、頭の中に新しい曲のアイデアが3つくらい浮かぶというものです。
もう少し待ちぼうけていてください。多少時間はかかってもその待ちぼうけ期間に見合う復活劇を披露してみせたいと思っております。
というわけで、バンドワゴネスクはメンバーを募集します。
我々がどんなバンドをリスペクトしているのか、どんな姿勢で音を鳴らそうとしているのかはあえて書きません。このブログを読んでいただければ一目瞭然です。
第一にドラマーを募集します。同時にドラマーとベーシスト以外のパートも募集募集します。ただしドラマーとベーシスト以外の募集に関しては歌えることを前提とします。
性別、年齢不問。俺しかいないだろう!私しかいないだろう!と思われた方はこのホームページに直接メールをくれるなり、このブログにコメントを寄せるなり、仕事終わり、もしくはプライベートでぶらぶらしている俺か剣吾くんを待ち伏せするなりしてください。
お待ちしております。
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