大阪在住のうたうたい&絵描き&詩人 和田一憩(わだいっけい)のブログです。最新情報も随時配信していますので要チェック!!です。 携帯サイトはコチラ

ここらで一発、ロックという音楽が本当に好きで、好きで好きで好き過ぎて、ゆえにロックという音楽に結構精通してしまったという極めて残念な人に対してのみ有効な、どんなに言葉を連ねるより有効な、手段を用いて自己紹介をしようと思います。

俺の好きなバンド・アーティストBest10!

こういうのって大概「順不同」やけど、俺の場合は熟考に熟考を重ねてちゃんと順位も付けてある。俺、和田一憩はこんな人間だ。わかる人にはわかり過ぎるほどわかるだろうし、わからん人にはなんのこっちゃさっぱり、ますます分からんだろう。この「DNA」を解析できるのは冒頭でも述べた通り、真にロックという音楽が好きで、好きで好きで好き過ぎて、ゆえにロックという音楽に結構精通してしまったという極めて残念な人のみである。見よ!俺のDNA!





1位/オアシス

2位/ザ・ビートルズ

3位/ザ・ローリング ストーンズ

4位/ティーンエイジ ファンクラブ

5位/ブランキー ジェット シティ(2nd〜4th期の作品と、全キャリアを通しての「ライヴ」に限る)

6位/ザ・ホリーズ(グレアム ナッシュ在籍時の60年代に限る)

7位/村八分

8位/浅田信一〈ex.SMILE〉

9位/フリートウッド マック(リンジーバッキンガム、スティーヴィーニックス、クリスティンマクヴィーの三名が在籍した、いわゆる「黄金期」に限る)

10位/ザ・ブルーハーツ(初期に限る)

10位タイ/U2







は、恥ずかしい...。ポ、ポコチンを見られた心境である。が、これから先、文章を書き進めていく上でこの自己紹介は避けては通れないのである。

狂っている人に「あなたは狂ってますか?」と聞いたところで「はい。私は狂っております!」とは答えてくれないので気をつけた方が良い。

狂人というのは、狂人の存在というのは、決して他人事ではない。ひょっとしたらあなたのめちゃくちゃ近くにいるかもしれない。

あなたは狂ってますか?

皆さんはギャンブルってしますか?俺はナンバースとかロト6とかミニロトを専門にやっております。前述の携帯電話用のレンズを作る工場で働いていた時に、同僚がやっているのを見て「一口200円でドキドキハラハラできるってええな。」と思い、やり始めた次第です。

俺の買い方の特徴は「一度決めた数字を当たるまで買い続ける」ってこと。ロト6は自分の好きなバンド、アーティストにまつわる数字を6つ固定して買い続けてるし、ミニロトはそのレンズ工場で特に親しくしていた4人の誕生日+自分の誕生日をずっと買い続けている。今のところ、ロト6はたまに千円が当たるが、ミニロトはかすりもしない。といった状況が続いております。

そんな中、特筆すべきは「ナンバーズ3」です。「ナンバーズ4」はどう考えても当たりそうにないのではなっから相手にせず、ただただ「3」に賭けておるのですが、これが定期的にしっかり当たるから驚きです。

「3」をやり始めた当初、俺が買い続けた数字は「541」でした。この数字がどっから出てきたのかと言うと、レンズ工場で働いていた時、OLの人で「永田さん」という絶世の美女がいて、この永田さんの内線番号が「541」で、俺はそのレンズ工場を辞めるまでのラスト二週間、同僚に「俺は永田さんに退職金をもらう!」と宣言した上でこの「541」を買い続けたのですが、レンズ工場を辞める寸前でこれが当選。退職金8200円を手にしたのです。さらに、そのレンズ工場を辞めてから新しく就いた職場に向かう途中、結構大きな鉄橋を渡って行くのですが、この鉄橋のちょうど中程に小さく「369」と書いたシールが貼られておるのを発見。この新しい職場ともたったの3ヶ月でオサラバせねばならなくなったこともあり、この数字を退職までの数日間+1日買い続けたところ、昨日、当選。退職金7700円を手にしたのです。

「3」で俺はマイナスを出していない。これはちょっと凄いでしょ。

庶民という言葉が大好きです。自分も含めて、庶民はちょっとしたことで一喜一憂できる。そんな日々。本当に可愛いなあと思うし、たまに可愛いくギャンブルしたってバチは当たらんだろう。

ところで、ちょっとしたギャンブルを楽しむ可愛い庶民に対して「そんなことに運を使うな!」みたいなことをいう人がいるけど皆さんはどう思いますか?ギャンブルで勝つということはイコール、運を使う、削ることだと思いますか?俺はそうは思いません。神様だってたまには微々たるおこずかいくらいくれるでしょう。人生、キッツイキッツイんやから。ただ、ギャンブルで手にしたお金、降ってわいたお金、神様からのおこずかいを全て自分の欲望の為に使うというのはやはりマズイかなとは思います。そうやって手にしたお金の1割でもいいから世の為人の為に使えば、神様の顔を立てることになり、神様も庶民の静脈のごとくにか青白くか細い運には手出しせんだろうと俺は考えております。神様もそこまで極悪ではないだろうというのが俺の希望的結論です。

久しぶりに昔の友人に会うとする。第一声は「おぅ、久しぶり!」みたいなことであるが、二言三言目にくるのは決まって「で、今、仕事何してんの?」である。俺にはこれがよくわからない。何故そんなことを聞くのか。そんなことを聞いてどうしようというのか。もしその時俺が「任天堂で部長をやってる」と答えたら彼は「負けた..」とでも思うのだろうか。もしその時俺が「携帯電話用のレンズを作る工場で外国人と一緒に働いてる」と答えたら彼は「勝った!」みたいなことを思うのだろうか。まあ多分、思うのだろう。何とも嫌な話だ。悲しい。

職業に優劣なんてないだろう。と、俺は常日頃、若干の怒りを込めて思う。営業の仕事も、警備員の仕事も、アパレルの仕事も、鳶の仕事も、ライターの仕事も、交通量調査の仕事もみんな仕事は仕事。正社員であろうが、派遣であろうが、バイトであろうが皆、雇用形態に違いはあれど立派な労働であって、みんな大変で、大変だからゆえに給料が発生している。



ところで、「労働」と呼ばれるものは大きく2つに分けられる。「ホワイトカラー」と呼ばれるスーツにネクタイのオフィスワーク組と、「ブルーカラー」と呼ばれる肉体労働組である。

俺は高校卒業以来、つい先日までずっ〜と工場勤めで、要するにずっ〜と青色。本文冒頭の「携帯電話用のレンズを作る工場で外国人と一緒に働いて」たのは他でもない、俺自身であって、俺はその工場で2年半ほど働いたが、同僚は皆本当に、泣けるほどに、いい奴ばかりだったし、例外はあれど皆、本当に良く働いた。が、俺を含めて皆、どこかに劣等感的なものがあったと思う。極めて自己評価が低く、「白くなり損ねた自分」というか、「白くなれない自分」というか、「自分は世の中の底辺で働いてる」みたいな感じがあって、日々の振る舞いの中にも若干の自暴自棄的なものがチラホラした。皆、自分の仕事に誇りを持てないでいた。

俺は馬鹿にされたことがある。ホワイトカラーの人間にあからさまに馬鹿にされたことがある。工場で働いていることや、工場で「わけのわからん人たち」や外国人と一緒に働いているということに関して馬鹿にされたことがある。

ホワイトカラーの優越感と、ブルーカラーの劣等感。これ、何とかならんのだろうか。

早い話が皆、「貧乏人」じゃないか。

正直、俺のバンド遍歴みたいなもんは〈前編〉と〈後編〉の二話で事足りると思っていた。

完全に誤算だった。

よく考えれば「芸人の美学」から「リプライズ」まで10年以上の時間が経過してるんだから、その間に生まれたエピソードを可能な限りはしょったとしても、ちょっとした「仕事」になるのは当然である。



「人に歴史あり」という言葉が自分みたいなもんにも当てはまるという事実が嬉しい。そして、「歴史」という言葉に「続く」という意味が当然のように含まれておればなお嬉しい。





過去清算終了!

過去に俺や剣吾くんと関わったドラマーは、俺と俺の書いてくる曲の感情を汲み取って、それを音として表現することには長けているが、テクニック的にやや不安定だったり、もしくはその逆パターンだったりしたが、ツージーはその両方、感情とテクニック、という要素において非常にバランスの取れた素晴らしいドラマーであった。その上、通常、サポートメンバーというものはサポートメンバーとしての働きしかしない。要するにあまり「頑張らない」のであるが、ツージーは本当に頑張り屋さんであったので、サポートメンバーとは言え、あっという間にリプライズには欠かせない存在となった。酒が好き。酒と同じくらい下ネタが好き。たまに下ネタが過ぎるたびアビィに「死ね!」と一喝される。が、誰もが認める頑張り屋さん。キャラ的にも文句の付けようがなかった。

俺と剣吾くんとアビィはある取り決めをしていた。ツージーに「正式にメンバーになってもらわれへんやろか?」的発言をするのは、そのタイミングが自然に訪れた時で、お互い、フライングは厳禁な!ということであった。が、ある夜、三宮の高架下の居酒屋で飲んでいる時、俺が豪快にフライング(この瞬間の剣吾くんとアビィの表情を俺は忘れない)、「正式にメンバーになってもらわれへんやろか?」と発言。この時、結果的にツージーが快く受諾してくれたから良かったようなものの、もし断られてたらと思うとゾッとする。剣吾くんとアビィに合わせる顔がない。でも俺に言わせれば、後先のことを考えての告白は告白とは言わないし、奇跡を起こす告白というものは大概後先を考えないものである。

第三期リプライズは試行錯誤につぐ試行錯誤であった。音からステージングにいたるまで試行錯誤を繰り返した。実際、結構良いライヴをやってたと思う。が、何をやっても評価には至らなかった。が、ただただライヴを重ねた。もうそうするより他なかったし、メンバーを変えてどうこうという問題でもなかった。

活動量に対して評価が伴わないとバンドというのは疲弊していく。そんな中、アビィが抜けた。何をするにも俺と剣吾くん主導というのは本当に辛かったと思うし、俺と剣吾くんが相変わらず「アルファベッツ」という過去の存在、評価と戦っている様は、当人としても隠そうとして隠せるものではなかったし、側にいれば肌身に感じて、強烈に疎外感を味わうもんだったと思う。

俺、剣吾くん、ツージーのラインナップから成る第四期リプライズは、そんなこんなを経ながらも結構な数のライヴをこなした。が、やはり評価はついて来なかった。そして、そのことを俺はもう自分の、自分たちのせいにする気はなかった。剣吾くんとツージーは俺よりずっと大人だった。ライヴハウスや他のバンドと本当に上手く関わってくれたし、俺はその上に乗っかってギターを弾き、歌っていた。

俺の中では長い時間をかけて積もり積もったライヴハウスやライヴハウスに足を運ぶ人たちへの不満、怒りが爆発寸前だった。で、ある日、天王寺にある某ライヴハウスに出演した際、自分が歌っている真ん前、足元で数人の女の子が俺が歌っているステージとは逆方向を向いて座り、デカイ声でしゃべっているのを見て「もう終わりだ」と思った(この時の経験が数日後「モナリザ」を生んだ)。その後も何本かライヴをこなしたが、俺の頭の中はもう「ライヴハウス糞っ喰らえ!客糞っ喰らえ!」というフレーズでいっぱいだった。「俺が思ってるほど人は音楽が好きじゃない。どいつもこいつも簡単に「音楽が好き」とかぬかすなボケ!」という怒りでいっぱいだった。

そしてある日の夜、考えに考え抜いた挙げ句「俺、辞めるわ」剣吾くんとツージーに電話で伝えた。解散ライヴはアルファベッツの時同様、素晴らしい出来だった。







そして今、俺、和田一憩32歳。「もし今、何でもできるとしたら何がしたい?」尋ねられたら、俺は迷わず答える。





バ・ン・ド!

「以前、アルファベッツのライヴを見た」というドラマー、よっすぃ〜が突如出現。加入。新バンドリプライズが始動した。アルファベッツ解散からほとんどブランクを経ずにリプライズは誕生した。俺も剣吾くんも本当に「ツイてる!」と思った。何しろ、この新ドラマーよっすぃ〜、グレイトなタイミングで現れてくれただけでなく、亮さんのごとき長身(アルファベッツもリズム隊の二人が長身で、それがどこかニルヴァーナのようで俺は気に入っていた)で、さらに今まで見たことがないほどの凄腕だったのである。「アルファベッツを越えられそうだ。それもあっちゅう間に!」剣吾くんはもう少し冷静だったと思うが、俺はひたすら神に感謝するばかりだった。それからひと月ほどみっちり練習をして、初ライヴに挑んだ。演奏はアルファベッツよりもずっと安定していた。が、それだけだったらしい。俺と剣吾くんの予想を遥かに越えて、ライヴを見に来てくれた人たちは皆、アルファベッツの音、感じを期待していた。「前の方が良かった」という実際の声も聞いたし、声にならない声も聞いた。いきなりつまづいた。正直、この編成でこの後何回ライヴをやったのか、全く思い出せない。

何かしら手を打たねばならなくなった。「キーボード入れたらどうやろ?」剣吾くんの提案だった。俺はギターをもう一人、できれば女の子、を入れたらどうか?と提案していたが、剣吾くんの提案の方が圧倒的に冴えていた。キーボード、鍵盤を入れるということは「音楽史上主義でいく」ということであって、同時にアルファベッツとは全く別物として再スタートが切れるということを意味していたのである。よっすぃ〜は若干「よくわからない」といった顔をしたが、俺は大賛成。何とかよっすぃ〜を説得した。そして以前から顔見知りの腕の立つ鍵盤弾きS氏に加入を打診したがうまくいかず、「一から探そう」というわけで、フライヤーを作成。各方面に貼り出した所、ほどなくして「三宮の楽器屋でフライヤーを見た」という鍵盤弾きの女の子から連絡があり、数日後に加入、リプライズは第二期に突入した。

アビィはリプライズを救った。全く新しい空気をバンドに持ち込んでくれたのだ。まず、テクニック的には抜群だが、ロックという音楽をやるには若干上品過ぎるよっすぃ〜のドラムが、アビィの鍵盤が加わることによってバンドの音全体に優しく馴染むようになった。そして、俺のギターに関しても、鍵盤の音との兼ね合いで音の出し入れが可能になり、自然と曲の骨格、メロディを浮かび上がらせることになったのである。視覚的なものに関しては言わずもがなで、紅一点アビィの存在は「立ちドラマー」以来のインパクトであっ。

第二期リプライズのライヴは結構良かった、と思う。例えば、リプライズはアビィ加入以前から新開地のライヴバー「一番星食堂」で「small ripple」というイベントを主催していたのだが、ここでのアビィお披露目ライヴの出来は本当に素晴らしかった。「化けた!」との声も聞いたし、このライヴの模様を収録したCDは今でも俺の愛聴盤である。

で、それから第二期リプライズはどうなったのか。ここまでこの「一憩のバンド遍歴」を読んでこられた方ならおおよそ見当がつくだろう。そう、よっすぃ〜の脱退である。これに関してはあえて詳細に触れないことにする。あまりに自然な出来事だったので、「流れ」といえばそれで事足りるだろうと思う。

メンツは変われど再び3人になったリプライズは、スタジオでの練習と、神戸の小さな小さなラジオ局への出演等でそれなりに多忙だった。そしてそんな中、「ヘルプ」という形ではあるが、俺と剣吾くんのアルファベッツ時代からの友人「ツージー」が加入。サポートメンバーとして練習に、そしてライヴにも参加してくれることになった。



〜後編!?〜に続く

「ロックスター」解散後、俺は再び伊丹の自室に引きこもった。バイトの時以外は外出せず、「仙人」を自称しつつ曲を書き始めた。「自分の曲を20曲用意しよう。メンバー募集はそれからの話」俺の決意は固かった。そして計画通り自分の持ち曲が20曲に達すると、しっかりじっくり時間をかけてメンバー募集フライヤーを作成。神戸、大阪、伊丹の知りうる限りのスタジオ、楽器屋に貼り出した。

まず大阪の楽器屋「KEY」に貼り出したフライヤーにベーシストから反応があり、次に神戸の中古CD屋「ハックルベリー」に貼り出したフライヤーにドラマーから反応があった。そして数日後、俺のバンド遍歴史上最強と言えるバンド「アルファベッツ」が誕生した。ベーシストは現在このホームページを管理してくれおり、俺の音楽の最強の理解者、平田剣吾(以下 剣吾くん)、その人であり、ドラマーは奇人中の奇人にして、問題行動と問題発言のオアシス、しかしながら曲をアレンジする能力には天才的なものを発揮する男、大辻亮(以下 亮さん)、その人であった。このバンドは、結成当初からとにかく周りからの評価が高かった。本人達の自己評価は実は一貫してかなり謙虚なものだったにも関わらず、周りが騒ぎ立てるので、「そ、そうかなあ」みたいな感じだった。練習は新開地のスタジオで毎回8時間みっちり行い、その新開地を軸に大阪、神戸、京都のライヴハウスを休むことなく転戦して回った。ライヴ中の「少しでも気ぃ抜いたら観客の目ぇ他の二人に持っていかれる」という意識はメンバー全員共通のもので、毎回のライヴがメンバー間の緊迫した戦いだった。ゆえにライヴを重ねる度バンドの演奏力は上昇、アレンジは変貌を繰り返し、気付けば亮さんは立ってドラムを叩く、世にも珍しい「立ちドラマー」になっておるし、かなり稀有で個性的な、何かと変化し続けるバンドになっていった。が、問題は、音楽的にも視覚的にもかなり個性的で、さらに変化し続ける体質が災いしてか、自分達で自分達が何者なのか、何を、どういう要素を売りにすれば良いのかが全くわからなくなってしまったのである。例えば「俺たちはパンクバンドです」とか「僕たちはモッズバンドです」とか、通常、バンドというものはわかりやすいキャッチフレーズ的なものを持っているが、アルファベッツにはそれが「ロックバンド」という実に曖昧な言葉しか当てはまらなくて、自分達のことを人に端的に説明する言葉を持たず、メンバー全員、かなり深く迷宮入りしてしまったのである。

ライヴを続けた。定期的に絶賛の声も聞いた。が、自分達の持ち曲、ほぼ全ての曲に関してアレンジが一転二転三転し続けていつまで経っても安定せず、さらにライヴ動員数はある一定数からいっこうに増えず、しまいにはスタジオでの練習も全く楽しくないといった状況に陥っていまった。練習の日、スタジオに行くとスタジオの前で亮さんが一人で全てを背負い込んだような表情をして座っており、「あれをこうして、これをこうせねばならん」と、無闇やたらに変化を求め出して、俺と剣吾くんはかなりうんざりしていた。亮さんの問題発言、問題行動が頻発するようになってきたこともあり、スタジオで練習することが、「楽しくない」を通り越して、苦痛になっていったのである。

そして結成から一年半ほど経ったある日、亮さんが脱退を表明。剣吾くんは「ちょ、ちょっと待てよ」的発言を少ししたが、俺は自分でも拍子抜けするくらいすんなり亮さんのその言葉を飲んで、アルファベッツは解散となった。

解散ライヴ(俺は今でもこの時の映像をよく見る。はっきり言って最高である)終了後、亮さんは、とある二人組と再び3ピースバンドを結成。俺と剣吾くんは袂を分かたず、バンド名を変えることを前提に、新バンド結成に乗り出した。



〜後編!に続く〜

25番地(仮)脱退後、俺は自作の「日本語」曲を書きためるために、一時、伊丹の自分の部屋に立て籠った。そして10曲ほど書き上げると、幼なじみのH氏に半ば強引にベースを弾くようすすめ、さらにその頃知り合ったばかりのドラマーS子を迎えて、俺史上初の3ピース編成にして、俺のオリジナル曲しか演らない俺主体のバンド「ロックスター」をスタートさせた。が、半ば強引に引き込んだ幼なじみであるベーシストと俺の音楽を「演る」ということへのテンションのズレと、ベーシストとドラマーS子の不仲からこのバンドはたった2回のライヴで解散してしまった。この「ロックスター」時代、俺はライヴの日、リハが終わるやいなや激しい胃痛に襲われて、うずくまったまんま立ち上がれず、酒をたらふく飲んでは緊張、要するに胃痛、をほぐしていたことを昨日のことのように覚えている。曲的には、曲の出来的には、他のバンドに絶対に負けてない自信があるにも関わらず、その他の要素では全く勝てる気がしなかったのである。曲そのものの勝ちが全てだとこの時までは思っていたが、そうではないことをこの時期、痛いほど思い知ったのである。ゆえに、このバンドでの活動、経験、屈辱が後に続く俺のバンド遍歴に対してものすごい力になったと言える。俺自身、この時はまだ、俺の書く曲をバンドで演るということがいかに難しいことなのかを全くわかってなかったし、「アレンジ」というものの魔法に関しても全くの無知だったのである。そういった意味で、この「ロックスター」で表現した俺の曲ってのは極限までプロトタイプであったと言えて、あえて言えば「次」へと続く可能性の塊だったのである。



〜後編?に続く〜

なぜかここで自分のバンド遍歴を書きたくなったので書く。前へ進むための過去清算だ。

俺にとって初めてのバンドは高校3年の時、文化祭に合わせて幼なじみの超絶早弾きギタリストK氏らと組んだ「芸人の美学」であった。バンド名を考えたのは俺で、ディープパープルやイングヴェイなどのメタルを主に演奏していたが、たまにニルヴァーナなども演って、これは俺の要望によるものであった。このバンドはあくまでも文化祭に合わせてのバンドだったので文化祭が終わると同時に解散した。次に組んだのが文化祭のすぐ後に伊丹で行われたバンドフェスティバルに合わせて組んだ「シャビーシェルター」であった。これは文化祭の時に俺の度肝を抜いたヴォーカルの女の子がいて(全校生徒が息を飲んで私語を止めたのを俺は見た)、その女の子からの誘いに乗る形でギター兼ヴォーカルとして参加した。元々はニルヴァーナやホールのカヴァーをやるつもりで始動したが、「せっかくフェスティバルに出るんだから」と、俺が人生初のオリジナル曲を持ち込むなどして、それなりに良い経験になった。フェスティバルでは「観客賞」を受賞したが、俺は最後までこのバンドのバンド名が気に入らなかった。で、このバンドもフェスティバルが終わると即解散。その後、俺は高校を卒業し、高校の真横にあるタンスの部品を製造する会社に就職したが、3ヶ月後の午後、「昼メシ食いに行ってきます」と言って出ていったきり帰らず脱走。数日後、高校時代の友人に誘われるまま富田林へ。大阪芸大に潜り込んで、勝手に授業を受けたり、現地で知り合ったロック馬鹿たちと朝晩を問わず酒を飲み、音楽を聴き、踊って過ごした。そして、19才の終わり頃、芸大生たちへの「お前ら口ばっかりで何にも作らねえじゃねえか!」という幻滅の気持ちと、本格的にバンド活動を開始しよう!との決意から伊丹に戻り、メンバー募集を開始。ほどなくして、某雑誌のメン募で知り合った神戸のバンド「カレーハウス25番地(仮)」に、ギター兼ヴォーカルとして加入した。このバンド、音的にはグランジ〜パワーポップみたいな感じで、英語詞で歌っていて、俺と同じくギターとヴォーカルを担当するリーダーの男は名前を「ピラフ一番(仮)」といった。俺としては「一番(仮)と一憩、ひょっとして運命的出逢い!?」と思う部分もあり、かなり情熱的にこのバンドのメンバーとしてやっていくつもりでいたが、いざやってみると「お前の曲はマイナーコードが多すぎるからマイナーコードを減らせ」だの「お前のギターはカッティングを多用し過ぎてるからカッティングを控えろ」だのわけのわからない注目を付けられた上に、気付けばドラマーに転身させられていて、俺が「俺はドラマーじゃない!」と至極まっとうな主張をするとベーシストが子供のように拗ねたので、「アホか!」となり、計4回ほどライヴをやって俺は人生初の「脱退」を経験したのであった。まあ、俺としても英語で歌うことに疑問を抱き始めていたので、何の未練も無い初めての脱退であった。



〜後編に続く〜

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109

プロフィール

いっけい

ビートルズ好きの両親の元、ビートルズを子守唄に育ち物心が付く前から音楽に慣れ親しむ。
学生時代からいくつかのバンドを結成し関西を中心にライブに明け暮れる。
現在はソロでの音楽活動に加えイラストも手掛けるマルチアーティストとして活動の幅を広げている。

いっけいの楽曲が聴ける!! MySpaceはこちら

2015年10月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31