大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

今までにも何度か書いたことだが、俺は、俺という人間は能力的に大きな偏りがある。バランスがめちゃくちゃ悪い。だから、目の前にラインを引かれて、「ライン上を真っ直ぐ歩け」と言われるほど辛いことはない。「あれ、あれれれれっ」などと情けない声を上げつつ、ラインから大きく外れて左だか右だかに進んでいって、電柱的なものにぶつかって倒れて、倒れる際に柔道の受け身的な動作をしてどや顔で立ち上がるのがオチだ。

でも、ま、それはそれでいっかと思う。少なくとも希少価値はあるだろう。世の中には見た目的にも機能的にも何が良いんだかさっぱりわからない骨董品が何百万何千万もするケースがある。壺として機能しない壺が壺の中の壺だったなんてことだってある。わかる人にはわかる。わからない人にはわからない。でもこれっぽっちもわかりたいと思えないし、そもそも「わかる」などと言う人が本当にわかっているのか、何を基準に「わかる」と言っているのかさえわからないし、わかりたくない...世の中にはそんなものがたくさんある。

はっきり言って俺はガラクタだと思う。でも、今はそれを悲観的には捉えていない。世の中にはガラクタフェチがいる。確実にいる。そしてそういう人たちは自分のそんな感覚を一切恥じることなく、誇らしげに語る。「アンタらにはガラクタだろう。でも俺にとっては違うんだ」って思ったり言ったりすることに極めて個人的な贅沢を感じている。

素敵なガラクタでいたいと思う。頑張っても頑張ってもガッタガタのグッチャグチャのウッダウダだったら、それはそれで奇跡の産物。素敵じゃないか。

きっと誰かが気に入ってくれる。ガラクタにはガラクタのプライドがある。ガラクタはただただ存在することに必死こくだけだ。存在しなくなった時に全てが終わる。でも存在さえしてれば、常に可能性は残されている。

さあ、必死こいて生きるぞ!

大人を名乗りたいんなら「選ばされた」なんて言葉は通用しない。いつも「選んだ」んであって、選んだ以上はそこにズドンと責任がある。

俺が選んだ。

私が選んだ。

「俺は選ばされた」は無いし、「私は選ばされた」もない。

「選ばれた」はある。でも選ばれたことを受け入れた時点でそれは「選んだ」んであって、「選ばされた」んじゃない。

あまりに抽象的な文章でなにが言いたいんだかさっぱりわからないかもしれない。でも、世の中には潔く「選んだ」と言える人も大勢いるが、その一方で「選ばされた」などと的外れなことを言う人も多々いるということを最近実感している。

「選んだ」と「選ばされた」には、ちょっとした言い回しの違い以上の違いがある。前者は責任を引き受けるということ。後者は誰かに責任を転嫁するということ。

大人は選ぶから大人。「選ばされた」などと言って許されるのは子供だけ...いや、子供でも許されるべきじゃないくらい卑怯な言葉だ。

俺は生まれてこのかた、人を殴ったことがない。そして、怒りにまかせて一方的に人に怒鳴り付けたこともない。不毛な口論の中で怒鳴ったことはあるが、そんれはなんとなく「こういう時って普通、怒鳴るもんなんやろな」と思っただけのことで、実は頭は冷静だった。ただの演技だった。

今後、「怒」の感情をどう扱っていくべきかを考えている。もちろん「怒」の感情が無いわけじゃない。でも、俺にはやっぱり「怒」は似合わないと思うし、基本的には「怒」って幼稚な感情だと思っている。要はタイミングと表現の仕方の問題なんだろうけど、今まで見てきた「怒」のほとんどは必要性を感じられない、参考にならないものばかりだった。

どいつもこいつも冷静な状態から「怒」に至るまでの距離が短過ぎるような気がする。やかんに水を入れて火をかけたら3秒で沸騰しました...みたいな不自然さを感じる。

日常生活において、自分の主張が通らないというのはそんなにも不快なことなんだろうか。だいたい日常生活において、そんなに事細かに主張する必要ってあるんだろうか。「ここは引き下がれない」みたいなものを数多く持たなきゃ生きていけないくらい、臆病なんだろうか。貧弱なんだろうか。って、これがそうは見えない。さ〜っぱり理解できない。

ま、インポ扱いされようが、カマ扱いされようが、俺は俺。「怒」に関しては現状維持。これまで通りでいこうと思う。

俺がやかんに水を入れて火をかけるでしょ?3秒じゃとてもじゃないけど沸騰しないよ。

(1)TV番組『TVタックル』。番組開始当初、たけしは田嶋陽子に食らいついていた。「なに言ってんだ!」って言ってた。でもすぐに「この人とは話にならない」と判断したんだろう。気付けば田嶋陽子が熱弁を奮っても相手にせず、「しょうがねえなあ」みたいな顔をするだけで一切発言らしい発言をしなくなった。

(2)たけしが「世界の北野」と呼ばれるようになったのは、たけし自身が「あれは自殺だった」と言うバイク事故以降のことだ。

(3)前サッカー日本代表監督、岡田武史が言っていた。「自分は自分。自分以上でも自分以下でもない。だから僕は僕でいるだけです」

俺は俺で間違った思考をもって生きてきた。

勝ち負けを価値基準に置いて生きてるから優越感が生まれる。でもそれは劣等感に関しても同じことだ。勝ち負けで物事を捉えようとするから優越感の隣で劣等感が生まれる。だから、優越感の人も、劣等感の人も、価値基準、思考の方向は基本的に同じで、「勝ち負け」だ。

もし、どこかの居酒屋で呑んでいて、隣のテーブルで呑んでいる見ず知らずのオッサンが「世の中、存在価値の無い人間っておるよなあ〜」などと言ってたら、ムカッとくると思う。「何をぬかしてやがるんだこの馬鹿野郎は」って思うと思う。でも、俺を含めて、世の中の大半の人間が勝ち負けを基準に自分や他人を見て生きていたとしたら、その世の中は存在価値のない人間を生んでしまうことになると思う。

「違い」だけがある。あるのは「違い」だけで、そこんとこを受け容れて生きていけたらもっと楽に楽しく、味わい深く生きていけるはずの人生なのに、人はどうしても勝ち負け、要するに『優劣』を考えてしまう。

やめようと思う。まず、この考え方をやめようと思う。

勝ち負けを、優劣を優先して考える大人の中の子供が苦しんでいる。そして、そんな愚かな大人子供と大人子供の間で、勝ち負けや優劣という価値基準を持たない純粋無垢な子供が苦しんでいる。

今回はもっともっと長い期間、休むつもりだった。







でも、今ここにあるこれは、今まで、33年間、体験したことのない怒りだ。怒りでいっぱいだ。

阿仁真里が俺に内緒で書いた通り、俺は負け続けてきたと思っていた。でも考えてみればこれはただの「認知の歪み」で、俺は負けたフリをしてきてやっただけだ。例えば会話。敵は勝ちを実感するまで戦いをやめない。俺はただただ面倒臭かった!

これまで俺と関わってきた人の中には、俺と関わってきたことを後悔してる人もいるかもしれない。いや、たぶんいるだろう。「ガッカリや...」と。でも、俺はもうそんな奴はどうでもいい。そんな奴らはどうでもいい!

俺はこれまで、そしてこれからも俺と関わってくれる人たちと、これまでの俺は知らなくてもこれからの俺と関わってくれる人たちと、何より、自分自身の為に生きてやる!





これでこのブログも1000本目。雨天晴天昼夜場所を問わず書き続けてきた。本音を書き続けてきた。そして以前、俺は敵にちゃんと言った。ここに、このブログに、俺の本音の全てがあるから読んでくれと言った。でも敵は読まなかった。理由は俺が本もロクに読まないのに文章が上手いからだと、だから腹が立つんだということを明言した。たぶん、何一つ俺に負けたくなかったんだろう。俺を劣等感の塊のままにしておきたかったんだろう。

自己評価の低い人間は洗脳されやすい。自己評価の低い人間を意のままに操るというのは実に容易で、罪なことだ。罪なんだから当然、罰が下る。俺が下す必要はないし俺にそんな力はない。でも勝手に下るだろう。放っておいても下るだろう。考え方に救いようのない歪みがあるし、敵はそれを認めることを「負け」だとしか思えないんだから。

俺は洗脳されてきた!俺はそれに気付いた!どう考えたって俺の方が人を許せるし、人の話を聞けるし、俺の方が想像力があるのに、どういうわけだか俺は劣等感の塊で敵は優越感の塊だった。

俺が音楽や絵や文章をやらずにおれないのはそれが俺の自信とアイデンティティーを支える唯一のものだからで、言うなれば俺の生まれつきの劣等感の裏返しで、敵はそれを上手く利用しやがった!





先日、最旧友が言ってくれた。「お前はホンマは何でもできるのにできひんと思ってる。でも、俺は自分にできひんことができる人間にしか興味がないねんで」と。そして、昨日は昨日で親父がこう言った。「お前、ロッカーやろ?」と。





昨夜、寝る前に何かしら儀式的なことをしたくなった。自分は変わるんだ!ということを強く祈りながら、何かしら儀式的なことをしたくなった。そして、強く強く祈りながら自分が描いた絵。自分が一番気に入っている絵。この世で一番綺麗だと思う女性にキスをした。「俺は変わってこます!」約束をした。

だから記念すべき10枚目のアルバムのタイトルは『Kiss』に決定。「約束」の意だ。

一気に書き上げました。誤字・脱字があったらごめんなさい。一憩は誤字・脱字をめちゃくちゃ嫌います。「誤字・脱字って、社会の窓を開けながら歩いてる感じのカッコ悪さがある」ってよく言ってますから。

とりあえず、999本目まで来ました。私はこれで黙ることにします。一憩が黙って、私が黙って...完全なる休止はここから始まります。

一憩が戻った時、それは記念すべき1000本目です。私が一憩に贈るちょっとしたサプライズです。だから皆さんは私が今日、気合で999本目までもっていったことを一憩には内緒にしておいてくださいね。

いや〜、さすがに疲れました。私も寝ることにします。またお会いしましょう。一憩はそのうち必ず戻ります。一憩が戻る時、私も戻ります。

あ、そうそう、最後に一言。ここには現時点で999本の作品があります。9枚のアルバムと、9割完成している10枚目のアルバムがあります。私たちが休んでいる間、もしよろしければ、そちらの方をお楽しみください。一憩も私も、後追いで読んでも楽しいものになるようにと心掛けて書いてきました。今こそ、その心掛けが意味を持つ時だと思います。よろしければ、もし、よ・ろ・し・け・れ・ば!読んでみてください。

では、またお会いする日を楽しみにしてます。とりあえずここまで本当にありがとうございました!

今、一憩は病気を「治したい」ではなく、「治したいと思いたい」と思っている。治す理由を探している。何の為に治すのかがわからないでいる。絵も描かなくなった。

劣等感の塊となって故郷に帰ってきた。籠城している一憩を恐怖心でいっぱいにして身動きとれなくするには「矢文」一本あれば十分で、私は次々飛んでくるそれを次々城外へ投げ返している。

今日も一憩は夕方になると散歩に出掛けると思う。一憩が外出するのは夕方の散歩の時だけで、私は毎日ついていって、一憩と一緒に「何か」を探して歩いている。

だから私も一憩もずっとうつむいているのです。暗いんじゃなくて、滅入ってるんじゃなくて、「何か」を探して歩いてるんです。

何かを落として、落としたものを探しながら歩く時、上を向きながら歩く人はいないでしょ?スキヤキソングってそういう人の胸には響かないでしょ?そういうことです。鍵だかコンタクトレンズだかを探しながら歩いてるんです、私たち。

「優しさが怖い」という声もよく聞いた。

後々、何らかの形で大きな代償を支払わされるのは目に見えていたし、「あの時、あなたを助けたのは誰やったっけ?」みたいなことを、ことあるごとに言われるのはわかりきっていた。だから優しくされればされるほどに、借金が積もっていくような不安が一憩の中にあった。

過去は過去、終わったこと...として終わらないのが常だった。過去を持ち出されると手も足も出ず黙ってしまう一憩は、手も足も出ず黙ってしまう自分自身を猛烈に憎んでいた。

私は一憩の怒りの声をいっぱい聞いた。でもそれはいつも、私にしか聞こえない声だった。

勝ちはなく、負けだけがある戦いが続いたんです。

例えば会話。一憩は会話というものは勝ち負けの問題じゃないと思って生きてきた。でも、勝ち負けの問題だと思って生きてきた人に対しては「意見を戦わせる」ことが礼儀だと思って戦い続けた。そして負け続けた。負けるたびに支払っている『何か』があることに気付いた時にはもう、心の財布は底をついていた。

負けがこんで、すっかり相手に頭が上がらなくなっていた一憩は、勝負の場に招かれると断れなくて、その都度戦い、その都度負けた。でも、一憩は『無一文』。気付けば負けるたびに相手に借りるようになっていた。負ける→借りる→負ける→借りる。一憩はこの悪循環から逃れることが出来なかった。

戦う前から勝ちを確信している人間相手に、戦う前から負けを確信してる人間が戦い続けていた。

「もう戦いたくない。無駄だ」私には一憩の心の声がよく聞こえたが、あの騒々しい悪循環の中、私の声が一憩に届くことはなかった。

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

いっけいの楽曲が聴ける!! MySpaceはこちら

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