大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

三日月の憂鬱

病院で最初に言われたのは「慢性的な自信の無さがここにきてピークに達したんだと思われます」だった。



自分の顔がかなりおぞましいらしいことには薄々気付いている。鏡さえ見なければ「ただの勘違いなんじゃないか?」と思おうと思えば思えるし、ゆえに社会生活も何とかギリギリ営める。鏡さえ見なければ...なんて生活が続くわけがない。

鏡、窓ガラス、水溜まり。自分の顔を映し出す物に絶えず怯えながらの毎日は、たとえそれが緩やかなものであっても着実に自分の中に劣等感を増殖させていく。そして、早かれ遅かれいずれ必ず限界がくる。限界が来たら、自分の望むと望まざるとに関わらず、何かに背中を押されるような形で鏡の前に連れていかれてしまう。で、全てが音を立てて崩れ去ってしまう。

俺が大阪から伊丹に戻ってくるきっかけとなった瞬間というのはまさに、その『何か』に鏡の前に連れていかれた瞬間だったんだと思う。自分の中でガシャン!と鏡の割れる音がして、気付けば伊丹にいた、みたいな。だから、本当の意味で「闘病生活」が始まったのは、伊丹に戻ってきた6月の頭からだと思う。

「闘病生活」って一体どんなことなのか。それは俗に言う「自分との闘い」なんだけど、じゃ自分との闘いって具体的にどんなものなのかというとこれは、ガシャン!と音を立てて割れた鏡の断片を拾い集めることで、鏡の断片を拾い集めるってどういうことなのかというと、自信を取り戻すということで、じゃどこまで取り戻せば回復したと言えるのかというと、おぞましくなる以前の自分の顔を取り戻すまで。ということになる。





最近、人間は自信があって始めて決断ということができるんだなということを実感している。だって俺は本来、決して優柔不断な人間じゃないし、ここぞという時には(ここぞという時に限っては)、自分が自分じゃなくなるくらいの勢いで大きな決断を下せてきた記憶があるのに、今は不思議なくらいこの決断力というものが無くて不快で、なぜ決断できないのかということを考えると一瞬で「自信が無いからだ」という答えにたどり着く。

イメージ的には、「決断」というのは「家の外に出る」ということ。「素っぴんで外出はできない」と言う女の人の気持ちが良くわかる。というのも要はやはり自信の問題で、今の俺にとっても、素っぴんで伊丹最北端という「家」の外に出るという行為はかなり気合いのいる行為、はっきり言って「冒険」で、なかなか難しい。それこそ御忍び芸能人みたいに帽子を深く被っていないと不安でしようがない。

そこで、藁にもすがる思いで本を読む。と、色んな本に「好ましくない現状を打破するには動くことが一番だ」とあるが、じゃあ好ましくない、打破したい現状というのがもし「素っぴんでは外出できない」ということそのものだった場合、「動く」というのは一体何をもって「動く」なんだろう。動こうと思って、化粧ポーチに手が伸びた段階でそれはもうすでに、現状を打破出来ていないってことになるんじゃないか?だからこの場合は素っぴんで外出できた時に始めて打破できたと言えるんだろうし、そのためにどうするのか、どう動くのかってことになるんだろうけど、ってことは基本的にはまず家の中に解決すべき問題があるってことになると思う。

「とりあえず動いたら?」って言葉が「とりあえず外に出たら?」に聞こえる。でも、家の外に出られないってことがその人にとっての一番の問題である場合には、何をどうすることから始めれば良いんだろう。

わからない。

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プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

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