大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

バンドをやってた頃から、ずっと音楽で表現してみたいと思っていた言葉がある。もし今、ギターと丸一日自由な時間がもらえたら、もし今、若かりし日のストーンズみたいに、そのへんの一室にぶち込まれて「曲を書け!」と言われたら、俺は間違いなくその言葉についての曲を書くと思う。

「金」である。「金をくれ!」である。「金、金、金、早い話が金だろう」であって、「同情するなら金正日」である。

ビートルズの2ndの最後に「MONEY」という曲が入っているが、これはレノンが「金をくれ!あほんだらあああ〜!!」と叫び倒している、カヴァー曲とはいえ完全にオリジナルバージョンを凌駕している名曲であって、発表から40年以上経っておるにも関わらず、2009年の現在においても金くれソングの最高峰かと思われる。俺はこの「MONEY」を越える勢いの曲を書きたいと、もう随分前から思っている。何となく頭に浮かんでるのは、コードは一つしか使わず、リズムは大魔人がズシンズシン迫ってくるかのごとくで、詞は「金くれ!」的ワンフレーズの連呼、にも関わらず曲全体を覆うカラーはいたって悲哀。ってな感じである。

世にラヴソングが氾濫しておるのは恋愛というものが人生に深く深く関わっておるからに他ならず、じゃあそれは「金」にも同じことが言えるはずで、前述の「MONEY」のごとき曲を今、日本語で、いまだかつて誰も聴いたことのない独特なトーンで響かせることが出来れば、「待ってました!」とばかりに数多くの人に共感、支持してもらえるはずなのである。みんな、金には泣かされてきたろうし。

まあ、待っていてもらいたい。俺がやる。金を殺ってやる。

何かと問題点の多い俺の脳ミソ、思考回路だが、一点だけ自分でも気に入っている部分があって、それは自分の年齢を全く気にしない、歳をとるということに嫌悪感的なものや、羞恥心的なものがまるでない、という所である。

俺、32歳である。でも精神年齢は間違いなく16才くらいである。しかしながらやはり社会的には32歳なのであるが、しかしながら32年もの歳月を生きてきたにも関わらず、初めての経験とか、初めて体験とかが同年代の奴等と比べて圧倒的に多いらしく、その都度、必要以上に感動しては「ブラボー!」などと心中、叫んでしまったりしているのである。

「じゃあ肉体的衰えに関してはどうなんだ。これは避けて通れんだろう」ってな声もあるかもしらんが、申し訳ない。俺はこれに関しても全く衰えを感じない。むしろ昔より若くなったと感じている。なにしろ俗に「食べ盛り」といわれる中学、高校時代に4人前食ったら吐きそうだった王将の餃子が、今なら5人前くらいなんてこたあない上に、「腹が出る」という現象とも今のところ無縁なのであるからして。



自分自身の「若さ」とか「老い」とかに関する捉え方に関してはまだまだそれこそ若い、大丈夫だと思う。いまだに「うまい棒」をうまい!と思うし、新味が発売されればやや興奮気味にこれを買い、所構わず食うし、実際、先日コンビニでうまい棒の新味「エビマヨネーズ」を発見した際には、考える前に跳べ!とばかりにこれを買って食ったが非常にうまかったので俺は、俺の思う俺の若さは、まだまだ大丈夫であると言える。

俺は結構、自分で書いた曲をボツにするタイプで、まあ大概は制作段階でそうするのだが、それでも現段階でジャスト40曲、手元にある。

ボツになるものと、生き残るものとの違いはまず第一に「曲の成り立ちに魔法が起きているかいないか」ということである。例えば俺は詞を曲の冒頭から順に書いていくタイプなのだが、大抵の場合、曲の最後部を書いている頃には冒頭で何を書いたのか忘れてしまっている。にも関わらず完成後読み返してみると冒頭に置いた言葉と、曲の最後部に置いた言葉が絶妙に噛み合っていたりすることが稀にあって、こんな時、俺は「この曲は生まれてくる運命やったんやな」と解釈して、そんなこんなをメルヘンチックに「魔法」とよんでいる。

第二の基準は「書いた時の記憶が残っているかいないか」である。自分で書いておきながら、いつ、どこで、どのくらい時間をかけて書いたのかを全く思いだせない曲というのがこれまた稀にあって、こういうのは俺は絶対にボツにしない。「なんで?」と聞かれても答えに困るが、何と言うか、その〜、作り手である俺を経由せずに勝手に生まれた感じが神秘的というか、キリストは処女から生まれたというか、とにかく、自分でもよくわからない感じがイケてる。「魔法だ!」と感じるのである。

先日、U2のボノが「音楽にとって一番大切な要素は?」との問いに一言、「魔法」と答えていた。

というわけで、魔法というものは本やスクリーンの中だけのものじゃなくて、現実に、人間生きていれば起こりうる、起こせるものだと思う。これは「奇跡」にも同じことが言えて、例えばバンドという形態。素晴らしいバンドというのはどう考えても奇跡の産物である。前述のU2もそうだし、ビートルズなんてあからさまに神がかっていて、神様の隠れようとする姿勢がまるで感じられない。



アルファベッツは奇跡だったし、「ストーカー」は魔法だ。

この先、再び俺は奇跡や魔法を起せるのだろうか。もし起こせるのなら、今、何をすべきなのだろうか。またまた「急がば回れ」的な道を辿らねばならんのだろうか。誰か近道を教えてくんろ。

昔からよく思うのは「人って本当によくしゃべるなあ」ってこと。俺の目にはみんな、脳と口が直結しているかのように見える。思ったことをその場で、その瞬間に、自信に満ちた顔をしてしゃべってる。で、俺みたいな奴を見つけると「言ってくんなきゃわかんない。プンプン!」みたいなことを言う。「大きなお世話だ、バカ野郎!」とは思うが、その半面、「うらやましいな」とも思い、さらにその半面「もったいないことしとんなあ」とも思う。その無闇に吐き出してる言葉の内、ほんの一部でもその時言うのを我慢して、家に持って帰って、メロディなり詞なり絵なりにすれば結構面白いもんができるやろに...。と思って悲しくなるのである。

あと、「人は本当によく怒るなあ」とも昔から日々思う。プライドみたいなもんは自分の中の一つか二つの事柄にグッと固めて、「これだけは譲れん!」的に持っておけば事足りるもんやろうに、人は「これはこうじゃなきゃイヤ!あれはこうじゃなきゃイヤ!」などとプライドの持ち様が多岐に渡り過ぎていて、俺としてはどうしても「何様やねん、コラ!」となる。

よくしゃべる奴らの言葉と言葉、我が物顔と我が物顔が所狭しとひしめき合って、プライドとプライドがガチャガチャガチャガチャぶつかってはその都度、怒鳴り散らし合っている。世の中って本当にせせこましくてやかましいもんだと思う。よくマンションなどで音楽を聴いていると大して大きな音ではないにも関わらず、隣人が怒鳴り込んできたりするが、本当にやかましいのは音楽ではないと思う。

言いたいことが山のようにある。が、言えない性格ゆえに音楽で吐き出すことを覚えた。

「弱音の数だけ人間嫌いになる。言えないから歌うけど何一つ伝わらない」―負け犬レッテル

「面と向かって言えないことを歌うロックンロールスター」―僕はフィクション



ってな具合に俺は「言えないから歌ってんだバカ野郎!」ってことを歌の中で繰り返し言ってきた。奥田民生も斉藤和義も「俺の言葉は歌の中にある」って歌ってる。

俺がストレスというものと無縁で、性格的にも温厚でいられたのはひとえに音楽のおかげだった。



ところが、リプライズ解散後、現実が、いや、自分の「現実力」の無さが災いして音楽をやることも、聴くことさえも難しくなってしまった。しかしながら言いたいことは日々、頭の中に溜まっていく。気分が悪い。「吐き出さねば!」焦ったところでギターは手元になく埃をかぶり、ギターが埃をかぶっているようでは当然、言葉を「詞」に変え、その詞を迎え入れてくれる器=メロディが生まれない。気分が悪い。が、吐けない。という地獄。



「音楽ができないのなら」ということでやり始めたのが絵を描くことだった。去年の末、俺はものすごい勢いで絵を描いた―仕事中に。テーマもメッセージも糞っ食らえで描いた―仕事中に。描き終わると毎回、我ながら「なんじゃこりゃ?」と思った。が、自分の中の何かがそこにあるような気がしたし、びっくりするくらい周りの人たちが褒めてくれたので嬉しくてガンガン描いた。



が、残念ながら俺にとって絵は趣味の領域を出ず、頭の中のものを吐き出せるとしても音楽の10分の1に満たないことに気付いた。発表の場も無いし、徐々に創作意欲は低下して、気付けばペンを握らなくなっていた。



ギターを抱かず、ペンも握らない日々の中で、俺は「ものつくり」として完全に腐ってしまい、負け惜しみ気味に「今、俺は死んだふりをしてるのであって、死んだのではない」などと呟きはじめた。心の中では「もはやこれまで...」と思っていた。



もう駄目だ..

本当に駄目なのか?

もう駄目だ..

本当に駄目なのか?



自問自答を繰り返す悶々とした窮屈な日常。唯一の救いはかつての戦友、数年間一緒に関西圏のライブハウスを転戦して歩いた平田剣吾氏(以下 剣吾くん)の存在であった。家が近いこともあり、月1くらいのペースで会い、お気に入りのレコードと酒を持ち寄っては語り合った。俺を「ものつくり以外の何者でもない」人間として見てくれるのが嬉しくて、ついつい、無意識とはいえ、剣吾くんには数々の弱音を吐いた。吐けた。「音楽に戻りたい。本来の自分に戻りたい」みたいな言葉が口をついて出た。また「文章を書きたい」とも言った。とにかく、どんな形でもいいから言葉を吐いて、それを誰かに見て欲しかったのだ。



そして、本当に忙しい中、仕事の合間を縫って、剣吾くんが「立ち上がれ!」とばかりに立ち上げてくれたのがこのホームページである。ものつくりとしての俺を誰よりも評価し、理解してくれている人の手による、俺の最後の砦。それがこのホームページだ。



音楽での復活はまだ先の話だとしても、ここに絵やら文章やらを寄せることで、ものつくりとしての自分を一分一秒たりとも忘れることなく、いずれステージに戻る日のために緊張感を持続していこうと思う。俺は必ずステージに戻る。それまでの間、俺の言葉はここにある。



復活への第一歩。

今、これを読んでくれてる皆さんにはとりあえず「ただいま」を言いたい。そして、剣吾くん、本当にありがとう!



では、起死回生の再出発。始めます!!

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

いっけいの楽曲が聴ける!! MySpaceはこちら

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