大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

もし彼女が絵を描いていたら、さりげなく近寄って行って「お、やっとんな」くらいの声はかけると思う。

もし彼女が紙とペンを前にギターを弾いていたら、少し離れた所から「出来たら聴かせてな」くらいのことは言うと思う。

もし彼女がブログをやっていて「我ながら面白い文章書けたから読んで」って言ってきたら、じっくりと読んで、面白ければ「面白い!」って言うし、思う所あれば笑いながら軽いダメ出しくらいはすると思う。





彼女にとってかけがえのないもの。彼女が自信を得るために片時も手放せないもの。彼女が「私の唯一の売り」と呼ぶもの。彼女が彼女であり続けるために欠かせないもの。

見て見ぬふりなんて絶対にしない。時々、邪魔しない程度に手で言葉で触れさせてもらうと思う。彼女が夢中になってやっているということに触れさせてもらうと思う。

俺がピッチャーをやる時は相手がキャッチャー。相手がピッチャーをやる時は俺がキャッチャー。

この繰り返しが『会話』

ピッチャーの能力を最大限引き出しながら自分の持ち味を発揮するのがキャッチャーで、キャッチャーの要求に最大限応えながら自分の持ち味を発揮するのがピッチャー。

これが『会話』の妙

俺はキャッチャーとしてはなかなかのもの。ピッチャーの能力を最大限引き出してやろうとするし、たまにピッチャーが俺のサインに対して首を振った場合には「ほなそれでこい!」サインを出す。自信を持って投げる球なんだから打たれてもしょうがねえじゃねえか。で、あ、打たれた。でも、ま、そうヘコみなさんな。試合が終わったら飲みに行こや。ってなもんだ。

一方、ピッチャーとしての俺は、キャッチャーの質に大きく左右される。キャッチャーが良ければ俺はなかなかの球を投げる。内角低めにビシッといく。でもキャッチャーが悪かったら、身体が全く言うことを聞かず、暴投に次ぐ暴投、あるいはデッドボール。しまいには投げるのが嫌になってしまい、マウンド上にあぐらをかいてビールを飲み始めたりしてしまう始末。そんな俺を見かねたキャッチャーは俺の所までやってきて「代われ!」と一喝。俺は邪険な態度で渡された汚いキャッチャーミットを嫌々受け取ってトボトボとホームベースの所まで歩いて行き、しゃがみ込んでサインを出すが、先程までキャッチャーだったピッチャーは俺のサインなど見向きもせず、傍若無人、好き勝手に球を投げ込んでくる。どこに投げてくるのかわからない中で俺が補逸すると、ピッチャーは怒り狂ってグローブをマウンド上に叩き付けて俺の所にやってきて無言で俺を睨み付ける。俺は謝る。「全て俺のせいです。ごめんなさい」謝る。腹の中では「このクソ野郎が」と思っているが、自分の意思に反して口から出てくる言葉は「ごめんなさい」のみ。涙が込み上げてくる。

元々キャッチャーなんて退屈だと思っていたあいつは、ここぞとばかり、負け犬のような目をした俺を固定キャッチャーにした。「あいつは絶対俺には逆らわへんし」との算段下、来る日も来る日も傍若無人な投球に見舞われた。

仕事は仕事。今日も俺は負け犬キャッチャー。デカく重いボストンバックを担いでグラウンドに向かうと、あいつは先に来ていて、河川敷の上に俺を見つけるやいなや大きな声で「おせえよお前。やる気ないんやったら死ねや」と言い、周りの奴らが卑屈な顔をして笑っていた。

バックの中に大量のビール。

以前、島田洋七が「金を貸す時ってのは「あげた」と思わなきゃ。貸した側は貸したことをとっとと忘れる。借りた人間が覚えてりゃいいんだから」と言っていた。

昔、中国の偉い人が日本の政治家に向かってこう言ったらしい。「我々、中国人は(戦時中、日本が中国にしたことを)忘れるよう努力します。だからあなた方日本人は忘れないように努力してください」





人が人に何かしてあげるというのは、まさにそういうルールにのっとってのことだと思う。してあげる側はしてあげたらしてあげたことをとっとと忘れるべきで、してもらった人間はしてもらったことを決して忘れず、覚えておいて、その都度その都度、心からの気の利いたお返しをしていけば良いんだと思う。

だが、世の中には人に何かしてあげるたびに、それを「いつか使えるだろう」などと呟いて、いずれ口論などの際に自分の主張を通す為の切り札として出せるよう心の金庫に保管してしまう人がいる。そして、かつて自分が何かしらしてあげた人間が自分に対して何か苦言を呈してきた場合に、ニヤリ、この切り札を金庫から取り出し机上に叩き付けて「あの時、あなたを助けてあげたのは一体どこの誰でしたかねえ」などとヤクザなことを言って相手を黙らせて、黙っている相手、身動きのとれなくなった相手を数々の言葉で犯す。ということを繰り返す。これは犯罪じゃないのか?ルール違反にもほどがあるだろう。

してもらった人間は、してもらったことを覚えている限り、してくれた人間に対して引け目を感じているし頭があがらない。小さくなる。そんな人間に対しては、もししてあげたことを覚えていたとしても「忘れたあ」的に振る舞うのがルール、優しさで、ことあるごとに切り札をチラつかせるなんてのは本当にヤクザの手口だと思う。

優しさというのは器の大きさの問題だと思う。器の大きな人間はそんな下品な切り札をコレクションしたりしない。ま、そんな奴はいずれ、放っといても孤立するんだろうし、孤立してしまってから助けを求めても誰も助けに来んのだろうけども。

自業自得だ。

コメントありがとう。薔薇の花束みたいな文章です。本当にありがとう。

単発的なステージ復帰も楽しいけど、楽しんでる最中から目と鼻の先に終わりがあって、その次が見えないというなんとも言えず虚しい感覚がどうしても拭えないので、次に復帰することがあればそれは、継続的なものじゃないと意味がないと思っています。

俺自身、ステージの上の自分が大好きです。また彼に会いたいなと日々思っています。

コメントありがとうございます。「ファンとしては」っていうフレーズが死ぬほど嬉しい。ありがとう。

もしまたちゃんと音楽が出来るようになったら、aさんみたく待ってくれている稀少で貴重な心から有難い人たちの為に手段を選ばず、決壊的に自分の音楽を発信していこうと思っています。本当です。

どんな状況にあっても、音楽のことを考えない日は一日たりともないし、今までにもなかったということを、無理矢理にでも信じていただけたら幸いです。

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

いっけいの楽曲が聴ける!! MySpaceはこちら

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