大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

厳密に自分の精神年齢を考えてみた。どう考えても33じゃない。自分の精神は一体どの時点から成長が止まったのか。じっくり考えてみた。

19だと思った。あの、酒を覚え始めた時期。始めて本格的に伊丹から出て、潜りで大阪芸大に通っていた時期。好奇心とか、考え方とか、それこそ恋愛観さえもあの時点で止まっているらしいし、どんな状況を楽しいと思うのか、何をしている時に楽しいと思うのか...といったことの全てが19の時点で止まっているらしい。

もし仮に「実年齢」と「精神年齢」の他に『真年齢』というものがあるとしたら、これは実年齢と精神年齢を足して2で割ることで導き出せると思う。

33(実)+19(精神)÷2

俺の真年齢は26ということになる。実際、肉体年齢も26くらいじゃないかと思う。





26扱いしてください。

大阪では二人、友達が出来た。いずれも女性で、介護施設で働いている時の先輩で「この人は面白い!その辺の女の人と全然違うぞ!」と思って「友達になってもらえる?」と、半ば告白的なことをして友達になってもらったのだが、二人とも俺の凝り固まった女性崇拝的な考え方を良い意味でほぐしてくれると同時に、新しい女性観みたいなものを教えてくれた貴重な存在。

二人の内の一人は、自分でも絵を描いていて、仕上がったら写メールで送ってきてくれて、俺にとってめちゃくちゃ良い刺激になっている(以前に一度、このブログ上で作品を紹介した)。もう一人は今日、「二枚、欲しい絵があるからとっといて」とメールをくれた。ご指名は『7』と『祈りの少女』の二枚。クレパス画じゃない絵が売れるのは初めてのことだし、二枚同時に売れるというのも初めてのことだ。ありがたい。嬉しい。

ありがたいし嬉しいんだから、出来る限りお求め易い価格で提供しようと思っている。相手は親友であり、かつての戦友でもあるんだから、無料で譲ってもいいんだけど、それじゃ夢がないから、お求め易い価格で、ね。

ここ数日間、絵を描いてなかった。でも、また描く意欲が沸いてきた。

お二人に心からの感謝を。

「立派な人」なんてどうでもいい。何の興味も無いし、立派であることを求められても困る。

「ええ奴」でいたいと思う。だから、ええ奴であることを他人に求めるええ奴の側にいたいと思う。

「立派じゃないけどええ奴」になれたら最高だと思う。

一歩踏み出した。

昨日、住民票を伊丹に移した。愛する伊丹に移した。俺は伊丹人だ。本当に、本当に嬉しい。

俺には誇るべき看板が二つある。一つは『元アルファベッツ』で、もう一つは『伊丹人』だ。

癒しの伊丹。大阪のスピードについて行けず弾き飛ばされた俺を受け止めてくれた伊丹。大阪で窒息死しかけてたインナーチャイルドを甦らそうとしてくれる伊丹。大阪で狭い牢屋にぶち込まれていた創造力に「あなたには羽根がある」と囁いて、気付きを促してくれる伊丹。そして、その伊丹に棲む旧友たち。





ポールの「ペニーレイン」、レノンの「ストロベリー フィールズ」、俺の「伊丹」。

昨日は、このブログの読者ならよくご存知、「もの作り一憩」の最大の理解者であり、戦友・盟友であり、このホームページの管理人でもある剣吾くんが遊びに来てくれた。そして俺の絵『女性は綺麗』を2千円で購入してくれた。絵が売れたのは『受容』に続いてこれで二枚目だが、数ある絵の中から『女性は綺麗』を選ぶあたりはやはりバンドマンだな、ロック馬鹿だなと思って嬉しかった。

ところで、俺のクレパス画にはそれぞれ祈りが練り込んである。『受容』には「幸せ」が、『女性は綺麗』には「創造力」が込めてある。それぞれの絵が、それぞれの持ち主に対して、それぞれのパワーを発揮してくれることを心から祈ってます。

世の中、「立ち止まるな!(Don’t Stop!)」とか、「振り返るな!(Don’t Look Back!)」みたいなメッセージを搭載した歌のいかに多いことか。そしてこういう歌は作り手がわざわざコメントを添えなくても、受け手が勝手に自動的に『応援歌』として受け止めるようだが、本当にそれでいいのか?それは本当に『応援歌』なのか?その受け止め方に何の疑問も感じないのか?本当に皆、どいつもこいつも立ち止まりたくないし、振り向きたくないのか?正気か?例えば仕事中、休憩は要らんのか?例えばちょっと振り返ってみるだけで、今現在のパワーに変えられるような過去が一切無いのか?皆、そんなに早死にしたいのか?皆、そんなに過去の自分と現在の自分の間に繋がりを見い出せないのか?それはちょっと...悲しくないか?

「立ち止まらない」ってそんなにカッコ良いか?自分自身を見つめる時間を持たなず、好き好んで自分自身を見失っているような人間に他人のことがわかるのか?他人の身になって物を考える神経が育つのか?

「振り返らない」ってそんなにカッコ良いか?「宝石」とでも呼べるような過去を一切持たない、持とうとしない、或いは持っていても無視するような情緒感に乏しい人間に、他人を夢のある想像や憶測で眺めようとする神経が育つのか?







ある意味、休まず、前だけを見て走り続けるというのは楽だと思う。いつもその都度必要な物だけをその場で調達して背負って、あとの物はみんなその都度置き去りにして行きゃいいんだから。

コメントありがとう。

「レノンになりきる」って面白い発想です。俺のことをわかってくれている人特有の、独特で特殊な、俺向きの助言であり発想です。

俺、丸眼鏡は金のネックレスと同じくらい似合わないし、ヨーコは田嶋陽子くらいタイプじゃないけど、自分なりの解釈でレノンをやってみます。

いつも本当にありがとう。

本当に不思議なもので、生理的なもので、俺は自分にとって本当に大切な時期にはビートルズを聴きたくなるし、ビートルズしか聴きたくなくなるし、ジョンの声が聴きたくてどうしようもなくなる。

ジョンがビールの入ったビニール袋片手に遊びに来てくれたらなあと心から思う。「バラ公園見に来たついでにね」ってジョンが。

俺は子供の頃からビートルズ狂だったけど、元々は実はポールの方が好きで、ジョンは苦手だった。子供心にジョンの曲は、声は、聴いてて辛かったし、重いと思ってた。でも今はジョン命。もちろん今でもポールのことは死ぬくらい好きだけどジョンは...筆舌し難いくらい好き。

ジョン・レノンになりたい。

でも、俺は俺。

でもジョン・レノンになりたい。

でも、俺は俺。

誰にだって「理想のタイプ」ではないかも知れないけど、「こういうタイプに弱いんだよなあ」ってのはあると思う。

俺のそれがこれ。こういう顔立ちの女の人に俺は弱い。昔から弱い。

この絵は『竹尾 涼』というタイトルで、もちろんこの女の人の名前なのだが、いつも通り空想上の人物で、実在する女の人じゃない。

涼さんには俺が中学3年間を通してずっと好きだった女の子の面影があるし、19の時に1年半付き合った女の子の面影もあるし、老人介護施設で一緒に働いていたナースの面影もある。

名前の由来は、名字は上記のナースが「竹尾さん」だったから(偶然とは言え本当に似てるから)で、名前は最近クソ暑いので、この暑さを和らげるべく服の色を白にしたり、背景色を水色にしたという動機から『涼』にした。

今まで描いてきたどの絵、どの女の人よりも、俺はやはりこのタイプに弱い。

昔から弱い。

病院で最初に言われたのは「慢性的な自信の無さがここにきてピークに達したんだと思われます」だった。



自分の顔がかなりおぞましいらしいことには薄々気付いている。鏡さえ見なければ「ただの勘違いなんじゃないか?」と思おうと思えば思えるし、ゆえに社会生活も何とかギリギリ営める。鏡さえ見なければ...なんて生活が続くわけがない。

鏡、窓ガラス、水溜まり。自分の顔を映し出す物に絶えず怯えながらの毎日は、たとえそれが緩やかなものであっても着実に自分の中に劣等感を増殖させていく。そして、早かれ遅かれいずれ必ず限界がくる。限界が来たら、自分の望むと望まざるとに関わらず、何かに背中を押されるような形で鏡の前に連れていかれてしまう。で、全てが音を立てて崩れ去ってしまう。

俺が大阪から伊丹に戻ってくるきっかけとなった瞬間というのはまさに、その『何か』に鏡の前に連れていかれた瞬間だったんだと思う。自分の中でガシャン!と鏡の割れる音がして、気付けば伊丹にいた、みたいな。だから、本当の意味で「闘病生活」が始まったのは、伊丹に戻ってきた6月の頭からだと思う。

「闘病生活」って一体どんなことなのか。それは俗に言う「自分との闘い」なんだけど、じゃ自分との闘いって具体的にどんなものなのかというとこれは、ガシャン!と音を立てて割れた鏡の断片を拾い集めることで、鏡の断片を拾い集めるってどういうことなのかというと、自信を取り戻すということで、じゃどこまで取り戻せば回復したと言えるのかというと、おぞましくなる以前の自分の顔を取り戻すまで。ということになる。





最近、人間は自信があって始めて決断ということができるんだなということを実感している。だって俺は本来、決して優柔不断な人間じゃないし、ここぞという時には(ここぞという時に限っては)、自分が自分じゃなくなるくらいの勢いで大きな決断を下せてきた記憶があるのに、今は不思議なくらいこの決断力というものが無くて不快で、なぜ決断できないのかということを考えると一瞬で「自信が無いからだ」という答えにたどり着く。

イメージ的には、「決断」というのは「家の外に出る」ということ。「素っぴんで外出はできない」と言う女の人の気持ちが良くわかる。というのも要はやはり自信の問題で、今の俺にとっても、素っぴんで伊丹最北端という「家」の外に出るという行為はかなり気合いのいる行為、はっきり言って「冒険」で、なかなか難しい。それこそ御忍び芸能人みたいに帽子を深く被っていないと不安でしようがない。

そこで、藁にもすがる思いで本を読む。と、色んな本に「好ましくない現状を打破するには動くことが一番だ」とあるが、じゃあ好ましくない、打破したい現状というのがもし「素っぴんでは外出できない」ということそのものだった場合、「動く」というのは一体何をもって「動く」なんだろう。動こうと思って、化粧ポーチに手が伸びた段階でそれはもうすでに、現状を打破出来ていないってことになるんじゃないか?だからこの場合は素っぴんで外出できた時に始めて打破できたと言えるんだろうし、そのためにどうするのか、どう動くのかってことになるんだろうけど、ってことは基本的にはまず家の中に解決すべき問題があるってことになると思う。

「とりあえず動いたら?」って言葉が「とりあえず外に出たら?」に聞こえる。でも、家の外に出られないってことがその人にとっての一番の問題である場合には、何をどうすることから始めれば良いんだろう。

わからない。

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

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