昨夜、旧友に俺の無意識的かつ潜在的ともいえる恋心的なものについて、痛い所を突かれてしまった。
確かに彼の言う通りかもしれない。
人間の心理。「意識」というものは水面上の氷山の一角で、水面下には「意識」の何倍もの大きさの「無意識」がある。そして俺の絵は、この無意識から立ち上ってくるもので成り立っている。
だから俺の絵には嘘がない。嘘をつけない。嘘は絵が仕上がった後に創話として添えられる。
でも、「目」のある人には一瞬にして見破られてしまう。
俺の絵はあまりに赤裸々だ。
昨夜、『小悪魔SG』が売れた。以前、『受容』を買ってくれた旧友の2点目の購入で、俺は彼の奥さんの為にもう一点、『ポーラ』をオマケ的に添えて譲った。
『小悪魔SG』には「まあ、一般的にはそういうことになってるらしいけど、それが正解ってことになってるらしいけど、ホンマにそれでいいのかねえ?」という、斜め目線で物事をしっかり捉えようとするパワーが練り込んであって、一方、『ポーラ』には「不変の美」というパワーが練り込んである。
『受容』と『小悪魔SG』と『ポーラ』があれば、練り込んだパワー的にははっきり言って無敵だろうと思う。
あとは彼と、彼の奥さんがそのパワーを信じるかどうかだが、その点に関しては俺は、はなっから全く心配していない。
彼の人生、彼の奥さん、彼の家庭はじゃんじゃんじゃんじゃん良くなっていくと思う。
間違いない!
たった今、耐え難い悪夢を見て目を覚ました。
起きて、椅子に座ると目に『ブラック・バタフライ』のたくらみ顔が飛び込んできた。
少し躊躇してからぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱に叩きつけた。
ちょっと前、俺は『信仰の軸』というタイトルの文章で、「もし俺が音楽も絵も文章もやらなくなったら、それは俺が完全な女性不信に陥った時だと思う」ということを書いたが、考えてみればこれは違う。真逆だ。
俺は、女性不信に陥れば陥るほど、音楽や絵や文章をやると思う。
実際、今、俺は、女の人の絵を描かずにはおれない。優しい女の人。まだまだ描き足りない。病的な話、現実の女性への失望感が、俺にじゃんじゃんじゃんじゃん絵を描かせている。
まだまだまだまだまだまだまだまだ描き足りない。俺が子供の時から抱き続けた女性像はそんなんじゃなかった。
もっと柔らかくて、優しい生き物だと思っていた。
今後も俺は時間の許す限り描く。そんなんじゃなかっただろう女の人を描き続ける。
1位(―) 恋のジャンヌダルク
2位(―) 阿仁真里
3位(―) 木陰の愛嬌
4位(―) 祈りの少女
5位(初) 胡蝶蘭
6位(初) 夢と鎧とキューピッド
7位(↓) エキゾチック・ロマンス
8位(↓) 救援
9位(―) 姉
10位(↓) 舞踏会に招かれて
皆さんご存知の通り、俺は本来、女の人が大好きだ。女性が大好きだ。でも、ひとつだけ苦言を呈させていただくと、女性は男性よりも「ユーモア」というものに疎いように思う。
「ユーモア」と「笑い」は違う。「笑い」がストレートなら、「ユーモア」は変化球。女性は150kmのストレートは打てるのに、88kmの変化球で空振りしたりする。
彼女を怒らせてしまった。でも、俺としてはユーモアで言っただけなのに...という経験、男性なら誰でもお持ちでしょう。あれ、めちゃくちゃ悔しいでしょ?後で弁解染みた説明をするほど情けないことはないしねえ。
そこでこの一枚!この絵を気付かれないようにこっそり、あなたの彼女、もしくは嫁の携帯の待ち受けにしちゃって下さい。きっと何かが変わるでしょう!
何が起こっても責任は持てませんが..。
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